インフォメーション

2016-05-17 08:05:00

訪問をありがとうございます。

 

今日は久々・・・数ヶ月ぶりに、ガミガミと怒りながら家を出ました。

 

いやぁ、今更ながら反省です。

 

天候が不安定だと気持ちまで不安定になりがちなのは、私の弱点であり、これを何とかコントロールできるようになりたいと思っています。

 

皆さんは今日の滑り出しはいかがですか?

 

 

 

さて、昨日は金沢の研修について書かせていただきましたが、今日は『なぜ学ぶのか?』について、考えてみました。

 

と言っても、主体的に考えたタイトルではなく、とある記事を読んだ時に『あぁ、そうだ』と共感したので、その記事を基に、これを書いています(まどろっこしい文章ですみません)。

 

 

 

日々、私たちは実践に追われていると、対処療法的な対応力がつきます。

 

これは、相談を受けた際、瞬時に『あ、この時はこうすれば良い』という解決策であり、経験のある方ほど、そのスピードは早まります。

 

状況を把握し、見立てを複数立て、その予後を検討しながら、その方の価値観を加味して、どの方法がベストかを考えながら情報提供・提案をする。

 

ただ年数を重ねているだけではできないこと。

 

日々の支援を意識しないと研鑽できない部分だと思います。

 

経験を積めば積むほど、そして振り返りをきちんとしていれば、年数と経験数を重ねた方ほど、この『見立てから予後検討』の数も多く、たくさんの引き出しを持っていることでしょう。

 

一言でいえば、経験値ですね。

 

 

 

私事になりますが、ありがたいことに支援については開始時(課題山積み時)から安定期(支援に慣れ生活が安定するまで)の担当をさせていただくことが多く、だいたい均すと、月平均5件ほどの新規に関わらせていただいています。

 

その後、別の職員に引き継ぐ、ということが多いのです。

 

これは、ケアマネジャーになってからずっとなので、かなりの経験をさせていただいています。

 

また、開業以降、認定調査を月に13件以上は担わせていただいています。

 

ケアマネジャーの資格を取得し働きだしてから13年、毎日これを積んできました。

 

 

 

だからこそ、研修というものに、私は拘るのだと、最近、気づきました。

 

『基礎的なものを含め、専門職の様々な理論を学ぶことは、これまでの自分の経験則が正しかったのか、あるいは偶然成功しただけの危ういものだったのかを再認識できる、非常に重要なプロセスである。』

 

今朝読んだ記事にも書かれていましたが、私が研修を受けるのは、恐らくこのことが理由なんだな、と、腑に落ちました。

 

 

 

そう、私は基礎的な知識・理論を学ぶことで、日々の判断のスピードと精度を高めたいと考えているのです。

 

そして、それは書籍を読んで学ぶことも重要ですが、経験値を持った方々の集まる研修が、一番の学びの場であると考えています。

 

あ、正確に言うと、『研修を通じて学び(知識)を土台に、受講者や講師と話をすることで、学びと経験がリンクする』ということです。

 

ただ、学んで『あ〜、良かった』と満足するのではなく、その学びを土台に、様々な方々の経験値を知り、一緒に考え、たくさんの気づきを得ることができることに、研修の価値があると、私は考えています。

 

だから、研修を受講することに貪欲なんだと、気づきました。

 

これって、自分の支援に根拠や自信を持つことに繋がっているかもしれません。

 

 

 

研修ばかり受けて満足するのは困ってしまいますが、『元を取ってやろう』というガメツイ気持ちで臨む私は、ある意味、日々の経験と研修の受講の両立で研鑽するのが、うまくいっているのかもしれません(だからこそ、有料の研修が意味を持っていると思っています)。

 

また、研修やそれらを通じて知り合う仲間には、魅力的な方々もたくさんいて、見習いたい部分だらけです。

 

それらを意識しながら、日々の支援にあたることで、さらなる飛躍を目指すことができる。

 

研修って、実は素晴らしい仕組みだと私は考えています。

 

 

まぁ、スラスラと書いているほど実際にはスムーズにはいきませんし、壁にぶち当たりながら迷走することも多々ありますが、このモチベーションを維持できているのは、幸せだなぁ、と思います。

 

 

 

皆さんは、日々、どんな意識をもって支援にあたっていますか?

 

どんな意識で研修を受講していますか?