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2017-05-04 22:22:00

訪問をありがとうございます。

 

今日は絶好の外出日和でしたね。

 

私、訪問の移動中に何度も自転車で、木場公園に遊びに行きそうになりました。

 

皆さんは、楽しい一日を過ごせましたか?

 

 

 

さて。

 

ここでは会社名を出しているため、個人情報に関わる内容は一切出せず、ケアマネジメントに関する日々のやり取りを書くことはできませんが、今日はどうしてもここに書きたい内容があったので、ご家族の了承を得て書かせていただきます。

 

 

 

『ヘルパーさん達、本当によくやってくれていて感謝しているんですよ。

 

ただね、時々本人からの話を聞いていて感じることがあるんです。

 

記録はしっかりと書いているのだけど、やることは確かにやってくれているのですけど、この人たちは『人を介護する』という、基本的な部分の教育を本当に受けているのかな?と。

 

いや、『やることはやっています』と言われたら何も言えません。

 

ただね、本人との信頼関係を築かないで行う介護、ちょっとした配慮の足りなさを感じているのも事実です。

 

信頼関係のない中での介護って、どうなんでしょう?

 

それが非常に残念だなぁ〜と思います。

 

私はね、ノートの記載なんて最低限の箇条書きで良いと思っているんです。

 

その時間があったら、本人の身体に触れて話をしてほしい。

 

ちょっとの時間でよいから、麻痺側を軽くさすりながら、一言二言、優しい言葉をかけてほしいのです。

 

それだけで、本人の心は癒されると思うのです。

 

頑張っていただいているのは十分にわかっているので、彼ら(ヘルパー)のモチベーションを下げないように、何とか基本的な部分の大切さを理解してもらえるようにしてもらえないでしょうか?

 

それとも、賃金の関係で、そこまで望むのは無理なのでしょうか?』

 

 

 

これは、日中独居のご利用者の家族の言葉です。

 

帰宅後、その日の様子を夕飯を食べながらご本人に聞くのですが、訪問看護やリハビリと比べて、明らかにご本人がヘルパーを信用していない様子がわかる、と。

 

看護やリハビリの職員との話をする時は表情が穏やかだが、ヘルパーの話をすると怒り口調になり表情が硬くなる。

 

一目で、信頼関係が構築されていないのがわかるというのです。

 

そう感じると、今度は(粗探しをするつもりはないのだけど)、色々な部分が見えてくる。

 

洗った茶碗の置き方や、ご本人の靴の置き方などなど。

 

ほんのちょっとしたことなのです。

 

そして、そういう『ちょっとしたこと』で、ご利用者に対する想いを感じることができると、その方は話されました。

 

 

 

私、これを聞いた時に、思わず自分自身を振り返ってドキッとしました。

 

今回は、ヘルパーということで話をされていましたが、これは、誰しもが感じる部分ではないだろうかと思ったのです。

 

 

 

私自身、挨拶・話す時の目線や目の位置・表情・言葉遣い・座る位置や対応には十分配慮しているつもりですが、『相手にそれ(大切に想っているという気持ち)が伝わっているか?』と問われると、自信を持って『大丈夫です!』とは言えないこともあります。

 

そして、私達の何気ない言動を、ご利用者やご家族は非常によく観察しており、私達の心の動きを、非常によく感じていると、改めて感じました。

 

 

 

前にも書きましたが、『つもり』だけでは、仕事では通用しません。

 

『私はご利用者を思いやっている』と自分が思っていても、それを相手も同じように感じてくれていなければ、仕事の評価は上がりません。

 

そして何より、私たち一人ひとりの言動が、『介護職』のイメージを作っているのだということを、改めてヒシヒシと感じました。

 

 

 

先のご家族のお話には、『訪問リハビリの支援中に、訪問介護の責任者が同席し、現在の身体レベルからどのように支援をしたら良いかを学ぶ機会を持つ』という提案をしました。

 

そして、その中で、リハビリ職員が本人と交わすコミュニケーションに注目してもらうように伝える、と提案しました。

 

 

 

そのご家族は、何度も『私はヘルパーさんとか介護の人たちは必要だと思っているのです。だからこそ、彼らの質を上げてほしいと思うのです』と話しておられました。

 

とてもとても深く考えてしまうやり取りでした。

 

 

皆さんは、日々のやり取りで、ご利用者・ご家族に対する配慮を大切にしていますか?