日記
三焦と心包
東洋医学を勉強していると避けられないのが三焦と心包という言葉です。
いわゆる五臓六腑という言葉の中に、三焦は腑として入りますが心包は入っていません。
古代から現代にいたるまで、これは研究が続けられている分野の話で、いまだに明確にこうである、という答えは出ていませんので、あくまでも私が共感できる説を挙げたいと思います。
三焦も心包も明確な臓器の存在しない臓器と呼ばれています。機能だけは確認できるものの、対応する臓器が無いと考えられていました。五行説においては小腸、心臓と同じ火に属するとされます。
心包は心臓を包む膜が臓器のような機能を持っていると考えられてきました。古来、血液は神(精神)を運ぶ物質と考えられており、心臓は神の宿る臓器とされていました。そのため、血液を全身に送って受け止める機能と、精神そのものの行き来を管理する機能の二つに分けたものがこの心臓と心包の違いではないか?というのが私が共感する説です。
また、精神(こころ)を配分して全身を調整するイメージから、現代でいうホルモンバランスの機能を言い当てたものではないか?という説もあるようです。
三焦は腑に分類されていますが、上焦、中焦、下焦に分かれて全身を調節する機能と一応の説明がされていますが、ひとつの単語なのに三つに分かれて機能が説明されていることに疑問を抱く説があり、私もこれに共感します。
もともと三焦という言葉そのものが焦という字を三つ合わせた一つの漢字なのではないか?という説です。
中国では現代でも両替屋の看板に金を三つ合わせた漢字を用いる習慣がありますが、焦三つでできた漢字を簡易に書き記したものが三焦ではないかとの事です。
ではれっきとした一つの臓器として考えられるものですが、該当する臓器はどれに当たるのか、といいますと「膵臓」ではないか?というのがこの説の結論です。
五臓六腑の五臓の中に膵臓が入っていないのは何故か?という答えが、腑としてすでに三焦という言葉で加わっていたとすると面白い説だと感じます。
