講師(宗夜)ブログ

2024-02-12 10:58:00

●主婦のちから

仕事をしていて、一番役に立っているちからが『主婦のちから』です。

 

・整理整頓と掃除する能力

・限られた時間内に複数の仕事を行う能力

・これらの細々とした仕事に当事者意識を持つ能力

 

講師として色々な情報や技術をお教えしてはおりますが、時間的に見ると圧倒的に整理整頓と掃除が大きな割合を占めています。

ほとんどの時間が主婦業そのものです。

 

実はどの仕事の現場でも『主婦のちから』に支えられて成り立っていることが多いのではないかと思います。

 

そう考えると

『もっと主婦が認められても良いのに…』

と少し悔しい気持ちになるのです。

 

整理整頓や掃除は、誰にでも出来そうでいて、本当のところは能力によって差が出ると思います。

時間内に素早く丁寧に。

可能な限り次の準備も同時に行う。

お料理と似ています。

掃除も隅々まで丁寧に。

一見汚れていないようでも主婦は手を抜きません。掃除をすれば、毎回しっかりと汚れがとれるのを知っているからです。

誰のため?

愛する家族のため。

そしてもちろん自分のため。

快適に生活するため。

これが、『私の仕事なの』

 

これらの細かい用事が自分の仕事だとすっかり自覚し切っているところ。

ここが主婦のすごさだと思っています。

この自覚は早々には身につかない。

自分の家庭を持ち、支え続けてきたことで徐々に身につく自覚でしょう。

これは一つの大きな能力だと思っています。

 

私はその能力を持つ生徒さまに度々にわたり助けられております。

 

『先生、お茶の準備をしておきますね』

何かの用事で手が取られて、お茶の準備がまだだった私を助けてくださいました。

仔細をお伝えしなくても、綺麗に薄茶器になだらかな小山を作ってくださいました。

宗嘉先生が喜んでおられました。

もちろん、お稽古をされた生徒さまも。

 

『食器は洗っておきますよ。先生は茶道のご準備をどうぞ』

午前中の懐石料理教室の後に、茶道教室が控えていた日のこと。

たくさんの洗い物を一手に引き受けてくださり、それは綺麗に片付けてくださいました。

また、お茶事の時にも準備を手伝ってくださる生徒さまがいてくださり、本当に助かりました。

 

『濃茶の準備を手伝ってあげてもらえますか?』

私の手が塞がっていた時に、上級者の生徒さまに初級者の生徒さまのお手伝いをお願いしました。

『はい、承知しました。』

威張ることもなく、きちんとした準備を時間内に丁寧に優しく教えてくださいました。

 

このような生徒さまたち。

どなたも控えめで、用事が終われば皆さまの中に静かに混じって、ご自身の働きを主張しません。

ですけれども、私にはその方たちが輝いて見えます。

優しい光が全身から放たれていて、その方や周りの方々を包んでいるように見えます。

 

茶道では、そのような細々とした仕事がたくさんあります。

それらが茶人を輝かせているように思います。

輝くのは稽古場だけではありません。

水屋でのちょっとした会話で近くなる心と心。

 

よし庵では、水を大切に使うように生徒さまにお伝えしています。

お水指の水を洗い物に使うようにとお願いしています。

『お水指のお水をたらいに入れますね』

『ありがとう。ちょうど欲しかったの』

ほんのちょっとの会話なのに、私は心がとても温かくなりました。

 

皆さんが、よし庵を自分の家のように思ってくださる。

自分の居場所だと思っていて大切にしてくださる。

細々とした仕事を、頼まれたからやるのではなく、自分の仕事だと思って進んでやってくださる。

 

とてもとてもありがたい。

ありがたいのもそうだけど…

居場所を見つけた生徒さまからは自信を感じます。

 

〇〇が出来るからとか、そういう風に具体的な形のある自信ではありません。

そんなちっぽけな自信ではありません。

もっと大きくて確固たる自信です。

《自分の存在そのものに対する自信》です。

 

その自信の源となっているのが、主婦のちから。

世間では大きな評価は得られないかも知れない。

でも確実に自分を支える力となっています。

そのちからに気付いて認め合える仲間がいて…。

だからよし庵のお稽古は楽しいんだなぁと思いました。

2024-02-05 20:39:00

●ウルトラの母

『形がウルトラの母に似てますよね?』

貴人清次のお点前のときの千鳥茶巾の話です。

私は生徒さまに畳み方をお教えするときに、いつもこのように言います。

『そ……うですね。何…となく…』

にわかに同意しかねるが、ここは講師の顔を立てておこうという大人のご配慮。

皆さま非常にお優しい。

 

それが!ついに!

平成女子来たる。

『ウルトラの母って何ですか?』

『え⁉️』たじろぐ私。

『ウルトラの母をご存じない?』

『分かりません』

(しょうがないなぁ…)

『ウルトラの母は、ウルトラマンファミリーのお母さんです。地球の平和を守っていた偉大なるファミリーのお母さんなんですよ。』

『はぁ…』

『では畳みましょう』

畳み方は宗嘉先生の動画をご覧ください↓

 

https://www.youtube.com/watch?v=eIAMadKsK28

 

『ほらね、ウルトラの母。って知らないのか💧』

『ワンコ🐶みたいですね』

『あー、確かに』

『私にはクレヨンしんちゃんの犬のシロに見えます』

それを言うなら…

〈うちのタマ知りませんか?〉の隣の家のポチでしょう、とツッコミを入れたいところでしたが、これはもっと分かってもらえないと思って断念。

 

お稽古前の水屋での会話です。

茶道とは何の関係もないように思われますが、このような会話をしていると生徒さまの覚えがとても良くなるのです。

ウルトラの母でも、ワンコ🐶のシロでも、どちらでも良いけれど、楽しく会話をしてお稽古をすると記憶の結びつきが強くなるように思います。

無機質な情報に、楽しいという色が入ることで、記憶を引き出すキーワードがひとつ増えるからだと思われます。

一見どうでも良い、関係のない話だからこそ、意外性が発揮され、更に笑い合うことでキーワードの効果が強くなるのかも知れません。

 

子どもに勉強を教えていた時、人間の脳や、身体の能力は本当に興味深いなぁと思いました。

当時は悩んで悩んで…。

鬼ババみたいに怒って怒鳴って…。

でも一緒に勉強して結構楽しい時もあって。

ん?青春?

あ、これ青春かも。

『いやー、あれは役に立った。今でも役に立ってる。』

大学生になった時にポロリと子どもから出た言葉でした。

あの時は訳が分からなかったけど、じわじわ後から効いてきたと言っていました。

 

詰め込み教育はダメだとか、色々な情報が飛び交うけれど、楽しいという気持ちが所々にあれば、それも立派な教育法ではないかと思います。

 

『なかなか覚えられない』

という生徒さまもいらっしゃるのですが、

まぁまぁそう言わず。

どんなことでも良いので、何か楽しいキーワードを見つけていただければグッと面白くなると思います😊

2024-02-04 16:20:00

●宗嘉先生の茶懐石料理(初釜🎍)

8.jpg

初釜での宗嘉先生の茶懐石料理も誠に美味しいお膳の数々でござました。

お作法の説明と共に食レポをさせていただきます😊

。。。。。。。。。。。。。

宗嘉先生の茶懐石料理(初釜🎍)

・ご飯:一文字切り

・汁:白みそ豆乳汁、色紙大根、鏡人参

・向附:帆立とアボカド・イクラ

・二の膳:桜海老ご飯

・椀物:菜の花すり流し、海老葛叩き、椎茸

・焼物:鮭の幽庵焼き

・預け鉢:里芋の煮っ転がし

・強肴:生なめこのみぞれ和え

・八寸:かぼちゃの真挽粉揚げ・田作り

。。。。。。。。。。。。。。

 

●折敷の持ち出し

・ご飯:一文字切り

・汁:白みそ豆乳汁、色紙大根、鏡人参

・向附:帆立とアボカド・イクラ

 

飯碗と汁腕の両蓋を開けて目、に飛び込む最初の色彩はスッキリと。

黒塗りの腕に白く輝く、真一文字のご飯。

同じく黒塗りの腕に、白いお汁。

具は、小さな真四角の透明のお大根、その上にまん丸の人参、その上にちょこんと練り辛子。

鏡餅と同じ喜ばしい形。

 

ご飯・お汁、ご飯・お汁、ご飯・お汁

と交互に3回で召し上がります。

終えたら腕の蓋を閉じて、亭主の酒一献目を待ちます。

 

●酒一献目の後に、向附に進みます。

・向附:帆立とアボカド・イクラ

 

白く肉厚の帆立の薄切りとアボカドの薄切りとが幾重にも盛られており、イクラが贅沢に散らされた向附です。

白と鶯色と朱色の粒つぶ。

お着物の柄になりそうな美しい色合い。

濃厚な旨味の帆立とアボカドのまろやかさ。

イクラの塩味と食感がアクセントの一品。

 

●飯器一回目の持ち出しと汁替

今回のよし庵では、飯器のお預けを形のみとし、亭主の方で二膳目も供しました。

飯器は空のまま、作法通りに蓋をお詰めさんまで手渡し、お詰めさんは下座に預かります。

本体もお詰めさんまで手渡し。

お詰めさんは蓋を閉めて正面を改めて、再び下座に預かります。

お作法は、お作法として進めておいて…

工藤が飯碗を受け取って宗嘉先生にお渡ししますと宗嘉先生が熱々の二の膳を盛ります。

 

・二の膳:桜海老ご飯

パリッパリの乾煎り桜海老・塩昆布・あさつき

熱々ご飯にパラリと振りかけてお出ししました。

『お料理は出来立てが一番美味しいんだから!』

と宗嘉先生がこだわって、お茶室脇にスタンバイ。

工藤の下げたお椀を受け取って宗嘉先生が盛り、すぐにまた工藤がお客様に持ち出しました。

『わーー😃』

と喜んでくださるお客様のお声に、宗嘉先生のお顔にも笑みが広がります。

 

●煮物腕の持ち出し

メインディッシュの煮物腕です。

期待に胸が高まります。

蓋を開けると…、優しいお出汁のいい香り…。

濁りのない翡翠色のすり流し。

曙色の海老。

焦茶色の椎茸が全体の引き締め役。

すり流しは、ほろ苦さの中にも優しい甘味が感じられ、春の味覚そのもの。

葛が柔らかくとろりと全体をまとめ、身体にじんわりと旨味が広がっていきます。

 

酒二献目を亭主がすすめ、そのまま燗鍋を末客に預けて亭主は下がります。

 

よし庵は禁酒にて、燗鍋の扱いも形のみとしています。お作法だけですが、何となく気持ちが和らいでくるから不思議です。

お料理と会話を楽しみつつ、煮物腕の蓋を閉め、焼物を待ちます。

 

●焼物

・焼物:鮭の幽庵焼き

なんて美味しい鮭なのだろう。

いつも工藤は感動してしまうのです。

外はこんがり、中はふっくら。

工藤が想像するに、コンマ何秒に至るまで焼き具合をこだわっているのではないかと。

添えられた胡瓜の薄切りも爽やか。

ただ薄切りにされたのではなく、ほんのりトロッとしています。

そこにひと匙の粒みそを乗せ…。

サーモンピンクに、胡瓜の緑と、粒みその茶。

温かいものと冷たいものの組み合わせ。

幸せ…😊

 

●預け鉢

・預け鉢:里芋の煮っ転がし

『煮っ転がし』って、名前が簡単そうに聞こえるけれど、『放ったらかし』では出来ません。

主婦の皆さまはよくよくお分かりのはず。

下茹でして、よく洗ってぬめりを取って

また下茹でして、よく洗ってぬめりを取って

またまた下茹でして、よく洗ってぬめりを取って

ぬめりが無くなったところで、やっと味つけ。

しかもこの里芋は、一度揚げていらっしゃる?

その後に甘辛く、ようやく『煮っ転がし』

煮っ転がるまで道中長うございましたなぁ。

ちょっと甘めでコクのある味付け。

みじん切りにされた柚子餡と共に絡められて、まるでスイーツのような満足感。

添えられたインゲンがまた名脇役でした。

この茹で加減は…絶妙!

茶懐石料理とは、なんと奥が深いのか…。

やはり『禅』であるのだと感じ入るお料理でした。

 

●強肴

・強肴:生なめこのみぞれ和え

ここに来てさっぱりと口直し。

生なめこと、大根おろしと、芹と、柚子

このような小鉢にも、本当に工藤は毎回感動するのです。

大根おろしの何とまろやかなこと。

粒子が細かいというか、滑らかなのです。

これは相当に良いおろし器を使っていて、しかもガツガツせず、柔らかい力で丁寧に一定のリズムでおろされていると思われます。

ふんわりと空気を含んでいて、口に含むとシュワっとするのです。

それを生のなめこと、歯触り良く茹でられた芹、柚子のみじん切りとで軽く和えています。

お大根の汁が出ていないところを見ると、お出しする直前に和えられたのでしょうか?

器までひんやりと冷やされた、酸味の嬉しい心遣いの一品。

 

●八寸

・八寸:かぼちゃの真挽粉揚げ・田作り

優しい甘味のかぼちゃの真挽粉揚げです。

小さな粒々の霰でお化粧されたかぼちゃの薄切り。サクッと中はしっとり。

田作りはパリッパリ。

少し甘めで噛むと苦味がじんわり。

片口鰯の丸ごとをいただく嬉しさ。

 

●湯斗と香の物

数々のお料理の最後に、湯斗と香の物。

湯斗の湯をいただくと、赤ちゃんに戻ったような気持ちがします。

薄い乳白色のお汁。

私たち日本人はこのお汁を飲んで、赤ちゃんから幼児へと、腸を労わりつつ成長していったんだなぁ…と思います。

香の物にも、日本人の発酵食への知恵も感じます。

凝ったお料理も良いんだけど、素材の味を生かしたシンプルな味覚も、また良し。

 

お料理の構成が、身体に負担を掛けなくて、とても優しいなぁといつも思います。

 

いかがでしたでしょうか。

宗嘉先生の茶懐石料理。

どのお料理も本当に美味しく素晴らしいものでございます。

是非ぜひ多くの方に味わっていただきたいと願っております😊🤲

2024-01-30 19:18:00

●初釜の茶事

13.jpg

2024年1月28日正午

よし庵にて初釜の茶事が催されました。

皆さま華やかなお召し物でご参加くださり、お茶室に新春の空気が吹き込まれました。

外はまだまだ寒いのに、皆さまの少し上気した嬉しそうなお顔を拝見しましたら、いち早く春を見つけたような幸せな気持ちになりました。

 

待合での汲み出しの後に、お軸を拝見し、お作法通りに腰掛け待合へ…

亭主との静かなご挨拶。

手水にて両の手と口を清め、躙口で頭を垂れて、お茶室に入ります。

躙口は腰のところで身体を二つ折りにするようにしてお茶室に入るので、いつも少し呼吸が苦しくなります。

赤ちゃんがお母さんのお腹から生まれるときは、こんな感覚なのかなぁ…などと想像します。

だとすると、私たちはお茶事を経験すればするほど生まれ変わっているのかもしれません。

そのせいでしょうか?

お茶事によくご参加くださる生徒さまは、ご参加毎にぐんぐんと腕が伸びていくのでございます。

普段でのお稽古では経験し得ない、一回ごとの特別な行事が生徒さまの力をより引き出しているようです。

 

お茶室にはお正月にふさわしいお軸と、宗嘉先生のお庭のお花が荘られております。

お軸を見、お花を見、お釜を見、仮座に入り、皆さま揃って広間へと進みます。

シュッシュッと畳を擦る白足袋の音。

音まで白く清らかです。

亭主とお客様とのご挨拶。

その後に初釜の初炭。

 

真っ白な奉書の上の、大ぶりな炭。

立派でありながら、断面は美しい菊模様。

カラカラと音の鳴りそうなほどの乾燥が見てとれて、宗嘉先生の陰のお仕事振りが光ります。

 

生徒さまによる初炭手前が始まりました。

この日のために稽古を重ねてくださいました。

『手首を柔らかくしてお羽を舞わせてください』

お稽古中に生徒さまに申し上げました。

炉縁を清めるにはお羽の両面を使うのですが、お羽が翻るときの手首の動きが見どころのひとつであります。

宗嘉先生の手首の動きは本当に美しいもので、zoomでのご視聴の際は、ぜひ先生の手首に注目していただきたいとお伝えしました。

それら全てを心得て、生徒さまはよくよくお稽古してくださいました。

 

足捌きは迷うことなく滑らかに…。

お羽も美しく炉縁を舞いました。

嬉しく、頼もしく、お隣にて拝見しました。

 

炭を焚べているそばから、パチパチと爆ぜる音が炉の壁に反響しました。

炭と空気と火の競演

黒い炭が、ほの赤い色をゆっくりと帯びていくその変容のさま。

誰も口を開くことはなく、神秘的な雰囲気を肌で感じて、一瞬一瞬を愉しんでいました。

素晴らしい初炭手前を終えて、『ふぅー』と息を吐く生徒さま。

『良かった、良かった』とその生徒さまを労って囲む他の生徒さま達。

そしてお楽しみの宗嘉先生の茶懐石料理。

 

数々の美味しいお料理の後に、主菓子。

先生のお庭の柚子で作られた柚子羊羹です。

柚子の皮を器とした目にも嬉しい柚子羊羹。

直前までよく冷やして、生徒さまに供しました。

さっぱりつるんと爽やかな酸味が、身体の細胞ひとつひとつを目覚めさせます。

そして腰掛け待合へ。

 

後座にて、長緒茶入による濃茶席。

ご担当の生徒さまも、長緒の扱いを一生懸命に練習してくださいました。

音楽好きで手芸が趣味の生徒さま。

私から見ると、趣味の腕はプロ級です。

物静かな佇まいで丁寧に丁寧に技術を磨いていらっしゃる。

『手芸用の紐で練習していました』

柔らかく微笑んでくださいました。

努力の甲斐あって美しいお点前でした、と宗嘉先生も嬉しそうに仰っておられました。

 

その後、工藤の後炭手前を経て、薄茶席となりました。

 

薄茶席では、筒茶碗でのお点前。

絞り茶巾の独特の手捌きが美しいお点前です。

ご担当の生徒さまも、お茶巾の扱いを喜んでくださり、練習を積み重ねてくださいました。

この動き、遅すぎても速すぎても見応えが損なわれてしまうのですが、生徒さまはその塩梅をよくご理解くださっていた、と宗嘉先生が感心されていました。

羽化した紋白蝶が青空を楽しむが如く華やかな雰囲気を持つお席となり、お茶事を締め括ってくださいました。

 

その後、お作法通りにご挨拶をし、花入とお釜の拝見を経て、躙口から腰掛け待合へと移動して、亭主のお見送りを以ってお茶事が終了となりました。

 

生徒さまにはもう一度待合にお集まりいただいて、お白湯を召し上がっていただきました。

『今日のお席も実りある良いお席でしたね🌸』

と盛り上がっていくうちに、宗嘉先生の将来の展望へと話が進みました。

 

先生はこの数ヶ月のうちにお教室をリフォームなさいます。

『ここから階段を作ってお庭に降りれるようにするんだ。今度は内装の腰掛け待合ではなく、本物の外庭の腰掛け待合にするんだ。』

それから…

それから…

話が大きくて工藤の想像が追いつかないのですが、何しろ楽しそうです。

皆さまも

『実際に目にするまでは様子が分からないけど、とにかく楽しみですね!』

と口を揃えてくださいました。

 

春への期待に胸を膨らませつつ、初釜のお茶事がお開きとなりました。

よし庵のお茶事が皆さまから支持される理由はここにあるように思います。

未来への希望。

明日へのチャレンジ。

楽しく、美しく。

 

皆さま

春からの新しいよし庵でのお稽古とお茶事をどうぞお楽しみになさってくださいませ。

私もとても楽しみです😊

2024-01-27 15:03:00

●欲しがらない人

一緒にいて、楽しいなぁと思う方々。

その方々には共通点がありました。

欲しがらない気質です。

欲しい、欲しいと言わない。

そうすると安心してお腹の中を見せられる。

安心すると朗らかな笑いが生まれて楽しい空気に包まれる。

楽しい空気が溢れて流れると、『なになに?』と人が集まってきて、また楽しくなる。

 

欲しがらないという気質。

これはなんだろうと思いました。

欲しがらないところまで行くには、成熟が必要に思います。

『悟り』の一つの姿のように思います。

 

欲しがらない姿に最初に気付いたのは

『千と千尋の神隠し』でした。

カオナシから差し出された金の粒々を、千が断ったシーン。

『欲しくない、要らない』

 

このシーンはとても印象に残りました。

当時は2001年。

お台場など首都圏が建設ラッシュで、街の姿があらゆるところで急激に変わっていきました。

自分の知らないところで沢山のお金が高速道路を走る車のようにすごい勢いで流れていきます。

膨らんだり弾けたり。

経済にはあまり詳しくないのですが、世の中はなんと不安定なのかと思っていました。

 

そしてこのシーン。

大抵の人はお金を欲しがるのに、千は欲しがらない。

(え?要らないの?)

カオナシの悲しそうな顔。

要らないと断られたら、付き合いようがありません。

すごいなぁ、欲しがらないって強いんだなぁ。

自我が一つ作られた瞬間かもしれません。

 

反対に、欲しい欲しいと、いつまでも欲しがる人もいます。

欲に駆られるとカオナシに飲み込まれてしまう。

自分が自分で無くなってしまう。

そして気の毒だけど、あんまり欲しがると、逆に手に入らないのです。

宗嘉先生はそれを執着と呼んでいます。

あげてもあげても、まだまだ欲しい。

『え?まだ足りないの?』

どんなに優しい人でも限界がありますが、欲しがる人にはその限界が見えない。

 

自分が本当に好きなものとか、好きなこととかを見つけられたら良いなぁと思います。

そうすると余計な執着が消えてくるようです。

好きなもので満たされているから、余計には欲しがらない。

『もう十分いただきましたので…』

茶道の問答の一つ。

慎み深い素敵な言葉で、とても好きです。