インフォメーション
訪問をありがとうございます。
昨日は名古屋の人材企画の方が来社してくださいました。
人材企画さんは、当区で「KIKKAKE」という地域活動団体の集約冊子を作ってくれた企業です。
東京に来るとの連絡を受け、その旨を何人かにお伝えしたところ「ぜひ会いたい」という話の流れになり、今回は集まってワイワイ話をしました(本当はFさんに会いたい方がもっとおられたのですが、今回は冊子制作のメンバーのみになりました)。
1年前には右も左も分からなかったFさんでしたが、今では彼の上京に「会いたい!」と言ってくれる人がたくさんいる。
Fさんの人間力に感心しつつ、当区は人情のまちだなぁと思いました。
Fさん、お忙しい中時間を作っていただきありがとうございます。
さて。
前回「議論」について書きましたが、今後は少し社会の仕組みについても触れながら書いていきたいと思います。
具体的には、社会学・社会心理学・行動心理学をちょいちょい入れながら書いていこうと思っています。
とそんなわけで、今回は「正義」について考えてみたいと思います。
前回「自分の正義を絶対視しない方がよい」と書きましたが、この「正義」というもの。
自身の信念になり良い部分もありますが、考え方・使い方を間違うと極めて厄介なものになるのです。
そもそも正義というものには2つの考え方があります。
1つは、「善や正しさのようなもの」という考え方で、これは先日の内容にも挙げた通り“正義の基となる正しさは誰にも決められない”という問題点を持っています。
善を訴えようとすると対比する「悪」を作り出さなければならず、これは時に「無理やり悪役を作り出す」というなんとも不可解な状況を生み出します。
自分の正義を正当化するため、わざわざ対峙する悪を作り出そうとするなんて、なんとも本末転倒ですが、これは戦略として日常的に使われることが多いです。
他にも、立場の違う人たちが「正義」を主張すると不毛な争いが始まります(昨日の記事のような話になります)。
そう考えると、単純に良し悪しではかる「正義」の使い方は危険だなぁと私は考えています。
そして、もう1つの正義は「公平さを求める」という考え方です。
これは、20世紀にアメリカの思想家が唱えた正義で「フェアであること」をベースにしており、正義の原理は3つあります。
1)基本的にみんな自由だよ。
2)平等も必要だから、誰にでもチャンスは必要だよ。
3)でも、最も困っている人たちが“平等よりも不平等で良いよ”と言っている時は平等でなくてもいいよね。
自由と平等と公平をベースとして、これらがバランスを取りながら遵守することを「正義」としています。
3についてわかりにくいと思うのですが、税の徴収方法で例をあげると応益主義と応能主義の違いのようなものです。
蛇足的に応益主義と応能主義について書いておきます☆
応益主義というのは「個人の収入や財産等をいっさい考慮せず、かかった分だけ全員平等に平等に税をかけますよ」というもので、介護保険開始時の利用料金だとか消費税は、原則これにあたります。
「私、所得が低いから消費税2%にして」と言っても通りませんよね?
一方で応能主義というのは「個人の所得に応じて徴収する金額を変えましょう」という、個々の台所事情を踏まえて無理のない徴収を行います。
社会保険料はこの方法ですね。
この社会保険料も「みんな平等でなくちゃダメでしょ!」となると世の中はハチャメチャになります(第一お金のない人から取ることはできないし)。
だから3で挙げているように、「最も困っている人が不平等で良いよと言った時には、平等に拘らずに公平性を優先しようね」という考え方になるのです。
長々と書いたのでこのあたりで終了します。
何が言いたかったかというと、「正義を善悪で捉えてしまうと、その周りには自分に同調する人だけしか集まらず偏った正義になると同時に、正義が悪に転落するリスクがあるよ」ということで、「物事を2極対立で捉えるのではなく、公平性という視点で正義を捉えた方が、建設的な議論や思考ができるよ」という事です。
なんて、またしても数行で収まってしまいました・・・。
皆さんは正義をどのように考えますか?