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2016-11-01 22:18:00

訪問をありがとうございます。

 

今回は、2度目の投稿となるため、前置きなしでいきたいと思います。

 

 

 

数日前の話ですが、私はとある方との会話の中で、『加藤さんは利他って本当にあると思う?』と真顔で聞かれました。

 

皆さんは本当の意味での利他ってあると思いますか?

 

私は『キレイごとだ』と言われるかもしれませんが、本当の意味での利他はあると思っています。

 

そのことをモヤモヤと考えていたのですが、今しがた、納得のいく言葉が見つかったため、ここに記させていただくことにしました。

 

 

 

というわけで、今回は哲学チックな内容を書かせていただきます。

 

正解不正解はありませんし、私の価値観でしかないので、かる〜く読んでいただけたら幸いです。

 

 

 

利他:自分を犠牲にして他人に利益を与える人。

 

辞書で利他ということをこのような意味が書かれておりますが、恐らく、大半の方が、この『自己犠牲』という部分に違和感を抱き、『本当に自己犠牲をしてまで、他人に尽くす人なんている?』という感覚があるのだと思います。

 

これに対して、私は『自己犠牲』の受け取り方をちょっと違う観点で読み取っています。

 

どういうことかというと、この自己犠牲という表現は、『第三者から見た視点』であり、本人にとっては『自己犠牲』という感覚はないのではないか?ということです。

 

この違いをうまく説明できる自信はありませんが、ニュアンスの違いをわかっていただけるでしょうか?

 

つまり、他人から見たら『あの人(自分を犠牲にしてまで)よくやるよね〜』という行動も、本人からしたら、自分を犠牲にしている感覚も、特別なことをしている感覚もないのではないかということです。

 

『結果、利他主義になった』というか。

 

 

 

 

私自身、人の行う言動は全てエゴだと思っています。

 

そして、エゴにも良いエゴと悪いエゴがあると思っており、それが利己主義か利他主義の違いだと思っているのです。

 

自分の損得しか考えない言動というのは、間違いなく利己主義です。

 

そして、自分の損得を抜きにして、世の中(相手)にとって必要だと考えて行われる言動は、利他主義だと感じています。

 

無償の愛なんて、まさに利他主義そのものだと思います(Like若しくはLoveが利己主義であれば、Agapeは利他主義というか)。

 

あ、私が愛を例にして説明をするのは似合いませんね。

 

 

 

とにもかくにも、利他主義は、真剣に対象のことを考えて、見返りなくその行動を起こせた時に実現すると思っています。

 

そして、本当の意味での利他主義を行える人間というのは、自分を認め、大切にできている人が成せることだと感じています(ここ大事!!!)。

 

私自身、事業を起こした時の目標の一つに、『どこまで利他主義を貫き通せるか?』というのも、一つのテーマでした。

 

これは実現しきれていなく、本当に難しいです。

 

なにしろ、まずは自分自身を『それで良し』と認めないといけないのですから。

 

そんなわけで、私は利他主義というものは世の中に存在しており、その利他主義を受けている人は、感情の伝播で、次々と利他の気持ちを繋いでいると感じています。

 

 

 

私たちにとって、目に見えるお金はとてもわかりやすい指標です。

 

同時に、目に見えなく、わかりにくい指標である『相手を思いやる気持ち』、つまり利他の気持ちが、これからは、大切になってくると、私は感じています。

 

なぁんて言ったら、『だからお前は甘いんだ!』と言われそうですが、私は本気でそう思っています。

 

 

 

フワフワとわかりにくい文章となってしまいましたが、誰かと、この理解を共有できたら嬉しいです。

 

また、最初に書いた『加藤さんは利他って本当にあると思う?』と質問をした方こそ、私から見たら、利他主義で生きている方なのです。

 

そう考えると、言葉はどうであれ、自分をさておき、他人のために行動を起こしている人、利他主義の人って、意外に自分では気づいていないのではないかなぁ〜、と感じました。

 

 

 

皆さんの周りでは、利他主義を行っている方はいますか?