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2018-11-21 07:43:00

訪問をありがとうございます。

 

昨夜は職能団体の委員会に出席してきました。

 

その後、副理事長と30分以上会について話をさせていただきました。

 

そして、帰宅後はバタンキューの私でした☆

 

 

 

 

さて、今日は言葉の使い方(意味?)について書いてみます。

 

と言っても、私は母国語である日本語すらきちんと使いこなせない人間なので、崇高なことは書けません・・・というか、言葉の意味って変化するんだな、という気づきの話を書かせていただきます。

 

その言葉とは『忖度(そんたく)』です。

 

具体的には、『んー、あの人は忖度するからねー』という使い方をされました。

 

 

 

 

私の中で『忖度』というのは、『相手の気持ちに配慮すること』という理解で、どちらかというと『慮る(おもんぱかる)』と似ているイメージがあり、相手を尊重したプラスの言葉だったのです。

 

しかし、会話の中で出てきた使われ方は『相手(権力者)の気持ちを推し量り相手が望む行動を取ること』という、マイナスニュアンスでした。

 

で、初めは会話のズレに違和感を感じていたのですが、ズレの部分が分かってスムーズに話が進んだという話でした。

 

 

 

 

その後、気になって、改めて忖度の意味を調べてみると、確かに「相手の気持ちや心を推し量る」という意味で合っています。

 

では、いつから世間様では使い方が変わったのだろうと調べてみると、Wikipedia先生が教えてくれました。

 

 

 

 

もともと忖度という言葉は、中国最古の詩篇でも使われていたくらい古くからある言葉らしいです。

 

で、最近では1990年代に脳死や臓器移植に関する文脈でも使用されていたようですが、その時までは『相手の意味を推し量る』という意味での使用だったようです。

 

この意味が変わったとわかる記事が、1997年夏の頃の政治に関する新聞記事です。

 

その時の意味は『上位者の意向を推し量る意味で合い』での用語となっていたようで、さらに2014年以降には上司の意図を忖度するという使われ方がみられるようになり、この言葉が否定的な意味を持つようになったようです。

 

 

 

 

で、私の中で浮上したのが『新しい解釈を知ってしまった今、今後はどちらの意味で使えばよいのだ?』という、全くもってどーでもいい悩みです。

 

結論としては『忖度という言葉自体を使わなければ良い』なんですけれど、5分間くらい考え込んでしまいました☆

 

考えてみたら、先ほど書いた『慮る』も、実は『おもんぱかる』が正しいのか『おもんばかる』が正しいのか、きちんと理解していない私。

 

ついでに調べてみたら『どっちでもいいよ』という、なんとも適当な回答だったため、正しく日本語を理解するって大変だけど、案外適当に使ってもいいものなんだな、と、改めて感じました。

 

そして、だからこそフォーマルな場で何かについて話し合う時は、言葉の定義を明確にして参加者の認識を同じにすることが大切なんだな、ということを実感した私でした。

 

それにしても、『おもんぱかる』と『おもんばかる』がどっちでもいいなんて・・・、ある意味、軽いショックを受けたのは、私だけでしょうか?