農のある暮らし

長野県 安曇野で、有機野菜、地球宿を営む 増田氏のコメントを紹介致します

 

200577日 文責 増田望三郎

東京から安曇野に移り住んで14ヶ月。増田ファミリーの暮らし方で大きく変わったことが

一つある。それは暮らしの中に「生産する」という要素が加わったことだ。

 風が生まれたばかりの東京町田時代、悦子が僕に言ったことがあった。

私は生産のある暮らしの中で、子どもを育てたい。

東京は消費生活の極めつけのようなところで、自分で生産するものがほとんどない。

自分達の日々の食材がどこでどのように生産されたかを実感しないまま大量に消費される。

消費だけの生活は、便利なようで実は疲れる。そのことは都市生活者ならば誰しも感じる。

かくして、増田ファミリーは東京を離れ、この安曇野の地で生産のある暮らし=すなわち

農のある暮らしを営み始めた。 越してきて3日目に畑に出てラディッシュの種を蒔き、

それが1ヵ月後に我が家の食卓にのぼった。その時の悦子の嬉しそうな顔を今でも思い出す。

自分が育てた野菜をどう調理しようかと考えるのは楽しいようで、

悦子の作る料理は東京時代よりずっと美味しくなった。

僕も仕事に出かける前の朝の時間、庭の畑の野菜たちに水をやって出かける。

 赤く色づき始めるトマトやすぐに大きくなってしまうキュウリ。ナスはできなかった。

 大根や白菜の冬野菜の種蒔きはお盆前が適期!ということで、早起きして畝を作った。

その後悦子が種を植えてくれて、おかげで冬は仲たちと鍋料理をたらふく食べた。

毎日まじめに畑に出かけたわけではなく、なまくらだったけど、それでもある時期に

しっかり手をかけさえすれば、後は野菜の成長する力と土の力とで、作物が稔っていく。

それは、「生み出す」のではなく、「生み出されていく」のだ。  畑って、すごいなあ。

 僕はそう思ったものだ。

そして、東京時代には感じられなかった、心の落ち着きや安心を得ていることを僕は自覚

するのだった。 織物が縦糸だけでなく、横糸もあって初めて織り成されていくように、僕の夢

もそれまでの頭の中の理想だけでなく、なんだか大事なベースを得ていっているような、

そんな気がした。大事なベース、それは単に食べるものを自給できている、ということだけ

でなく、対象物を育て、実らせ生み出していく、という行為やその過程を通じてしか味わい

得られない、人が生きていくうえでの礎となる喜びのように思う。

 

「農業」と「農のある暮らし」とは違いがあると思っている。

 前者は農を生業とし、それで生計を立てるということ。それに対し、後者は農では生計

を立てない。自分やその周辺が食べるために行う農だ。生計を得るための仕事ではなく、

らしの中の一つとして位置づけられる農だ。農的生活と言っていいかもしれない。

直接従事したことはないから分からないが、農業は厳しいと言われる。

農そのもの自体は楽しい営みであると思われるが、それで生計を立てようと思ったら、

別の論理が働くのか。今後農業はスケールメリットでカバーする資本力を持った企業体か、

有機無農薬栽培などの高い付加価値の学を持った農業者に2極化されるのではないか。

しかし、それでは農業者人口は減り続け、遊休農地が増え、土地は荒れていくだろう。

僕が今年米作りに挑戦している田んぼは数年間休耕田で荒れており、今年復活して

田んぼとして機能するまでに労力を費やした。荒れた農地は機能を失い、やがて少しづつ

切り崩されていってしまう。田園地帯といわれる安曇野もいつまでそう言っていられるだろうか。

そこで我思う。

これからの時代は、暮らしの中に農を取り入れた農のある暮らしを実践する人が増えていく

と思う。テレビや車が生活の中に位置づいたように、自分の食べるものは自分でつくる、

という方向へと普通の人々が、そのライフスタイルをシフトさせていくのだ。食糧危機が予見

される時代背景からの必要性、そして、何よりも農自体が持つ魅力を感じ取った人々が、

暮らしの一部としての農をやっていくのだ。しかし都市の生活者にとって、農を体験する機会

は少ない。したいと思っても、その場所が市民農園のほんの小さなスペースなのだ。

それさえも抽選に外れれば失われる。とりあえず、田舎にいるし、やってみるか・・・

といった軽い気持ちでやり始めたわけで、資本も無く、立派な哲学が無くても、十分に農の

ある暮らしを楽しめる。たくさんの農地と素人には素人なりのアドバイスをしてくれる農業者

がいるからだ。素人の農的生活を後押ししてくれる基盤が農村社会にはあるのだ。

 

 農業者にならなくても、僕らのような農的な暮らしを始める人が増えていけば、食糧危機

で困る人の数は確実に減り、この安曇野の風景も少しは守っていくことができる

のではないだろうか。