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訪問をありがとうございます。
一昨日はサイトの更新をサボり、とても尊敬している方との会合に集中していた私です。
その方は、普段はさっぱり連絡を取り合わないのですが、たまに会っても何の違和感もなく話をすることができる、貴重な友人です。
今回は、大学院のレポート作成のためにインタビューを受けました。
いやぁ、前向きに何かに取り組んでいる方との時間をもらうと、元気が出ます☆
さて、私は以前から時々質問を受けることがあります。
それは『加藤はよく“信用と信頼”というけど、その違いは何?』というものです。
今回は、その二つの違いについて書かせていただきます。
まず『信用』についてですが、これは“過去のこと、かつ、条件付きで行うもの”です。
『あいつは信用のおける奴だ』等に使うことがあると思いますが、これは“今までの付き合いからその人を信じることができる担保”があって、発する言葉なのですね。
逆に言うと、どんなに好きな人でもその人との間に自分が信じることのできる裏付けがなければ『信用』できないわけです。
今までの実績を基に信じてもらう、これが『信用』です。
また、契約なんかも信用を基にお互いの役割を書面化したもので、ギブ&テイクが明確にされたものですね。
利害関係によって成り立つものであると、私は認識しています。
一方の『信頼』は、“未来に対して、かつ自己責任で行うもの”です。
『私はあの人を信頼している』という言葉は、“担保はないけれど、私はこの人を信じて頼る”という意味になります。
この言葉の大切なポイントとしては、“期待はするけど保証は含まれない”ということです。
だから、“信頼する”という言葉を使った時には“信じていたのに!!!”という恨み節はナシなんですね。
勝手に自分が期待しただけなので☆
逆に、『裏切られた!』と感じる人がいたら、その人は相手に対して信用を求めていたわけで、信用を求めるのであれば、自分は相手に何を与えたのかを振り返って考えてみる必要があるのでしょう。
というわけで、信頼と信用って似ている言葉ですが、実は使い方としては真逆になるのではないかというのが、持論です。
だから、結構この使い分けを私は明確にしています。
どこかでも読んだことがありますが、『信頼しても信用するな』とは、『相手に対して期待をしても、自分が望む結果まで信じてはいけないよ』ということです。
そして、信頼とは『お互いの努力によって成立するもの』なんです。
担保のないことを信じるって大変勇気のいることですが、それでも互いの努力で『信じる』ことを育んでいく。
この『努力せざるを得ない』関係が、信頼関係なのですね☆
ちなみに、本業である介護保険のケアマネジャー業務以外は、基本的に私は『信頼関係』をベースにしています。
なぜなら、その方がおもしろいからです。
信頼している方が自分も相手の為に最善を尽くすことができるし、『相手に勝手に期待して裏切られたとショックを受けたることはないから』です。
主体的な関係つくりだと思うのですよね。
信頼をベースに関係つくりをしていると、自然と自分の他人を“見る目”が育ちます。
逆に信用をベースに関係つくりをしていると、人間関係がブチブチきれることがあります。
どちらが良いとか良くないとかそういうことは抜きにして、この2つの違いを知っておくことは、人間関係を考える時に大切だと思っています。
自分は相手に対して“信用”したいのか?“信頼”したいのか?
そして、信頼するのであれば、どんなに理不尽な目に合っても“裏切られた!”という考えは持たない方が良いと思います。
なぁんて。
久しぶりに真面目なことを書いてしまいました☆
皆さんは、周囲の方とは“信用関係”と“信頼関係”のどちらを育んでいますか?