講師(宗夜)ブログ
●着物の仕立て 布地>糸
やっっと涼しくなりました。
と言うより急に寒くなりました😨
本格的な衣替えを迎え、先日着物の入れ替えを行いました。
夏物・単衣・夏帯などを汗抜き&クリーニングに出したところです。
このうちの絽の着物を整理していて『ああ、これだわ…』と改めて見直したものが数点ありました。
今年の春先に新しく仕立てた三本絽の着物。
春の時点で、今年の夏も酷暑となる見通しだったために、絽の着物を予め増やしていたのでした。
薄地の三本絽にしました。
淡い色合いに薄羽のような上品な生地でとても気に入っていました。
ところが…
ピリッ(えっ?)
ペリペリ…
裾の方の居敷き当てを縫い留めている糸が切れたようでした。
(うそぉ、いま急いでるのに💦)
と、このようなことが新しく仕立てた着物の全てに起こってしまいました。
畳みながら
(ああ⤵️ショックだわぁ⤵️)
気分は下がりまくり。
しかしお仕立てをお願いしたのは京都の専門店で、信頼の置けるお店。
何か理由があるのだろう…と思いつつ、クリーニング依頼の際にお電話もしたのでした。
自身の知識・技術不足かもしれませんので、出来るだけ丁寧な言葉遣いで申し上げました。
『着付け時に糸が解けてしまいまして。糸の強度をご確認いただけますとありがたいです…』
するとやはり呉服屋さんも丁寧な言葉遣いで
『それは大変失礼いたしました』
と一言お詫びをいただいた後に、絽における仕立て糸の特長も教えてくださいました。
。。。。。。。。。
和裁の技術の一つとして、わざと糸を弱く仕立てることもあるのです。
強い力が掛かった時に、布地を守るため、糸を犠牲にしているのです。
糸は切れても、また着物に再生することが出来ます。 しかし布地が破けてしまうと、もう再生は出来ません。
しかも今回は三本絽という極めて薄い生地になりますため、そのような配慮が働いたと思われます。
現物が届き拝見してから、きちんと判断させていただきますが…
おそらくそういった理由で糸が切れたと思いますので、予めご了承をいただけますでしょうか?
。。。。。。。。。。
ああ、やはりそれなりの理由があったのかと思い、納得の上お直しをお願いいたしました。
と、同時に自分の着付けも改めて見直す必要がありそうだと思いました。
今まで着ていた五本絽や紋紗とは段違いで三本絽はデリケートでした。
それでいて張りのある表面。
和裁士さんが、その箇所その箇所で掛かる力を想定し、強弱を調整して仕立ててくださったものだろうと思います。
自分の着付け技術が、そのデリケートさに相応しくなかったのだろうと思い直しました。
糸を犠牲にして布地を生かす
先人の知恵は素晴らしいと感じました。
着物の奥深さにますます魅力を感じたのでした。
●真之茶事
10月末の日曜日『真之茶事』がよし庵にて催され、社中の生徒さん5名さまがご参加くださいました。
『真之茶事は初めてなんです💦』
ドキドキしながらお集まりくださった皆さま。
『大丈夫ですよ。身内の催しですから😊』
とご案内しました。
最初はぎこちない自己紹介からスタートしました。
社中の仲間とは言え全員が顔見知りというわけではありません。
お稽古曜日ごとにメンバーがそれとなく決まっているのでした。
しかし、よし庵の生徒さん達の社交性はさすがであります。
しばらく言葉を交わすうちにすっかり打ち解けました。
この時に話題に上ったのが
『日本の伝統文化をいかに後世に繋いでいくか』
雑談は熱を帯び…
。。。。。。。。。
●多少は形が変わっても良い。
●時代と共に文化の形態が変わるのが恒である。
●どんな形でも良いからとにかく文化を繋いで行きたい。
●次世代の中には真髄を知りたいと思う方もおられるだろう。
●そのような方に難解なものを継承できればいい。
。。。。。。。。。
と全員の気持ちがひとつなったところで、宗嘉先生の精進料理が運ばれてきました。
ところで前回の6月の真之茶事では本筋に則って開催しました。
。。。。。。。。
真之炭手前
↓
菓子七種
↓
真之行台子
↓
一の膳(精進料理)
↓
二の膳(懐石料理)
↓
薄茶
。。。。。。。。
しかし余りにも時間が掛かり過ぎ、ご参加の皆さまも、開催者側も、疲労困憊したのでありました。
疲れてしまっては後味もよろしくなく、何のために開催したのか、お集まりいただいのか、その意味がぼやけてしまいました。
厳かな雰囲気を保ちつつも、時代に合わせた形に変える必要があるだろう、と宗嘉先生と相談して今回は正午の茶事形式を取り入れたのでした。
結果は大成功!
前回よりも時間が短縮されたことで双方の負担が減り、ご参加の皆さまも最後までにこやかでいらっしゃいました。
それにしても、やはり伝統文化は素晴らしいと改めて思うのでした。
着物や茶道を始めたのは30代の初め。
カッコ良さそうだから始めた
お菓子が食べられるから始めた
その程度。
始めてみたら難しくて驚きました。
なかなか覚えられなくて
下手で
恥をかいて
たまに嫌になって
でも辞めたいとは思わなくて
いつの間にか生活の一部となって
そして気が付いたら次世代に継承する立場になっていました。
私たちはプロもアマも関係なく、この文化が無くなって欲しくないと真剣に思っています。
誰かに強制されて伝統を繋いで行こうとしているのではありません。
なぜだか理由は分からないけれども、心の底から突き動かされるような自発性を持って、周りと協力しながら繋いで行きたいと切に願っています。
単なる趣味ではここまで気持ちが入らないでしょう。
伝統文化だからこそ、ここまで熱が入るのだと思われます。
そしてここまで熱が入った人だけが『自分のものに出来た』と言えるのではないでしょうか。
この日
私たちは同じ気持ちを持ちながら、とても心地の良い時間を過ごしたのでした。
宗嘉先生のお料理はどれも身体に優しく美味しいものでした。
。。。。。。。。。
(一の膳)
向附・・粟麩のみぞれ和え 甘長唐辛子
汁椀・・八丁みそ仕立て 里芋 オクラ
煮物椀・・蓮根しんじょ椀 湯葉 三つ葉
焼物・・大根の香味焼き
強肴・・胡麻豆腐
湯斗・・らっきょう茶漬け えごまの葉 あおさ 梅肉 ぶぶあられ
香の物・・沢庵 なす 赤かぶ
(二の膳)
向附・・まぐろと鯛の平造り
椀盛・・いかの印籠煮 焼き豆腐 ほうれん草
焼物・・ぶりの海老みそ焼き アスパラ しいたけ
強肴・・しめじの海苔酢
箸洗い・・梨
八寸・・たたみいわしのクリームチーズ挟み焼き かぼちゃ素揚げ
菓子(七種)
◆練り切り「すずめ」
◆蒸し菓子「栗とラム酒の浮島」
◆蒸し菓子「薯蕷まんじゅう(松茸)」
◆「栗きんとん」
◆冷やし菓子「金時羊かん」
◆干菓子「栗の押しもの」
◆果物「梨」
。。。。。。。。。。。
●粟麩のみぞれ和え
もっちり、時々つぶつぶの粟麩が大根おろしと共に和えられています。両面が香ばしく焼かれて満足感のある一品
●蓮根しんじょ椀
まるでつくねのような味わい。
これが蓮根とは!
もっちり、時々サクサク。
すりおろした蓮根と、賽の目切りの蓮根の共演です。
●胡麻豆腐
宗嘉先生の手作りの胡麻豆腐。
わさびを添えて。
胡麻がたっっっぷり。
葛粉でもっっっちり。
身体を温めてくれる女性の味方。
●らっきょう茶漬け
らっきょうも宗嘉先生の手作り。
さっぱりと口が濯がれます。
●まぐろと鯛の平造り
当日の朝に宗嘉先生がさばいてくださった新鮮なお造り。
丁寧に臭みを取り除き、旨みが凝縮されています。
一口々々、皆さまは本当に喜んで味わってくださいました。
美味しい
楽しい
嬉しい
このような言葉が出る場に神様がいらっしゃるに違いありません。
お椀を手に取るごとにふわりふわりと皆さまは優しい笑顔を浮かべておられました。
その後…
宗嘉先生のお点前。
魂の込められた厳かな時間。
はっきりと道を照らしてくれる師が世に何人存在するでしょうか?
稀有な存在に巡り会えた幸せを、皆さまと共に温かく胸に抱きつつ…
神無月の真之茶事が締めくくられたのでありました。
●ライバルの存在
日々のお稽古に臨んでおりますと、所々でライバルのような関係を目にすることがあります。
ライバルの存在は人が成長する時には実に大切で、このような関係性が結ばれた途端に双方の輝きが増すのであります。
ライバルは『もう一人の自分』
共通項があるから意識するわけで、楽しかったり、時には悔しかったりと、様々な心の動きがそのひとを奮い立たせてくれます。
個人のレベルでも大事な存在ですが、都市どうしの関係や、国どうしの関係でも同じことが言えるようです。
そのことに気付いたのは、宗嘉先生との座学講座の解説中でした。
。。。。。。。。。。。
1392年
足利将軍第3代義満による南北朝統一が果たされる
。。。。。。。。。。。
座学講座を開く前までは、暗記していた年号の一つとして捉えていました。
特別な感情は持っていませんでした。
それが、宗嘉先生の口からこのエピソードが発せられた途端に、3代義満と4代義持、その他の武士たちの焦りの気持ちが身近に感じられたのでした。
体温の上昇まで感じるくらいでした。
おそらく、南北朝統一は足利家の悲願だったことでしょう。
足利家が己の都合で北朝を立てたわけですが、だからこそ、他ならぬ足利家の手で何としても統一させねばならなかったはずです。
これに失敗したら、足利家は滅亡しかありません。
北朝を立てた時点で他の武士から
『やり過ぎやろ!』
と思われていたようです。
現に1350年観応の擾乱(かんのうのじょうらん)では、足利尊氏の弟の直義(ただよし)が南朝側と一時的に講和を結び、その権威を利用して尊氏討伐への同調を得ました。
『だってやっぱり本物の天皇は南朝だもんねぇ』
という共通認識が露呈したと言います。
『南朝に加担したり、北朝に加担したり、その時々で有利な方に周辺武士は動いていた』
という宗嘉先生の解説は、このような歴史背景が基となっています。
足利家の手で分けちゃったけど、足利家の手で戻したよ!
という大義を果たした3代義満。
ホッとした気持ちと、『さぁ、これからが大変だ』という焦りの気持ちの両方が感じられました。
南朝の天皇は、血筋の正当性もあるのと同時に、本物の公家文化の継承者でもあります。
これが死ぬほど怖かったのではないか、と思われるのです。
ソフトパワー(文化力)の強さは、時にハードパワー(武力・経済力)を凌ぎます。
公家の文化と言えば、和歌・連歌・書・服飾・雅楽などなど。
それはもう、近くに寄るだけでも雅な香りが匂い立つほど…
1336年に吉野の地で南朝を立てた後醍醐天皇は、1339年に崩御されますが、その短い間にも後継者や周囲の者を徹底的に教育したものと思われます。
『北朝に負けてたまるか』
という積年の恨みもありましょう。
南朝文化に対抗するかのように3代義満は急いで経済力を身につけ、武家文化の確立に力を注ぎます。
和歌・連歌・書の知識では、1000年の歴史を持つ公家には叶いません。ひとの一生の一代・二代で勉強した程度では太刀打ち出来ません。
だから茶道具という現物を輸入し、由緒を作って継承し、博物館のような建物内で陳列して目に見える文化を作ったと言われています。
そこで大事なのが『コマーシャル』
これが第二回座学講座で宗嘉先生が解説された『お道具の由緒』に繋がります。
武士は基本的に戦うことが仕事ですため、公家ほど文字文化に精通していません。
そのために、お道具を手に取って、触って、目で見て、茶事にて由緒を口々に継承していく文化を作り上げたと宗嘉先生は言われました。
人を変え、季節を渡り、世代を越えて伝承されるお道具の由緒。
・・・・・・・・・・
〇〇家伝来の〇〇茶入
☆☆斎お好みの☆盆
□代 □□斎作のお茶杓
・・・・・・・・・・
武士自身の努力により、武家文化のブランディングが引き継がれていきました。
最初は公家に笑われたことでしょう。
『唐物(からもの)やてぇwww』
もう唐ないやんなぁー
いま、明やろぉ
ほんまは明物(みんもの)やん
ぐぐぐぐぐ…🤛
思わず力の入る武士の握り拳
笑われても笑われても続けた方の勝ち。
600余年の時を経て、茶道は見事に日本の中心文化として昇華しました。
コンプレックスの種が、発芽して茎を伸ばして冬を越え見事に実を結んだのでした。
でも実を結べたのは、公家という手強いライバルが存在してくれたから。
西暦2024年の現代人の目には、公家文化も武家文化も、誇るべき自国の文化として尊く映るのでした。
●フォロワーを増やすコツ
よし庵もインスタを始めました。
日々邁進しております☺️
皆さま何卒応援をよろしくお願いいたします😌🤲
インスタはYouTubeとの共通点も多いため、フォロワー獲得のコツが少しずつ掴めてきました。
フォロワーの多いインスタグラマーに3つの共通点が見えてきました。
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《フォロワー獲得のコツ》
①知的でおしゃれである
②有益である
③ストーリーがある
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①知的でおしゃれである
のんびりリラックス系のインスタでも、どこか知的でおしゃれな要素が漂っているのがフォロワーの多いインスタグラマーです。
言葉遣いが上品だったり、
ファッションセンスやインテリアセンスが良かったり、
最新の電子機器を揃えていたり、
すごく優しかったり、
『今よりも高いところに向かいたい』という成長の意識がその人に知性をつけさせるように感じます。
知的でおしゃれ
そこに憧れてフォロワーが集まるようです。
②有益である。
みんな忙しい。
それをよく分かっている人は、1秒・2秒を大事にします。
だから技術や情報の出し惜しみはしません。
毎回毎回新しい顔を見せてくれる。
全部教えてくれる。
その懐の深さにフォロワーが感動して何度も見ることになります。
すぐに獲得できる最新の技術が、簡単に身につき、
それでいて効果絶大である。
何年も掛けて習得した技術を露わにするのは勇気が要ることでしょう。
秘策を出したら、また次の秘策を作らねばなりません。
それが成長のもとであり、ますます人を惹きつけます。
③ストーリーがある
どんなに短い動画であってもストーリーを想起させる作りにしているのがその道の達人です。
たった15〜30秒ですが、そこにストーリーを作り込んでいます。
全体の中の、ほんの一部分を見せているという意識を視聴者に植え付ける。
そうすると、前後も見たくなる。
断片をチラリチラリと見せることで気持ちを惹きつけることが出来ます。
そしてストーリーが多彩であればあるほど視聴者の興味が続きます。
いかがでしょう。
この3つの要素を備えるのは簡単なことではありません。
やはり成功者は、努力されておられるのだと感心させられます。
よし庵も多くの方々にお楽しみ頂けるインスタ作りに努めてまいります。
どうぞよろしくお願いいたします😊🤲
●作り帯とセパレート着物
講師の仕事を始めてから、この二つの存在を知りました。
・作り帯
・セパレート着物
『そんなの邪道よ』
と思われる方もいらっしゃるかも知れません。
私も講師の仕事をしていなかったら、そう思っていたかも知れません。
でも今では、それもアリだと思うのです。
講師をして10年近くなるからこそ、努力がつらいならラクをしても良いんじゃないかと逆に思うようになりました。
と言いますのは…
着付けが難しくて和装を諦める人があまりにも多いからなのです。
私の教室でも来訪者の半数が着付けを断念しました。
半数なら良い方です。
私が最初に習った教室では最初に6人居たのに、最終的に残ったのは私1人でした。
大手の教室は高額なので
『何としても元を取らねば』
と頑張る傾向があります。
しかし安価な教室ですと、
『もう良いや、安いし』
と断念する人が多いのです。
着付けは難しいです。
全ての行程を覚えないと着れるようになりません。
『大丈夫、出来ますよ!』
と励ましても、覚えられない人はどうしても覚えられないのでした。
また、着装技術を身につけた後も見直すことがたくさんあります。
長着も帯も、素材によってコツが変わります。
帯も物によって長さが少しずつ違うので、綺麗に結ぶには一つひとつの特徴を抑えておく必要があります。
何とか着れるのと、綺麗に着れるのとは雲泥の差。
シワシワの和装で現れるくらいなら、洋装でエレガントに振る舞う方が周りから喜ばれるのが現実です。
若い女性でしたら
『頑張ったね😉』
と励まされて可愛がられます。
でも大人女性はそうはいきません。
褒めることが却って失礼となる場合も多いのです。
着付けをすることに利点はたくさんありますが、最近は少し考え方が変わってきました。
。。。。。。。。。。。
・ラクをしておしゃれを楽しむことがそんなに悪いことだろうか?
・努力が出来ない自分を攻める時間はもったいないのではないか?
・さっさとおしゃれをして、楽しい時間をたくさん持つ方が豊かな生き方なのではないか?
・誰もが時間を自由に使えるわけではない。
着付け時間と手数を最小にし、美しい所作のお稽古に重きを置いても良いのではないか?
。。。。。。。。。。。
そんな風に思うようになりました。
着付けと所作のどちらも共に頑張るのが苦しいならば、着付けはラクに済ませて、所作の美しさを優先させても良いと思います。
大人女性に求められる美しい所作には下記のようなものがあります。
・立ち方
・歩き方
・座り方
・上着の着方
・バッグの持ち方
・バッグを置く位置
・声の出し方
・言葉遣い
大人女性は存在そのものに生き方が表れます。
笑顔でいられる時間をたくさん持てることはとても素敵だと思うのです。