「道」掲載 喜びのお便り【31】

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【31】平成十一年六月号「道」掲載、喜びのお便り

 

拝啓

 

 初めてお手紙を書かせていただきます。福井のSと申します。毎日長尾先生のご講演テープを聞かせていただき、以前より心が安らぎ、病気もいやされている様に思います。本当にありがとうございます。

 

 先日お忙しい所お電話で大変失礼した事、反省しております。先生のお忙しいお姿を拝見させていただいておりますので、少しでもお手間を取らせてはと思い、あせる気持ちでこちらの一方的な用件だけを申しまして、ご挨拶もせず電話を切ってしまった様な気がして、とても恥ずかしく思っております。本当にお許し下さい。

 

 私は、平成七年八月三日に乳ガンの手術をしました。 乳ガンと解った時はもうすでに痛みがきつく、リンパにも移転していた様です。 それでも縁ありましてN先生とおっしゃる立派な先生にかかる事が出来、科学療法を一切やらず、自然 (天然)の抗ガン剤による治療で、平成八年の五月には会社に復帰する事が出来る様にまでなり、喜んでおりました。

 

 しかし無理がたたり平成九年に入ると、自分自身で限界を感じ、会社を辞める事にしました。これからはゆっくり療養をさせていただこうと思っている中で、日頃よりお世話になっているT先生の所へ行き、体をほぐしていただくつもりで治療を受けた所、背骨と胸部に激痛が走り、息をするのも、声を出すのもできない程になり、動けなくなってしまいました。その日は何とかタクシーで家に帰り、主人も子供達も私の姿にびっくりするばかりでした。

 

 自分で横になろうと力が加わると激痛が走るのです。そしてその日以来、体が赤くなる様になりました。でも自分では何日かゆっくり寝ていればいつか治まると思っておりましたが、なかなか元の体にはなってくれず、痛みで眠れない日々が続き、胸骨の所ははれてくる、首のリンパのはれがだんだん大きくなり、不安な毎日が続きました。きっと骨がズレたのだと思いあちこちの整体に行きましたが、はれがある為思いきった治療をしてもらえず、ただガマンの日々が続きました。

 

 夜になると圧迫で横になっ ても、縦になっても痛く、毎晩声をころして布団の中で泣いておりました。 友人がある日、みるにみかねT先生の所へどなり込みに行ったのです。「寝不足、過労、ストレスがNちゃんに一番悪いのに、もしもの事があったら私は先生を許しませんよ」と言ったそうです。

 

 その晩T先生が家に来て下さり、あやまりに来て下さったのです。私はそれまで、自分がこんなに苦しんでいる事を先生に告げていなかったので、先生はそれ程と思っていなかった様です。私はそれまで先生を恨んでいなかったと、自分では思っていたのですが、それ以来あの日がなければと、思う様になってしまいました。

 

 平成九年十一月にはかなり危ないと言われ、T・S病院に入院する事になってしまいました。入院中 も背骨や胸が痛く、痛み止めの坐薬を使用し眠剤で寝る日が続きました。おかげ様で平成十年五月に退院する事が出来ました。ガンが消えたわけではないのですが、なんとか悪化を止めるというか、押えている様な感じでの治療をしております。

 

 毎日、先生のテープを聞かせていただき、私も少しでも魂の浄化に努めたいと、反省に取り組むよう心がけておりますが、体の痛みにとらわれなかなか思う様になりません。まずは一番迷惑をかけている家族に対し、少しでも苦痛な顔を見せないよう笑顔と感謝の気持ちをと思っておりますが、鏡を見るとがっかりする事が多いのです。T先生に対しても心の底から許させていただこうと思っておりますが、まだ心の奥底に残っている気がして、自分自身を責めたり心の葛 藤が続いております。

 

 先日ビデオテープを見せていただき、私の幼い頃を振り返り自分の悪い癖に気づきました。それは人を責め、自分も責めてばかりいる事でした。私の父は家庭を振り返らず、飲む、うつ、買うの三拍子で 借金ばかり作り何か月も家に帰らなかったり、たまに帰ってくるとお酒が入っていて、母に暴力をふる、母はただただ働くだけが精一杯の毎日でした。

 

 私は物心ついた頃から、そんな父が立ち直ってほしいと、いい子になっていれば、子供かわいさで振り返ってくれるに違いないと思っておりました。幼い頃から田畑の手伝い、内職をして家の為にと頑張って母の手伝いをしてきました。そんな私に、姉と妹はおまえはご機嫌取りと言われ、とても悲しい思いをして泣いた事もありました。

 

 母はとにかく一円でも多くと思い勤めも休まず、その分町内での物事なども母のかわりに出て、大人の人に嫌みを言われな がらも我慢しながら頑張りました。近所の人は「Nちゃんはえらいの、小さいのに」とよく言われましたが、それがとても悲しかったのです。本当なら父がすべき事を、何故よそのお父さんみたいにしてくれないのだろう。私がもっともっと良い子になれば、いつかきっと、そんな思いで頑張ってきたつもりですが、いつの間にか父を責め恨んでいる自分に、子供心に気づいたのです。

 

 祖母は母に冷たくあたり、「この家は私の家や、おまえら出ていきたかったらいつでも出ていっていい」と、孫の私達の前で言うのです。姉も妹もそんな家が嫌で、高校を卒業すると出ていきました。 私はなんとか普通の家の様にしたいと思い、祖母、父母の言う事は何でも聞くいい子を演じてきたのです。

 

 それでも最後には父の方から母に離婚してくれと言い、私と母は夜逃げ同然、無一文で家を出る事になってしまいました。父が母に対するやさしさだったのです。借金を母に背負わせない様にそう言ったのです。借金は妹が肩代りするかわり家を妹にあげたのです。

 

 私は母とふたりで一生懸命働き、久々に平穏な日々をむかえたかの様に思っていたのですが、別れた父から母に、お金を貸してくれ、姉までも 事ある事にお金を貸してくれと言ってくるのです。姉はもうその頃は結婚して、年収が多いのにもかかわらず、ぜいたくをしてお金が足りないと言ってくるのです。そういう父や姉がたまらなく嫌で、心の奥で怒りをどんどん溜めていったのです。そういう姉や父に強く意見をした事がありますが、その度に自分自身も自己嫌悪に陥ってしまうのです。

 

 そんな私も家庭的な主人とお見合い結婚をして、幸せな日々を送れる様になり、かわいい二人の娘にも恵まれました。しばらく平穏な日々が続いておりましたが、姉が旦那にあいそをつかれ、離婚されてしまいました。姉には三人の子供がいるのに一人も自分で面倒みようとはせず、母は当面の資金として百万円を渡し、もうこれで最後どうか自立してくれと頼んだのですが、それ以後も甘えてくるのです。 母は私の住んでいる所の近くでひとり暮しをしており、年金と重労働をして生計を立てている、そんな母にお金を無心してくる、それが許せず、ずっとずっと胸に溜めてしまっていたのです。

 

 今思えば、そういう幼い頃から人を許せない心が、乳ガンという恐ろしい病気を作ってしまったのだと思うのです。 そして一番母親孝行をしてきたつもりの私が、姉妹の中で一番母親に心配させ、親不孝をしてしまった 今の私自身が悲しく、自分自身が許せないのです。でも先生のビデオを見せていただき、自分自身を許せなくて、どうして人を許す事が出来るかという言葉に、目が覚める様な気がしました。

 

 今まで頑張ってきた自分、幼い頃から頑張ってきた自分がとても愛おしく、涙が出てきました。母親 には本当に心配かけてしまっているけれど、これから少しでも自分を反省させていただき、許させていただき命ある限り精一杯生きさせていただこう。それが私にできる精一杯の親孝行なのだからと、思え る様になったら心がとても軽くなったのです。

 

 まず自分を許させていただく事で、父も、姉も、T先生も恨んでいた事がうその様に、ゆるやかに糸がほどける様な感じで許す事が出来ました。本当にありがとうございました。T先生には九月二十八日に長尾先生の所へ連れて行って下さり、光を入れて下さり本当に感謝しております。

 

 そして長尾先生が光を入れて下さったマイタケのお薬を飲む様になった頃から、胸のリンパのはれが 小さくなってきたのです。目に見えて小さくなっておりますので、母にもとても喜んでいただいており ます。まだ痛みは消えませんが、心がとても穏やかで感謝の日々を過ごさせていただいております。 本当にありがとうございました。長々と支離滅裂な手紙となってしまいお許し下さい。今後共どうか宜しくご指導下さいます様お願い致します。   合掌