講師(宗夜)ブログ

2024-01-21 19:59:00

損する口癖『なるほど』

つい口に出てしまうクセ、口癖

悪気はないのは分かっているんだけど、ちょっとムッとくるものが『なるほど』の一言です。

印象が良くないのです…『なるほど』は。

 

ご本人としては褒め言葉のつもりなのでしょう。

テレビでのトーク番組などで出演者も

『なるほど』を連呼する姿を見かけます。

日頃から耳にする言葉ですので何が良くないのか分からない方も多いようです。

 

『なるほど』とは、部下などの報告を受けた時に、目上の人が納得した時に使う言葉です。

それでも、人の気持ちに敏感な役職の方は、たとえ部下だとしても使うことを避けるのではないでしょうか。

 

仕事とは人と人との繋がりです。

『この人の役に立ちたい』という気持ちが最後の支えになりますから、心理の推察に長けた人であればあるほど言葉遣いに慎重になるはずです。

 

宗嘉先生とお仕事をしていて、工藤はただの一度も『なるほど』と言われたことはありません。

反対に、工藤は先生とのお仕事を始めた頃には

『なるほど』を連呼していました。

先生から注意されるまで工藤も悪気なく使っていました。

全く、反省しかありません。

しかし人が使っている場に居合わせると、改めて色々なことが見えてきました。

 

『なるほど』の印象はどんなものでしょうか?

一つには、おじさんぽい感じです。

工藤の勝手なイメージでは愛川欽也。

昭和のクイズ番組に『なるほどザ・ワールド』というものがあってその司会者だったからかもしれません。

(あの番組は面白かったです。小学生の頃に夢中になりました。)

その他には、刑事コロンボ。

(こちらも面白かったです。)

この二人が、口に何か挟みながら『なるほど』と呟く姿がしっくりきます。

ちょっとしょぼくれたおじさんのイメージなのです。

しょぼくれてはいますが、どこか相手を喰った感じ。一筋縄では行かない人物を思わせます。

 

もう一つのイメージは女子学生。

または女性新入社員。

世の中をよく知らないのに、分かった風を装って『なるほど』と言う。

こういう若い女性の姿を時々ドラマなどで見かけることがあります。

若い女性の成長ストーリーなどです。

さすが脚本家は人の心理を上手に描くのだなぁ、と思います。

視聴者はその姿を見て『生意気だな』と思う。

でも若いから仕方ないか。可愛いし。とも思う。

しかしヒロインが成長しきった姿では、そのような言葉遣いはさせていません。

もっと上品な柔らかい言葉遣いをさせるでしょう。

 

『なるほど』は音声的に分析しても美しくないのです。

『ど』という濁音で終わっています。

濁音で終わる言葉はなるべく避けたいところ。

不躾な印象を与えるからです。

 

何かの説明を受けてとても納得できた。

その気持ちを伝えたいと思われたときには、

『なるほど』の一言で済ませず、

『よく分かりました。ありがとうございます。』

2024-01-14 14:33:00

●本音でつながる

先日のお稽古にて、営業の講師の顔ではなくて、つい本音が口を突いて出てしまいました。

ご入会して4年ほどの生徒さまとのマンツーマンお稽古。

別の生徒さまに申し上げないといけないことがあり、ちょっと目を離すと本来と違うことをなさっておられました。

『あれ?お茶巾取りました?』

『取ってません』

『も〜〜、覚えてよぉ〜💦』

いつも同じところで間違えるので、笑いながらもつい本音が出てしまいました。

生徒さま、『エヘヘ😅』と笑ってくださり、

私も(あ、しまった。言ってしまった)と思ってバツが悪くて『エヘヘ😅』と笑いました。

バツの悪さとバツの悪さが相まって、お互いの心が分かり、その本音の一言でグッと距離が縮んで却って楽しい気持ちになりました。

 

生徒さまの薄茶を工藤が頂戴したのですが、思わず驚きの声を上げたくなるほどに美味しいお茶でした。

ふんわりと空気をはらんだ優しい薄茶。

『ああ美味しい』

お世辞でも何でもなく、本当に美味しいお茶でした。

生徒さまは声を出さずに手を付いて会釈しました。

 

。。。。。。。。。

茶の湯とはただ湯をわかし茶をたてて

のむばかりなる事と知るべし

。。。。。。。。。

 

ああそうか。

茶の湯の本来の姿とはこのような関係を築くことなのかもしれないなと思いました。

 

本音を言えるようになるには、長い時間が必要です。

ある時は相手のテリトリーに入りすぎたり、

ある時は遠慮し過ぎたり…。

お互いに心地よい距離を身体で測りながら、人格をゆっくりと理解していきます。

 

その過程を愉しむ余裕を心に持ちなさい。

列車に揺られて景色を楽しむように。

 

そんなメッセージが届いた1日でした。

2024-01-09 21:03:00

●信頼できるリーダーに出会えると人の心は安定する

人との出会いで人生は大きく変わる。

そう思います。

。。。。。。。。。

今の自分を変えたい。

信頼できる人に出会いたい。

自分よりも遥かに優れた能力を持つ人に出会って能力を伸ばしてもらいたい。

学びたい。学び続けたい。

。。。。。。。。。

茶道を志す人にはこのような欲求が、やる気の根源にあるように感じています。

決意や覚悟のような強い気持ちを持って『茶道』という、想像もつかない難しそうな大きな文化に身を投じる。

で、ありながら…

助言を素直に聞き入れられないこともある。

便利で快適な世の中に甘やかされた現代人には、茶道のヒエラルキーがなかなか馴染まないからかも知れません。

ヒエラルキー(上下関係の序列)

若い頃にはこれが嫌でした。

嫌でたまらず、反発ばかりしていました。

 

なぜか?

心から尊敬できる人に出会っていなかったからだろうかと思います。

それだけでなく、自分自身の心も狭くて人を受け入れることが出来なかったように思います。

どんなに優れた人にも欠点や短所があります。

それが許せなかった。若い頃には。

自分だって欠点や短所は多数ありますが、人のそれは許せなかった。

全く勝手なものです。

ようやく今になって至らぬところを見ても、尊敬する気持ちが失われないようになりました。

 

そしてそれと共に、ヒエラルキーの意味も分かるようになってきました。

単に社会の安定のために必要な制度だから、というわけではありません。

実は心の安定にも繋がっているように思うのです。

 

30代の前半あたり。

論語の一文がすごく気になっていました。

。。。。。。。。。。

七十にして心の欲するところに従えども矩を踰えず

(好きなように行動しても非常識にならない)

。。。。。。。。。。

どういうことだろうと思いました。

当時は矩を踰えっぱなしでした。

色々な場所で非常識な行動や不用意な発言をし、軋轢を生みました。

どう生きるのが正解なのか分からずにいました。

周囲に迷惑をかけたことだろうと思いますが、自分にも辛い時間でした。

ヒエラルキーの構造を身に付けずに成長してしまったことが、その原因ではないかと思います。

 

ヒエラルキー(上下関係、じょれつ)の感覚。

人間以外の動物はどうなのでしょうか?

霊長類は大抵は群れで生活していると言います。

ニホンザルも、チンパンジーも、ゴリラも…

その他の哺乳類も群らがることが多いと聞きます。陸でも、海でも。

そして群れの中には、はっきりとした上下関係があるそうです。

以前、宮崎県の都井岬に生息する野生馬の話を聞いて驚いたことがあります。

馬が整然と横に少しずつずれて並んで立っていました。静かでありながら何とも言えない緊張感が馬から流れてきました。

お互いの横腹を沿わせるように並んでいますが、頭ひとつ分くらい少しずつずれて5頭ほどの馬が立っていました。

『並んでいるお馬さんたちは、こちらのオス馬の奥さんたちです』

ガイドさんが説明してくれました。

『オス馬に近い順から、第一夫人、第二夫人、第三夫人、第四夫人、第五夫人です。ちゃんと序列があって、序列通りに並んでいます。結構厳しい社会なんですよ。』

馬たちの長い睫毛と静かな伏目が印象的でしたが、何かそこには侵してはならない見えない線が引かれているのでした。

 

チンパンジーなどの霊長類もボスに毛繕いできるメンバーは決まっていると聞きます。

ボスの隣に座れるメンバー、隣の隣に座れるメンバーなど、座る位置が明確だそうです。

まるで江戸時代の封建制度みたいだ思いました。

将軍に謁見できる御目見(おめみえ)以上の旗本と、謁見できない御目見以下の御家人みたい。

 

ちょっと話は飛びますが…

時々、宗嘉先生がものすごく眠そうな顔をしている時があり理由をお聞きすると

『猫が朝からケンカして…』

と仰います。

『ケンカは猫社会にとっては大事なのだ。

人間の都合で無理やり止めてはいけないのだ』

『常日頃からケンカをして序列をハッキリさせることで、お昼どきの暴力的な争いを回避しているのだ』

人間社会に住む飼い猫であっても、やはり侵してはならないヒエラルキーが存在しているのだなぁと思いました。

 

動物も若い者はやんちゃで、上の者から随分と怒られながら仕込まれています。

ですが、力関係がシンプル。

人間は恨んだり、拗ねたり、悩んだりするから問題が複雑になるのだろうと思います。

 

論語を記した孔子であっても

『七十にして…(ようやく)』

と残していますから、誰にとっても人間社会で気持ちよく生きるのは難しいことなのかも知れません。

 

その一方で、信頼できるリーダーに出会えると心は安定するものだなぁと実感しています。

安心感を得るとエネルギーが湧いてきて、無理やりにやる気を出そうとしなくても、自然と学びに気持ちが向いていくもののようです。

そして学ぶことが好きな真面目な仲間が増えていき、教えたり教えられたりしながら、そこには柔らかいヒエラルキーがふわりと浮かび上がってくるように思います。

人と人との関係はこんなに温かくて気持ちの良いものだったんだなぁ。。。

 

皆さまにもそのような時間を味わっていただきたいと思っています。

心安らぐ場があれば、他の世界で腑に落ちないヒエラルキーに固められても、素直な気持ちを失わずにいられるように思います。

 

令和六年。辰年が始まりました🐲

皆さまがご自身らしく健やかに過ごせますように。

本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

2023-12-20 14:43:00

●不思議の国のアリスと茶道

宗嘉先生と話していると、

『まるで不思議の国のアリスの世界に迷い込んだみたいだ』

と思う時があります。

 

善とか悪とか

常識とか非常識とか

本当はそんなものは存在しないのだと。

人間が集団をまとめるために都合よく作り出したルールであって、その中に収まりきらない事象は本当は沢山あるのだと思わされます。

 

不思議の国のアリス

私は苦手なのです。

訳のわからない世界で頭が混乱します。

意味のない行動の連続

はちゃめちゃな会話

変なティーパーティ

ハートの女王に追いかけられたり

気味の悪い猫が宙に現れたり

 

だけどこの世界を無条件に楽しめる人たちもいて

『面白いじゃん』

とケタケタ笑っていたりします。

高校時代の友人が夏休み中に不思議の国のアリスを英語で読んでいて『面白いよ』と語っていました。

自分の子も小さい頃にこの話が好きでコロコロと転げながら笑っていました。

一方、私は子供の頃からちっとも楽しめないのでした。

子供の頃から理屈っぽいのでしょう。

可愛くない子供だったと思います。

 

あの訳のわからない世界を笑いながら本能で楽しめる性格になりたかったなぁ。

柔らかい性格だったら物事の感じ方がもっと豊かで楽しかっただったろうなぁ。

 

でも、そんな私も少しずつ茶道によって変わってきたように思います。

中級から奥伝に進んだ、最初のお稽古が

『行之行台子』

 

私からすると『行之行台子』は不思議の国の入り口でした。

お茶入は最初に天板の上にあるのです。

中級のお稽古までは、濃茶は畳の上でした。

天板の上に置けるのは薄茶器だけでした。

それまでに習った理論と違い過ぎます。

お茶入とお茶巾とお茶杓とお茶碗が全てお盆に載せられて天板の上にあって。

それらを一つ一つ下ろしていってお点前が始まるのです。

まるで白ウサギを追って穴に落ちてしまうアリスのよう。

地上から地下に潜り、繰り広げられるお点前。

白うさぎたちのティーパーティとも重なります。

火屋香炉は私には白うさぎの懐中時計に見えました。開けたり、閉めたり…。

役割は全然違うけど、材質が似ているし開閉の度に金属音がカチャリと鳴るところも似ています。

天目台はイカれ帽子屋みたい。

風炉の季節は終わったのに、風炉火窓正面を意識して、台子の地板にお茶碗を置いて、その天目台を清める。

まるで季節がアベコベです。

柄杓を仕舞う度に点前座と台子正面を行き来する亭主の姿は、白ウサギを追って右往左往するアリスみたい。

その度にカチャリカチャリと火屋香炉も鳴らすのです。

 

不思議の国のアリスは1865年にイギリスで数学者によって生まれたお話で、ルイス・キャロルが加筆修正を加えて出版されたそうです。

行之行台子は安土桃山時代に考案されたでしょうから、不思議の国のアリスよりも300年近く前に生まれています。

交わるはずのない文化ですのに、なぜだか共通のものを感じるのです。

『感知できない世界の描写』を文章ですれば

不思議の国のアリスになるし、

行動に移せば茶道の行之行台子になるし、

そんな風に思います。

 

人間はつい、感知できる範囲内が全世界だと誤解してしまいがち。見えない世界、聞こえない世界からの信号は信憑性に欠けるとして『怪しいもの』と忌む傾向があるように思います。

 

人を騙そうとする悪い人たちも現に存在するから注意は必要だけれど、自分たちの感知できている世界が非常に狭い範囲なのだという認識を持つことも大事なように思います。

 

人間が快適に生活できる範囲はごくごく限られています。

人体の塩分濃度は0.9%

血糖値は70mg〜140mg/dl

体内温度は37℃前後

見える範囲(可視光線)は下限が360〜400nmで上限が760〜830nm。

聞こえる音(可聴音)は20Hz〜20kHz。

 

こんなに狭い範囲で生きている。

であれば、

見えない世界、

聞こえない世界、

触れられない世界も

当然あるのです。

 

感知できない世界を理屈で証明することは出来ません。理屈で証明した途端に、違うものに変化してしまうからです。

『存在するものを存在するままに受け止めよ』

それが行之行台子からのメッセージだと私は思っています。

 

人間は3次元または4次元で生きています。

通常は3次元ですが、頭の中のそれぞれの記憶も含めれば4次元と言えるでしょう。

あの時はああだった。

この時はこうだった。

悩みの多い人は思い出に浸る時間がとても長いのだそうです。

宗嘉先生は、4次元から3次元に修正しなさいと所々で私たちに仰います。

頭の中の記憶ほど怪しいものはないのだと。

ほとんどが自分の都合の良いように書き換えられているのだから、と。

それぞれが、それぞれに都合の良いように書き換えて頭に仕舞っているのだから、過去の思い出に執着するのは時間の無駄、無益である、と。

 

そんな事よりも、もっと面白い、素晴らしい、ワクワクするようなことに目を向けなさい。

自分が先にワクワクしてしまえば、別の次元からワクワクしたものを引っ張ってくることができるのだと。

 

引っ張ってきて、引っ張られて…

アリスは目を覚まして元の世界に戻ります。

限りある時間を豊かにしてくれるのは、夢の方かもしれません。

2023-12-10 20:42:00

●野生の掟と右脳

時間のある休日。

一年くらい前から、たまに野生動物特集の番組を見ることがあります。NHKのBSの番組です。

何となく野生動物に興味が出てきたのでした。

 

宗嘉先生と古事記の話をしたのがきっかけでした。古事記ではスサノオノミコトが、様々な他の神様を簡単に殺してしまうシーンがあります。

そのたびに私は驚いて

『何も殺さなくても良いじゃないのよ』

と反発したのでした。

宗嘉先生に聞くとこのように答えられました。

。。。。。。。。。

それが野生の掟だから。

良いとか悪いとかじゃない。

人間だって本当は野生の掟からは逃れられないのだ。

。。。。。。。。。

 

野生の掟?

私は野生じゃないから分からないな…。

野生ってどんな生活をしているのだろう。

 

ある番組でツキノワグマの子育てを追っていました。

冬眠を終えた大きなクマ🐻が穴から出てくると、その後から小さな子グマが2匹ヨチヨチと這い出てきました。

ヨチヨチ…。かわいい!

坂を転げ落ちてコロコロコロコロ…

『あーーっ』と追う母グマ。

口に咥えて穴まで戻ります。

子グマは何度も穴から出て転がります。

お母さんも何度も坂を降りて子グマを咥えます。

大変だよねぇ、子育ては💦

でもお母さんグマは何だか嬉しそう。

子グマを連れて色々なところにお散歩に行ったり。大変だけど嬉しそう。

そんなある日。

高い木に母子3匹が登って寝ていました。

ある日を境に必ず高い木に登ってひっそりと寝るようになったとのことでした。

ちょうど繁殖期の季節でした。

大きな若いオスのクマが辺りをウロウロし始める季節でした。

オスのクマは子グマを見つけると食べてしまうのだそうです。

子育て中にはメスのクマが発情しないためです。

母子3匹はオスのクマを恐れて木に登っていたのでした。

だけれども、やっぱり見つかってしまいました。

木の下から鋭い爪を使って登ってくる大きな若いオスのクマ。

必死に子グマを守る母親。

ああ、でも…。

守り切れない。

崖を転がり落ちる小さな子グマ。

かわいそうに…🥺

かわいそうに…🥹

一番かわいい年頃なのに。

悲しみに打ちひしがれる若い母グマ。

かわいそうに🥲🥲🥲

 

と、思った次の瞬間。

『じゃ、行きましょうか❤️』

母グマは若いオスのクマを誘うように森に入って行きました。

 

なんと‼️

いま、つい今さっき。

自分のかわいい子が、その…その若いオスのクマに命を奪われたと言うのに。

アリなの❓それ、アリなの❓

もしこれが人間で法廷の場であったなら…

 

🔵検察官:あなたは自分から若いオスグマを誘って森に入りましたね?

🔴弁護人:異議あり!今のは誘導尋問です。

🔵検察官:質問を変えましょう。どんな目的を持って自分から森に入ったのですか?

🟡裁判官:被告人は質問に答えてください。

🐻母グマ:私は…

〜辺りが急に暗くなり、一人スポットライトを浴びる母グマ〜

 

🐻母グマ『私は野生の掟に従っただけです‼️』

 

以下、宗嘉先生のお言葉。。。。。

そう、自然は厳しいの。

だけどポジティブなの。

だってそうでしょ?

その母グマ、オスグマを憎んでないでしょ?

恨んでないでしょ?

『よくも…』なんて言ってないでしょ?

気持ちを切り替えて新しい生命を育んでいくわけでしょ?逞しいじゃない。

だから、ポジティブ。

右脳の世界。

。。。。。。。。。。。。

 

そうなのか…。

人間の世界には様々なルールがあるので、野生の掟は普段は目には見えない。

けれども

●強いものが勝つ

●状況は刻々と変わる

●変化に応じてすぐに行動を変える

という掟は人間社会でも変わらない。

 

『ひどい』とか

『あんまりだ』とか

『誰々のせいだ』とか

文句を言うことに時間を使わないで

『そういうこともある』

と受け止めて次の行動に移るという冷静さも時には必要だろう。

 

だからと言って簡単には割り切れないという気持ちも人間らしい優しさで、これが人と人とを繋ぐ絆ともなる。

野生の掟かぁ…。

母グマの後ろ姿から色々なメッセージを感じたのでした。