反省研修会での反省とは

 

長尾弘先生御著書 「心行」の解説 講演集 下 P278より

 

「反省とは、自分が生まれてから今日までの間にどれだけの過ちを犯してきたか、それは、思いの中で、言葉の上で、また行いの上でどうであったかと徹底的に自分を見つめ自己反省をすることです。」

 

 

1993年7月25日 長尾弘先生 大阪講演会より

 

「一切が自分の意識を通して自分自身の生活に現れてくる。これは恐いことですね。不幸も幸せもあるいは貧乏も金持ちも健康も病気もです。その一切が自分の意識を通して自分自身の生活に現れてくる。もし悪い思いを持った時です、悪い生活、悪い出来事が生活に現れるし、いい意識を持てばいい思いを常に持てば良くなって当たり前のことですね。こういう簡単な理論です。

 

 なぜなら意識こそが自分の中にまします父なる神ご自身であるからである。私達のこの意識そのものが自分の中にまします父なる神ご自身であるからである。私たちのこの肉体の煩悩に支配された外なる意識ですね、これはいろいろと神に離れた思いを作ります。えーもん見たら欲しい、きれいな物見たら心動く、都合の悪い物見たら腹立つ、これは全てこの肉体の五官を通して感じることです。

 

 しかし内なる意識は父なる神ご自身にそのまま通じているということですね。いつも言うんです、神は完全にして無欠である。その完全無欠の父なる神が私たちの意識の中にましますのになぜ私たちが欠陥を作るかです。なぜ病気をしなければいけないか。完全無欠の神が病気されるはずがないんです。

 

 それはあたかも今は少なくなりましたが、映画館行きますと、こちらにスクリーンがあります、向こうに映写室があります、映写機の中を見ましたら中はこっちまで送る光源、えー光ですね、すごい明るい光が映写機の中に入ってます、そしてレンズで光を絞ってスクリーンに映すわけです。しかしフィルムが入ってなかったら、ただ光だけが映るはずです。そのレンズで光絞りますが、その間に色んな模様の焼けつけたフィルムが回っていくわけですね。

 

 そしてその前に色んな出来事あるいは風景が現れる。それといっしょで私達の意識そのものはその光源そのものです、光そのものです。しかしその私達の表面の、これを高橋先生は偽我、偽りの己(おのれ)とおっしゃいましたね、神我、神我とは光そのものです。そして偽我、偽りの己、これはエゴに満ちたこの煩悩そのものです。その煩悩の思いが影となって光をさえぎり、そして私達の人生、スクリーンですね、そのスクリーンに投影されて現れてくるということです。

 

 思いが影を作り、そしてそれが人生に現れてきているということです。しかし中は光そのものです。だったらこの影を取ったらいいんですね。影を取ればスクリーンには光だけが映るはず、まあフィルムを抜いてしまったらいいんです。

 

 それはどうしたらいいかです。これは常に反省、厳しい自己反省を繰り返し、そして影を作った原因を徹底的に反省をしてそのフィルムに焼け付いたその曇りを取り払うんです。でもいくら取り払ってもまた次から焼け付けたらなんにもなりません。ですから今度は作らないことです。これは作善止悪、いつも言いますように良い行いを積み重ねて他の方に喜んでいただき、そして悪い行いはできるだけとどめていくと、悪をとどめて善を積み重ねていった時に曇りはできないはずです。そうすると病気も治り健康も約束されるということですね。」