生まれさせていただいた目的

【1】~【2】

 

【1】1988年8月28日 長尾弘先生 大阪講演会より

 

「「私たち生命意識の修行場なり。(心行)」 私たちは本当は肉体を持ってる一人の人間となって現れてますが、本当は生命意識、命を持った、そして物を考えることのできる、その1つの生命ですね。生命意識。我ら生命意識の修行場なり。これは命を持って、命があって、しかも考える意識、その意識が持っている悪い癖欠点です。私たちは無くて七癖あって四十八癖です。それほどたくさんの悪い癖欠点を持っております。この悪い癖欠点を修正していくことが、私たちの魂の修行になるんですね。

 

 だから、腹立ては腹を立てないようにするのが修行です。文句ばっかり言う人は文句を言わないようにするのが修行です。そして嘘つきは嘘を言わないようにするのが修行です。それを直していくのが、私たちのこの世に生まれさせていただいた目的です。

 

 物を盗む癖、盗みも癖です。あるいは嘘つくのも癖です。あるいは腹立てんのも癖。文句言うのも癖。そのように自分の持っている悪い癖欠点を正していく場所、修行するところですね。これ修行しますのにいったいどないしたら修行できるかです。やっぱりルール、その方法が分からんかったら修行できません。修行法ですね。

 

 それにはまず自分という人間はいったいいくつほど悪い癖持ってるんか。これを調べないと出てきません。自分の持ってる悪い癖欠点。人を疑い深い、あるいは嘘言われてもすぐ信じてしまう。これも明らかな癖です。真実もわきまえないでね、聞いたことすぐ人にしゃべってしまう。これも癖です。そのように人はそれぞれ悪い癖をいっぱい持ってるんですけども、自分がそれを掴んでないんです。

 

 まずそれを掴まないことにはそれをなくすることはできません。ですから皆さん私の癖集っていう帳面を1つ作っていただきまして、そしてもう毎日毎日の生活で、これも私の癖やなと思って、腹立て、これも癖やなって、あっまた騙されたって、こう騙されやすい癖。人さんお世話してね、これは私は出しゃばりやなとかね。嘘ついたら、あー私はえらい嘘つきやって。

 

 自分の欠点を自分が見つけないで自分が知ることできない。例えば過ちを犯しながら、それを過ちと全く知らないで過ちを犯す人がいっぱいあるんですね。過ちと知らないんです。何ヶ月か前に東京で質問をいただきました。知って犯す罪、知らずに犯す罪。それを真、ある教えでは、知って犯す罪の方が軽いと。知らないで犯す罪の方が重い。

 

 これはどういうことでしょうという質問をいただきました。知って犯す罪の方が軽い。そして知らないで犯す罪が深い。本当なら知らんと悪いことしたんやから、こら知らんといたんやからちゅうて、この世的に見たら許されやすい方ですね。知らないで犯したら罪は軽いと思います。

 

 しかし魂の世界からしますと、知らないで犯したらその過ちに目覚めることはできないんです。知って犯すやつは自分の良心が知ってます。知って犯した場合、あ、これしたらあかんなっていうてやったら自分の良心が知ってますから、あ、これはもう再びやったらあかんちゅうて目覚めることができるんですね。ところが悪いと知らないでやってるやつはもう、ほら目覚めることはできない。しかも目覚められないで苦しみがまた繰り返される。

 

 そのために知らないで犯す罪の方が深いと説かれたもんです。自分の悪に目覚めることができない。そしてそれに目覚めるのは、目覚める方法は反省を常に繰り返すことです。これでいいのか、これで間違い無いのか。その一瞬一瞬を常に反省をして、そして己を見つめる。外を見るん違う。常に外を見るよりも内を見ていかないといけません。なぜか言いますと、私たちは外の世界に住んでると思っておりますが、本当は内なる世界に住んでるんです。自分の心の持ち方の中に住んでるんですね。」

 

 

【2】1989年2月26日 長尾弘先生 大阪講演会より

 

 「魂の修行とは何か。それは自分の持っている悪い癖、欠点を正すことです。人は無くて七癖、あって四十八癖とも言います。この持っている癖を修正するために生まれてきてるのが、この世に生まれた大きな目的の1つですね。それから、どれだけ悪を犯さないか、どれだけ過ちを少なくしていくか、それとどれだけ良き行いを積み重ねるか、善なる行為をどれだけ積めるかということです。これがこの世に生まれた目的と使命ですね。

 

 まあ、人々と手を取り合って、そして調和を目的として、この世にも説いていただいております。もっとこれを噛み砕いて説明しますと、どれだけ自分の癖、欠点を正せるかと、それからどれだけ過ちを少なく生きるか、それからどれだけ良い行いを積めるか、これでいいと思います。正法を噛み砕きますと、結局は自分の癖、欠点の修正、そして過ちをどれだけ修正するか、それに代わる良き行いをどれだけ積み重ねられるか、これに尽きると思います。」