「道」掲載 喜びのお便り【11】~【15】

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【11】平成十一年十月号「道」掲載、喜びのお便り

 

 長尾先生、本当に本当にありがとうございます。 九月に先生のところへ行かせて頂き、あの頃から自分が少し、少し変わっていきました。九月に行った時は、生理をこさせてもらい、ムチウチをなおして頂き、心も軽くして頂きました。帰って来てから、少しずつ元気だった自分の動きをとりもどすことができ、体調はすっかりよくなりました。でも、心が晴れていなかったんです。(浄心庵に行かせていただく前よりは、よい状態だったことは確かだったのですが) 心にひっかかっているものが、まだあったんです。

 

 先生に会わなかったら、心にひっかかっているままムリして自分の中にしまって、どんどん重くなって、素直な心から離れていってしまったんだろうと思います。十月の東京講演でまた先生と会うことができ、体もよくなっていたのですが、心が今ひとつでした。でも二日目に先生のお話を聞いて、心がとけだしたんです。先生のお話を聞いているうちに、 心の奥の奥の自分が涙を流していました。忘れていた自分の心が、顔をだしはじめてくれたって感じです。うまく言えないんですが・・・・・ そして、休憩時間におトイレに行くと、止まっていた生理がきたんです。

 

 心がどれだけ大切か、どれだけ肉体に影響を与えるか体感しました。今、ムリのない自分がいます。 心がのびのびしています。こんな自分ともう逢えないのかナ?って思っていました。まだまだいたらないとこだらけの私ですけど、いたらないところを一つ一つ正して、いつか本当の自分と出逢えるよう、 歩きはじめている自分がいます。素直な温かい心だけは忘れず、自分におこる全てのこと、良いことも 悪いことものりこえられる自分になりたいです。逃げないで、たちむかって、どんなことものりこえて、とまっても、とまっても必ず前へ進んでいきます。もう一度(本当の意味で)自分を大事にし、自分を信じてみようと思います。

 

 先生これからも心の勉強をたくさんさせて下さい。たくさんお話を聞かせて下さい。先生に出逢えたことを、心から感謝いたします。だから私、自分に負けないでがんばっていこうと、決められたんです。先生に出逢えなかったら、ムチウチの体と重い心をずーっとかかえて歩いていかなきゃいけないところでした。だから先生にめぐり逢わせてくれた方々にも感謝の気持ちでいっぱいです。(インドのサイババもその一人なんです) インドに行かなかったら、先生にお逢いすることはできなかったと思いま す。先生に会うためにインドに行ってきたって感じがします?

 

 先生に初めてお会いしたのは、一日のお食事会でした。その時は何も先生のことわからず・・・でも温かかった。二度目は六月の東京講演でした。先生の治療する姿を見て、おもわず涙がこみあげてきま した。心の奥から涙が、あの時もあふれてきました。 あんなに大勢の方々に、一人一人に気持ちをむけていたから・・・、先生の前に立った時のあの安心感、忘れられません。

 

 こんな近くに、日本の中に「生きた神様がいるんだ」と思ってしまいました。 体と心を治療できる先生なんていないですヨネ。だから先生は生きた神様なんです。

 

 先生、本当にありがとうございました。本当の自分に出逢えるようがんばります。体に気をつけ、い つまでもいつまでも温かい光をみんなにあたえ続けて下さい。十月十二日に流した涙を忘れないで、自分に負けないようがんばっていきます。先生のようにいつか自分をほめてあげられるように。  合掌

 

 

【12】平成十一年十月号「道」掲載、喜びのお便り

 

前略

 

 お許し下さいませ。早速でございますが、去る四月十九日夫、M.M、思い通りの一生を全うい たしました。受診してすぐ肝腫瘍と・・・余命いくばくもなしとの診断、すでに手遅れの状態でした。

 

 H.A様を通じ、長尾先生に御祈念をお願い致しまして、お水も頂戴しました。お蔭様で看病の私を困らせる様な事もなく、主人は「死ぬ時は笑って死にたいね」とよく申し、私はそんな事は奇跡ですよと笑って居りましたが、どちらにしましても「どうぞ、Mが幸せになります様御導き下さいませ」と、 先生にお祈りいたして居りました。ところが、常々痛みに苦しむ事も少なく、息を引き取ります時に最後、ほほえんでしまったのです。本当にまさかのまさかでした。肝臓がんの黄疸も消え、色白の顔で微笑している佛に、お寺様がまずびっくりなさいました。この顔でこの方の人生がいかに良かったかと 云って戴き、通夜の人達が行列で「まるで役者みたい」とほめたたえ乍らのぞいて行かれました。 長尾先生の余りの見事な御導きに、主人の見事なこの世の引き際に、今以て私はアッ気にとられます。

 

 早く御礼状をと思い乍らも、この感動筆舌につくし難く、今日まで失礼を重ねて終いました。何卒御許し下さいませ。つつみのしな、主人の財布の中に入っていたものでございます。新しい札にかえてと存じましたが、そのままつつみました。わずかな額で心苦しく存じますが、御笑納下されば、嬉しゅうございます。本当にありがとうございました。心より厚く御礼申し上げます。

 

 岸和田の会場に一度寄せていただきました。先生のご本も何冊か読ませていただきました。今後も心生 の修養させていただきます。重ねまして、本当にありがとうございました。  合掌

 

 

【13】平成十一年十一月号「道」掲載、喜びのお便り

 

拝啓

 

 初めて御手紙を書かせて頂きます。東京講演ではいつも有難いお話を伺い、又幾度となく癒しをしていただきました。本当に有難うございました。実は、私は七年程前に乳癌にかかりました。すでに初期ではなく、回りに転移している状態でした。ある御縁で、東京のM先生に出会い、長尾先生の存在 を知りました。その時私は四十二才で、上の子は高校受験、下の子はまだ小学校六年生でした。どうしても今死ぬ訳にはいかないと思い、藁にもすがる思いで、M先生に毎日の様にお電話させていただきました。幸いにも入院する直前に長尾先生の東京講演があり、癒しをしていただけました。

 

 おかげ様で痛みも苦しみもなく、無事退院する事が出来ました。でも、一年以内に次々と転移していくと、お医者様に言われました。その頃、先生は講演会で「私はいろいろな病気、例えば癌のようなも のでも、触れないで治せる様になるのが目標です」と言っておられましたので、私はもう必至でした。 毎晩、心行を読み、一日の反省をし、祈りをしてから眠るという毎日でした。とにかく三年間頑張ろうと思って、一生懸命気持ちを集中して祈りますと、全身汗びっしょりとなり、目をつぶるといろいろなものが見えました。ある時は雲に浮かぶインドのお城の様だったり、まるで日替わりサービスで様々な物を見せていただきました。

 

 丸一年たち、病院へ検査の結果を伺いに参りました。お医者様は私のレントゲン写真を見て、「あれ、変だな」と言われたので、私は「どうかしましたか」と聞きましたら、「いや、どこも何ともないんだよ」と言われました。私は「先生、そりゃないですよ」と、冗談を言いながら、もう有難くて有難くて仕方ありませんでした。手術で取り切れなかった癌が、きれいに治っていたのです。奇跡です。 それから二年間まったく再発しませんでした。 手術から丸三年たった日に病院へ行きまして、お医者様が言われるには、初期の人ならともかく、私の様にひどいのは三年再発しなければ、九十九%もう再発はしないと言われました。

 

 そして、さあ診察しましょうという事になりましたら、何と、今度は右の胸に四センチもある癌が出来ていました。私は、ああこれが想念というものかと思いました。とにかく 三年間頑張ると、それだけを念じて参りましたので、ピッタリ三年目。一日の狂いもなく又再発です。 おかげ様で、神様は願いを聞いて下さるということも、よく理解出来ました。私の望み通り三年間生きさせていただけたのですから。でも、今回は長尾先生がいらっしゃるのですから、死ぬという気分は全くありませんでした。四センチもある大きな癌ですのに、その部分だけで回りには全く広がっていな かったそうで、手術も軽いものですみました。

 

 その後、私の父が食道癌になり手術をしましたが、すでに末期で一年後に亡くなりました。父は法とは無縁でしたが、その時も奇跡を見せていただきました。父が亡くなる一週間前に、テレビでジョンーフォードの「天地創造」を放送していました。父はもうテレビなど見られる状態ではありませんでしたのに、映画の内容まで覚えており、「本当にあの映画の通りなのか」と聞かれましたので、私は長尾先生に教えていただいた、死に方の様な事を話しました。父の死顔は、本当に若々しくてきれいなものでした。桜が満開の時で、お骨が全部ピンク色でした。そして四十九日の日に写した写真に、金色に光 る天使が写っておりました。これは長尾先生に見ていただいて確認したものですから、間違いはありません。

 

 丁度その頃、私は癌が骨に転移しておりました。左の腰と左の頭のところです。その時、実家の墓石 を新しくするという話が出て、とんでもない事を思い出しました。私の父の父、つまり祖父ですが、祖 父は浮世絵師でして、昔、そのお寺の本堂の天井画とふすま絵を書きに通っておりました時、自宅に置 いてあったお骨をお寺に運んで墓地の片隅に勝手に埋めて、そばにあった墓石をくるりと後ろ向きにして、今埋めたお骨の上にポンとのせたそうです。ようするに墓石どろぼうです。もっとも無縁仏ですの で、御住職もまあいいでしょうと、黙認して下さったそうで、未だにそのままなのです。

 

 私は、自分がこんなに病気になるのは、そのせいかもしれないと思い、心行のテープと先生の名刺を持ってお墓へ行き、心行のテープをかけながらおわびいたしました。

 

 気のせいか腰がすっかり軽くなり、帰りの電車の中で私の左の頭の癌が出来ているところを、誰かが ひっぱる感じがするのです。悪い感じはしませんでした。 まるで雑草を根こそぎひき抜く様な感じがいたしました。その後、治療もいたしましたが、癌はすっかり治りました。

 

 本当に不思議な事ばかりですが、最近眼の手術をいたしましたが、その折、同室になった方がリュウマチで、首がグラグラでコルセットをはめて、御主人にすがってやっと歩くという状態で、あまりにお気の毒で、長尾先生のお話をいたしました。 その方は以前、高橋信次先生のテープを六十巻程持っていて、すりきれる程お聞きになっていたそうです。思わぬ御縁に、お互いにびっくりいたしました。

 

 その方に心行のテープを聞いていただきましたら、数時間後には一人でスタスタと歩いてトイレに行かれたので、びっくりいたしました。 その折窓の外を見ましたら、青空にくっきりと雲でできた十字架が見えました。あまりに有難くて、こんなに幸せな気持ちになれたのは初めてです。もう自分の病気のことも全く気になりませんでした。本当にすばらしいことです。

 

 つたない文章を長々と書いてしまいましたが、以前から先生にお礼と感謝の手紙を書かなければと思いながら、いろいろなことがありすぎて、どう書いてよいものかと思っておりましたが、タベ突然、文章が頭の中に次々と浮かんで参りました。それを思いつくまま書き留めたものです。この様な乱筆乱文の長い手紙を最後まで読んで下さった事を感謝いたします。

 

 先生のおかげで命拾いをしたばかりか、すばらしい思いをたくさん見せていただけました。本当に有難うございました。 先生の今後の御活躍と御健康をお祈りいたします。   合掌

 

 

【14】平成十二年五月号「道」掲載、喜びのお便り

 

 入梅で雨が続いている毎日ですが、先生お体大丈夫ですか。庭のアジサイが雨にとてもよく合っていて淋しく感じます。この前、F様にお願いさせて頂き、主人のお母さんの救霊と私に光を頂きまして有りがとうございました。まさか首を吊って命を絶つなんて思ってもいませんでしたので、主人も私も、とてもショックで、それでなくても生理が止まっていて体調が本当でなかったので、心身共に疲れてし まい、葬儀の夜に寝込んでしまい、声も出ない状態でしたが、今日あたりから疲れがとれてきたようです。二十八日・二十九日・三十日と三日間ほとんど寝ない状態でいましたから、目はショボショボで足はフラフラの私でした。

 

 頭の中はお母様をなんとかいい所へお救いさせて頂きたい・・・ただそれだけで心行を読ませて頂いたり、先生の救霊のテープをかけさせて頂いたりの時間でした。 有りがたいことに、F様が先生の所へ三十日に行くと聞きましたので、じゃあと言ってさっそく写真を持って行って頂きました。有りがとうございました。先生のご縁で、私達は迷わず今生活を頂いております。母の死に顔もとても奇麗で可愛らしく、しわもなくて、とても安らかなお顔をしていたことが、なによりの救いです。

 

 亡くなったと聞かされた時、主人と私で実家に行く途中に、車の中で心行をあげさせて頂きました。 実家に着いて葬儀の為のかたづけをしていましたら、金粉が出ていましたので、なぜこんな時にと思いましたが、すぐテープでひろって先生の名刺にはり、母の頭の下に置かせて頂きました。

 

 次の日の朝、母に朝のあいさつをする為に顔にかけてあった布をとりましたら、涙があふれていて、 主人がふいてあげました。ああ・・・こんな事が本当にあるんだなあーと思い、私は身ぶるいしながら、 お母様、七十五年間ご苦労様と心で思いました。

 

 葬儀の時もお坊さんが拝んでいた時も、私の心の中は母への反省と感謝の気持ちと、後は、南無長尾先生、南無長尾先生と何回言ったか分かりません。お母様への反省と感謝の時には、とめどもなく涙がポトポト流れおち、とまりませんでした。母と実家のお嫁さんとの二十七年間、嫁、姑の一言、二言、 一年、二年~その積み重ねの結果がこんな形で終ってしまいました。私達にもっと勇気があったら、こんな形で母の最後を見なくてすんだのかなあーと、深く反省しています。

 

 せめて先生の明来暗去のタオルと名刺と心行の本だけでも入れさせて頂きたいと、お兄さんにお願いして、母の首の所に入れさせて頂きまして、そして焼かれた後の母の骨を拾う時、首から腰の所まで奇麗なエメラルドグリーンになっていました。先生のお話では聞かせて頂いてはいましたが、まさか?と思いましたが、とても有りがたくて思わず先生の神様に手を合わさせて頂き、「有りがとうございます」と、感謝で涙がとまりませんでした。

 

 それだけではなく、私の持っていた黒のバックの中にプラチナがいっぱいキラキラ光っていまして、 私の顔にも二つのプラチナを頂きました。主人に顔が光っているぞと言われて、とって頂きました。

 

 又、私の宝物がふえました事、心から感謝いたします。なぜ、こんな現象を見せて頂いたのか、未だ分からずにおりますが、良い方へと思わせて頂いております。先生がS講演にこられた時にでも、お答え頂ければ有りがたく思います。日々毎日が努力、努力で自分も周りの方達も調和して頂けるように、 頑張らせて頂いているつもりでも、つもり違いの時もあり、辛くなる時もありますが、反省させて頂きながら、先生の学びの友、W様やF様達に相談させて頂いたり、安らぎを頂いたりして頑張らせて頂いております。これからも外の道を歩かないように努力させて下さい。

 

 先生、本当に有りがとうございました。先生にご縁を頂いていなかったら、毎日が怖くて不安な生活をおくっていたと思います。有りがとうございます。東京講演も素晴らしい先生のお姿を見せて頂いてとても幸せに思っております。 先生の頭のずーと上から光っていて、その光がまぶしくてメガネに反射して、メガネをかけて先生を見れませんでした。有りがとうございました。

 

 身も心も軽くなってSへ帰らせて頂きまして、家に帰ったら、部屋の入り口の所へ東京講演と同じプラチナが一つ、キラキラ光っていましてとても嬉しく感謝いたしました。こんな真っ黒けの私のような 心の者にも頂いていいのでしょうか。これからも色んなことがあると思いますが、調和を目的として頑張っていきます。どうぞ宜しくお願いいたします。 先生も健康に気をつけて、お体を大切にして、お休みも頂いて下さい。有りがとうございました。乱筆乱文申し訳ありません。  合掌

 

 

【15】平成十二年七月号「道」掲載、喜びのお便り

 

 初めてお手紙を書かせて頂きます。先日(八月八日)は、長崎の母がお世話になりありがとうございました。私は三人の娘をもつ三十五歳の母親ですが、子供の頃から勉強が苦手で、字もきれいではありません。文章を書くのもへたなので失礼がありましたらどうぞお許し下さい。

 

 長尾先生と縁を頂き二年になります。私はカトリックの家で生まれましたが、小学生の頃からカトリックの教えに納得ができず悩んでいました。一つ例を出すとすれば、神父さんに懺悔をして罪の許しを頂くということ。私は、人が人を裁き、祈りを何回すれば罪が許されるという事に、とても疑問を持っていました。その他にもありましたが、それでも教会へは中学年生まで行きました。私は三人兄弟の末っ子で、私が生まれる前から父親はアルコール中毒で、あばれる、なぐるのくり返しでした。そんな父親を、私は小さい頃からうらみ、にくみ、十三才の時、とうとう包丁で刺そうとまでしてしまいま した。姉が、「こんな人殺して、あなたの一生はだいなしになる」と言って止めてくれました。

 

 私は自分の幸せを自分でつかむんだと、中学校を卒業しKへ来ました。私は子供の頃から人にとても 親切にしてもらうことが多くて、Kに来てもたくさんのやさしい人に出逢いました。正法と似たような 話をしてくれる人もいて、正直にまじめに生きていれば、いい事がたくさんある事も知りました。人を嫌わず好きになる事、人が十ある性格の中で九悪くても、残った一つの良い所を見ていたら、きっと誰でも好きになれると教えてもらいました。私には嫌いな人がいませんでした。どんなイヤな事を言われ ても、人を好きになることが出来て、幸せでした。

 

 しかし、父そして母までも、私は好きになれず許せなく、うらみ続けていました。自分に子供が生まれると親の苦労がよくわかると言いますが、私はその反対でしてた。子供を育てれば育てるほど母親のずるさが見えてきて、又うらみ続けました。悲しい事に私は、その両親へのうらみを心の支えとしてずっと生きてきました。が、だんだんそれが自分の苦しみと変わってきました。そしてその苦しみがどんどん大きくなりました。この苦しみから救ってほしいと思い出しました。いろんな昔のお坊さんの本を読んだりしましたが、私の心の救いになる事はありませんでした。

 

 私はさがしました。そして二年前、娘が通いはじめた保育園のあるお母さんから「とてもいい本ですよ」と長尾先生の[愚か者の独り言(一)」を貸して頂きました。私は吸い込まれるように、仕事も ほったらかしにして読み続けました。目からウロコが落ちるとは、このような事なのでしょうか?

 

 両親へのうらみが落ちて流れてゆくのです。読めば読むほど、私の助けてほしいというか、このうらみの心から救ってほしいという思いが、どんどん、どんどん消えてゆくのです。

 

 今から十年前、父はお酒をやめました。一滴も飲まなくなりました。それはすごいことなのです。お酒をやめて一生懸命生きている父を、私は許せなくて、許せない自分の心が苦しくて、苦しくて、先生 の本の中に「過去は過ぎ去ったこと、川の流れのようなもの...」、十年前の苦しみがこの言葉でサッと消えたのです。先生の力はすごいです。感謝の思いでいっぱいです。

 

 一年前、大阪の親戚の結婚式で両親が来ました。正法に縁を頂き、初めて両親と会った時のことです。披露宴で父だけはお酒を飲まず、人前で歌など歌ったことのない父が、ばんそうなしで歌いました。父の楽しそうに笑った顔を、私は生れて初めて見ました。そしてうれしかったです。父の笑った顔を心から良かったと思えた自分の心がうれしかったです。二十二年前、包丁を持った私を止めてくれて本当に良かったです。歌い終った父に「お父さん歌、上手やん」と、言いました。

 

 私が父と初めて交わした言葉です。信じられないことですが、私が生まれる前からアルコール中毒だったので、まともに話をした記憶がありません。子供の頃はずっとおびえて、中学生になると反抗し、十五才で家を出ましたので、それ以来です。こんな日が来るなんて思いもしなかったです。先生のおかげです。ありがとうございます。昔の事をうらんでも過ぎた事は、変わりません。一つ一つ忘れることが出来て、それを思い変える事ができました。

 

 一年前のK講演の後、Kの人達の勉強会に参加させて頂くことになり、皆さんの話を聞きながら、思い変える事から感謝する事を教えて頂きました。それも「こうですよ、ああですよ」と言うのではなく、それぞれが自分の経験を反省し、そのお話の中から学ばせてもらいました。

 

 私は二十年前、kに来てすぐ腰を悪くして、ずっと治りませんでした。今思うと、それは両親へのうらみを心の支えとして、Kで自分一人で幸せをつかむんだと思った心の曇りが痛みとなたのでしょう。 正法に縁を頂き、両親へのうらみを一つ一つ忘れ、一年後、Kの勉強会で感謝する事を教えてもらい、 あっという間にその痛みが消えました。不思議な事もたくさんありました。 

 

 自分は生きているのではない、生かされているのだという事も、知りました。そして、反省をして、 もっともっと自分を知らなくてはいけないと思いました。親を大切にするどころか、こんな年齢になるまで親をうらみ続けた私が、こんなすばらしい法に出逢えて、そしてKの法を学ぶ人達と出逢えて、勉強させてもらえて、私は感謝でいっぱいです。 これからも法を心のよりどころとして、感謝を忘れず学んでいこうと思います。 幼少の頃からの苦しみを救って頂き、本当にありがとうございました。 生まれてきて良かったです。両親に感謝できる子供になれて幸せです。 ありがとうございます。 合掌