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訪問をありがとうございます。
昨日は、天気が良かった(良すぎた?)のですが、風が強くて辟易してしまった私です。
皆さんはいかがでしたか?
さて。
今日は『ジャッジメント』について書かせていただきます。
今の世の中、『寄ってたかってのバッシングが激しすぎる』と感じるのは私だけでしょうか?
誰かが何かを行った時、それがうまくいかなかったり失敗した時の対応がとにかく辛辣というか、『あなた様と当事者の関係性は?』と思わず問いたくなってしまうほどの批判ぶり。
テレビなどでそんな姿を観ると、『この方々は、どこまで情報を正確に把握して発言しているのだろう?』と不思議に感じます。
一億総評論家時代と揶揄された時もありましたが、ジャッジメントする側にいる人が多い気がします(そしてそれは大半が批判)。
その批判がもたらす大きな悩ましさは、何かに気づいて行動しようとする人の勇気をへし折ってしまうことです。
これ、批判している当事者は何気ない話題のつもりかもしれませんが、大きな罪だと私は感じています。
成功しても『よくやるよね~』で終わり、失敗したら『それ見たことか』とバッシングする風潮は、一歩を踏み出そうとする人の勇気を奪うという、とても残念な行動だと思うのです。
行動する人が減ると、課題は放置されたままになり、それはどんどん大きいものになっていきます。
結果、誰もが感じている課題も放置され、どうにもならない状況となって、『だから私は何とかした方が良いと思ったんだよね』という言葉が、たくさん聞かれるようになるのです。
課題が大きくなりすぎると、ちょっとの勇気では太刀打ちできなくて大きなテコ入れが必要となりますが、その損害はかなり大きなものになります。
そうすると今度は解決に時間がかかって、さらに困る人がたくさん出てしまうという悪循環が生まれてしまうのですよね。
毎日を過ごしていると、様々なことに気づくと思います。
そんな時、『でも、私ができる事なんてないし・・・』とか、『どうせ私がやったところで、何も変わらないよね』というように、気づきから行動に起こすハードルが、どんどん高くなっていると感じるのは私だけでしょうか?
そのことを感じてから、私は自分自身の行動から変えようと決めたのです☆
自分が気づいた事は、解決に向けて行動する。
何らかの行動を起こしている人に、提案はしても批判しない。
そして、提案したらトコトン自分のできることは協力する。
その人の基となる善意と勇気を失わないように応援する。
ものすごいスピードで物事は進んでおり、10年先どころか5年先もわからない社会は不安も多く生じると思いますが、皆が少しずつ気づいたことを解決に向けて行動する。
この積み重ねで、世の中って住みやすくなるのではないでしょうか?
行動することが難しければ、応援するだけでも十分だと思います。
数年後の社会を見据えて何が必要かを考え、できることから一歩を踏み出してみませんか?