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ミケランジェロを想う
今回のくどやま芸術祭の作品作りは慣れていないことの連続で手間がかかっている。
特に散髪用の椅子。
これには困ったことが多い。
ほとんど見えていない裏側も彩色しないといけなくて寝転んで長い時間横になって作業。
そうすると腕も疲れるしたまにメガネに絵の具も落ちてくる。
ミケランジェロがシスティーナ礼拝堂の天井がを描いた時のことを想った。
かなり大変な作業だったようで今回それを実感。
ただ自分のはあまりにも規模が小さい。
あと、下を向いて色を塗ることも多く、画像のようにメガネにマスキングテープを貼って落ちないようにしていた。
それでも顔から出る油で剥がれたりする。
歳はとったのに顔だけは脂性。
頂き物
今回のくどやま芸術祭用の作品は岩絵の具を大量に使った。
秋の団体展で使うくらいの量、100~200両(1両15グラム)くらいである。
それらの中でかなり役に立ったのが以前友人に頂いた岩絵の具である。
自分は持っている岩絵の具の色数は少なくないと思っているがそれでもまだまだ持っていない絵の具は多い。
今回モチーフを描くにあたって自分が持っていない絵の具の使用があった。
ここで役に立ったのが先の友人(以前このブログで亡くなったことを報告した方)である。
東京の絵具屋でだけ売っているのか、ただ単に自分が使わない絵の具なのかわからないがそれらが役に立った。
しかもかなりの量を使うことができて天国の友人に本当に感謝した。
自分の日本画の描き方は厚塗り・ペインティング方なのでかなり塗り込む。
絵の具の残量を気にしないで使えた。
写生?
この夏に京都へ展覧会と絵の具屋のために出た。
その両方で菅原健彦氏が亡くなった話が出た。
少し自分より年上だがだいたい同じ歳の氏であったが会ったことはないし、活動もほとんど知らない。
知っていることは多摩美を出ていて京都芸大の教授をしているらしいことくらいなのだが事故で亡くなったようだ。
山奥へ入っていって帰ってこなくなり通報で捜索、遺体で発見だったようだ。
日本画にかかわらず油絵でもそうだが写生を元に絵を描くタイプの作家はこういう事故があるだろう。
きっとその場で対象から霊感や神の啓示等を得て創作するのだろう。
自分もそういうことをやってみたが全く向いていなくて遠くへ出向いてもあまりにも退屈で、当然神の啓示も得ずに帰ってきた。
特に山を描く作家は実際に山へ向いているが危険極まりない。
冬山なんてもってのほかだ。
こういうニュースを聞くとやはり写生は自分には合わない。
先生のご冥福をお祈りいたします。
俺の母ちゃん加藤ローサ
松井大輔と加藤ローサの離婚が話題になっている。
概ね男性は松井を女性は加藤を支持しているが全体的には加藤支持が優勢である。
個人的に松井はカッコいいと見ていたので応援したいが加藤の可愛さには歯が立たない。
この松井への批判は日本の男性全員に言えることなので心しておく必要がある。
この二人には息子2人がいるようだが母親が加藤ローサというのはどういう気分だろうか。
例えば父兄参観に来たときに明らかにその空気が変わるだろう。
担任の先生も加藤ローサが来た!ってことで襟を正すだろう。
息子たちも「俺の母ちゃん、かわいいだろう!」って気分にもなる。
これは以前、西田ひかるに息子がいる、というのをテレビ番組で見た時に思ったことである。
本当に美人は正義だ。
広島広陵高校
SNSで見ているとかなり叩かれている。
ニュースで見た時はカップ麺の画像が日清のシーフードヌードルであったが実際はそうでないことを祈る。
でないと、カップヌードルのイメージが悪くなる。
アクセル・ブレーキ踏み間違えにプリウスが突っ込む画像ばかり出ているとそれは殺人マシーンのように思えてくるからだ。
それはさておき、いじめは昭和の頃は普通にあった。
大体先生も暴力を振るうのが当たり前であったし、今なら考えられないことばかりだ。
指導者や学校管理職も自分の年に近い人が多いし、昔はいじめや母量か当たり前、が抜けていない。
令和の今、その考えが変えていけないのは問題だ。
もちろん、セクハラも。
大学に非常勤講師で行っていた時にこれは気をつけていた。
