お知らせ

2011-01-08 02:05:00
うどんづくりのこと。
11年前、香川で知った衝撃的なうどん。
人生観の変わるほどのうどん体験をしてから、
家族総出で何度も香川を訪れて、
すっかりうどんに魅せられてしまいました。
重いアトピーと喘息を患う息子と、
豊かな食体験ができたのも大きな魅力のひとつとなりました。

食べるばかりだったうどんですが、
私が教えたばっかりにうどんにハマリ、
うどん屋になってしまった友人に誘われて、
体験修行に付き合ったことが、
自らうどんづくりを始めることになりました。

びっくりするほどおいしいうどんと
安心で安全で、豊かな食べ物を、
みんなが食べられる場所を作りたい。
その思いは強くなり、
自分の作ったうどんを初めて息子が褒めてくれたとき、
うどんを作ることが本当に楽しく思えました。

そして、音楽。
唄うこと、みんなで唄うことが大好きで、
中学、高校とバンドで歌を唄ってきました。
学生時代も、山でキャンプカウンセラーをしながらこども達や、
年齢を問わずたくさんの人たちと唄で出会える場所を作ってきました。
川西に帰って市役所に就職したのも、
人と人が豊かに繋がりあえる場所を作りたかったから。
近所の喫茶店で何年も唄の会を続けても来ました。
でも、いつしか仕事や日々の活動が忙しくなり、
唄どころか音楽からも遠ざかるようになってしまいました。
そんなある日、
ラジオから聞こえてきたある女性ミュージシャンの唄。
高知で「劇場 歌小屋の2階」を仲間達と運営しながら、
ミュージシャンとして活動を続けている矢野絢子さんの唄を聞き、
実物を聴きに高知に行き始めてから、唄が、音楽が私に還ってきました。
子どもがお世話になった保育園で矢野絢子さんのライブを開催してから、
自分の好きなミュージシャンのライブを周りの人に聞いて欲しい、
音楽に手の届く素晴らしい場所でのライブをたくさんの人に聞いて欲しい、
メジャーでなくても心に届く音楽を真剣にやっているミュージシャンを応援したい。
そんな思いで「保育所の3階ライブ」を続けてきました。

人生は永遠に続くものではない、
父が70才でなくなって、母が二度目の癌を患って、
自分にしかできないこと、より自分らしいやり方で、
世の中の役に立っていきたい、
市役所の仕事に何の不満もありませんでしたが、
限りある人生、次のステップに進む決心をしました。

絹延橋のたもと 猪名川のほとり 見あげれば五月山
この地でガレージを借りて、うどんづくりをしていると、
ふつふつとその思いがふくらんできました。
自分の手足でものを作り出す仕事がしたい、
ものを作り出すことはこんなにも嬉しいことなんだ。

とうとう29年間勤めた市役所の仕事を辞めて、
この街で、うどん屋を始めることにしました。
そして、このうどん屋という場所で、
素晴らしい音楽と、仲間に出会えるライブができたら、
こんなに楽しいことはないやんか。
矢野絢子さんの「歌小屋の2階」ではないけど、
うちは「うどん屋の2階」でライブもできる店を作ろう。

おいしいうどんと、おいしいおかずを豊かに食べて、
素晴らしい音楽と、それらを共有できる人たちと出会える場所
「絹延橋うどん研究所」を作ります。

うどんはまだまだ研究して、皆さんの声もどんどん聞きながら、
これからも努力してゆく思いを込めて「研究所」という名前の店にしています。

いま、精一杯のうどん。
ぜひ食べに来て下さい。
次はもっとおいしくなるよう頑張ります。

開店まで、もう少し。
乞うご期待!
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