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2019-02-09 07:42:00

訪問をありがとうございます。

 

今日はとても寒いですね。

 

一昨日の18度が嘘のような天気になっています。

 

夜はファミレスで経理をしたいので、どうか、夜には天候が回復してほしいと願っています。

 

 

 

 

さて、昨日はとても感性の豊かな方と話をした時に、こんな質問をされました。

 

『加藤さんは、嫌いな人にどう接しているの?』

 

それに対して、私の答えはこんな感じです。

 

『あー、私、社会人になった時に人に対して“嫌い”という感情を持たないと決めているので、嫌いな人はいません』

 

 

 

 

私は共感力が低いというか、KYというか、あまり他人様を気にしないのですが、20歳の頃、社会人になるにあたって一つだけ自分で決めたことがあります。

 

それが『嫌いな人をつくらない』ということです。

 

といっても、聖人君子を目指しているとか、そんな大そうな話ではありません。

 

単純に「私の中では、“好き”か“興味がない”しかない」だけなんですね。

 

そして、結構この生き方は自分で気に入っています。

 

 

 

 

そもそも好き嫌いって感情の話で、対人援助の仕事をしようと思った段階でこの感情を仕事に持ち込むと自分が疲れると感じていました。

 

で、どうしたらいいかと考え出た答えが、「あ、合わないと思った人は“興味がない”のカテゴリに入れよう」と思ったわけです。

 

変に感情を込めるのではなく、心を惑わされずに対応できる立ち位置になるというか。

 

私の場合、嫌いって感情を持ってしまうと、相手を観察しちゃうんですよね(何で嫌いなんだろうとか、どこが嫌いなんだろうとか、相手の一挙一動が気になっちゃうというか…)。

 

だから、「あ、こりゃダメだ」と思ったら、それ以上の興味を相手に持たないのです。

 

そうすると、必要以上に相手を意識することもなくなり、心の安定が維持できます。

 

そもそも、全員を好きになるとか全員と感性を合わせるとかは無理な話で、しかも好き嫌いは感情の問題であり価値観の違いでもあると思うので、自分のちっぽけな価値観だけで相手を否定したくないのです。

 

そこに労力を割くくらいなら、いっそ無理に理解しようと思わなければ良いというか。

 

“あ~、この人とは分かり合えないだろうなぁ~”と感じたら、お互いが心地よい付き合いをするための距離感として、“合わないと感じた人には心を惑わされない付き合い方”をしようとするだけの話でした。

 

 

 

 

という話をしたら、『あ~、(言いたいことは)わかるけど、ある意味ものすごくドライですね』と言われました。

 

そして、『加藤さん、配慮はあるけど共感力は低いかもね』とも言われました(はい、相手への配慮は必要だと思いますが、過剰な共感力は不要だと思っているので)。

 

これはドライなのでしょうか?