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2018-11-06 07:23:00

訪問をありがとうございます。

 

昨晩、就業時間を過ぎてからマッサージに行ったのですが、またしても身体のコリを指摘されました。

 

よく勘違いされるのですが、施術者の皆さんは私のことを「こんなにガチガチになるまで仕事を頑張るなんて…ストレスも半端ないですよね」と心配してくれます。

 

が、期待を裏切るようで申し訳ないのですが、多分、恐らく、今の私はストレスフリーです。

 

ありがたいことに、もともと仕事自体は苦ではないし、働くこと自体を苦しく思ったことはありません。

 

また、職場の仲間がとてもしっかりしているので、我慢は一切せずにやりたいことを心ゆくまで楽しませていただいています(今が一番楽しいです)。

 

考えたことを行動に移せるって、ものすごく幸せだと思うし、周囲の方々には感謝しかありません。

 

そもそも私の前身のコリは仕事とは全く関係なく、単純に好きなことをしている時、集中し過ぎて姿勢が固定するからです(2時間とか同じ姿勢で没頭するので、気づいたらガチガチになってる、みたいな感じです)。

 

でも、施術者の方の心配を否定したくはないので、そのことは言わずに心配に対して感謝をしています。

 

ありがたいことです。

 

 

 

 

さて、今日はタイトル通り、「善意の失敗は良しとしたい」ということについて書かせていただきます。

 

私は、ありがたいことに、多分人様よりも様々な経験をさせていただいています。

 

元々8割が好奇心でできている人間なため、疑問を掘っているうちに課題を見つけられるし、解決方法が思いつくとそれが合っているか試したくて実践してしまうのです。

 

そして、何がありがたいかというと、そんなチャレンジを許してくれる周囲の存在がありがたいなぁ〜、と思います。

 

 

 

 

そんな私ですが、最近読んだ本で「最近の職員かかかりやすい10大疾病」という文言を目にしました。

 

そして10個の内、「嫌われたくない病」というところに興味を持ちました。

 

嫌われたくない病は、文字通り嫌われたくないと過剰に空気を読むことらしいのですが、これはある意味危険だなぁと思います(良し悪しではないです)。

 

なぜならこれが高じると思考停止に陥るからです。

 

思考が停止してしまうと、自分のやりたいことなんかもわからなくなります。

 

そうなると、仕事をする意義というのが『給与のため』とか、目に見える分かりやすいもの(結果が一目でわかりやすいもの)に偏ってしまいがちになると思うのですよね。

 

仕事自体に楽しみを持ちにくくなってしまう。

 

社会人になると、(睡眠時間を除いて)1日の半分以上は仕事に時間を費やすのに、その時間を楽しめないって何とももったいない気がするのです。

 

生産者世代が一番多い割合を占めているのに、その人たちが毎日を辛い環境で過ごしているのって見ていてイタイですよね。

 

社会全体が暗くなってしまうというか。

 

 

 

 

じゃあ、どうしたら良いかを考えた時に、一番は『仕事を楽しめる環境』をつくることだと私は考えています。

 

そして、その環境は経営者がビジョンをどれだけ社会のニーズに合わせて掲げられるかと、それに対する善意の失敗を許す環境をつくれるかなのではないかなぁ~、と思います。

 

余白というか、遊びの部分が社内にあるといいですよね。

 

私は組織は概念でしかないと捉えていますが、概念である組織のつくる環境次第でそこで働く人の姿勢は大きく変わると思っています。

 

どうせ毎日の半分以上を費やすなら、自分が楽しいと思える環境で力を出し切ってほしいと思います。

 

なぁんて、そんなことを朝から考えてしまいました。