講師(宗夜)ブログ

2022-08-27 20:45:00

所作(26)●茶道のDNA

茶道を習い始めた頃、友人から驚かれました。

『え?2時間もかけてお茶飲むの?一体何してるの?』

 

何って…。立ったり座ったり、案外忙しいのよ。

 

『だってお茶飲んでお菓子食べてるだけでしょ?』

 

えぇっと、もうよく分かんない!

 

習い始めだったので、茶道が一体何なのか自分もよくわかりませんでした。分からないから反論も出来ずにいました。

 

よく分からないけど、なんか心地いいの。

 

心の中でそう思っていました。

この感想、曖昧なようで本質を捉えていると今思います。

この心地よさは習い始めから一貫してずっと感じています。一度も途切れたことがないのです。

 

点前座に入り、茶道をしていると、宇宙空間に浮かんでいるような感じがします。

重力を感じるような、感じないような、

音が聞こえるような、聞こえないような、

見えるような、見えないような、

水の中にいるような感覚に近いかも知れません。

だけど孤独ではない。

母親の胎内に戻ったような懐かしさがあります。

一人で座っていても、

生徒さまと二人で座っていても、

zoomで画面越しに生徒さまと座っていても

どのような座り方でも同じように心地よいのです。

 

点前座に居る間じゅう自分を発見しているからかな…と私は思っています。

ふと、乳児の頃の息子の様子を思い出しました。

生まれて数ヶ月の子どもは色々な物に興味を持ち、常に手足を動かしていました。

足も手もベロベロと舐めて、感触を確かめていました。時々噛んで痛みも確認していました。

手指を開いたり閉じたり、足指も開いたり閉じたり、不思議でたまらない様子でした。

『何やねん、これ。何やねん…』

そのうちに身体をひねって体幹からお尻とか脚とか、グルグル回りながら自分の身体の

全体を眺めていました。

『あら?これ、つながっとう…』

『‼️』

『これ…、自分かぁ!』

ある時、自分という存在を認めたようでした。

そんな風に私には見えました。

言葉は喋れないけれども目力が強くなったと思います。赤ちゃんは大きな眼でまっすぐ

に大人を見つめます。こちらの心を見透かしているようです。一体何を見ているんだろうと思って、私も見つめ返しました。

 

2歳になり言葉を操れるようになった時、驚くような行動をしました。

『あれ‼️』

ご飯を食べていて突然大きな声を上げました。

そして自分のおでこを私のおでこにくっ付けて言いました。

『おかあさん、まぁちゃんの声聞こえる?』

『聞こえないよ。』

『え?』

『それはまぁちゃんの心の声。まぁちゃんの心の声はまぁちゃんだけのものなの。まぁちゃんに心の声があるようにお母さんにもおかあさんの心の声があるんだよ』

『そうなんだ…』

 

この時、声のトーンが急に落ちて寂しそうに見えました。本当に寂しかったようです。

 

私自身はここまでハッキリとした行動は出さなかったと思いますが、小学生頃に自分の心の声に気付いて驚いたことを覚えています。

そしてやはり寂しかったように思います。

寄る方のない寂しさといいますか、何とも頼りない、孤独感がありました。

 

その孤独感は大人になっても続いていきました。

大人になってからの孤独感は、子ども時代の孤独感とは少し異なります。

 

自分という個体が、他から切り離された存在であることは既に分かっている。

けれども、どこからどこまでが自分なのかがよく分からない。

相手の個体もどこから始まっているのかよく分からない。

だからつい踏み込み過ぎて何かとトラブルが起きる。

トラブルを起こしたいわけではないのに…

自分自身を掴めないから、相手の反応がやたらと気になる。

他人からどう思われているのか。いちいち気にしてしまう。

そしてそれに疲れてしまって、どうせ自分のことなんて誰も分かってはくれないんだ…と思う。

このような感じの孤独感です。

 

ところが、茶道を始めてから、私はこの孤独感から徐々に解放されていきました。

 

茶道は、まぁ面倒くさい。

さっさと食べて飲めば良いものを。

作法にがんじがらめにされていて、やたらと時間が掛かる。

足の動きも手の動きも全部決まっていて、台詞まである。そして台詞以外は静かにしていなければいけない。じっと座っていなさい、とか言われる。

『さっきお菓子とお茶を頂いたし、本当はもう帰りたいんだけどな…』

なんて思っていたら先生から

『はい、次は工藤さんね』

と声を掛けられてしまった。

(えー^^;)なんて内心思いながら、きちんとお辞儀をすると何となく心が整う。

 

お稽古が始まると、あまりにも先生が一生懸命に教えてくれるものだから、恐縮してしまう。

さっき面倒くさがってごめんなさい、と思う。

そして、心地よい。

ああこんなに一生懸命に向き合って貰ったの、いつぶりかなぁ…。

 

しかし、やっぱり面倒くさい。

『帛紗は小指と薬指だけで持って、他の3本指で蓋を持ちなさい』

(はぁ〜?そんなことやったことないし…)

でもやっぱり、あまりに一生懸命に教えてくれるものだから、吊られて一生懸命にならざるを得ない。

『そうそう、そんな感じ』

(なんか褒められた、ヤッター)

 

あまりに先生が一生懸命だから、何度も同じことを注意させては申し訳なくて、家で練習して行くと

『今日は違うお点前をしましょう』

(マジすか…)

 

だけれど、言われた通りにやって行くと、

段々と指の一本一本が動いていって、自分の身体と意識が徐々に一体化して行くのを感じる。

神経が指先まで伸びていって、しっかりと意思を届けてくれているのを感じる。

自分の身体のアウトラインを理解し始める。

それからテリトリーも。

扇子によって区分けされたテリトリー。

自分の位置は扇子によって隔てられ、相手の位置も扇子によって隔てられ、テリトリーを侵してはいけないと視覚によって教え込まれる。

畳の縁も大切で、畳は全て名前がついており、それぞれの役割を持っている。

左右の足を間違えて踏み入れると

『違う、左足!』

天変地異でも起こったように先生の声が飛ぶ。

(そんな大袈裟な…)

と思わないでもないけど、やっぱり先生が一生懸命だから、なんかごめんなさいと思う。

 

そんなことを数年繰り返していくうちに、人間関係のトラブルも感じなくなっていきました。

自分の身体と心のバランスが取れるようになり、コントロールが効くようになったからかもしれません。

そして、自分は宇宙の一部であることを感じ取れることも大きな理由の一つです。 分子構造の中の原子みたいな、そんなイメージです。自分と相手とは見えない絆で繋がっている感じがします。

信頼関係という絆です。

 

そして講師になった私も、やっぱり一生懸命。

先日、生徒さまが後輩の生徒さまに水屋でのお仕事を教えてくださっていました。

生徒さまたちもやっぱり一生懸命。

『お茶碗はしっかり拭いてから仕舞いましょうね。そうそう、そんな感じ』

お稽古を通じての心地よい交流が、血のつながりを超えたしなやかな関係を作っていきます。

もう寂しくない。

=========================

和から学ぶ気品ある仕草 美しい所作教室

https://syosa.yoshian.com/index.html

2022-08-23 19:59:00

所作(25)●いま見直される帝王学

人の上に立って指示を出すリーダー。

そのリーダーたちが、悩んでいます。

今に限りません。昔から悩んでいます。

何がそんなに大変なのでしょうか?

 

多人数をまとめる難しさに悩んでいるのです。

多人数をまとめるのは大変です。

『働け』とただ言われて懸命に働く人はいません。嫌々働かれても意味はなく、むしろ費用ばかりが嵩んで時間と労力の無駄になります。

一生懸命に、喜びを感じながら、誠実に仕事をしてもらうのには一体どうすればいいのか…

 

『褒めればいい』という単純なものでもありません。

あちらを褒めれば、こちらも褒めねばならず、それも褒める量を等分にしなければどちらかがヘソを曲げます。

そんなことに一々気を揉んでいては仕事になりません。

仕事を安心して任せられる人材がいない場合、全て自分で抱え込むことになり、最終的には首が回らなくなります。

 

ここは歴史的人物の教育からヒントを得ましょう。今回は天璋院篤姫です。

江戸幕府第13代将軍、徳川家定の御台所です。

その御台所を少女からファーストレディに育て上げたのが、教育係の幾島でありました。

指導は生活全般から諸芸にわたり幅広く内容がとても厳しくて有名です。

私が注目したのが言葉に関する指導でした。

 

・どもってはいけない

・言い直してはいけない

・聞き返してはいけない

・歯を見せて笑っていけない

・無駄な動きをしてはいけない

 

当時17歳の少女には厳しく感じられたことでしょう。私もこの内容を初めて目にした時には大変だなぁと思いました。

 

けれども、いま現在茶道教室において指導をしている身としては至極当然のことに思え、幾島が教育係としていかに優れていたかがよくわかります。

 

これらは精神面がかなり成熟していないと自然な作法として表面に現れません。

諸芸(茶道、書道、華道、琴などの楽器演奏)の研鑽を積むのと同時に所作全般を整えることで、リーダーとしての強力なアイコンを作り上げていったのです。

 

大奥は約1000人の女性で構成される集団です。

そのトップに立つには、どこから見ても完璧な女性像が求められます。

 

些細な欠点を他人の目に晒してはいけません。

些細なことほど、他人の口の端に上るものです。

 

リーダーにふさわしい器を感じた時、人は初めて従順になります。

力強いリーダーとは…

資質を十分に備えながらも、それに満足せず、更なる成長をしようとし、実際に成長を遂げている、そんな姿だと思います。

 

どうしたら自分もそうなれるのだろうと、人は憧れて近づきたいと思います。

そして憧れているうちに、気がついたら自発的に懸命に働いている。

しかも楽しみながら。

 

みんなが憧れるリーダーになりましょう。

何歳からでも成長できます。

 

言葉に関する幾島の教育内容。

よし庵でもお稽古の中で取り入れています。

お教室の雰囲気は、美しくて真剣で真面目。

その雰囲気を心から楽しんで身を委ねているうちに、自然と正しい作法が身についていきます。

 

今まで気がつかなかったご自身の新たな輝きを開発していきましょう。

美味しい和菓子とお茶を愉しみながら…

=========================

和から学ぶ気品ある仕草 美しい所作教室

https://syosa.yoshian.com/index.html

2022-08-14 19:36:00

 所作(24)●私の心を支える言葉②

《勝たんとして打つべからず。負けじとして打つべきなり。一目なりともおそく負くべき手につくべし。》

 

徒然草 第百十段より

吉田兼好が双六の名人に勝つ方法を尋ねたところ、このような答えを受けたとのことです。

 

『勝とうとして打つな。負けまいとして打て』

『一目でもおそく負ける手を選べ』

 

本当にその通りだと思います。

勝とうとすると、つい奇抜な策が浮かびます。

ところが、負けまいとすると一気に現実的になるものです。

 

負けまいという思いには、目の前に相手がいる感じがします。それが現実感を生みます。

相手の力量と特徴を瞬時に掴み、出方を予測し、策を巡らせる。

予測が外れたらすぐさま次の策を組み直す。

一手一手の攻防戦は、今実際に目の前で起こっていることで、身も心も一体となって勝負に向き合い集中している様子が伺えます。

 

それと比べると『勝とう』という言葉には漠然としていて、やや浮わついたような幼さを感じます。

 

現代では『勝ちに行く』というキャッチコピーをよく見かけます。

主にスポーツのポスターや受験期の塾の広告などに用いられています。

確かに勇ましい感じがします。

『負けるな』というコピーでは、パッと一目見たときに『負け』を連想させてしまい、ネガティヴイメージを与えるからかも知れません。

 

しかし、兼好の生きた中世の時代はどうだったでしょう?絶えず紛争が起きていた時代。

人権という概念すらありません。

常に命懸けです。

負けることもあります。

負けることも視野に入れながら、いかに最悪の負け方を回避するかまで考え抜く必要があります。

 

『たかが双六でしょ?』

と思われるかも知れません。

ところが現代の単なるボードゲームとは意味合いが異なります。戦(いくさ)の現場で活用できる頭脳戦の訓練でもあります。

 

戦の現場で、攻める方と守る方、どちらが強いか?

 

強いのは守る方だと言われています。

歴史学者によると、守る方が心理的に有利であり、かなりの確率で攻め込む戦よりも、籠城(ろうじょう)する戦のほうが勝っているとのことでした。

 

攻める側は敵地(アウェー)に赴いていることもあり、リラックス出来ず、早く終わらせたいという本音がある。

兵站(へいたん:食糧や軍備の補給)が滞りなく届くかどうかの心配もある。

 

守る方は『相手は侵略者だ』という共通の思いがあるため、仲間が結束しやすい。

平民と手を携えればかなりの軍力になる。

水源の確保ができていたり、食糧や武器を十分に用意していれば、戦にどれだけの期間を掛けられるか把握することができる。

つまり計画的に戦うことができる。

 

なるほどなぁ、と思いました。

攻める方、挑戦者とも言えるかもしれませんが、こちらのやる気を持続させるのは、かなり難しいようです。

『やってやるぞ!』という気持ちは火花のように一瞬パッと燃え上がります。

勢いは良いけれども、長く続かないのです。

 

『負けまい』という考え方。

私には大人の生き方そのもののように思えてきます。

若い頃のように無茶はできない。

体力や財産を失うわけにはいかない。

時間も限られていることが分かっている。

今あるものを温存しつつ、次なる手を考えて現実的に動く。

これこそ大人の知恵だと思います。

いま現在、自分の持っている物の価値を十分に理解した上で、その延長線上に未来を築く。

カッコいい…

まだまだ行けます、私たち。

いえいえむしろ、これからが面白い。

 

さぁ、私たちと一緒に素敵な大人の生き方を探りましょう。

=========================

和から学ぶ気品ある仕草 美しい所作教室

https://syosa.yoshian.com/index.html

2022-08-13 15:37:00

所作(23)●記憶力を上げるには… 《自分編》《生徒編》

いわゆる『頭の良い人』と言われる人は、第一に記憶力に優れた人を指します。

 

その発展形が『仕事のできる人』となります。

仕事のできる人とは、逆算ができる人とも言えるでしょう。企画力、計画力はすべてこの逆算ができるかどうかに掛かってきます。

 

仕事が大きくなってくると一人で業務を担うことは不可能です。

複数の人間と連携を持つことになります。

仕事の連携を取るには、どの業務にどれだけの時間が掛かるのか、ざっと把握して相手に伝える必要があります。

 

その時に頼りになるのが記憶力です。

それまでの小さな経験の一つ一つを正確なデータとして蓄積し、必要な時に必要な分だけ必要なものを引き出せる力が記憶力です。

 

一つ一つのデータは点の状態。

点の状態のままでは意味を成しません。

 

色々な場所に色々な大きさの点(知識)を散りばめ、それらを関連づけて繋げていくとで記憶となります。

関連づけとは、比較して相違点を見つけていくことです。この作業により知識にタグが付けれて引き出しやすくなります。

 

その後、似たものもどうしが集められ、点と点が繋がり線となります。

これらの集合体が、どこかでまた関連づけられて、網の目のように脳の中で広がっていきます。

網の目ができるともう忘れません。

そして更に点を細かく打っていき、緻密な網の目に仕上げていきます。

こうすることで取りこぼしを極力少なくしていくのです。

 

《記憶力の上げ方・自分編》

★とにかく丸覚えする。

一つ一つ真剣に丸覚えする。

知識の点は多ければ多いほど良い。

とにかく点を打っていくイメージです。

バラバラに見えてもそのうちにまとまります。

一つ一つの意味にこだわらないこと。

こだわらない人から伸びていきます。

『意味がわからないから覚えられない』というのは単なる言い訳です。説明しても覚えません。

 

★最初から完璧を目指さないこと。

最初は50点満点とします。

そのうちに段々とハードルを上げていきましょう。何段階かに分けていくことで持続力が増します。自分で段階を分けられることも才能の一つです。短気を起こさず自分をゆっくりと育てていきましょう。

 

★心の中で自分を褒める癖をつける。

『私、やるねぇ〜!50点取れたじゃん』

無言で自分を褒めること。

周りの人に褒めさせないことです。

疲れさせてしまうから。

大人は人を疲れさせてはいけません。

周囲の疲れが、巡りめぐって自分に還ってきます。気がつくと自分の方が疲れているはずです。

 

《記憶力の上げ方・生徒編》

他人の記憶力を上げることは簡単ではありません。箇条書きでは説明できないので散文体で記します。

 

『なかなか覚えられないんです』

と嘆く方がたまにいらっしゃいます。

私どもでは、まず嘆くのをやめてもらいます。

 

嘆くと知識の点が打てなくなります。

そんなことないですよ、とか

そのうちできますよ、とか

慰めの声が欲しいのでしょう。

このような甘えを持った方は、慰めると

『そっか、じゃあいいや』

と努力するのをやめてしまいます。

目的は慰めの言葉を獲得することだからです。

慰めると目的が達成されて満足し、知識は増えません。

 

以前は

『褒めればいつか前向きになるに違いない』

と信じてひたすら励ましました。

しかし一向に前向きになりませんでした。

そのうちにこちらも褒めるのに疲れてしまい、

褒めることをやめた途端、教室を去りました。

 

人の指導をすることの難しさを知りました。

考えてみれば『褒めれば良い』とは、相手に対して非常に失礼でした。

相手の可能性を探す努力をせずに安易でした。

向き合っていませんでした。

 

今は『一つだけ』褒めることにしています。

努力したであろうポイントを一つだけ。

 

もしも、一つも褒めるところが無かったとします。全然出来ない。何も覚えていない。

その時は試しに一つだけ褒めてみる。

手を取ってリードする形です。

『努力するポイントはココですよ』と指し示すのです。

 

背筋が伸びましたね、とか

足のつま先を揃えることが出来ましたね、とか

 

出来ていなくても褒めます。

出来そうな課題を相手に提示します。

するとその課題に意識が注がれて、次回は本当に出来ています。

リーディング(leading)です。

 

リーディングすると生徒さんは

『えー?そうですかぁ?』

とまんざらでもない様子で笑顔になります。

 

が、ここで褒め過ぎない。

『ええ』と笑顔で冷静に言って、スッと引く。

 

以前は引き際が分からず

『本当です、本当です。すごいじゃないですかぁ!』

と盛りに盛っていました。

これはむしろ相手を嫌な気持ちにさせてしまいました。営業がバレバレだったのです。 営業で褒められても、嬉しくないですものね。

 

生徒さんが本当に求めているのは

魂と魂のふれあいです。

真剣に向き合った者どうしは厚い信頼関係で結ばれていきます。

 

講師と生徒さんとの信頼関係は、やがて生徒さんどうしの信頼関係へと発展し、コミュニティのネットワークへと形を変えます。

網の目のようなネットワークは変幻自在です。

時勢を捉えて上手く波の流れに乗ることができるはずです。

600年続いた茶道そのものであるように。

 

いかがでしたでしょうか?

自分の記憶力を上げることは、仕事をする上で必須の努力項目です。

また、自分だけではなく他人さまの記憶力を上げることも、年長者として社会的に避けられない役割かもしれません。

他人さまの記憶力を上げることで自分の記憶力も更なる高みへと上がっていきます。

皆さまのお仕事の現場で活かしていただけましたら幸いです。

=========================

和から学ぶ気品ある仕草 美しい所作教室

https://syosa.yoshian.com/index.html

2022-08-12 10:07:00

所作(22)●私の心を支える言葉①

《偽りても賢を学ばんを賢といふべし》

徒然草 第八十五段の最後の一文です。

目まぐるしい変化の毎日。

時々私は妙に不安になります。

意図せずとも膨大な情報がドッと流れ込んでくる日々。轟音を発する濁流に呑みこまれそうな気持ちになるのです。

 

自分を見失ってしまいそうな時、自分の正気を保ちたい時に、好きな一文を呟くようにしています。徒然草はとても好きで、時々眺めています。

 

《偽りても賢を学ばんを賢といふべし》

 

良い言葉だなぁ、励まされるなぁ、といつも思います。

 

みんな賢くなりたい。

でも賢くなる前には、賢くない時代がある。

でも良いんだ。

結果が出てなくても、賢くなりたいと思って行動している時点で、実は賢くなっているんだ。

そう言い切っている一文。

まず、リズムが良い。

心にストンと来る。

 

講師の仕事をしていて一番苦慮するのが、如何にして生徒さんを上昇気流に乗せるか、です。

やる気スイッチと言えるかもしれません。

 

よし庵での私の担当は、茶道の入門・初級・中級と着付けです。

そしてお行儀とお作法なども担当しています。

 

教室に入ったらまず手洗いをしてくださいとか、

バッグはテーブルに置かないでくださいとか、

茶室には裸足で上がらないでくださいとか、

貴重品は自分で管理してくださいとか、

返事は『うん』じゃなくて『はい』ですとか…

生活のこまごまとしたことから指導します。

 

あまり口うるさく言いたくないのですが、すべて茶道に繋がる大事なことですので、面倒がらずに指導しています。

基本的な生活態度が整ってからでないと高価な茶道のお道具を安心して任せられないのです。

 

生徒様の多くが私よりも年長者です。

最初から素直に聞いてくれるわけではありません。

『あなたに言われなくないわよ』という顔をされることも多くあり、たまに睨まれます。

それでも根気強く指導していると、こちらの熱意が伝わり、徐々に態度が変わってきます。

その変わり方は、劇的です。

 

まず、外見が綺麗になります。

髪型や服装に気をつけるようになります。

体型がスリムになる方もいらっしゃいます。

お肌が綺麗になった方もいらっしゃいました。

見るからにシワが減って内心驚きました。

 

成長の上昇気流に乗ると綺麗になります。

しかしそう簡単に上昇気流に乗れるわけではありません。

上昇気流に乗るまでの期間は、人により様々です。

入門後数ヶ月で乗る方もいらっしゃれば、年単位の時間が掛かる方もいらっしゃる。

 

そして、良くなる前には悪くなる。

講師としてはこの時期が辛抱の時期です。

反抗期のような状態です。

年齢は大人ですが、一旦子どもに戻ります。

 

『本当にやる気あるのかな…』

そう思ってしまう時もあります。

生徒さまご本人も辛いのだと思います。

大人になってまで注意されたくないのでしょう。

それでも来てくださるのだから感謝しなければなりませんが、ここで迎合してお客様扱いしてしまうと指導になりません。

私たちは指導をサービスとしている業態です。

指導を中途半端にすることは職務怠慢です。

 

そんな時、この兼好法師の一文が私の心の支えとなります。

 

驥(き)を学ぶは驥(き)の類(たぐい)。

舜(しゅん)を学ぶは舜(しゅん)の徒(ともがら)なり。

偽りても賢を学ばんを賢といふべし。

 

驥(き):優れた馬のこと。

舜(しゅん):優れた名君の名前。

たとえ形だけに見えても学ぶことに意義がある。

 

時代の波を乗り越えて生き残る言葉には、とても力があり、励まされます。

無秩序と思われる中世の時代。

兼好法師の生きた時代は鎌倉時代末期から、南北朝時代と言われています。(1283頃〜1352頃)

為政者や為政の地が変わる、権力闘争の世。

時代の転換期で、先を見通すのが難しい世であったことと思います。

教養人であった兼好法師も、時勢を読み違えないよう苦労したでありましょう。

 

賢くないと生き残れない時代。

それは今も同じです。

 

では何をすれば賢くなるのか?

体と脳を正しく使うことだと私たちは考えます。

日本人の体の構造に合った、体の力を目覚めさせる、正しい動き。

まっすぐ立ったり、

まっすぐ座ったり、

まっすぐ歩いたり。

 

そして心の訓練。

まっすぐな心で、まっすぐに聴く。

 

時間が掛かっても良い。

最初から出来なくて良い。

真似でもなんでも良い。

 

《偽りても賢を学ばんを賢といふべし》

 

とにかく、やる。

=========================

和から学ぶ気品ある仕草 美しい所作教室

https://syosa.yoshian.com/index.html