「道」掲載 喜びのお便り【6】~【10】

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【6】平成七年五月号「道」掲載、喜びのお便り

 

前略

 

 長尾先生いつもありがとうございます。この度長いきかん外国の旅本当にごくろうさんですた。 私はあまり書くことは本当ににがってなほうですが、やっぱり書いて先生によんで頂きたいと思いました。Gさんより甲府の反省会の時のテープを頂き、聞かせていただきました。大変勉強になりました。 かんしゃで胸がいっぱいになりました。ふり返って子供の時の人生を思いだすますと、かぞい切れないほど数々のつみ、あやまつをして来ました。なんと悪い人間だろうと思いました。神様に何十年間そむいて過ごした事を、どの様におわびをしたらいいだろうと思います。又申し訳ない事をしたと心から深く反省して居ります。

 

 私は正法長尾先生様に御縁がなかったら、どうなっていただろうと思いますと、ありがたく泣きました。かんしゃでいっぱいです。私のつみ、あやまつを犯したのがあまりにもひどいのです。 長尾先生に 恥を覚悟して書きました。よろしくお願いをします。昭和六年生まれの六十二才のばばあです。 子供の時にふり返って思い出しました。たぶん十才か十一才頃だと思います。子供の時は農業でした。家の中です。父親の「さいふ」母親のきれの長い「さいふ」から、よくお金を何回かわかりませんが盗みをしとっていました。 色紙、あそび物、あめ、おかし、色々と買い物をし友達によくくれた、きおくがあり ます。

 

 又果物が好きでとなり近所のしもも、梅、ぐみ、なしを拾ったりもぎ取ったりし、盗みをしました。 なんと悪い事ばかりです。十二才頃は店のほうから事典の本を買うふりして、お金をはらわないで来たこともありました。それから七才頃だと思います。同じ年の女の子をいづめました。二十三年前ですけと、実家に帰った時に聞きましたこと思い出しました。

 

 その人が私によくいづめられたと、うらんでいると聞きました。きっと会ってあやまりたいと思っています。私は勉強ぎらいですた。悪いことばかりしか出来なかったでしょうと思うとくやみ泣きました。でもおかげ様で反省することが出来る様になりました。長尾先生ありがとうございますた。

 

 またまた大変なことです。四十年前には結婚した年の事です。私がお金を「ネコババ」してしまいました。たぶん五千円ですた。父親が娘を嫁に出すために、結婚式のため一生懸命に働いてかんじょうを貰ったのが家族の誰の手に渡ったのかわかりませんですた。それで一緒に働いた人達をあの人、この人とうたがったので、その当時いくらさがし歩きどそのお金は見つかりませんですた。それで家族皆があきらめました。すると二、三日立ってから、それが私の白いカッポウ着のポケットに入っていたのです。

 

 今思うとなんでしなおに言えず、私が小遣いがないのできっと私にめぐみのお金だと思って、自分勝手に使ってしまいました。今迄知らないふりし、すごして来ました事を本当に両親に悪いことをしたと思っている自分です。神様長尾先生許して下さい。本当にすみませんですた。両親達はあの世で、悪 いバカな娘であったとおこったことでしょう。おぶつだんに先祖代々の皆、父さま母さま親不孝をしましたことを許して下さいとあやまりました。正法と長尾先生という世界一しばらしい方と御縁をいただきました。幸せになる様勉強し学ぶので安心して下さいとお話しています。しばらしい教えをいただきました。本当に長尾先生ありがとうございます。数々のつみ、あやまつを許させていただきます。長尾先生ありがとうございますた。  合掌

 

 

 【7】平成七年七月号「道」掲載、喜びのお便り

 

 暑中御見舞い申し上げます。 長尾先生、暑さきびしき中お元気でお過ごしの事、大変嬉しく存じます。私は、先月子宮癌と診断され、再検査の二日前に「癌よ消えなさい」とお声を頂き、再検査に行っ た所、出血が多く再検査出来ず、担当医より 「再検査は一週間先にしますが、手術は百パーセントしま す」と言われた時は、一週間再検査がのびたのは、もう一度長尾先生にお会い出来ると思い、再検査の 当日の午前中に先生に「先生に助けて頂くために伺いました」と。

 

 その足でキリスト病院という大きな病院に再検査に行った所、担当医の先生より「今回の細胞の結果で、手術方法、治療方法も七月十九日までに決めときます」と言われました。

 

 そして、七月十九日に結果を聞きに行った所、不思議な事に、ガン細胞が消えていたのです。担当医 も不思議がっておりました。私は、こんな奇跡を起こして頂き、こんなすばらしい嬉しい体験をさせていただいた事を、長尾先生にお知らせすることはもちろんですが、ほんとうに感謝しております。

 

 ありがとうございました。また、私といっしょに長尾先生の所に行き、目を見て頂いた三男も、目が きれいに治りました。ほんとうにありがとうございます。取り急ぎ、先生にお礼を申し上げます。 先生の御健勝をお祈り申し上げます。乱筆乱文お許し下さいませ。  合掌

 

 

【8】平成七年八月号「道」掲載、喜びのお便り

 

  こんにちは、はじめてお手紙差し上げます。今日はお礼をと思い、おたよりしました。私の飼っているフグが生き返りました。ありがとうございます。 飼って2日目にフグが動かなくなって、触っても動かないので、ティッシュにとり埋めようと思っていたら、ピクッと動いたのでまた水槽へ戻したら元気に泳ぎ回りました。でも、何分かしたらまた浮いてくるんです。そんな風なことが何回か続き、はじめは眠ってるのかなとも思ったんですが、最後にはひっくりかえって浮いているので、半分あきらめていました。

 

 でも、エラが微妙に動いていたので別のグラスにフグを移し、母からもらっていた先生の名刺を水の中に一緒に入れたんです。その後、私は用があって家を離れ、家に帰るころはもうだめかもと少しあきらめていました。そして帰ったらまだ生きているんです。おまけにあんなに元気がなかったのに、小さなグラスじゃ狭いよというようにピチピチ泳いでるんです。それで元の水槽に戻し、今でも元気に泳いでいます。 初めて親元を離れ、一人暮らしになった私の唯一の話し相手だったのですごくうれしいです。先生の名刺でフグも私も助けてもらい本当にありがとうございました。いつまでもお元気で、お体に気をつけてくださいね。  合掌

 

 

【9】平成十一年三月号「道」掲載、喜びのお便り

 

 うれしくてただうれしくて 梅雨空路 平成九年七月九日、ほんとうに嬉しい日でした。

 

 心の奥底に実在するもう一人の私、その私は、今日の日を信じてはいたものの、はっきりと検査の結果、「心配したものではありませんでした」とのお返事をいただいて、只、夢中でホテルから浄心庵へ車の中を走って、長尾先生の許へ飛んで参りました。 「先生うれしい。先生ありがとうございました。 うれしくて嬉しくて・・・・・」。先生はいつもの温顔で、私の次のことばを待っていらっしゃいます。 六月十八日、K大学病院で全身の骨の検査を致しまして、七月二日その結果を告げられました。K医師は少し気の毒そうに、でも淡々とレントゲン写真を示され乍ら、「この脊髄と腰の部分二カ所に異常が見つかりました。背中や腰に痛みはありませんか。

 

 まあ、初期のうちでしたら整形外科でその部分を切除するか、或はコバルト照射による治療もありますから.....そんなわけで、今日はこの二カ所のみをもう一度レンドゲンを撮っていただきます」と。 どうして、どうしてなの、私は自問していました。七年前、腎臓に腫瘍が見つかって左腎臓の全摘出手術、その後定期検査を受けて、その時長尾先生にご縁を得て、先生のお蔭で今日までずっと元気に過ごさせていただき、転移等あり得る筈がないと、信じていた私・・・。でも、その様な不安がよぎったのは 一瞬でした。 そうだ、一秒たりとも不安を抱いてはいけないのだ。「私は常に神様に抱かれ、神様と一体であるのだから」と思うと、とても明るい気持ちになりました。「放射線科二十五番の外で待っていて下さい」その時、私は祈りました。

 

 「長尾先生、とてもおかしなことが起きました。何かの間違いで、もし、ほんとに異変が起きたとしたら、どうぞ悪いものを消して下さい。調和の世界へお導き下さい。神様ありがとうございます。長尾先 生ありがとうございます」と。その結果が七月九日でした。泉大津のホテルからK大学病院へ電話を致しまして、予期していたとはいえ、ほんとに、そこに、神様の癒し、長尾先生の愛の御力の証を、見せていただきました。只々、感謝、ことばもございません。それにもう一つ、私には大きな体験がございます。

 

 五年前、新年をベニスで迎えようとしていた時、突然の高熱そして尿が一滴も出なくなり、気が狂うのではと思える程、頭の中がかーっとなって、それは大変な状況になりました。「ベニスに死す」思いも少し年移る。とに角ウイーンの日本大使館から病院をと、ベニスから飛行機に乗りました。その時、 バックの中に長尾先生のお名刺を入れていたことに気付き、残っている右の腎臓の上に先生のお名刺を置き、もう、ほんとうに、一心に祈りました。

 

 「長尾先生、長尾先生、尿が出ません。高熱で苦しんでいます。どうぞ光を、どうぞ癒しの光を」と。 瞬間、ほんとに一分か二分だったでしょうか。奇跡がおこりました。頭がスーッと軽くなって、熱がど んどん下がっていくのがわかります。ウイーンの空港へ着いて、トイレへどんどん走り、出ること出ること、すっかり気分がよくなってしまったのです。 

 

 たった一枚の長尾先生のお名刺で、私は命をいただいたのです。 長尾先生、ほんとうに本当にありが とうございます。私達はほんとうに一秒たりとも、神様の愛、長尾先生の愛を忘れてはいけないと思い ます。そして、神様にいつも愛される私達である様、日々を省み、愛の実践をしていきたいと心から願っています。ほんとうに本当にありがとうございました。  合掌

 

 

【10】平成十一年九月号「道」掲載、喜びのお便り

 

謹啓

 

 長尾先生には益々御元気でお出での事と、御察し申し上げます。私事七月に長岡に於て、先生にお目にかかった者でございます。 優しいお声のお姿に接し、真の神にお会いする様な心地でした。

 

 私の主人は五年前よりガンにおかされ、それでも今年四月迄生かして頂き、その間本人はもとより家族も治してやりたい、その気持ちは大変なものでした。もし、治らない時はせめてらくに旅立ちをさしてやりたいと、そう願って居りました時、T先生より長尾先生のテープを無音にてベットの下にでも入れてやると良いとお聞き致し、約一ヶ月足らずの間でしたが、つづけてテープを聞かしておりました。 中々元気も良く、目の前に死が近づいているなんて夢にも思えませんでした。

 

 その矢先、自然に故郷の歌を口ずさむ様になりました。 子供の頃の懐かしい唄でも思い出したかと聞いてみましたが、只笑っているだけでした。それも最後の日がくる迄唄いました。今思えば、本人の魂が悟って、一生懸命唄っていたのであろうと、家族ぐるみ不思議さにおどろいております。

 

 そして息を引きとった後の体のやわらかさ、血色の良い事は生前の健康色そのままでございました。 私も只只治るものなら半年、一年でも良い寿命を頂きたいと、先生のお姿を思い浮べ願っておりました。 お陰様で苦しみなく安らかに天上界に上がる事の出来ました事は、常に長尾先生を思い浮かべていたせいであろうと心より御礼を申し上げます。 又不思議な事は、葬儀の折りは歩く所金粉がひろがりまして、家中の者も只驚くばかりでございます。 その後、毎日家の中に金粉、銀粉がひろがり、きっと天上界の良い所へ行く事が出来たのではと思っております。有難うございました。早くお知らせすべき事が大変おくれました。お詫び申し上げます。  合掌