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2024-02-09 13:22:00

農にある 人生観

我々のいのちは、明日ありともわからない。常に「終末期」であるともいえる。
誕生の瞬間から今日までいつ死んでも不思議ではなかった自分が、今あるいのちの「有難さを」 思わされる。
また、平均寿命が八十余歳と聞けば、自分もそこまで生きられると思っているが、

明日あるともわからぬいのちと知った時、「今を生きねばならない」と実感する。
さらに、死は思いがけずにやってくる。
誕生も死も、思いを超えていて、思義すべからざるものであることを知らされる。
思い通りにならないものを思い通りにしようとするから苦しみになる。
いつか、がんセンターの緩和科の医師が言っていた。
「往々にして高学歴で“賢い人”ほど往生際が悪く、スタッフに当たる。
それに比べて農業など自然を相手に生活をしていた人は淡々と死を受け入れていく」と。
水害も干ばつも思い通りにならない。思い通りにならないものを思い通りにならないと

知っていくことがそれを超える道である。
科学の立場でいのちを対象化し、客観的なモノとして見ているいのち観から主体的な見方に 変わると人生観が変わる。
いのちの長短、死に方の良し悪しにとらわれる限り、欲が無限であり、苦に追いかけられる。
事実を見つめて「我」が砕かれるという無我の体験をすると、そのとらわれから離れ、

何歳でもよし、 どんな死に方でもよしとあるがままを受け容れられる。
これこそ絶対満足であり、真のQOLである。(quolity of life)