講師(宗夜)ブログ
●スポーツの秋🏃♂️
待ち望んだ秋🍂
やっと来てくれました。
このサラッとした空気、いいっ!😙
夏☀️にはやられました😣
私は肌が弱くて不調が全部肌に出るタイプです。
あまりに暑くて持病のアトピーが悪化しました。
去年はよりもひどいのは更年期症状が進んだせいでしょうか。
これはイカンと思って、休日にはランニング🏃♂️をすることにしました。
代謝を上げて体質を改善せねば。
朝起きて朝食前に40分ほど。
2〜3kmの軽い運動です。
始めてみるとこれが気分最高で、『もっと早く始めれば良かった』と後悔するほど。
1、2、1、2🏃♂️
はっ、はっ、はっ、はっ💨
ブルン、ブルン、ブルン、ブルン、
あれ…?ちょっとお肉が…
お肉が揺れる
そうだ、こんな時にはあの曲だ。
ZARDの名曲アレンジ。
揺れる〜お肉〜♪
か・ら・だじゅう感じて〜♪
ホントだよ、まったく
いつの間にくっ付いたんかな。
てな独り言を呟きつつ今朝もランニング終了☑️
もちっと行けるかな?と思うところでやめるようにしています。ずっと続けたいから。
。。。。。。。。。
哲学だ、歴史だと、色々な理屈も外せないんだけど…
やっぱり大事なのは茶道でも体だよね。
体から生み出される動きの美しさなんだよね。
。。。。。。。。。
と宗嘉先生と話しています。
🟦合気道を究めるようになったら『茶道は武道の一つだ』とよく思うよ。
単に右から左へとお道具を移動させてるんじゃない。
気の流れを感じ取って動きを沿わせているんだよ。
私は合気道の経験はありませんが、仰っていることが何となく理解できます。
最近、私は着付けの難しさを改めて感じ始めました。
着付けを通して
『気✖️体の関係』
を思い知らされたのです。
同じ着物を着ているのに、明らかに着心地が変わってきました。
着物は体に少しずつ布を重ねていきますので、下地が大事なのであります。
『あれ?太った?』
と焦って体重計に乗ると、むしろ体重は減っています。
。。。。。。。。。。
🟦体重が変わらないからと言って安心していると危ないよ。体型と体質は着実に変化しているんだ。
🔴そうですね。ここが正念場ですね。
🟦いやいや、そんなに甘くないよ。正念場はこの先もずっと続くんだよ。
これを機会に自分の思考の全てをガラリと変えるしかないね。
それが出来る人だけが、成功を収められるんだ。
。。。。。。。。。。。
これが能楽者・世阿弥の言う『花』かと思いました。
世阿弥は、父・観阿弥の晩年の舞を見て
『老いた木にも花は残る』
と考えたようです。
むしろ、
『最後の花を残すためにそれまでの人生があった』
と感じたほど、父の舞は趣深いものであったそうです。
これを感じ取った世阿弥も素晴らしいし、
感じ取らせた観阿弥も素晴らしいと思いました。
最後まで『親』の地位から降りない観阿弥の覚悟を感じます。
ところで舞が素晴らしいといっても、体の変化は誰にでも訪れるものであります。
舞の出来としては、35歳前後が最高潮であると言われています。
盛りを過ぎるのはやはり悲しいものです。
しかしだからこそ、
ここで意識を変えて次の花を咲かせよ、と世阿弥も説いています。
一般人である私たちも同じ気持ちを持ちたいものです。
体型を整える上で私が一番気にしているのが、背中です。
着付けでも前姿より後ろ姿を気にして行っています。
理由としては、
・帯正面(和装の顔)が後ろだから
・後ろ姿(背中とお尻)に年齢が出やすいから
であります。
背中とお尻の見せ方については、歌舞伎役者の坂東玉三郎さんの言葉をいつも反芻しています。
玉三郎さんは、若い娘を演じる時に肩甲骨をクッと寄せて、首を長く見せるようにしていると仰っていました。
その時に、お尻あたりで手をシュッと組んで、何気なく横を向く仕草をしておられました。
力みが無く自然な仕草で、
『かわいい❤️』
とつい声をかけたくなります。
私が真似しようとするとグギッ⚡️ゴギッ⚡️と肩が鳴ってぎこちなくなるのでした。
しかし、わざわざこの仕草に言及する玉三郎さんもまた、訓練なしでは表現できないようでした。
体型の変化を受けて、ただいま着付け技術を大きく見直しています。
見直し途中で流動的ですが、自分との対話は誠に楽しいものです。
皆さまに紹介できるまでに技術が固まりましたら、お知らせしたいと思います😊🤲
●NHK歴史探偵『三好長慶と松永久秀』
9月の利休座学講座で三好長慶と松永久秀について取り上げました。
ちょうどNHKの番組で、この両者についての放送があるのでお知らせいたします。
。。。。。。。。。。
NHK歴史探偵
10/8火 夜11:50〜午前0:35
『三好長慶と松永久秀』
https://www.nhk.jp/p/rekishi-tantei/ts/VR22V15XWL/episode/te/G9NQ62VWKQ/
。。。。。。。。。。
軽いと言えば軽い番組ですけれども、人物のエピソードを一つでも二つでも知ることが出来れば歴史を身近に感じられます。
テレビの話をすると宗嘉先生からいや〜な顔😕をされます。
しかし大事な情報収集ツールの一つであることは間違いないでしょう。
昨年の大河ドラマ《どうする家康》も夢中で見ていました。
宗嘉先生からは
『ドラマは演出が多い。あれが本当の歴史だと思ってもらっては困る』
と苦言を呈されました。
でも大好きなドラマだったので
『良いじゃないですか!せっかく喜んで見てるのに!』
とつい言い返してしまいました。
大河ドラマでは今をときめくイケメン&イケジョが沢山出演するので、眺めているだけでもやっぱり楽しいのでした。また、時代考証もしっかりされているはずなので服装チェックも楽しいポイントです。
人間はストーリーを必要とする生き物だと思います。
子どもは絵本や創作童話、昔話が大好きです。
大人だって古代からの劇場が遺跡として沢山残っているところを見ると、虚構だと分かっていても涙したり恋したりすることをやめられないのだと思います。
確かにドラマの演出が大袈裟であることは否めませんが、歴史上の人物の名前を知るだけでも見る意味があると思っています。
(ああ、前回の大河で〇〇さんが演じていたな)という記憶があるだけで知り合いのような気持ちになります。
『あれはまったく抜け目のないずるい男だったよ…』とか、
『しかしあの時代であったら仕方ないだろう…』とか、
自分の感情と共に記憶に刻まれていきます。
アニメやゲームで歴史に詳しくなる人も多いようです。
ご本人が楽しめればどんな方法でも良いように思います。
自分が生まれて育った国の歴史です。
どんな方法でも知らないより知っているに越したことはないでしょう。
私が歴史の知識を身に付けたのも以下の2つ番組を継続的に見ていたからでした。
・ブラタモリ
・英雄たちの選択
《ブラタモリ》は終わってしまいました。
とても残念です。
この番組によって『地政学』なる学問を知りました。
地理が政治や歴史にどのような影響を与えるかを総合的に考察するのが『地政学』です。
地の利を活かした産業がどのように地域で発展していったのか、または意図せず衰退してしまったのか。
その地域で奮闘する人々の暮らしぶりや、時代の流れを敏感に捉える難しさ、なども専門家が紹介していました。
岩石の種類や川の流れ、地殻プレートの動き方、その結果の地盤の歪み方など、地学の詳細な説明も満載で毎回本当に楽しみにしていました。
それらが歴史の知識と重なった時に、知識の層も厚くなるのを感じたのでした。
《英雄たちの選択》も好きで、初回からほぼ欠かさず見ています。その前身とも言える『BS歴史館』も大好きな番組でした。
やはりこれらも地政学を基盤にしていて、様々な専門家(経済・哲学・脳科学・心理学)が独自の切り口で論じていくディベート形式の番組です。
あまりにマニアックな番組なので、最初のうちはついていけず、視聴する前に年表で事前勉強をしていました。
歴史を好きになるきっかけは子どもと一緒に受験勉強をしたことでした。
塾では子ども達に代表的な年号を機械的に覚えさせていました。
私も塾の流れに沿って一緒に覚えました。
・538年 仏教伝来ご参拝
・710年 なんと大きな平城京
・794年 鳴くよ鶯、平安京
などなどです。
●とりあえず覚える
●意味を考えず丸々覚える
当時は150項目ほど丸暗記してました。
この時に丸暗記の大切さを知ったのでした。
大人は社会の仕組みを知っているので、丸暗記しただけでも時代の流れが掴めました。
自然に因果関係が理解できるのでした。
『覚えられないんですよ』
と仰る方もおられます。
それも仕方がないかと思います。
好きでないのなら無理することもないでしょう。
大人の勉強に無理は禁物。
今更ガツガツ勉強するのも優雅さに欠けるというものです。
ただ稀に『過去の人々よりも現代人の方が優れている』と思い込んでおられる方がいらっしゃいます。
そのような考えは改めることをお勧めします。
また『昔は良かった』とか、過去の世の中をユートピアのように感じておられる方もいらっしゃいます。
そんなことはなく過去は過去で、非常に厳しい世の中です。
では、過ぎてしまった過去をなぜ学ぶのかと言われると、自分の人生だけでは短か過ぎて賢くなれないからです。
過去の世の中、過去の人々を知ることで、価値観の幅が広がるからです。
確かに追体験は、実体験には及びません。
でも見えないものを見ようと努力することで想像力が増してきます。
過去の人々も、成功して名を成した人物は、みな過去から学んでいます。
多少脚色したストーリーを追いながら…。
御堂関白記、平家物語、大鏡、今鏡、水鏡、増鏡、吾妻鏡、風姿花伝、五輪書などなど…
もしかしたら未来を視る力は、神様の気紛れで先天的に与えられるものだけではなく、自ら力を得ようと努めることで強くなるのかも知れないと思うのでした。
●着物の衣替え
あと数日で10月。
暑さが落ち着き、ようやく秋の気配を感じられるようになりました。
罰ゲームのように暑い日々。
困惑するのが着物の衣替えです。
今までの通説が意味を為さなくなりました。
衣替えについてよく質問を受けるのすが『気候も気候ですから、ご自身の感覚でお選びください』と申し上げています。
しかし皆さま少々不安そうなお顔をなさいます。
着物にはしきたりが多いため無理もありません。
私も大手着つけ教室で『9月からは単衣』と習いました。
今は概念も基準も変わっていると思いますが、最初の刷り込みは強烈。
そこから外れることに恐怖心すら抱いてしまいます。
そんな折、ある着付けの先生のブログに力強いメッセージがアップされました。
全文は下記をご覧ください↓
https://ameblo.jp/kimonoschon/entry-12867348196.html
日本文化の本番、京都にて着付け教室を開催されている原先生のブログです。
原先生のことはAmebaで知りました。
豊富な知識と着物業界全体を盛り上げんとする心意気に感銘を受け、日々のブログを拝読しております。
着物業界に長く身を置き、独自のネットワークを作り上げて、度々に座学講座を設けておいでです。
・糸の勉強
・織りの勉強
・流通におけるお金の流れ
・長襦袢の勉強
・小物選びのコツ
などなど…
中には虫眼鏡🔍持参で、織りの構造をじっくり観察する講座もありました。
研究者ですね🤓
ブログを拝見する度に、
『参加したいなぁ〜』と熱視線を送るのですが開催地が京都でありますために断念。
さて、肝心の衣替えにつきまして。
原先生のブログより一部抜粋いたします。
。。。。。。。。。
●9月1日から単衣にする必要なし
●9月上旬は絽
●9月中旬は夏結城・絽縮緬・絽紬など盛夏には向かない長着が理想的
●いきなり変えるのではなく、週単位で少しずつ変える
●帯は9月中は夏帯。気温により後半から変えても可
●暑いなら無理せず絽や紗を着るべし
●紗は、本来は盛夏(8月)のみと言われてきた。ところが着物屋さんが『絽より長く着られます』と言い始め、それが着物ユーザーに定着。
今や9月で紗を着ていても何ら問題もなく社会的に認知された。
●そもそも夏物を生産できるところがなくバリエーションが乏しいのが現実。
季節の変わり目用の着物や帯を持っていないのなら、自分の体調に重点を置いて、無理なく快適に着られる選択をすべし。
。。。。。。。。。。
いかがでしょう。
今まで様々な本やブログをチェックしてきて、これほどまでに説得力のある記述を目にしたのは初めてです。
知識も表現力も素晴らしいと思いました。
着物の産地と流通の中心である京都に居を構えられ、たくさんの業者さんと長きに渡り日々接していくなかで築き上げたご意見と思います。
そしてブログでは、
誰が何を言ったとかではない。
その場その場の判断力を自身で養うべし。
と続きます。
その通りだと思いました。
ただ、判断力を身につけるには、まずはたくさんのご意見を伺う必要があります。
これからも色々な方のブログやインスタをチェックしていこうと思います。
有効な記事を見つけましたら、また紹介させていただきます😊🤲
●実りの秋茶会と自己ブランド化
9月の第4日曜日
よし庵にて実りの秋茶会が開かれました。
この日も気温は31℃。
湿気もたっぷりで、湘南は朝からむぅ〜っとした空気に包まれておりました。
無理なく薄物をお召しくださいとお伝えし、私自身も絽を纏いました。
定刻には皆さま爽やかな笑顔でお集まりくださいました。
様々なお色のお召し物。
薄物でありながら初秋を思わせるお色味…
さすがであります😉⭐️
カジュアルな茶会ですので、ざっくばらんに様々な話題で盛り上がりました😆😊😄
途中でふと
『あー!大人って楽しい!』
という話になり、
。。。。。。。。。
・本当に楽しい
・大人がこんなに楽しいなんて20代の頃には想像もしなかった
・若い頃よりも今の方が精神的に自由
・むしろ今の方が夢がある
・現実が見えてきたから無駄な緊張がなくなった
。。。。。。。。。
と虹色のシャボン玉のように次々と言葉が弾けました。
なんだろう…
なんで今の方がこんなに楽しいんだろう…
あ!おしゃれだ!
年齢を重ねた大人のおしゃれを私たちは知ったからだ!
着物のおかげで。
と、私の中で答えが出たのでした。
画家のバルデュスは
『日本人女性の身体は着物が似合うように出来ている』
と断言し、節子夫人にはスイスでも着物の装いを求めたそうです。
骨格の作りや、筋肉の付き方、動き方が日本人に合っていると画家はプロの目で分析していたのでした。
合っているものに出会えるか、出会えないかで人生の味わいが変わってしまう。
出会えた私たちは幸運だと思いました。
そんなことを思いながら帰宅後にYouTubeで動画を眺めていたところ、
『プラダを着た悪魔』
がピョコッと出て来ました。
ああ、見た見た。
アン・ハサウェイ可愛いかったなぁ。
2006年か。
もう18年も前か。
懐かしくなって紹介動画をいくつか眺めていました。
すると、公開当時とは自分の目線が全く異なることに気付いたのでした。
公開当時は私は30代前半。
精神的に20代を引き摺っていて、アン・ハサウェイ演じるアンドレアに共感しました。
(いじめられて可哀想)
メリル・ストリープ演じるミランダには興味も持てず、『ひどいわぁ』とアンドレアに同情していました。
それが、アラフィフになるとガラリと変わってミランダの視線になりました。
確かにデビルかもしれない。
けれどもどうだろう…
このカッコ良さ!
アンドレアが面倒見の良い先輩ナイジェルに泣きつくシーン。
ナイジェルはアンドレアを突き放します。
『目を覚ませ、サイズ6ちゃん。彼女は自分の仕事をしているだけだ』
30代前半にはその真意が分かりませんでした。
ミランダの仕事とは…
美を生み出すこと。
独りよがりの美ではなく
確実に売れる美を生み出すこと。
つまり雇用を生み出すこと。
利益を出して社員のお給料をきちんと支払うこと。
彼女がGoサインを出せば、売り上げを待つ前に何億という金が先に動いて、一斉に生産ラインがスタートする。
失敗は許されない。
その重みが分かるかい?
ナイジェルの台詞が、今の私にはこのように響きます。
年齢を重ねた女性の持つ美しさと品格。
コートとバッグをぼーんとデスクに投げるのは例外です。あれは良くないです。
ファッションを愛する人のすることではない。
それでもつい惹かれてしまうのが最初の登場シーン。
ミランダが来るとなると、和やかな雰囲気が一変して戦闘モードに。
ドタバタとスタッフが緊張してデスクを片付けたり、ヒールの靴に履き替えたり。
大変だ、大変だ💦
だけど、もしミランダがいなかったら?
ダラダラと時間の区切りがなくなり、スタッフの服装はダサくなり、誰も憧れなくなり、売り上げも急降下。
どの業界も社員のブランド化に社運が掛かっているのかもしれません。
つまり、ミランダは守護神。
憤怒の明王と言えます。
明王はたいてい炎を背に怒っている。
怠けないように怒っている。
そんな風に思いました。
そしてもう一つ。
20代や30代の先頭に立ってリーダーであり続ける難しさも、今の私には理解できます。
20代・30代(40代前半も?)は、アラフィフから見ると視野が狭く感じられます。
その年代、その年代に特徴があって成長段階がありますから、それで良いのです。
でも、それこそ50代になったら全体の利益・不利益に考えが及ばないと仕事で成功することは出来ません。
それを言葉ではなく、外見と風格で相手に納得させているのがミランダです。
垣間見れる日々の努力。
若い女性でも疲れるヒールを事もなげに履いています。
徹底した体重の管理と筋肉を落とさないエクササイズがその姿を可能にしています。
本当は足が痛いはず。
疲労もあるはず。
でも微塵も弱みを周囲に感じさせない。
ここが格好良い。
私たちにとってミランダに代わる存在が、着物です。
着物で生活していた時代には、ミランダのようなビシッとした女性が多かったのではないかと想像します。
着物は、重い・暑い・苦しい・難しい・そして美しい。
制約も多いけれど、やはり美しい。
着物自体が美しいので、人間の方が努力して着物に合わせて行動します。
よし庵には
『よっこらしょ・どっこいしょ』
などと声を上げる女性は一人もおられません。
しかし、もし私が着物に出会っていなければどうだろうかと想像しました。
茶道にも出会っていないし、そうなると『どっこらしょ』と声が出ていたかもしれません。
太りやすい体質なので今よりも大きなお尻になっていたかもしれません。
着物を着て毎日正座をするから、嫌でも自分の体重を意識します。
着物と茶道のおかげで自己ブランド化の日々を過ごせています。
『水は低きに流れる』
という諺があります。
楽な方に流れるのは簡単だという意味の諺です。
本当にその通りだろうと思うのです。
ただ、ストイックになり過ぎるのも避けたいところ。
人間性が失われては本来の魅力も半減してしまいます。
そんな時は『お喋り』時間を設けて元気をチャージ!
よし庵ではこれからお茶会の開催日を増設する予定です。
女性の5つのお愉しみを満たすお茶会を目指しています。
・おしゃれ
・おしゃべり
・ランチ
・スイーツ
・抹茶
今回のお茶会も、宗嘉先生のお料理は身体にじんわりと優しく美味しいお献立でした。
。。。。。。。。。
《実りの秋茶会献立》
さわらのしば漬けあん添え
バターナッツかぼちゃのすり流し
ほたての黄身酢がけ
お茶漬け
主菓子:小萩
。。。。。。。。。
残暑厳しき折ではありましたが、味覚から秋を感じたひと時でございました。
今後もより多くの皆さまと愉しい時間を持てましたら誠に幸いに存じます。
12月初旬にクリスマス茶会を開催予定です。
宗嘉先生のクリスマス創作料理をどうぞお楽しみになさってくださいませ🎅🎄
●No.2として生きる
先日の利休座学講座で三好政権に触れました。
。。。。。。。。。。。
三好元長は細川晴元の家臣で、武術にも智略にも富んでいた。
しかしあまりにも優秀なため主君晴元から警戒されて自害に追い込まれた。
。。。。。。。。。。。
このようなことは、いつの時代もどの国でも場所でも起こり得るだろうなぁと思いました。
元長にも晴元にも、それぞれ側近がいますから当人よりも側近達が騒いだのかも知れません。
仕事が出来るからと言ってところ構わず能力を発揮すると、却って失敗を招くという例。
本当に出来る人というのは、その力加減が絶妙だと言います。
秀吉の家臣の黒田官兵衛はそのセンスが抜群だったようで、反抗心のかけらも徹底して見せなかったと聞いたことがあります。
それが秀吉には恐ろしい。
武功を挙げたにしては冷遇されたそうですが、不満の色は出さなかったので潰されることは免れたとのこと。
No.2を自覚しNo.2として生き通した成功例に数えられています。
ではなぜNo.2を自覚することが出来たのか。
No.1の秀吉の才覚に直に触れ、自分との力の差を実感したからではないかと専門家が話していました。
『これは敵わない。嫌われないように振る舞うのが得策』
と。
出来ることを力の限り発揮するよりも、敢えて抑えて控えめに発揮する人の方がはるかに能力が高いと言われています。
先を見据えて力の加減ができる能力です。
では男女の場合にはどうなのでしょう。
私は画家バルデュスの妻の節子さんを思い出しました。
30代の頃に見つけた本
『グラン・シャレの手作り暮らし』
ではバルデュスの妻節子・クロソフスカ・ド・ローラさんが大人女性の美しい姿で豊かな暮らしぶりを紹介していました。
当時画家バルデュスのことは知らず、その後もあまり興味が持てませんでしたが、節子夫人の美しさに引き込まれてしまいました。
写真の中の節子夫人は60代後半と思われます。
なんと美しい60代。
節子夫人は20歳の時に、来日したバルデュスの通訳を務めて見染められたとのこと。
バルデュス54歳。
強烈なアプローチで、まるで連れ去られるようにバルデュスの本国へ渡ったと綴られていました。
バルデュス、映画スターのようなイケメン。
文字には起こせない大変な思いもたくさんされたことだろうと想像しますが、節子夫人は献身的にバルデュスを支え続けたと言われています。
そしてご自身も画家・随筆家などのアーティストとして活動されています。
音楽家の坂本龍一氏が、節子夫人に感服されていました。
節子夫人は西洋の並み居る美女に全く引けを取らず、堂々たる存在感だったとのこと。
美女たちがサッと道を空けたところに節子夫人がたおやかな笑顔を湛えておられたそうです。
『節子夫人を一目見てバルデュスという男を信用した』
と綴っていました。
その感想を読んだ時に、もしかしたら戦国時代の奥方もそのような役割を果たしていたのではないかなと感じました。
戦国時代、主人は戦に出て城を留守にすることが数多くありました。
私にはいつもこれが不思議で『では一体だれが居城を守っていたのだろうか?』と思っていました。
下剋上が当たり前の時代。
『鬼の居ぬ間に…』
と狙うのが自然な流れです。
本当に家臣が命を賭して城を守るのだろうかと思っていました。
もしかしたら能力ある奥方が上手に仕切って守っていたのではないか、と。
。。。。。。。。。
🟦そう、その通り。
美しく能力ある奥方を守るために家臣が一所懸命に働いた。認めてもらいたいから。
🔴実際に守っていたのは、家臣だけれども、奥方がそのキーパーソンだったと。
🟦そう。そういう意味でも誰を正室に迎えるかがお家に大事だった。
🔴素晴らしいNo.2ですね。
。。。。。。。。。
仕事を支えるというだけでなく、基盤を守り次なるチャレンジへと奮起させる力。
それも、嫌々させるのではなく喜んでやる気にさせるソフトパワーの源泉となる。
No.2として生きる奥深さに思いを馳せた座学講座でした。