「道」掲載 喜びのお便り【1】~【5】

長尾先生がご活躍時に、毎月の大阪講演会でお配りになられていた「道」に掲載されていた喜びのお便りになります。

 

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【1】平成九年十一月号「道」掲載、喜びのお便り

 

 前略 長尾先生、先日の研修会、私なりに自分の心をみつめることができました。 ありがとうございます。 第一回以来、二度目の研修会参加となりました。 四年前は、奥深くみつめることができず、浅い所での中途半端な反省の為、自分を許すことができず、以来、大変な自己批判、嫌悪になりました。

 

 実は、今回の研修会参加に少し足が重く、またあの辛い思いをしなければいけないかと考えてしまいました。 二度目の反省ですので、浅い所まですぐに進むことができました。しかし、先へはなかなか進めません。そのうちに、細かい出来事が浮かび、そして今の自分に最も影響を与えている出来事はと、 思ったとたん、私が生まれてきたのは、間違いではないかと響きました。心を静めて座っていると、妊 婦とお医者さんがみえました。 その時に、そんなばかな、という思いとともに映像が消えました。

 

 しばらくして、信じて心をみつめてみようと思うと、再び映像がみえはじめ、妊婦は母であり、お医者さんからの「おなかの子供は死亡しているので、早く処置をしなくては、母体が危ない」という声を 聞きました。その言葉がとても心に痛く、気分が悪くなりました。少しリラックスしていると、昔、母があなたはおなかの中で一か月ほど全く動かなくなり、お医者さんに「子供は死んでいます」と言われ たが、命にかえてでも産むとがんばったと聞いた話を思い出しました。

 

 そして今まで自分を批判し、受け入れられないという自分の心との関係に気がつきました。と同時に、この問題をクリアーできれば、ありのままの自分を受け入れられるのではと、感じました。お医者さん、父、祖母の言葉に、私は受け入れてもらえないという思いに、心がただただ痛かったです。冷静にみつめられるようになると、ただの誤診であり、お医者さん、父、祖母の立場での思いが少しずつ理解できました。そして母に感謝し、今まで批判しつづけた、自分が愛しく感じました。

 

 先生は「己を愛し、己を愛するがごとく、他を愛しなさい」とおっしゃいました。自分を愛せずに、 他を愛すことはできないと思います。今まで愛するふりをしていた、自分に気づきました。先生はどんな人でも愛してくれます。すべて受け入れてくれます。今まではなぜそこまで、と常に思っていました。先生を思うと心が痛みます。とても切なくなります。そして、イエス様を思う時、同じ感情が湧きます。 先生、ありがとうございます。他には、なにも言えません。長尾弘先生、ありがとうございます。 合唱

 

 

【2】平成八年八月号「道」掲載、喜びのお便り

 

 長尾先生ありがとうございます。 わがままな心で持って、お電話にて先生のお光をちょうだい致しましたこと、心よりありがたく感謝申し上げます。昨年十二月二十八日、先生の御慈悲のもと、ご喜捨もすることなく治療をしていただきましたOでございます。ご本そしてお写真まで無料でちょうだい致しました。ありがとうございました。お陰様で、切りさかれるような右足全体の痛みもやわらぎました。 痛みはあるのですが、先生のご名刺を足に常につけています。

 

 先生のご本も心からまだまだ拝読したとは申し上げられませんが、一生懸命拝読いたしております。 そのお陰で心にも奇跡をいただき安らぎをいただいております。夢のようです。安心一杯の心になります。医師が措置の取れる激しい痛みが、先生のお名前を念じるだけでやわらかくなります。このことが私の今一番の喜びであります。ありがとうございます。朝夕に先生のお写真を前に、先生の著書にございます「神の御姿」・「神の御心」 「神我の声」・「神とは」・「平安と愛、汝らと共に在れ」そして「心行」を大きな声で拝読、祈りおります。不安がなくなります。 魂のふるさと、実在界に帰りますまで一生懸命にお祈りし、過去満々におかしてきました悪行の為、少しでも解消、お許しいただけるよう励んでまいります。

 

 両親の愛情というものも知らずして、少年院、刑務所生活ばかり送って参りましたが、これも私の心が作った環境です。もっと早く先生にお会いすることが出来ていたならと、残念に思います。私の欠点 はあげれば何百とあると思います。ひとつ、ひとつお祈り反省して、消していきたい思いでおります。 先生のお話会に毎月参加出来る環境を作る努力をして行きます。来月には、先生のお話のテープとお光り入りましたハンカチをいただきに参る決意をしております。自己中心的な心で、大勢の人々に迷惑をかけて生活をして参りましたが、今後は、先生のご本を人生の師として、少しでも良き人間になりたい思いで一杯です。

 

 幼児より、少年院、刑務所の生活が長く、教育も受けておりませんので、文もうまく書けません。お 許し下さい。これからは、長尾先生は私の神様であり、親であり、師であると勝手に決めました。お許し下さい。頑張ります。何卒御指導お願い申し上げます。勝手なお電話ばかり致し、お許し下さい。

 

 自己保存の心を必ず修正してまいります。先生ありがとうございます。いついつまでもお元気で、先生には死んでいただきたくないです。どうかいついつまでもお元気でいて下さい。先生、ありがとうございます。今日の私の望みは、仕事が出来る身体になりたいことです。そして、人様のお役に立てる人間になりたいです。もう、二度と人様に迷惑をかけることは致しません。 

 

 先生のご本を、テープ、そしてお話会等に参加して、少しでも心を浄化して参ります。先生のお名前 を常に心に念じ、先生の神様にお許しをこい、魂のふるさと、実在界に喜んで帰れるよう努力して行きます。先生申し訳ないですが、二千円、先生の御喜捨箱に入れさせて下さいお願いします。 寒さ厳しくなって参ります。お風邪などひかれないようにして下さい。先生のお顔、お姿を拝することを人生の喜びとして生きて参ります。御指導、何卒よろしくお願い申し上げます。いついつまでもお元気でいて下 さいませ。  合掌

 

 

【3】平成九年七月号「道」掲載、喜びのお便り

 

 長尾先生へ、お忙しい中読んでいただければ幸いです。 生後八ヶ月になる乳児ですが、昨年末から風邪をこじらせ細気管支炎ということで二度入院しました。咳とたんがきれず胸のゼロゼロもなかなかとれず、顔色は悪くお乳の飲みもよくなく、だいていても元気がなく軽くなって行く姿にやりきれなさを感じました。上に兄と姉がいるため、つきそってやることも出来ず、それでも周りの方に助けられて毎日病院に行くことが出来ました。二度目の入院の時「あなたがやってみようと思うなら、先生の所に手紙を書いてみたら」と言う母のすすめを聞いて、ペンをとらせていただきました。病院で面会の時間中子供をひざにのせて左手で支え、寝顔を見ながら書きました。

 

  子供のことを書いていた手紙に、不思議と自分の反省が出てきたのでした。毎日の生活への反省、どことなく感じていた不調和。これを正していかなければ子供の病気は治らない。

 

 また繰り返してしまうと思ったのです。そしてまた、とっても不思議なことに、この手紙を書いてから目に見える様に子供の状態が良くなりました。 そして無事退院となったのです。結局、病院で書いた手紙は出さすじまいになってしまったのですが、私はその手紙が先生の元に届き、先生からの力をいただけたのだと思えました。とてもうれしい気持ちになれたので、この手紙に書かせてもらいました。 子供が病気になってからの長い期間、私も風邪などひくこともなく看病できたので、とても良かったと思っています。確かに、守られているんだなあと実感しました。 

 

 退院してからの子供はすっかり良くなり、食欲もありひとまわり成長したかと思えます。私はというと、反省したことを正してまだまだ実行に移せないので本当に正しい生活というものを見つけていきたいと思います。目には見えないけれども、とても大きな愛につつまれていることに感謝して、ペンを置かせていただきます。ありがとうございました。 合掌

 

 

【4】平成九年八月号「道」掲載、喜びのお便り

 

 いつも温かい愛の光をありがとうございます。私は I のぶどう娘でございます。山梨では体験発表させて頂きました。ありがとうございました。発表が終るまでが反省の様な気持でした。そして、あの場で又、次の課題を気付かせて頂きました。 二番目に発表された彼にです。 私はいじめっ子ではなく、いじめられっ子でした。いじめた人達を憎んで憎んで憎みづづけ、死ねばいいのにと思いづづけていた自分に反省が必要だった事に気が付きました。それは小学校三、四年生の二年間の事です。学校の帰りには必ず校門で四人の女の子が待っているんです。私が出て来ると後から付いて来て、石ころをけって私の頭に当てるんです。 とがった石は痛かったです。小走りにいかに間隔を開けて石がとどかない様にするかが私の帰りの日課でした。

 

こんな事もありました。 手さげカバンをお母さんに買って頂きました。三百円でした。(大工さんの日当、一日六百円) うれしくて、うれしくて抱いて寝ました。それまでは布で自分で縫った袋に本を入れて学校へ行きました。ところが本が重くて帰りには必ず紐が切れる んです。毎日袋を縫っていました。だからうれしくて、うれしくて、ところが学校へ行くと例のいじめっ子が、「安物買いの銭失い」と言ってクラス中投げ回すんです。

 

 エンピツや消しゴムがちらばりました。チャイムが鳴って先生が教室に入ってこられました。私は、はいつくばって拾い集めている姿を見て、先生は「そんな事、休み時間にやりなさい」と一言、それを見てニヤリ。又ある時は、国語の時間、本を立って読んでいるとうしろから大きな声で「さっちゃんの 頭に尺取虫が背丈を計りに来てる。もうすぐ死ぬわ」と言われました。私は尺取虫なんて知らないし、頭に付けられた枯れた笹の葉っぱを見て、これが尺取虫かと思い、怖くて本当に死ぬんだと思いそのま まワーと泣きくずれました。本当に怖かった。

 

 又、母が運動会の時、婦人会で踊りを踊りました。しなよく踊ってとても上手だと思いました。する と又、彼女達は「あんたのお母さん、こんなして踊っとたな〜」と言って、変な格好して私の回りを踊 り、囲みました。(そんな時はお母ちゃんがうらめしかった)学校の絵のコンクールで何回か入選しました。 賞状と賞品を頂きました。 クレパスとか絵の具とか体操服です。そんな時はお父ちゃん、お母ちゃん大喜び、新聞に私の絵が載るとそこを切り取って、丹波のおじいちゃん、おばあちゃんとこへ見せに行きなさいと言って送り出したり、本当に喜んで下さいました。そんな喜ぶ顔が見たくって、賞品を頂いた日は机を離れず一日中座っていました。 いじわるっ子が何するかわからないからです。授業が終ると一目散、六時間目はうわの空、誰よりも早く校門を出なければなりません。まだまだありますが、とにかく私は彼女達がいなければ、学校ってもっともっとたのしいのになあと思いました。

 

 口を開かない日が何日もありました。陰気な女の子でした。本当に彼女達がどこかへ消えてほしいと毎日思いました。結婚してから、彼女達のうわさを聞きました。 「まさよちゃんのご主人、交通事故で 亡くなったよ~」とか「ちょこちゃん、離婚したのよ~」って、私は「ざあまあ見ろ、バチ当たった !」と思いました。今までの私ならこの思いのまま過ぎたと思いますが、長尾先生にご縁を頂いた今では、この思いを正さなければと思いました。反省にとりくみました。どうしてもわからなかったのが、 なぜいじめられたのかと言う原因でした。

 

 一、二年と五、六年はまったくいじめられなかったのに、なぜ三、四年だけいじめが、ぶつぶつと例のごとく先生に語りかけていると、解けました。三、四年の二 年間は中川画伯と言われる絵の先生が担任で、毎日絵を描いていました。展覧会にはクラスの絵をよく持ち出していて、必ず誰かの絵が入選していました。その中へ何回も入れて頂いた私は、いじめられたと言う所に当たりました。いじめのボスは副委員長で、まけずぎらいでした。このいじめの原因が今日までわからなかったのに、ここに気が付いたのも、きっと長尾先生が応援して下さっているからだと思 いました。

 

 原因に気が付けば素直に彼女達を許そうと思いました。そして許させて頂きました。今もし彼女達に会ったら、笑って話せます。「あの時はこうだったのよ、あたな覚えてる?」って。 そして最後に自分をほめてあげました。「さっちゃん、長い間つらかったね。でもよくガマンしたね。一生懸命頑張って 来たから、大きくたくましく見えるよ。人を思いやる気持ちも上手だし、いい子に育ってくれて本当によかった。、まだまだこれからもいろいろあるだろうけど、その頑張りで乗り切ろうね」ありがとうございました。  合掌

 

 

【5】平成十一年二月号「道」掲載、喜びのお便り

 

 前略 いつも私たちのために御心遣いをいただきまして、ありがとうございます。主人も御存じのように、長尾先生に御縁をいただき「一生を通して反省しなさい」と御言葉をかけて下さったので、少しずつですが、自分の心というものをふり返らせていただいています。

 

 神様は「母の愛、父の恩を知ることは道のはじめなり」と教えて下さいました。祝福されてこの世に生まれさせていただいた人間の心は、この世の環境、教育、思想、習慣によって、わずか三歳にしてまっくろにくもり、神様の御心から遠く離れていくことを教えていただきました。

 

 私自身の記憶をたどれば、すでに三歳の時に人をねたみ、恨み、憎しむ心の種を自分で植えつけていました。大介が生まれて、それまで自分のものだと思っていたお母ちゃんが、弟のことに手がかかり、 自分をかまってくれることができなくなると、大介にしっとし、お母ちゃんをせめ、お母ちゃんが見てないからええわと思って、大介を泣かしていました。そのくせ、お母ちゃんやお父ちゃんに見つかって 怒られたらどうしようと、びくびくしていました。

 

 自分は皆からかわいがられて当然だ、よくしてもらってあたりまえだという心に支配されていた私は、自分に都合の悪い人を嫌い、せめ、憎しんできました。 また、家族のために内職をしたり、夜なべをしてまでミシンやあみ機を動かし、私たちの服を作って下さっていた母の姿を思い出します。ところが私は他の人の着ている服がよく見えて、「服もかってもらえない。なんでうちはこんなに貧乏なんやろう」と、また親をせめていました。そのような私に、せっかく色々な習い事をさせていただく機会を与えていただきましたのに、壁につきあたると自分の心に負け、逃げてきました。

 

 しかしながら、神様はそのような私にお父ちゃんを通じて、何度も私のまちがいを正そうとして下さっていたことに、初めて気がつかせていただきました。

 

 お父ちゃんが私を厳しく叱って下さる度に、私は「お父ちゃんだって、お母ちゃんを苦しめてるくせに」と恨みにかえてきましたが、お父ちゃんの厳しい言葉がなかったら、今反省しても、自分の何が間違っているのかが全くわからなかったことに、はっとしました。逃げたらあかん、自分に負けたらあかん、ということは長尾先生も教えて下さっています。私は母の恩、父の恩にそむいてきたばかりに、神 の御心から遠く離れてきたことを、やっと気がつかせてもらいました。

 

 高校生の時は、登校拒否になり家族を苦しめてしまいました。 他の人をねたみ、憎しんできた想いが 自分にふり返ってきた現象だったと思わせていただきました。今の私は、喜びもしらず、感謝すること も学ばず、ただ見かけさえよければよいという、実のない稲穂(中身が入ってないから頭をもちあげて たっている)です。ただ私は、お父ちゃん、お母ちゃん、そして神様の許しの中だけに生きさせていただいております。

 

 今後は自分のあやまちを悔い改め、神様の御心に少しでも近づかせていただきたい。家族を大切にし、他の人の幸せのために生きていける人間にならせていただけるよう、努力させていただきたい。この姿勢だけは、死ぬまで貫きとおしていくことを、神様に誓わせていただきました。

 

 お父ちゃん、お母ちゃんを苦しめてきたこと、本当にごめんなさい。そして今まで育ててきて下さって、心から感謝させていただきます。本当にありがとうございました。まだまだ、迷惑をおかけすることがあるかもしれませんが、ごめんね。お体を大切に。  合掌    

(或る方にきた手紙を掲載させていただきました)