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2018-10-04 13:55:00

訪問をありがとうございます。

 

今朝は別のことで立て込んでいて更新が遅くなった私☆

 

前もって更新記事を書いておけば良いのでしょうが、その時々の想いを大切にしたいと思いつつ、その日その日に感じていることなどを書いています。

 

朝方訪問してくださった皆さま、申し訳ありません。

 

 

 

 

さて、昨日は、とある本を読んでいて『弱い正義』という言葉に引っ掛かりました。

 

詳細を書くと、“弱い正義は恨みにしかならない”という、なんともフォローのしようがない言葉だったのですが、この言葉がモヤモヤっと気持ちに残っていました。

 

そして、今日は午前中にサービスBの担い手さんが来社し、1時間ほど話をしました。

 

この方は、昔々から積極的にボランティアや地域活動を行っている方です。

 

そして、『担い手の人たちはとても頑張っているが、みな、多少なりとも“自分の活動が一番”“自分の考えが一番”という気持ちを持っているため、多団体との協働や発展を希望しないところが多い』と、『だから、(他者の意見を聞い入れそれをまとめる)リーダーが生まれにくい』という話をされていました。

 

 

 

 

なるほど☆

 

私が話を聞いていて感じたのは、人間の脳は良くできているな、ということです。

 

きっと、活動をされている方々の中では、『こんな大変なことを(自分以外のために)行っているのだから、これは正義だ』と思わないと、何のために行っているかの整合性が自分の中でつかないのかもしれない、ということに気づきました。

 

そして、『であれば、活動にどっぷり浸かっている方々だけで様々な活動が手を組んだり発展していくことは、難しいかもな』と思いました。

 

 

 

 

誰でもそうだと思いますが、自分が頑張って取り組んでいることは最善の方法と手段であると確信していると思います。

 

その想いがモチベーションとなって更なる活動の継続に繋がっているのでしょう。

 

そして、リーダーというのは、もう一段俯瞰的な状況からメンバーや活動内容を見据え、目的達成のためにどう動くことが良いのかを考えられる人が最適なのかもしれないと、再確認しました。

 

つまり、“担い手は頑張るあまり自分の思考に執着してしまうのではなく、手段が目的化してしまうことに気をつけて、活動を行うことが大切”ということです。

 

そのことに気づき、改めて『本来の目的(ゴール)実現のために、何をするかの視点で考えられる人』がリーダーに適しているのではないかと思ったわけです。

 

リーダーは、担い手の視点と全体をみるための俯瞰的な視点と両方が必要☆

 

そりゃあ、そんな一段上の視点を持てる人は少ないだろうから、リーダーがなかなか生まれないわけですね。

 

 

 

 

現在、当区では『ボランティアリーダー養成大学を創ろう』という活動が起きています。

 

私、地域活動を仕組化するという観点ではとても良い取り組みだと思います(後は費用対効果ですね)。

 

そして、ソーシャルリーダーの普及と育成は手段であり、本来の目的は『住みやすい社会を構築すること』ということは忘れないで行きたいと思っています(手段に固執しないということです)。

 

戦後、長い時間をかけて解体された地縁を再構築するということは、簡単なことではありません。

 

だからこそ、一人ひとりが取り組みを通じて、ちょっと抽象度を高めて地域と活動を振り返り、『どうすれば自分の地域が住みやすくなるか?』という視点を意識することから始めるのが大切ではないかな、と改めて思いました。

 

皆さんは、ご自身の取り組んでいる仕事や活動の本来の目的やゴールを意識しながら行動していますか?