講師(宗夜)ブログ
所作(51)●不器用は損ではない。味である。
不器用であること、時間が掛かることは、一般的には評価が低いかもしれません。
大きな組織の中では非効率なことは評価されにくいからです。
ですが人生というレースはとてもとても長いもの。前述のウサギとカメのように一瞬で決まるものではありません。人生はその後も続くため、決定的な勝者や敗者となるわけではありません。
不器用であることは損ではない。
その人ならではの味である。
そう思ったのは、昔ばなしの語りを勉強している頃でした。
昔ばなしの語りをするには、丸覚えすることが大前提となります。
私たちは『おはなしのろうそく』という本を語っていました。一字一句間違えないことを推奨されていましたので、各々できる限りの努力をしていました。
ボランティア団体にはお年を召した女性もおられました。たっぷりとした体格の初老の女性でした。
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わたし…
若い頃と違って、なかなか覚えられないのよ。
でもねぇ、それで良いみたいね。
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首を傾げながらゆったりとそう語りました。
そうですよ。それで良いですよ。
その方の隣に座ると何とも言えない安心感を得ました。ちょっと口うるさいところもあったけれど、まぁそれも良し。
自分とは違う世代の方と関わることも大切だなぁと思いました。
子育て世代はとにかく毎日忙しい。
目まぐるしい日々を子どもと一緒に過ごしていて、立ち止まれない。
そんな中での上の世代の方との交流は、心を安らかにしてくれる貴重な時間でした。
私は語りの勉強を家事のスキマ時間にしました。子どもの塾の送迎などの合間に、家事をしながらブツブツと唱えて覚えました。
お風呂洗いとか、食器洗いとか、食事作りとか。
『ああ、もうこんな時間。行かなきゃ。』
そうやって毎日、一段落ずつ覚えていきました。
若さのせいか自分の方が覚えるスピードは確かに速い。間違いも少ない。
でも…
味がない。私には味がない。
あのゆったりとした独特の雰囲気は、私にはとても出せない。
『わたし…、なかなか覚えられないのよ…』
ゆったりとした口調で、少し困り気味に云う。
この可愛らしさ。
いいなぁ〜
ゆったりと語るその様子。
その女性が教室の真ん中に座っただけで放たれるオーラ。子どもは敏感なのですぐに静かになって耳を澄ます。
この前ねぇ、海に行ったらね、赤とんぼが飛んでたのよ。ああもうこんな季節かと思ってね。
いぃ〜っぱい飛んでた。みんなも見た?
自然な会話。優しさにわざとらしさがない。
すぐに子どもと仲良くなる。
1年生でも6年生でも変わりなく。
昔ばなしは良いわねぇ。
覚えるのは大変なんだけどねぇ。
私は時間は掛かるんだけど、時間を掛けている間に、色々なものが見えてくるのよね…。
例えばここのところとかさぁ…
お年を召した方ならではのこだわり。
これが人間の味わいかもしれない。
私は気付きもしなかった。
立ち止まったり…、寄り道したり…、
それが大人女性を可愛らしくするのかもしれない。
そんな風に思えた出会いでした。
所作(50)●イソップ物語『ウサギとカメ』に見るマウント取り合戦
マウント取り、最近よく耳にする言葉です。
『マウント取り』という絶妙な表現を得てSNSで色々な例がアップされています。
日々様々なストレスを感じながら人間は生きているのだなぁ…と改めて感じました。
いばりん坊とは関わりたくないけれど、関わらないわけにはいかないから、大変ですよね…。
また、明快な解決策があるわけではないのも悩ましいところです。
今回はイソップ物語のウサギとカメを題材にして日常のマウント取りを私なりに考察してみました。
『もしウサギが超真面目だったら…』という前提で読んでみます。
ところで…
なんでウサギは途中で寝たかなぁ。
寝るならベットで寝なさいと言ってやりたい。
自分からカメにレースを挑んでおきながら、非常に不真面目です。
これではいけない。
みんなから不評を買ったのは、速すぎるからではない、いばりん坊だからでもない。
自分から勝負を投げたからなのです。
いばりん坊だって結果を出せば周囲の反応は変わります。言うだけある、と。
しかし一方で、ウサギの気持ちも私には分かる。
実はウサギは寝てません。
フテ寝です。泣いていじけてました。
まずスタート時の状況を詳しく解説しましょう。
よーい、スタート!両者一斉に走り出します。
舞い上がる土埃。
ウサギの猛ダッシュです。
この日のために毎朝ダッシュの猛練習を続けてきました。土埃が早くも山まで伸びて行きます。
『おおー!!』
湧き上がる歓声。
しかしその後、歓声は戸惑いの声に変わります。
『…お?』
切れ切れに晴れつつある土埃から、カメの姿が現れたからです。
汗をかきつつ、懸命に歩を進めるカメ。
その真剣な眼差しに観衆は心を打たれました。
『がーんばれ!がーんばれ!』
どうやら観衆はカメの歩みに合わせてゴールまで応援を続ける様子です。
ウサギ、大ショック。
(ちょっと待ってよ。私だって頑張ってるんだけど…)
そりゃそうです。
この日にピークを合わせて努力してきました。
ショックを受けるのも無理はないでしょう。
で、フテ寝。
マウントを取ったつもりが、完全に取られてしまった。
(いいさ、いいさ。どうせ誰も見てくれないんだ。)
誰か一人でもウサギを応援してくれていたなら、こんなことにはならなかった。
あるいはメンターがいたなら。
あるいはウサギの波動が高ければ。
ウサギが観衆の応援を得るにはどのような行動が正しかったのでしょうか?
これは私の考えですが、
全力で一気にゴールまで駆け抜け、その後ゴールでカメの到着を待てば良かったのではないかと思います。何日でも待つ。
そしてゴールで抱き合うウサギとカメ。
翌日のニュースはこの話題で持ちきりです。
その姿を見てみな感動するのです。
『いいレースをありがとう!』と。
早くても、遅くても、どちらでもいい。
真面目な姿にひとは共感し、集まります。
真面目な人は心が澄んでいます。
マウントを取られて一時的に心が曇っても、時間が経つと汚れが自然に落ちていきます。
深呼吸して綺麗に澄んだ心をイメージしましょう。
一時的に心が乱れても大丈夫。
また元に戻るから。
所作(49)●忘れる技術
忘れる技術を身につけなさい。
宗嘉先生から度々にわたり掛けられる言葉。
嫌なことを頭の中で繰り返す癖があるね。
どうやらそれは親御さんから遺伝させられたようだ。それ早く治さないと、病気を引き起こすよ。
本当だ。まったくその通りだ。
改善しないと。
だけどこの癖、自分の子どもには遺伝しなかったみたいだ。
子どもは小学生時代にからかわれました。
陰湿ではなかったけれど辛そうな時期もあり、見守る私もいい気持ちにはなりませんでした。
親として出来ることを常に探っていました。
本当はもっと大きな気持ちで
『まぁ、そんなこともあるさ』
と自分の子も相手の子も受け止められれば良かったのですが、そこまでの心の余裕がありませんでした。いつもイライラしていました。
『まったくどういうことなんだろうね!』
自分の子どもに言っても仕方ないのにぶちぶちと愚痴を言っていました。
うん、うん、としばらく子どもは私の愚痴を聞いてくれていましたが、堪りかねて強い口調でこう言いました。
『もういいじゃないか!人間なんだから、たまには誰かをいじめたい気持ちにくらいなるんだよ。その時たまたま僕が目の前にいたんだろ。』
驚きました。
まだ10歳にもなっていない子どもでした。
しかも嫌な思いをしている最中でした。
自分よりもよほど子どもの方が大人でした。
返す言葉は何もなく、その通りだと口をつぐみました。
それから数年経って、さらに驚く出来事が起こりました。
中学1年生の冬休み。
お正月明けに、突然かつてのいじめっ子が家を訪ねてきました。
しかも、いじめられっ子を伴って。
『よう!ゲームしようぜ。あ、こんちは!』
『おう!』
3人とも晴れやかな表情で、懐かしさと共に相手に対する愛情で満ちていました。
3人とも別々の中学に進んでいたので1年近く会っていませんでした。
私はそばにいない方がいいだろうと思い、飲み物とお菓子を出して、そそくさと自分の部屋に籠りました。
リビングから、わいのわいのと盛り上がる声が上がってきます。
そう言えばよくこうやって友達が来てたな。
私も懐かしく思います。
小学生時代は小猿のようにキャッキャ、キャッキャと騒いでいました。
中学生になって声変わりを経た息子たちの笑い声はドスが効いていて『ドドドドド…』と地響きのように笑っています。
(こ、こわ…。まるでおっさんやん。)
おっさん達はマリオカートとスーパーマリオを心ゆくまで愉しみ、お菓子を食べ散らかし、日が暮れた頃に解散しました。
『じゃな。ども、あざーす。』
『おう』
嬉しそうでした。
男の子というものは実にあっさりしたもので、
『またな』でもなく
『元気でな』でもなく
『おう』と『よう』だけで関係が成り立つようです。
相手を見届けることもせず、ドアを閉めたら静かにニコニコしているだけでした。
後にも先にもその子が突然訪ねて来たのは、その日だけでした。
何かの儀式のようでした。
それにしても、よくこの私からこのような性格の子どもが出来たなぁと思い、先生に伝えると…。
『学んだんだね。親を反面教師にして。』
そ、そうですね…。
何にしろ役に立てて良かったです。
人も状況も常に変化する。
水に流すとはこのことか。
嫌な思いは留めず水に流して。
すると次々に水が流れて気がつくと清流になっている。
清流には様々な生き物が集まってくる。
それが豊かな人生を作る。
所作(48)●何度も同じ話を聞きたいの
絵本読みボランティアの時代。
子どもは何度も同じ絵本を読んでもらいたがるものだなぁ…とよく思いました。
『その要求にできる限り応えてあげてほしい』
と先輩方から言われました。
繰り返し繰り返し同じ本を読んであげて。
ほんの一時期だけだから、と。
同じ話を繰り返し聞きたがる子どもの心とは一体どのようなものでしょう?
子どもは毎日新しいドアを開けながら生きているような状態だそうです。
毎日と言わず、毎瞬間に新しいドアを開けている状態。ものすごいスピードで体と脳が成長しているのだけれど、心が追いつかない状態。
成長ホルモンがじゃんじゃんと出て、まるでジェットコースターに乗っているような感じ。
とても不安定。
不安でいっぱいです。
そのため心の拠り所として同じ話を聞きたがるそうです。安心したいのです。
しかしこの状態、大人である私たちも変わらないのではないでしょうか?
私たちだって不安です。
子どもに偉そうに物を言えるのは、昔に一度子ども時代を経験したからです。
二度目の経験だから偉そうに言えるのです。
だけど親として経験するのは初めてだから、やはり親の方も不安でいっぱい。
あるいは職場での後輩指導や部下の指導なども同じことが言えると思います。
人間のミスは大体同じようなところで起きるから、過去の自分と同じミスであれば落ち着いてその後の対処を教えることができます。
が、時には思いもよらないところでミスが起きることもあります。
『どうしてこんなことを…』
そう言いたくなる時もあるでしょう。
同じ仕事をするにしても、人の上に立つと、見えているものがまるで違うものになります。
また、責任ある立場になると愚痴は言えなくなります。これもつらいところ。
大人にも心の拠り所が必要です。
同じ話を聞いて安心できる拠り所が。
そんな時に和の文化に頼ってほしいと思います。
和の文化は同じことを繰り返し繰り返し行います。
茶道では帛紗捌き。
六方捌きや、真之真の捌きでは、昔ばなしを語るような気持ちでアナウンスをしています。
対面のお稽古でもアナウンスを必要とする生徒さまには隣に座ってお稽古の間じゅうアナウンスをしています。
すると心が落ち着くようで、お稽古が終わるとスッキリとしたお顔になられています。
独楽(コマ)が本来の回転を取り戻し、軸が安定するような様子と似ています。
また、まっすぐに立ったり、膝を折って正座したりという運動を繰り返すことにより体幹が整うようで呼吸も深くなられるようです。
最初は正座はつらいかもしれません。
皆さん、最初は足の痺れを訴えます。
これは私の勝手なイメージですが…
日常の何気ない動きの癖によって、足の血管がところどころ捻れているのかも知れない、と思うのです。
ですので、慣れないうちは正座がつらい。
ところが茶道のお稽古を重ねると、皆さんの正座できる時間が徐々に長くなります。
もしかしたら…
正座の後に立ち上がるという運動を繰り返すと、ぺったんこになった血管に勢いよく血液が流れ込み、その血流により少しずつ内側から捻れが改善されていくのではないか…などと想像しています。
茶道のお稽古では同じことを繰り返してはいますが、それでいてちゃんと前に進めています。
そこに新たな安心感があると思います。
大丈夫、私は成長できている。
その心をひとは希望と呼びます。
所作(47)●茶室で感じる森林浴効果
最近、茶室でのお稽古において森林浴をしたようなスッキリとした気分になることが多くなりました。
これは一体なんだろうと考えています。
森林浴で思いつくのが森の香り。
土からの匂い。シダ類の少し湿ったような匂い。
風に湿り気が帯び出したと思ったら急に霧が湧いて、雲の中に入ったんだと気が付くと、また急に晴れて気温が上がった時の匂い。
ああ、気持ちいい。
自分は自然の一部なんだと感じる時。
炭が焚かれると、そのような森の中の諸々の匂いを微かに感じます。
そしてもう一つは、音。
時々、茶室にいるのに森の音を感じます。
森の中も、茶室の中も静かです。
静かなのですが、静けさの中に厚みを感じます。
静かだけれども無ではない。
虚無の静けさではない。
ふと、どこかで聞いた『ハイパーソニック』という言葉を思い出しました。
人間が耳で捉えられない高周波の音のことで、植物から出る音だそうです。
実は、森はとてもおしゃべりなのだとか。
特殊な機械で録音すると、トラックの轟音と同じくらいの数値だそうです。
人間は耳では森のおしゃべりは捉えられませんが、肌で感じているそうです。
音は空気の振動で伝わります。
そのわずかな震えを肌が感知しているそうです。
生命の息吹を感じることで私たちはリフレッシュできるのですね。
そのハイパーソニックらしいものを私は茶室にいる時に感じるのです。
茶室には木々はありません。
その代わり生徒さまがおられます。
生徒さまや自分が発する足捌きや衣擦れの音などから同じような効果を感じるものと思われます。
音を受け取る時の心情も大切で、茶室に居る時には完全に心を開いています。講師側も開いていますし、生徒さま達も開いています。
心を開いていながら礼儀を失わない雰囲気。
ここにハイパーソニックを感じ取れる余裕があるのだろうと予測しています。
生徒さまの中には、感受性の鋭い方々も多数おられ、入室した際にハッとした顔をなさる時があります。耳よりも目よりも肌で何かを感じているようです。そういう時には瞳孔が開いています。
瞳孔は安心して好意を持っている時に開きます。
心地よく過ごしていただけている。
そう思えて誇らしい瞬間です。