講師(宗夜)ブログ

2022-11-20 20:50:00

●私の補正

上半身のシワを出来るだけ取りたい、それが私の補正方法を見直すきっかけでした。

それでいて、考えない着付けにしたい。

 

考えると、疲れます。

疲れると着物を着たあとの仕事が出来なくなって、次から着物が嫌になってしまいます。

着付けの動作は出来るだけシンプルにして手足に覚え込ませて、なるべく脳を休ませています。

 

そのために道具の力に頼っています。

私の着付け道具は、自分仕様にカスタマイズしています。下の写真は私の腰紐、胸紐です。

 

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赤い方が腰紐。青い方が胸紐。

違いは長さです。

結んだ後の始末がラクになるように長さを変えています。

中央の刺繍糸の印は、紐の真ん中を示しています。体に回した時に、必ず紐の真ん中がくるように着付けをします。

そうすることで失敗が減ります。

 

下は補正具です。

補正もなるべくルーチン化して、考えなくても出来る補正にしています。

 

《私の補正》

①メッシュ構造の補正具で腰の凹みを埋める

②胸の周りの小さな凹みを麻布で埋める

③麻布6mで、下腹から胸(鎖骨下)までを巻く

④東レのフィールドセンサーの補正ベストを着る

 

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上の写真が私の補正具です。

麻布は巻き物のようにギューっとぐるぐる巻きにしています。巻き物のようにすることで、シワも付かず、箪笥の中に綺麗に仕舞えます。

体に巻きつける時にも隙間とシワがつきません。その上に着る襦袢を綺麗に着ることができます。

 

 

この補正は、あくまで自分のためのものです。

生徒さまにはご希望の方のみにお教えしております。

麻布6mは、鎖骨下から寛骨までを覆うので慣れていないと呼吸が苦しくなります。

慣れればカッチリとした固い土台となり、着崩れを防げます。

 

右側の東レ、フィールドセンサーの補正ベストは生徒の皆さまにもお勧めしています。

これは私の中では大ヒット商品でした!

湿気を逃し、よく乾く、シワにならずに手間要らず。一晩で乾きますので、毎日洗って毎日身につけています。

背骨の凹みも埋めてくれるし、人間の体をよく考えて作られている商品だと感心しました。

 

同じ形で、綿素材や麻素材もありました。

綿は熱がこもって私には不快でした。

麻は毎日のアイロンが大変で閉口しました。

結局このフィールドセンサーに落ち着きました。

 

 

今のままの技術でも、補正具や紐を見直すだけで、着付けがぐっとラクになります。

皆さまのご参考になりましたら幸いです。

2022-11-20 10:55:00

●私は麻が好き。寒がりさんには綿がオススメ。

美しい着姿に欠かせないのが補正。

私は自分の補正素材は『麻』と決めています。

腰紐も胸紐も麻素材です。

 

麻は丈夫で、水分の蒸散作用にも優れています。長い時間身につけていても、汗を吸った後も、表面はサラリとした冷却感があり、更年期の私にはありがたい存在です。

麻にはキリッとした緊張感があり、何度洗濯を重ねても、ヨレヨレしません。

ここが私の一番好きなところです。

何度洗っても布目がよく通るので摩擦が掛かりやすく、着崩れを防ぎます。

 

麻は3mくらいの背丈の草。

その茎の繊維から麻布は作られています。

水や養分を吸い上げる役目をする繊維ですので、布に形を変えた後も汗をよく吸ってくれるのです。

 

麻の生育には、日本の土壌が適しています。

昔は日本の土地のほとんどが湿地や沼地でした。

麻はこの湿地帯を好みます。

麻と日本人との付き合いは古く、縄文時代から麻素材を身に纏ってきたと言われています。

手もかからず短期間で真っ直ぐに育つその様に、人々は単なる素材という概念を超えて神聖さを感じてきました。

今でも、神事には麻が欠かせないと言います。

着物の柄の『麻の葉』は、健康や繁栄を意味しますし、しめ縄や鈴緒なども麻素材です。

大相撲力士の最高位、横綱だけが締めることを許されている化粧まわしも麻素材です。

 

日本で生まれ育った私たちが、日本の気候に適した麻を好むのはとても自然なことなのでしょう。

 

『麻』に目覚めるまでは、私は綿素材を用いていました。綿100%も悪くないと思っていました。

私が以前通っていた着付け教室でも、綿の晒しや、綿のタオルを補正に用いていました。

 

綿は吸水性と保温性に優れています。

湿気が着物の中でこもって熱に変わるからです。

綿花を撚って糸にしているので、糸自体がふんわりと空気を含んでいます。

その隙間に、汗を溜め込み、糸を大きく膨らませて空気の流れを遮るので、熱も湿気も逃げないのです。

 

綿花の栽培は、熱帯や亜熱帯と言われています。

日本では江戸時代中期ころから栽培が本格化しました。綿の生育には、日本の気候は寒すぎたり、雨が多すぎたりするので、農家はとても苦労したようです。

 

綿の表面はしっとりとしていて肌に優しい。

寒がりさんには心地よい素材でしょう。

 

麻素材と、綿素材。

ご自身の好みに合わせて選んでいただけるといいと思います。

2022-11-12 15:30:00

所作(64)●逆に私は全部言う

前述のブログでは、言葉を超えた力の話をしました。

一つ補足をするならば、宗嘉には美しさの基準がキッチリと見えています。言葉は柔らかいのですが、動きや速さなどに向ける目線は鋭いのです。

 

宗嘉は美のクリエイターだと私は思っています。

伝統をしっかりと守りながらも、より美しく見える細やかな動きの研究に余念がありません。

私は宗嘉の美意識に全幅の信頼を置いています。

その美意識をいかに分かりやすく伝えるかが私に課せられた仕事です。

つまり私はコーディネーター。

 

宗嘉のお稽古とは対照的に、私は全てを説明します。細部まで全て言葉にして説明しています。

 

私が担当しているのは、初級者と中級者です。

上級のお稽古に向けての引き出しを作る段階です。引き出しにはたくさんの部品が入っています。

『あの時のアレ』というように、部品がすぐに取り出せなければ上級者のお稽古は難しいのです。

 

部品のひとつひとつを丁寧に説明して一緒に磨き、そして引き出しにしまう。

引き出しには名札を貼り付けて、

『いま、この引き出しにこの部品をしまいましたよ』とお稽古するのが私の役目です。

 

全てを説明するお稽古を一年ほど続けると、突然急成長する生徒さまが続出します。

『Bomb‼️(ボンッ‼️)』

知らず知らずのうちに力がついて、大きなバネの力が働いて、ある時生徒さまを思わぬ高みに押し上げます。

『こんな高いところに自分はいたんだ』

そうです。ご自身の本来の御姿です。

 

言葉を駆使したお稽古と言葉を超えたお稽古。

毎回丁寧にお稽古しています。

2022-11-11 19:47:00

所作(63)●言葉を超えた力

ネットワークが普及した現代では、言葉で表現する力は欠かせません。

たくさんの人に一度で情報を伝えられる言葉は便利で魅力的です。

しかし私たちは人間です。

感情で動く人間です。

よし庵茶道教室では、言葉を超えた力も大切にしています。

 

言葉を超えた力を持っている人物。

私には宗嘉しか思い浮かびません。

宗嘉のお稽古は魂の力で進みます。

言葉を超えています。

 

『はい、持って』

持つ?何を?

『はい、置く』

え?どこに?

 

ちょっと…

戸惑う。

文法が好きな私はちょっと戸惑う。

他動詞なのに目的語が抜けている。

主語がないから分かりにくい。

 

宗嘉の方を向くと、慈悲に満ちた穏やかな光をたたえた宗嘉の目と合う。

菩薩…。

戸惑いを帯びた自分の目線が空中で溶ける。

自分で考えよう。

 

戸惑う➡️溶ける➡️自分で考える

この繰り返し。

 

お稽古が終了して『出来ましたね』と声をかけられてもあまり実感がなく…。

『出来ているんでしょうか…』

ところが、二度目に同じお稽古すると自然に手が動く。そのことに自分が驚く。

 

宗嘉マジック。

 

主語がなかったり、目的語がなかったり、文法的には穴が沢山あるのだけど…。

その穴を自分の頭で考えて埋めていくから、驚くほど脳を使っていたということが分かる。

 

宗嘉が言葉について語ったことがあります。

……………………………………

僕には言葉が窮屈で仕方ない。

言いたいことが山ほどあるのに、言葉というルールに縛られて。

僕が本当に伝えたいことは言葉に乗らない。

……………………………………

そうでしょう。そうだと思います。

その気持ち理解できます。

言葉での表現は情報を限定してしまいます。

しかし人間社会はとても複雑怪奇。

限定した情報の周りには、その時採用されなかった準候補になる情報もたくさん存在しています。

 

人間は生き物です。

理屈に合わないことはたくさん存在します。

言葉の社会で生きる人間は、そういうジレンマを誰しも抱えています。

言葉を自由に操れない幼い子供がよく泣くのはそのせいかも知れません。

泣きたいのは子どもだけではありません。

大人だって泣きたい時があるでしょう。

 

言葉には限界がある。

それを知っていて言葉を使うことが大切なのかなと思います。

 

言葉に疲れたら…

美味しいものを食べたり、

綺麗なものを見たり、

良い香りを聞いたり、

 

感性の力に寄り添ってみましょう。

2022-11-10 15:11:00

所作(62)●いいんです。私はこれで。

子どもの頃から『真面目すぎて面白くない』と言われてきたのですが、大人になってもそれはちっとも変わりません。

私が面白いと感じるものは、大抵の人には面白くないようです。

通訳ガイドでの勉強会でも散々注意されました。

勉強会ではお題が出されて、それぞれ2分の英語プレゼンをします。

どんな切り口でも自由でした。

 

前述のブログの寺子屋は、『日本の教育』というお題が出された勉強会で発表したプレゼンを元にして書きました。

プレゼンではもっと詳しく具体的に数値を入れて発表しました。

プレゼン後に先輩ガイドからケチョンケチョンに注意されました。

 

『もっと楽しい話をしてよ。外国人旅行客を相手にしてるんだから。学者を相手にしてるんじゃないんだから。』

 

はい。そうですね。

はい。わかりました。

アドバイスありがとうございます。

 

うな垂れて見せながら、心の中では

(いいんです。私はこれで。)

と思っていました。

 

というのは、なぜか私のお客様は学者さんが多かったからなのです。

私は歴史博物館での展示ガイドだったこともありますが、それにしても高確率で学者さんに出会いました。

 

経済学者、地質学者、文化人類学者、脳科学者、心理学者、建築学者の卵たち…

 

学者さん達には、私の説明は本当に喜んでいただけました。

私は日常英会話は自信がないのですが、ガイディングでは滔々と語ることが出来ました。

練りに練ったプレゼン資料を暗記していたからです。

 

寺子屋の説明でも、学者さん達は具体的な数値を欲しがります。

『当時寺子屋はどれくらいあったの?』

(おっ!キタキタ…)

『明治政府が調べたところ15,000校だと言われています。ただ、実際のところはその2倍の約30,000校だったようです。人口との割合を見ると、これは現代の小中学校の普及率と殆ど変わりません。』

 

ほら、役に立った。勉強しておいて良かった。

私は自分が面白いと思うことしか伝えられません。どうしても自分を偽ることは出来ません。

 

若い頃は周りに合わせないといけないと思っていました。

ところがどうしても分からない。

疲れてしまう。

ダメだこりゃ。もういいや。素で生きよう。

 

そう思って『自分はこれで良い』という姿勢を貫くようになると気が楽になりました。

自分から無理に動かなくても、環境の方が生きやすいものに少しずつ変わってきたようです。

 

イソギンチャクみたい。

力を抜いてゆらゆらしていたら、とても気持ちがよかった。気持ちが良くなると、向こうから色々と流れてくるようになった。

そんな感じです。

 

これが『自信』なのかな…と思います。

他人より優れていることが自信なのではなくて。

何かが出来ることが自信なのではなくて。

自然体でいられることが自信なのかな。

だから、いいんです。私はこれで。