講師(宗夜)ブログ

2026-09-21 16:16:00

●掛け軸を筆ペンで臨書① 『松風塵外心』 しょうふうじんがいのこころ

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掛け軸

ずっと気になっていた床の主役。

 

筆者は何を伝えたいのか。

掛け軸の、何が・どう素晴らしいのか。

いつか自分の身体で体験したい。

 

書道を始めた理由のひとつが、お軸への憧れでした。

 

ところが始めてみてもなかなか分かるようになりません。

私の専門は仮名と呼ばれる和様の書。

お軸の元は唐様の書。

和と唐とは様々に異なります。

こんなに違うとは…

 

書の道も深い。

けれども道は閉ざされてはいない。

 

書道史や中国書法にも勉強の範囲を広げて数年経ち、なんとなく感じが掴めてきました。

 

私は中国書法を筆ペンで勉強しています。

人工毛と天然毛の違い

再生紙と半紙の違い

埋め難い大きな溝があることは承知の上で、それでも筆ペンから得られることは多々あります。

 

高僧の卓越した身体能力。

関節の柔らかさ。

可動域の広さ。

文字の配置から分かる空間認知能力。

 

目の前のベールが剥がされたようでした。

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この五つの文字のうち

ひときわ魅力的な『風』

 

向かい風に長いストレートヘアを靡かせて凛とした立ち姿。

先を見る眼の力は強い。

 

松は男性的

たっぷりと墨を含み

筆を傾け、幅いっぱいに引かれた横線

紙に押し付けるようにゆっくり書かれた旁

 

風は女性的

松で墨を使った分、やや枯れ気味で始まる一画目。蔵鋒、直筆。

魅力全開の二画目、三画目。

珍しい切り替えし方。

潤渇の具合も絶妙。

終筆まとまった毛先は悶絶もの。

 

その昔、武士が見れば、筆者がいかに心身共に鍛錬を積んだ人物であるか、すぐに分かったのではないかと思います。

 

静かな茶室に掲げられた動的なお軸。

ここから私に聞こえてくる声は

『鍛えろ』『鍛え続けろ』

でありました。

 

時代がいかに変わっても人の営みは変わらない。

動いている中に『美』があるのだ。

 

10月のアーカイブ筆講座で、今回のお軸の臨書を取り上げたいと思います。

解説動画と共に書き進めていただくと、いかに優れたお筆であるか実感していただけると思います。

 

ペンてるのつみ穂をご用意の上、ご覧いただけると幸いです。

 

お軸が分かれば茶道がもっと愉しくなります。

どうぞお楽しみに😊🤲

2026-08-14 20:57:00

●茶道とアダージョ

宗嘉先生のお点前を間近で拝見していて、時々心地の良い音楽が聞こえることがあります。

美しいメロディにうっとり…

音楽はいつもアダージョ

ゆったりリラックスの速度

 

自分のお点前のときもアダージョを演奏している気持ちで行います。

 

ベートーヴェンのピアノコンチェルト皇帝の第二楽章

 

書道に夢中になっている時も

着付けを楽しんでいる時も

お香を焚いている時も

美術館に行って展示物や庭園を眺めている時も

音楽がどこかで流れています。

音が無いのに音を感じる。

このような時に自分の芸術性が形成されつつあることに喜びを感じるのでした。

 

さて、茶道にて上級者以上になられると、手も足もお点前の手順として完璧な方がしばしばおられます。

当教室で解説付きの動画を連日配信しておりますのは、そのような方々を数多く養成したいためなのであります。

そして覚えてくださった、その時からが、新たな次元への入り口ではないかとよし庵では考えております。

 

上級者になればなるほど

覚えれば覚えるほど

ご自身の芸術性が表に現れることとなります。

 

私の場合は音楽を通して芸術性を愉しんでおりますが、愉しみ方は人それぞれでありましょう。

 

畳の香り。

お軸。

皆さまのお召し物。

着飾った女性の輝き。

太陽神か月神か…

身なりを整えることそのものに神性が宿ることを知る。

手作り和菓子。

楊枝を入れれば何層にも包まれて手間が垣間見える。

出されたお茶碗の重み。

中に湛えた緑のお茶との色の対比。

濃茶のしっかりした苦味から、遅れて舌に蘇るわずかな甘み

連客の細やかな心配り

静かなのに見えない糸で繋がっている

その糸を感じてほしい。

 

茶道のお点前を覚えることと並行して、是非ご自身ならではの芸術性を高める楽しみを見つけて育てていただきたいです。

2026-08-02 14:41:00

●やりたい事ひとつ・やるべき事ひとつ

日々を充実させるために、心掛けていることがあります。

 

・やりたい事ひとつ

・やるべき事ひとつ

 

この2つをシーソーのようにバランスを取って行うこと。

 

・やりたい事

役に立つのか立たないのかはっきりしないけれども、自分が好きで好きで仕方のない学び。

 

・やるべき事

いま現在の仕事に直結する学び。

これをやらなければ始まらない、外せない、直近の仕事の出来を左右する学び。

 

どちらも『自分作り』に欠かせません。

 

ぽっと時間が空いたときには、迷わず『やりたい事』を選んでいます。

将来への投資です。

好きで好きで仕方のないことは、5年後くらいに自分の新たな力になるようです。

お腹が空いていることも忘れる

眠いことも寝ることも忘れる

目の前の好きな事しか見えない、

音も聞こえない、そんな時。

普段、複数に分裂している自分の意識がピタリとひとつの枠内に存在しているのを感じます。

この快感たるや。

 

だけどこの快感を求めすぎると、浮世離れして夢見がちになってしまうので注意が必要です。

 

危ない、危ない。

そろそろ仕事に戻るか…

と途中でやるべき事に切り替えたりもします。

 

やるべき事はタスクが明確。

地に足をつける学び。

とても大切です。

ところが没頭すると息苦しさを感じることがあります。

 

苦しくなったら再びやりたい事に戻ります。

 

不確実なことと確実なことの間を往復するその様は陰陽の世界観とつながります。

 

やりたい事は、続けていくうちに仕事になっていき、やるべき事に変わることがあります。

あんなに好きだったのに…

不思議なもので仕事になった途端苦しくてやりたくなくなったりもします。

実に奇妙です。

でもそれで良いのです。

そういう時には、また新たな『やりたい事』を見つけてバランスを取ります。

 

そんなことを続けていくうちに、仕事の範囲がじわじわと広がっていきます。

 

どんな仕事をしていても、

どんな生き方をしていても、

やりたい事とやるべき事をひとつずつ。

長く続けていくと…

ふと立ち返ったときに『自分』というものが立ち上がっていきます。

 

自分が自分を発見した時

ほかでは得られない安心があります。

迷いが少なくなります。

それが人生においてどれほど大きな意味を持つことか。

 

陰陽に揺らぐ自分を責めず、揺らぐ姿を眺めつつ楽しめる余裕を持つ。

変化の激しい時勢だからこそ

・やりたい事ひとつ

・やるべき事ひとつ

ただただ集中してみてほしい。

 

それらが和の習い事であったなら、とても嬉しいです。

 

。。。。。。。。。。。。。。

その道に入らんと思う心こそ

我が身ながらの師匠なりけれ

。。。。。。。。。。。。。。

2026-07-20 20:47:00

●お日さま

女性はお日さま

歴史のところどころでお目に掛かる言葉。

私もそう思います。

家庭でも

職場でも

いくつになっても

 

ですが

お日さまとしての在り方は、なかなかに難しい。

そんな風にも思います。

 

最近、わたしの家の近所に若いファミリーが増えてきました。

『はいはい、ちょっと待っててねー』

2歳3歳の子の世話に追われるママさん。

よその子の成長は早く、あっという間に小学生。

ママさんますます大忙し。

 

ママ『だからさぁ、あの時なんで〇〇しなかったのよ!』

長男『いや、それは…※⭐︎%△□』

次男『ねー、今日のご飯なに?』

ママ『カレー🍛』

長男・次男『またカレー??』

 

この世代はまさにお日さま真っ盛り。

本音でぶつかり合い、パワー全開。

忙しい分、女性の力が分かりやすく発揮されている世代に感じます。

 

問題はその先。

ちょっと体力が落ちてくる。

美にも翳りが見えてくる。

若い時には感じなかった様々な男女の差。

40代半ばくらいから顕著に感じるような気がします。

 

昭和の女流作家がミドル世代の男女のすれ違いを上手に描いていました。

向田邦子『花の名前』

主人公の常子と長く連れ添った夫。ミドル世代の夫婦。

無骨な夫は花の名前を何も知らず、常子が少しずつ教えていきました。

ある時、一本の電話が面識のない女性(つわ)から掛かってきます。

常子は胸騒ぎを覚えながらも、その女性と面会します。

愛人関係にあったという『つわ』。

その名からつわぶきを連想し、自分が教えた花の名前によってその女性に惹かれたのかと考える常子。

観察すると、何もかもが自分と真逆でした。

話し方も襟合わせも緩め。

ショックを受けて、その晩に夫を問い詰めます。

夫は背広を脱ぐ手も止めず、こちらも向かずに『終わった話だ』と一言呟きました。

その背中は広く、社会の荒波をくぐり抜けた逞しさがありました。

花の名前にこだわっていたのは自分だけだった。

自分だけが

昔のままだった…

 

 

私はこれをドラマで見て、描き方が上手だなぁと感心しました。

ここまでの展開は無いにしても、自分が社会から置いていかれるような寂しさは理解できます。

 

今の時代、男女差に触れることが難しくなってきました。

しかし体格差・体力差だけはどうしようもない気がします。

体力はつまり、どれだけ頑張れるかの能力なわけで、この差を工藤は宗嘉先生との仕事で常々感じるのです。

頑張りきれない自分。

要求に応えきれない自分。

 

女性は本当にお日さまか?

女性は自分で不安になります。

でも大丈夫。

この自問自答が、女性を真のお日さまたらんとする鍵になります。

 

お日さまの在り方が変わる時期なのです。

大切なのが『内観』です。

本音でぶつかる時期が過ぎると、『個』を充実させる時期に入ります。

 

家庭であっても

職場であっても

子がいてもいなくても

 

個を充実させる熟年期は、人間の大切な成長段階ではないかと思います。

静かになって自分を見つめる。

集中する時間を持つ。

親しくても人と関わり過ぎずに見守る

 

天に高く高く昇って

広く光を届けて

探さなくても見えるように

ほんわかと温かさも届けて

ちょうど良い距離

ちょうどいい熱量

きめ細かに自分で調節して

 

それが大人のお日さま

 

はっきり・くっきりとした明確な能力ではないけれど、心に潤いをもたらしてくれる。

 

行ったり来たりの日本文化で身につけたい。

包み込むようにお道具を持ち

清めて温めて感謝して

 

大人のお日さまが

ひとり…

またひとりと増えていったら

心地よい空間が広がるだろうなぁ…

素敵だなぁ…

と夢見るのでした。

2026-07-05 20:38:00

●文化は人がつなぐ

AI時代の到来。

何を検索するにもAIが答えてきます。

それが当たり前になってきて、疑問を持つことも少なくなってきました。

でも、Alには限界があるということは心に留めておきたいところです。

何でも即答するAI。

 

尤もらしい答えが出るから、危ない。

しかし果たして

その答えは本当だろうか?

ますます疑わしい時代となりました。

言葉は宙を舞うほどに劇的に軽くなりました。

何せ生命を持たない存在が操るのですから。

 

逆に言えば…

人間は長いこと言語に価値を置き過ぎたのかも知れません。

AIはそれを人間に教えてくれている、そんな風にも思います。

 

これからは…

こころで味わい、

本当の感動を共有していく時代。

安心できる仲間たちと。

 

自分の中の核心を得られた人は、時代がどう流れても強いもの。

核心とは『文化』です。

 

文化は人が繋ぐものだと信じています。

愛の力を持った、ひとが。

 

私は約50年ぶりに、愛を受け取りました。

巡りめぐって、母からの愛を。

愛は文化という柔らかくて温かいものに包まれていました。

 

言葉みたいに軽くありません。

私は五感で嗅ぎ取って、細い記憶の糸を手繰り寄せたのでした。

古い本から。

 

ここ数年、仮名書道を真剣に学ぶためにたくさんの本を買い集めていました。

その中に見覚えのある数冊がありました。

絶版のためプレミアムのついた古本でした。

 

書道で一番大切なのは先生とのお稽古であることは言うまでもないことですが、まさか一画一画ごとに質問をするわけにもいきません。

お稽古の回数は決まっています。

しかし、かと言ってそのまま書き進めれば、変な癖がついてしまうので困っていました。

 

自学のために買った参考書が『書道技法講座』というシリーズ本でした。

どんな気持ちで

どの角度から筆を入れるか。

次の一画にどう繋げるか。

筆は、身体全体で書くものなので気持ちがとても大切なのです。

 

書道技法講座では、その分野で第一人者と言われる先生方が細かく細かく解説してくれています。

仮名を志す人は書道の中でも非常に少なく、教えてくれる先生も限られています。

これらは間違いなく素晴らしいシリーズ本ですが、マニアしか喜ばないので採算が合わず、絶版となって久しいのでした。

本当に滅多にお目にかかれない貴重な存在です。

 

オレンジ色の古い本が自宅に届いた時…

見覚えがあると思いました。

 

どこで?

私はどこで見た?

 

ああ、実家だ。

引っ越す前の借家時代だ。

小学生1年とか、2年とか。

 

パラパラと中をめくって見れば…

そう、知ってるこの本。

い・ろ・は

から始まる不思議な本。

 

この本…

昔の家のミシンの上に積んであった。

小さな私は今のようにパラパラとめくって…

 

母かぁ…

そうかぁ…

母もこの本に辿り着いていたかぁ…

 

ごく少数のマニアしか喜ばないこの本に。

本気で仮名を勉強する人しか辿り着かないこの本に。

 

背表紙を捲れば、発行年数は

昭和四十七年とか

五十年とか、五十二年とか

まさに母が手にとっていた年代と重なります。

母の亡くなった後に父が古本屋に出して、それを私が買い取っていたとしてもおかしくはないのでした。

それくらい発行部数が極めて少ないものなのです。

 

これらの本を手に取っていた母はまだ三十代に入ったばかり。

私よりも20歳も若く仮名と和歌の世界に浸っていたかと思うと

『これはもう…人生の先輩ですね』

と素直に頭を垂れるしかありません。

 

そしてそれらの参考書を手に改めて古今和歌集を勉強してみると…

『さや』『さや』『さや』と、

私の名(さやこ)が様々な秋の和歌で何度も連綿されているのでした。

 

月の*さや*けさ…

静け*さや*…

目には*さや*かに見えねども…

 

『お母さんねぇ、自分にもし娘が生まれたら《さやこ》って名付けようってずっと思っていたんだ』

 

まだ若かった母の肉声が、その連綿に乗って蘇るのでした。

『へぇー、そうなんだ』

と軽く受け流した幼い日の自分も思い出され、セピア色の美しい写真を見ているようでした。

 

だから私は、

仮名と和歌に惹かれたのか…

 

もしかしたら文化にはこのような温かい愛が込められているから、『触れていたい』と心から願うのではないかと感じました。

 

母の両親は出稼ぎ労働者だったようです。

実家に経済的は余裕はなく、中学を出たら働こうかを思うほどだったと聞きました。

何とか高校には行けたそうですが、いわゆるインテリ層ではありませんでした。

 

だからこそ、なのか…

華やかな仮名の世界に惹かれ、幽玄な和歌の世界に足を踏み入れたのかも知れません。

 

深く深く浸っているひと時だけは、厳しい現実を忘れられたのかも知れません。

 

そういう力が日本文化にはあるのではないかと思いました。

上手とか下手とか

優劣とか

評価は表層的なものであって本質ではなくて、

もっと温かい繋がりが『文化』という形を以て私たちを繋いでいてくれているような…

そんな気がいたします。

 

半世紀という長い時を経て繋がれた大きな愛。

人間はいいものだな…

としみじみ思います。