「道」掲載 喜びのお便り【41】~【45】

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 【41】平成八年八月号「道」掲載、喜びのお便り

 

前略

 

 HのKでございます。 先日、小学校の娘がウサギを抱きたいというので、小さな動物園へ行きました。ウサギはストレスがあるのでしょうか、ほとんどのウサギが毛並も悪く元気がありませんでした。

 

 ウサギから見ればかわいい子供も、恐ろしい鬼のように見えるのかもしれません。特にその中の一頭はよほど具合が悪いのか、他のウサギがほおずりしても動こうとしません。

 

 長尾先生の名刺で背中に「光」を入れさせてもらいました。娘と妻も心配そうでした。その間に他の子供から逃げ回るウサギが、何故か私達三人の周りに集まってきました。三人とも長尾先生の名刺を身に付けているせいだと思います。

 

 ポケットベルで呼ばれたので帰ろうとすると、さっきうずくまっていたウサギが元気に見送りに来ていました。奇跡は起こるためにあるのだと感動しました。   合掌

 

 

【42】平成九年一月号「道」掲載、喜びのお便り

 

 長尾先生、お元気でいらっしゃいますか? 先生と出会って早いもので二年の歳月が過ぎました。髄液過多による脳の変形という事、でも五才になったKは、未だ二才に満たない成長ですが、先生との出会いでひとつ大きな難点を克服できました。

 

 それは腸の働きが人並みになったという事です。 便秘なんて生易しいものではありませんでした。かき出すように出した物は固く必ず出血を伴い、出生後わずか2~3ヶ月の頃より、本人はいきむのをこわがり、食事療法をやってみたり赤ちゃん体操をさせたり、お腹が張ってくると、大人が二人がかりで泣いて嫌がるわが子を押えつけ、浣腸したり綿棒でかき出していました。

 

 下から出せないから、上からの栄養摂取も悪く悪循環で発育不良だったのが、たった二回のいやしで、今では「またあ?」と言う程。ひどい臭気は長い間溜めてきたつけでしょうか。何はともあれ、苦しまず自分の力で出せるようになりました。

 

 又、言葉の方も四月に浄心庵へ参りましてから、わずか三ヶ月しか経っていませんが、靴を「クック」父親を「パパ」 あっちへ行こうを「あっち」と発するようになりました。私自身が身重で主人も急に仕事の都合をつけてかなりの冒険でしたが、一番Kの傍にいる私達が、長尾先生にふれ信じる事、そして心のくもりを取りのぞく事が必要と感じた通りでした。

 

 今家族の寝室には、先生からいただいた「自己をみつめる」がズラーと貼っており、ヒマがあればながめています。ありがとうございます。時折心にもやがかかっても、今日一日・・・で始まる文を見ただけでバースディケーキのローソクを吹き消した時のようにスーと心が晴れ晴れとしてきます。

 

 おかげ様で、七月十五日お腹の中の四人目も無事予定日を迎えます。ひと月も早く破水して三十日間 入院した事もありましたが、ここまで来れたのも、「自己をみつめる」のおかげと思います。これから も機会がありましたら、どうか魂の迷いに力を貸して頂けたらと思います。心から感謝の気持ちをこめ、これからますますの先生の御活躍を願います。  合掌

 

 

【43】平成九年二月号「道」掲載、喜びのお便り

 

 長尾弘先生いつも愛と慈しみをいただき感謝申し上げます。 十一月二十九日、次女の夫の従弟が眼癌に冒されKの日赤病院に入院致して居ります。先日伺庵いたしました時、先生に光を送って頂きました。有難うございました。娘に、とにかく先生の本を御両親に読んで頂きなさいと、二十八日に渡して 居りましたら、涙が止まらなくなったと、叔父、叔母から、連絡がありました。

 

 気の強い叔母さんだからと娘夫婦は受け入れられないと、思い込んでいたらしく、早く先生を知っていれば良かったと、嘆いて居られたそうです。では、私の出番とKの日赤病院に行きました。病室に入るなり、患者の姿を見て驚きました。

 

 左眼を摘出されて、左頬はコバルトの当て過ぎで口の中まで皮膚はただれ、その頬に額の十センチ× 五センチ四角皮膚を切り取って、移植してあります。額の穴うめに、太腿のつけ根の皮膚を切り取って貼りつけて、太腿のつけ根に、豚の皮を移植され、鼻は象の様にはれて、この様な悲しい顔は生まれて初めて見ました。息を呑みました。整形外科医の失敗だそうです。

 

 失敗をかくすために、大学病院は、 メンツにかけて、他の形成外科に紹介状を書かないそうですから、Kの日赤病院で何の手当することもなく点滴で命をつないでいる状態です。患者本人はアメリカ留学などして、体を鍛えて居りますので、 まだ体力はありました。

 

 ただ「神よどうかこの方の肉体に、そのみじめな姿に、心を痛めているこの方の心に光をお与え下さい」と祈り、光を入れさせて頂き、病室で、声を出して心行を供養させて頂きました。どうか、先生の愛の光を今一度、送って頂けないでしょうか。本人にはあきらめない様にと申しましたら、「ハイ」と答えて呉れました。御両親は一人息子の看護に尽くして居られます。本人はまだ三十二才でございます。

 

 先生が光を送ってくださいました十月二十三日、本人が食べられなかった食事を、自分で口にした そうです。母親は「不思議だなあと思って居りました」と、語って居られました。「鼻穴も食道もはれのために通らないはずなのに」と、医者も看護婦も「気管に詰まったらどうするの」と、注意されたそうですが。 十一月一日、S様のお宅に伺い、先生の名代として、救霊に行かせて頂きました。

 

 まず、先生の名代としてこの場所に参りましたと諸霊に告げまして「私は修行の途中でございます。 私と共に『心行』をを学んで下さい。そして心に目覚めて下さい」と、心行をゆっくり大きな声で読みました。「今、大阪の地に、肉体を持って出て居られる『妙法如来』 『光の大天使』長尾弘先生の救霊 テープを流しますから、神の意識の世界へとお救い頂きます。導かれます。どうか、魂のふる里へお帰り下さい。お見送りさせて頂きます」と、先生に申しつかわされた使命を果たして参りました。私如き者に、先生の使いとして御指名頂きましたことを心より感謝しますと共に、新たな体験をさせて頂きました。有難うございます。

 

 奇しきも、信次先生にご縁を頂いたのが十一月初め、長尾弘先生にご縁を頂かせていただいたのも平成元年十一月一日、救霊のお手伝いさせて頂いたのも十一月一日でした。まさか、この私が先生に使命頂くとは、思いもよらない事でした。

 

十一月一日に、S様宅に出向く前、浄心庵から帰りまして、心の曇りを少しでも晴らして行こうと、毎晩禅定に入り体勢をととのえて毅然として、使命を果たそうと 心掛けて参りました。有難うございました。先生に御願いとご報告を兼ねて、お便り申し上げまし た。向寒の折り、御身ご大切にお過ごしあらんことを。  合掌

 

 

【44】平成九年三月号「道」掲載、喜びのお便り

 

 長尾先生いつもお世話様になりましてありがとうございます。 先生に先日、病院から電話をいたしまして、子宮がんで入院しておりました方に、直接先生よりお祈りをいただきましたN・Nさんが今日 (九月十一日)この世に別れをいたしました。

 

 先生にお祈りをいただいて以来、全身にがんが転移していましたのに、食べ物も通り、今日は実母の作った果物のジュースもおいしいと言って飲んで、何の苦しみもなく、スーッと息を引きとられたそうです。

 

 家族の方から、苦しみなく過ごせた事に喜びの電話が入り、先生のおかげ様と感謝しておられました。 先生どうもありがとうございました。 N・Nさんが、きれいなふる里に行けますように、どうか導いてあげて下さいますよう、よろしくお頼みいたします。   合掌

 

 

【45】平成九年四月号「道」掲載、喜びのお便り

 

 長尾先生、父が二年前よりガンに罹りまして手術をし、胃を取り除いた時期に、現在U町でE院を開いておられますS先生のご縁により、長尾先生と心行に知り合い、父に話した所、深く感銘を受けまして、学びの会にも幾度となく寄せて頂き、有難い体験をさせて頂きました。

 

 しかし病魔は父をかなり蝕んでおり、又二ヶ月程入院していました。その間も父は毎日心行を唱え、長尾先生のお写真をベットの横のいつも見える場所に置かせて頂き、末期ガンで普通でしたら七転八倒の苦しみで、かなり強い痛み 止めをしないと到底我慢できないはずでしたが、お医者さんの話ですと、「こんなに進行しているのに、本人が余り痛がらないので不思議なんです」と言っておりました。

 

 これも、本当に長尾先生のおかげと感謝しております。そんな父も十月二十九日一時十二分、新しい旅立ちに出発致しました。その折も先生のお話をずっとテープで流したので、苦しまず家族に見守られ旅立ちました。

 

 とてもほがらかな本当に奇麗な顔で、今にも話し出しそうでした。時期的にも本当に良い時にご縁があり、大変感謝しております。本当に有難う御座居ました。S先生より父の写真を送らせて頂きますので宜しくお願い致します。父も本当に心から感謝していると思います。有難う御座居ました。  合掌