講師(宗夜)ブログ
所作(46)●人間は過ぎたる動物
あー、しまった…。
まーたやっちゃった…。
なんであの時、やめとかなかったかなぁ…。
ついつい、やり過ぎる。
人間はそういう動物なのかもしれません。
自分だけでもない、皆さんだけでもない。
昔から人間はそういう生き物なのだと思います。
過ぎたるは猶及ばざるがこどし
このような諺があるくらいだから、相当な数の『過ぎたる人』が昔からいるのでしょう。
そう言えば、論語にもあります。
十五にして学を志す
三十にして立つ
四十にして惑わず
五十にして天命を知る
六十にして耳順ふ
七十にして心の欲するところに従いて矩を踰えず
↑ココ
矩(のり):人の道
踰えず(こえず):踏み外さない
やっと70歳になって好きなようにやっていても人の道を踏み外さなくなったよ。
この意味を知った時には驚きました。
と、言うことは70代まで踏み外していたと…。
また随分と長い間踏み外していたんですねぇ…。
ところが我が身を振り返ると、とても人の批判は出来ない。自分も全く同じだなぁと思います。
ついつやり過ぎる。
ああしまったと思った時には大抵遅い。
自分の動きは自分では見えないものだから、相手の反応が判断の頼り。
『行けるかな?行けるかな?』
と相手の言動を見ながら進んだりして。
行ける範囲が時と場合よって異なるから難しい。
そしてもう一つ。
人間は知性が高過ぎる。
過去のことを気にし過ぎる。
よく宗嘉先生に言われる言葉↓
🟦もういいじゃん。もういいんだよ。
過去は変えられないんだからさ。
反省し過ぎる人のこと、なんて言うか知ってる?
🔴知らない。
🟦サディスト。
🔴なんでですか?反省してるのに。
🟦もう良いよと言われても引き下がらないで、ごめんごめんと言い続けるところがサディスト。
終わりがないんだ。
で、こちらが『もう良いって言ってるじゃん!』と言ってキレると『分かってくれない』と逆ギレ。
🔴ああ、そうかぁ。で、また『やっちゃった…』と。
何度でもやってしまう人間。
でも最近、そういうところがまた良いところだなと思うようになりました。
踏み込んだり、踏み込まれたりして、アウトとセーフを繰り返して。
そういう経験をした人間関係は結構楽しい。
愛着が湧いて楽しい。
所作(45)●着付けは農業に似ている
着付けのお稽古をしていて、ふとこう思いました。着付けは農業に似ている…と。
最後まで仕上がってみないと分からない。
野菜が出来て、果実が出来て、あるいは家畜が育って…と出来上がってみないと分からない。
手間と時間をかけたとしても上手く育っているのか途中ではよく分からない。
途中で『失敗したな』と思っても完全なリカバリーは難しい。
着物の場合はほどき直して最初から行う必要がある。農業ではそれも難しい。
着物も、一回ほどくと生地にシワが寄り、きちんと感は失われる。
失敗した時の原因も分かりづらい。
天候や土壌のせいなのか、それとも水やり技術のせいか。
着物の場合は、手の位置がほんの数mmズレただけでも着姿が変わる。
いつも人差し指で行うところを、間違って中指に変えただけでも変わる。
あー!もう!
時間がない時に限って失敗する。
イライラすると、呼吸が乱れて余計な動きが出るのでアウト。
だけど最初はどうしてもイライラする。
『全部言われた通りにやっているのに出来ない』以前、お稽古でよく生徒様から言われました。
そうなんですよね…。最初は出来ないのです。
その気持ち本当によく分かります。
着付けは肉体労働。
一回着るだけでエネルギーを大量消費します。
こんなに一生懸命やったのに、
こんなに疲れたのに、
綺麗じゃない…。もう、いやだ。
泣きたくなりますよね。
お稽古中、私は生徒様と同じように手を動かします。
同じ時間に着付けの仕方をアナウンスしながら、
これはこうで、これはこうで…、
とお稽古を行います。
ふと気付くと、生徒様の衣紋は詰まり、襟元が開いています。
それを見越して深めに衣紋を抜き、襟元を詰めて着付けるのですが、それでも着物が前に進んでしまいます。
私との着崩れの差は重心の差です。
私の重心は常に背骨にあり、前後左右に動きません。生徒様は首や体幹が前後左右に動きがち。
『ではここで背中のシワを伸ばしましょう』
とアナウンスすると、体をひねって背中を見てしまいます。
『胸紐の上のたるみを伸ばしましょう』
と言うと、首を下に向けてその箇所を見てしまいます。
『よく出来ましたね』
と言うと、大きく頷いてしまいます。
このようなちょっとした日常の仕草が、実は着崩れや新たなシワを起こしてしまいます。
洋装であれば失礼でも何でもない日常の仕草なのですが、和装の世界では許されないようです。
許してくれないのは人間ではなく、和装そのものです。
和装の世界では、人間よりも和服そのものが偉いのです。和服を綺麗に見せることが大事。
着心地は二の次です。
本当に大変。でもやっぱり素敵。
美しい着物を、自分で美しく着付けられるとオーラが育ちます。他人に着付けてもらっているうちはオーラ出ません。
自分で着るからオーラが出るのです。
また、人混みの中で和装はとにかく目立ちます。
そうすると、この装いに相応しい自分でいようという意識が働きます。
美しい歩き方、立ち方、手の動き、首の動き、話し方。
大きくて素早い動きは着崩れを起こすから、ゆっくりとたおやかに。
このようなことを一つ一つ気をつけているうちに、着付け中の大きな動きも自然と減っていきます。目視以外の体の感覚が鋭くなるからです。
生まれ持った美しさに代わる、大人女性の魅力。
本当の魅力は外見そのものではなく、磨き続けようとする心意気かもしれません。
作物を育てるように時間をかけて少しずつ。
所作(44)●コンプレックスは創造のタネ
コンプレックスを持つことは悪いことではないのかもしれない、と時々思います。
……………………………………………………….
コンプレックスは創造のタネ。
マイナスではなく乗り越えるべき課題である。
克服すれば自分の強みになる。
……………………………………………………….
と、偉そうに自分の子どもに語ったことがあります。まるで自分が何もかも乗り越えてきたような言い方ですが、そんなことはありません。
この言葉は子どもに対するエールであるのと同時に、自分に対するエールでした。
でもこの言葉は本当だと思っています。
当時の自分のコンプレックスは、着付けの技術の未熟さでした。
どうすれば着付け技術が向上するのか、とても悩んでいました。
教えてもらったことは全て行っていました。
でもどうしても上手くいかない。
本を何冊も買い込み、さまざまな動画を見ました。
どうも決定打とはならない。
本の通りにしても、動画の通りにしても、着崩れは防げない。
・襟が時間と共に開いてしまう
・裾が動作のたびに開いてしまう
・衽線が上下で揃わない
・おはしょりが一直線に整わない
・裾線が決まらない
・帯の柄合わせができない
・帯の大きさが決まらない
どうしてかなぁ?
当時はコロナ禍。
対面でのお稽古が不可能であったご時世。
仕事時間の激減を受けて、これをチャンスと捉えて徹底的に着物と向き合いました。
この時に骨格標本を買いました。
そして大きなポスターも2枚買いました。
骨格のポスターと、骨格筋のポスターです。
自分の着崩れはどうして起きるのか?
標本とポスターと自分の体をじっくり観察しました。
どうやら関節のところで着崩れが起きるらしい。
それが筋肉の動きによって広がるようだ。
ああ、そうか!
人によって体型が違う。
骨の太さも長さも大きさも違う。
筋肉のつき方も脂肪のつき方も当然違う。
そしてもう一つ。
動き方に、人それぞれのクセがある。
動き方のクセを掴んで初めて着付け技術が上がるんだ。
予めクセを予測して、着崩れを最小限に抑えられるように計算して着ることが大事。
ところで…
自分が習ってきた着付け技術は、本当に正しいのか?これを機に一から立て直してみよう。
私はどうしても紐が緩む。
この結び方、本当に正解なの?
様々な結び方を試し、最終的に辿り着いたのが『結ばない』という策。
私は左右に絡げるだけ。
その絡げた目を下の紐で完全に覆い被せることにより、絶対に弛まない。
しかも体の動きにしなやかに順応する。
ところがこれを可能にするのは『麻の晒し』
他の素材では不可能でした。
紐の長さも大事。
買ってきてそのまま使うのはNG。
自分仕様に作り変える。
そして必ずアイロンがけします。
補正もこだわりました。
補正って必要なの?
しなかったらどうなるの?
しないで着てみたら…、私の着物はシワだらけ。
では第二段階。
私はどこにどの程度必要なの?
補正を足したり、引いたりして、そのたびに写真を撮って…。
最終的に辿り着いたのが、麻布6mぐるぐる巻きの術!
ぐるぐる巻きにすることで、固い土台ができあがります。
この固い土台が私の着物ライフには頼れるパートナー。しっかりとした摩擦を作り、薄手の長着でも着崩れしません。
(初心者の方にはこの土台づくりは教えていません。着物に慣れている人にお勧めしています。)
帯の結び方も見直しました。
そしてオリジナルの結び方を考案しました。
これで帯の柄合わせもバッチリです。
また、帯の形を美しく仕上げる『秘密のひも』も考えました。近々動画にアップします。
ご覧いただけましたら嬉しいです😊
ただ一つ。
どうしても克服できなかったのが、裾の開き。
座るたびにどうしても開いてしまう。
これは…仕方ないかな。
というのは、体型が若い頃とは違うから。
それはそれで受け入れて。
これはコンプレックスではないのです。
大人の事情です。
コンプレックスは克服するためにある。
コンプレックスは創造のタネ。
楽しんで乗り越えれば自分の強みになります。
所作(43)●自分の顔に『ありがとう』で上がる自己免疫
20代の半ばあたり。
結婚直前から、子どもを出産するまでの数年間だけ、ジャズピアノを習っていました。
ほんの一時期ですが、クラシックピアノと並行してジャズピアノも習っていたのです。
同じピアノという楽器のはずなのに、この音の違いは一体なんだ❓不思議で堪らず、じゃあチャレンジしてみようと思って習いに行きました。
弾き方がクラシックと全然違う。
リズムの取り方も全然違う。
コードを覚えないといけないし、音と音の距離を度数で表現して、組み合わせ相性を予め予想してピアノを弾く。
こんなに複雑な過程を瞬時にやってるんだ!
驚きの連続でした。
指の筋肉もクラシックとは使う部位が異なるようで、私には非常に弾きづらく感じました。
結局モノにならず、数年間でやめてしまいましたが、とりあえずチャレンジしたという思い出にはなりました。
本題はここからで…
ジャズピアノの先生は美しい女性でした。
当時私は25歳。先生は42歳でした。
そのときの私からすると、驚異的に美しい42歳でした。
『40代でも綺麗でいられるんだ』
誠に失礼な感想でございますよ、本当に。
しかしそれが当時の自分の偽らざる気持ちでした。
20代半ばからは40代の女性はすご〜くお姉さんに思えたのです。
『先生、綺麗でいられる秘訣は何かあるんですか?』
『特にないわよ』
(綺麗な人ってみんなこう言う…)
と思っていたときに
『あるとすれば…』
と先生が続けた言葉がこれです↓
●毎朝、自分の顔に『ありがとう』と言うの。
自分の顔にありがとう?
(???)
『そうなんですか。ありがとうございました。』
自分から質問したくせに、先生の真意が掴めず、とりあえずのお礼。
失礼な20代でした。全く申し訳ないです。
今になってこの言葉を思い出します。
自分に対してのお礼。とても大事です。
今の私にはよく分かります。
自分の顔にも、体にも、心にも『ありがとう』
いま存在していることへの感謝。
これが自己免疫を上げるのだと思います。
コロナ関連の番組で、人間の自己免疫システムの強固さを知りました。安全装置が何重にも巡らされ、感心するほど良くできたシステムでした。
免疫細胞の一つが、自分の細胞壁を破壊し、ネバネバした粘液でウィルスを絡め獲るという手法もありました。
細胞が自分の命を犠牲にする。
誰のために?
母体である、人間のために。
なぜ?
好きだから。その人間が好きだから。
これは私の考えなのですが、細胞だって死ぬときは苦しいと思うのです。痛いと思うのです。
それを母体のために自らの命を投げうてるのは…
好きだからだと思います。
常日頃から『ありがとう』と自分に声を掛けている人は、免疫システムが働いて守ってくれているんじゃないでしょうか。
今年の夏あたりから、正座により太ももが痛くなりました。今までどんなに長い時間座っていても、このような症状はなかったのに。
49歳で初めて痛くなりました。
『そうかぁ…。今まで頑張ってくれていたんだね。気付かずごめんね。ストレッチしようね。』
心の中でそう声を掛けて、ストレッチをしましたら、翌日は痛みを感じませんでした。
それから毎日続けています。
この体はもしかしたら自分のものではないのかもしれない。体も、心も、顔も。
時々そう思います。
自分のものだと思っているとある時とんでもないしっぺ返しを受けてしまう。
本当は借り物なのかもしれません。神様からの。
借りたものは返す。なるべく良い状態で。
それが人としての礼儀です。
『ありがとうございました。
おかげで楽しゅうございました。』
と言ってお返しするその日まで、体と心と顔に毎日ありがとうと言いながら暮らしていく。
それだけでなんだか、楽しい。
なんだか、幸せ。
所作(42)●ダメな私を愛してほしい。 ダメだからこそ愛してほしい。
高校生くらいの頃、無性にこんな風に思っていました。そのころ、毎日がとても辛かったのです。
以前は思春期特有の気持ちだと思っていました。
50代に差しかかってみて、あの頃の苦痛の仕組みが分かってきました。
あの気持ちはそのまま母から受けたものだったのだと思います。
高校生の頃、ほぼ毎日母と喧嘩していました。
理由はすべて些細なことです。
『よくそんなに毎日喧嘩のタネがあるね』
他の兄弟から呆れられていました。
私は母が28歳の時に生まれたので、母の年齢は43歳〜46歳でした。
私から母に突っかかったのか、母から私に突っかかってきたのか、よく分かりませんが、思春期のイライラと更年期のイライラが衝突した数年間でした。
つらかったのだろう…。
母の気持ちを思います。
私よりも、母こそ愛されたい気持ちが強かったのだと思います。
そして更年期のつらい症状。
傍らには、まさに女性の目覚めを迎えた自分の娘がいる。
自分の娘だから可愛い。
でも悔しい。
残酷な現実を目の当たりにすればイライラが増すのは仕方のないことでした。
ではもし、母のことを全面的に受け入れてくれるような人物が現れていたら、母は違ったのでしょうか?違ったような気もするし、違わなかったような気もします。
結局は同じで、やっぱりイライラしていたのではないでしょうか。
なぜかというと、母自身が本当の自分の望みを見つけられていなかったからです。
母は、本来は静かな性格だったと思います。
絵を描いたり、書を嗜んだり、和歌を詠むのが好きでした。
ですが、ひとつ短所を挙げるなら、努力を積み重ねるのが苦手でした。
先生に就いてアドバイスを素直に受け入れていくタイプではありませんでした。
趣味は色々あったようですがどれも表面的で、じっくりと精神を傾けている感じは受けませんでした。
自分という軸がいつまでも定まらない。
そこにイライラしていました。
思春期の私も当然定まっておらず、その姿を見るとイライラするのか、私を度々叱責しました。
本当は自分自身を叱責していたようです。
もしかしたら誰かに叱られたかったのかも知れません。
愛情を持って叱ってもらいたかったのかも知れません。
叱られたとしても母の性格では拗ねて聞かないでしょうけど、それでも諦めずに叱られたかったのかも知れません。
イライラする気持ちを鎮めるために、絵や書や和歌を楽しみたかったようですが、どうも独りよがりでした。
人間は一人では、成長できないのです。
自分で自分は見えません。
鏡に映しても視界の届く範囲しか見えず、それは本来の自分ではありません。
そもそも成長とは何か?
成長とは人と仲良く出来ることだと私たちは考えます。
人と仲良くするのは、簡単ではないのです。
我慢することも多い。
でも我慢には限界もある。
また、我慢しすぎると他人から利用される。
自分の色が無いと魅力がないと思われる。
しかし出し過ぎると疎まれる。
なかなか難しい。
でも色々あっても付き合っているうちに、少しずつお互いに愛情が湧いて、何となく家族みたいな気持ちになる。
それが趣味の本質だと思います。
私たちの茶道も同じです。
茶道のいいところは、習得に時間が掛かるところ。真面目な人だけが残る。
茶道が人を真面目ににしてくれる。
少しずつ少しずつの努力を積み重ねているうちに、気持ちも整って、人付き合いも楽しくなってきます。
『今日のお点前素敵だったわよー』
『えー、本当に?ちょっと緊張しちゃった』
『今度は何のお点前するの?』
『茶箱の…。何にしようかなぁ…』
『それにしても今日の帯いいわね』
『ありがとう!これはね…』
こんな会話ができるようになるとウキウキして、学生時代の時みたい。
同年代の友人と、真面目な気持ちで繋がれば、気持ちは毎日晴れやかです。
『じゃあまた来週ねー』
ああ、来週が楽しみだなぁ!
嫉み?嫉み?
いったい何のこと?
私は楽しいの。きっとあなたもそうでしょ?
そう思うと、そのような明るいオーラで満たされて。
不思議なもので、肌も髪も、輝いてくるのです。