「道」掲載 心の扉

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平成十七年七月号「道」掲載

 

心の扉

 

 おはようございます。 長尾弘です。さわやかな朝のひととき、ご一緒に心の夜明けを迎えましょう。 今朝は、「目覚め」についてお話させて頂きます。皆様はどんな風に目覚められたでしょう。目覚まし時計の音ですか? それとも誰かに起こされて・・・ですか? 目覚め方にも色々ありますが、一番気持ち良く爽やかなのは、自然に自分で目が覚めたときではないでしょうか。

 

 もう少し眠っていたいのに、ジリジリと目覚し時計の音で起こされたり、誰かに「いつまで寝ているんですか」と起こされるのはあまり気分のいいものではありません。まして、間違い電話で起こされた時などは、一日中不愉快だと言われる人もおられます。つまり私達は、自分から目覚めなければ、爽やかな気持ち良い目覚めは頂けないようです。

 

  さて、私達はこの世を去りましたら、天上の世界へ帰れますようにと思いますが、確かにこの世で幸せであれば必ずあの世へ行っても幸せです。続きの世界ですから。何ら変った所へは行きません。 腹ばかり立てていたら、腹立ての世界へ行き、妬んでばかりいたら、妬みの世界へ行きます。

 

  自ら蒔いた種ですが、そういう世界へはまってしまうと、なかなか出てこれません。子孫がいくら拝んでもお祀りしても、いい戒名をつけてもらっても救われません。お釈迦様のおっしゃった事に、こんなお話があります。お釈迦様が弟子と共に説法の旅に出られた時、池の畔で休憩されました。

  

 その時弟子が「時に先生、西の方からきたバラモンの教えによれば、この世において罪過ちを犯し、 暗い世界に落ちた者でも、バラモン衆が来て、供物を捧げ、経文を唱えて、その者の為に供養を積めば 救われると聞きました。 先生もその様にされるのですか」と質問したのです。

  

 するとお釈迦様は、「それでは、私からそなたに一つ質問をさせて欲しい」とおっしゃって、池の畔にあった一つの大きな石を指して「この石を前の池に投げ込んだら、この石はどうなるか」と聞かれたの です。これは誰でも分かることです。弟子は「石は沈みます」と答えました。

  

 お釈迦様は「まさにその通りである。それでは今沈んだあの大きな石に対して、この池の周りに祭壇 を組んでよき戒名をつけ、石に対して供物を捧げ、さらにバラモン衆が来て、石よ上がれ、石よ上がれ と経文を唱えて踊れば、石はあがるであろうか」と聞かれました。弟子も「それは無理でしょう」と答えるしかありません。

  

 お釈迦様は重ねて聞かれました。「ここに一人の人がいて、物を盗み、嘘を言いなど、あらゆる悪事をしたとします。そして、その人が死んだ時、また、この人が天上の世界に帰れますようにと、供物を捧げ、経文を唱えて合掌したとすると、どうでしょうか、その人は経文や合掌の力によって天上の世界に帰れるでしょうか」と聞きました。そこでも弟子は「いや、それは無理でしょう」と答えるしかなかったのです。

 

  お釈迦様は「まさにその通り、私らは、自ら汚れ、自ら重くなり、自ら沈む者である。それを他の者がどうして救うことができよう」とおっしゃったお話があります。そのように沈んだお方でも、救うことができるのは、その方の心が目覚めてくれた時です。その時、本当に救われます。

 

  その方に対して「この地上で生活した時のことを反省しなさい。あなたは原因結果の法則によって、 あなたが作ったこの世での原因によって、今暗い世界に結果としておられるのです。

 

  だから、原因を徹底的に追究して懺悔、反省をしなさい。心の底から泣いて泣いて、神に許しを乞 うたその時、自分の心は安らかになって救われます」と話しかけますと、心が軽くなるから、自然と浮 き上がってくるのです。こういうことが、お釈迦様の一つのお経の中に説かれています。「自ら目覚めよ」と説いていらっしゃるのです。 

 

九十年七月八日 ラジオ放送より