講師(宗夜)ブログ
●最近の和装ブラ
インスタで紹介されていた話題の和装ブラを買ってみました。
Veimiaの和装ブラ
着けてみた感想。
とても良いです。
キャッチコピー通り
お胸がぺったんこになります。
このブラにしてから上半身の着付け補正がだいぶ減りました。
今までの私の着付けは補正をしっかり施すタイプでした。
ところが最近の厳しい暑さと、更年期症状の進行とで呼吸時に息苦しさを感じるようになり、補正を見直すことにしました。
『すんなりコンパクトな和装シルエット』は時代の流れでもあるようです。
今の若い世代は洋装時にも目立たないお胸のスタイルをお好みのよう。
世の中変わりました。
私が20代の頃には、盛って寄せて上げてという感じでした。
以前の、盛って寄せて上げての時代には無理やり胸を潰すという発想はありませんでした。
和装の場合にも胸の大きさに合わせて他のところも盛っていきましょうという感覚でした。
そして以前の和装ブラは素材が分厚くてゴワゴワして着心地が悪かったのでした。
この和装ブラはピッタリフィットして動きの邪魔をしません。
皮膚のような素材で着けていることを忘れる感覚でした。
ただ、ちょっと注意点があります。
あまりにフィットし過ぎているため、バストのトップがポチッと浮きます。
写真のようにはいきません。
もしも洋装のアンダーウェアとして身に付ける場合にはお手持ちのパットが必要です。
そしてもう一つの注意点に…
お胸のサイズが小さくなります。
ちょっと悲しいというか…
自分ながらに可哀想というか…
ぺしゃんこに潰されている姿を見ると切ない感じがしてきます。
それでも着付けをするには良い商品だと思いました。
いつか着物茶会で
『和装ブラと補正特集』
をやってみたいと思います😊
●メルヘンを捨てよう
大人になって改めて竹取物語を読んでみると、子どもの頃に憧れていた『かぐや姫』とは印象がだいぶ違うことに驚いております。
子どもの頃はお淑やかで大人しい姫なのかと思っていました。
ところが原文では冷淡で気性の激しい女性に描かれています。
またお話が『死』に触れていることも驚きでした。
五人目の求婚者は『燕の子安貝』を持参するように姫に言われました。
懸命な努力の末、ようやく手にしたのが…燕の糞だったというお話。
掴む時に腰を痛め、実は子安貝ではなく燕の糞とだったと自分の目で見てがっかりして気落ちし、そのまま病気になって亡くなってしまいました。
その後、かぐや姫は帝からも求婚されました。
帝は、お爺さんに官位を授けるからその代わりに姫を説得して入内させよと命じます。
お爺さんは姫にその旨を話して説得しますが
『万が一無理やり入内させたら死んでやります。なんなら本当に死ぬかどうか試してみるが良いでしょう。』
と、啖呵を切ります。
子どもの頃に読んだ、あらすじだけの絵本には『死』に関する記述はなかったように思います。
かぐや姫も月を眺めながら静かに泣いている美しい姫としか描かれていませんでした。
自分が知っていると思っていたお話は随分と脚色されたものでした。
不思議なもので、子どもは『死』に敏感です。
自分もよく子ども時代に母親に訊ねました。
『死ぬとどうなるの?どこに行くの?』
『何にも無くなるのよ』
『何にも無くなるってどういうこと?』
『知らないわよ、私はまだ生きてるんだから。忙しいからあっち行ってて。』
何にも無くなるってなによ。
いま色んなこと感じている自分の心まで無くなってしまうなんて、そんなひどいことがあるか。
そんな風に思っていました。
自分の子からも5〜6才の時に同じ質問を受けました。
どう自分が答えたのか正確な記憶はないけれども、
『何にも無くなるってことはないと思うよ』
と自分の希望を交えて答えたように思います。
理由は分かりませんが、5〜6才から10才くらいまでは死の世界が身近な気がしていました。
親になって改めて自分の子を見ても他所の子を見ても、その年齢の子たちは『死』に対して敏感で、それでいて身近な感じを持っているようでした。
それ以降の年齢になると、もう毎日が忙しくて、親も子もそれどころでは無くなってしまうのでした。
ちょうどその頃、今から15年くらい前に子どもが通う小学校で絵本の読み聞かせボランティア活動をしていました。
かなり真剣なボランティア部で絵本や昔話を定期的に勉強していました。
『工藤さんは残酷な話はどう思う?』
と入会時に聞かれました。
部のリーダーから続けてこのように説明を受けました。
。。。。。。。。。。
昔話には現代には馴染みのない残酷な表現が多々見られます。
これを嫌がる大人が最近になって増えてきました。
表面だけ取り出せば残酷なのですが、全体のお話を味わうとそれも大事な要素なのです。
何より数百年という長い年月を、名もなき人々によって口伝えで紡がれてきたという文化と歴史があります。
現代の感覚だけでは分からない生き物としての強さがそこに存在するのです。
どうか表面だけを見ないで、様々なお話を子どもに届けてあげてほしいのです。
。。。。。。。。。。
素晴らしい教えでありましたが、
絵本や昔話の素晴らしさに疎かった当時の自分には何のことやらよく分からず『はぁ…。はぁ…。』と生返事するばかり。
今になって反省しています。
実際に現場に入ってみれば、リーダーの言葉通りでありました。
昔話には、洋の東西を問わず残酷な表現がたくさんありました。
目をくり抜くぞ、とか
腕を切り落とすぞ、とか
指をちょん切るぞ、とか
子どもたちは一瞬ギョッとするけれども、その表現が過ぎるとケロリとしてお話の続きを喜んで聞いていました。
拘るのは大人でした。
クラスによっては先生からクレームが入りました。
学校との揉め事はNGなので、クラスごとの先生の性格を考慮して本やお話を選ぶようにしていました。
そんなある日
いつもの勉強会でメンバーの一人が絵本を一冊紹介しました。
『ゼラルダと人喰い鬼』
皆んなの前で読んで聞かせて、どう思うか感想を求めました。
ゼラルダという女の子が、ある時人喰い鬼にばったりと出逢います。
ああ大変!と思ったら人喰い鬼はお腹が空きすぎてその場で倒れてしまいました。
ゼラルダはお料理が得意な女の子。
鬼をかわいそうに思ってたくさんのご馳走を作ります。
ゼラルダの作るお料理がとてもおいしかったので鬼は子どもを襲わなくなりました。
そのうちにゼラルダと鬼は結婚して子どもを設け幸せに暮らしました、とさ。
というお話です。
しかし最後の場面で、二人の子どものうちの一人が後ろ手にナイフを隠していたのでした。
しかもそのナイフの先が血塗られていました。
私には強烈な印象に見えて
『ちょっとその本はどうなのでしょう?』
と苦言を呈したのでした。
『わざわざその場面を子どもに見せる必要があるのかしら?』
するとこの本を持ってきた方が
『ここが大事なのよ。人間は実はそう簡単には変わらないんだという大事な意図がここに描かれているの。だから用心しなさいという教えがここにあるの。』
今になって。
五十路を過ぎた今になって、自分が間違っていたことに気づきました。
その方が正しいのでした。
私は心地よいメルヘンの世界にどっぷりと浸っていたのでした。
2〜4才くらいを対象とした絵本に悪い人は描かれません。
くまさん、たぬきさん、きつねさん…。動物はさん付け。
たまにズルい事はしても死ぬだの殺すだのという表現は出てきません。
ところが5〜6才くらいを対象とするものになると、怖い人がたくさん登場します。
それは実際に怖い人が世の中にたくさんいることをお話が子ども達に教えてくれていたからなのです。
『気をつけなさい。世の中は怖いのよ。』
人喰い鬼は、東洋のお話にも西洋のお話にもたくさん登場します。
それは本当に存在するからだったのだと今になって分かりました。
信じたくはありませんが、子どもを虐めて喜ぶ悪趣味な人が実際に存在します。
人口の割合から言えば多くはなく、ほんの数%か、数%未満だろうけれど残念なことに存在するのでした。
最近も子どもを狙った犯罪がまた増えていると聞きます。
昔からそういう人は居るのでした。
割合は少ないから生涯出会わない人のほうが多いけれど、運が悪ければ出会ってしまう。
だから
『現実をちゃんと見てね』
絵本や昔話は生き抜くための大事なメッセージを伝えてくれていたのでした。
これは子どもだけではなく、大人たちへの教育でもあるようです。
こういうお話を読み聞かせながら
『大人がちゃんと守らねば』
という気持ちが芽生えてきます。
そしてもう一つのメッセージ。
『大きくなったら自分で自分を守るのよ。』
子どもが小学校を卒業するあたり、自分もボランティア活動を卒業するあたりになって、部の友人から
『ねぇ、知ってる?最近の桃太郎は鬼を退治しないんだってさ。』
と声をかけられました。
『どゆこと?』
『かわいそうだから許してあげなさいって教育らしいよ。謝っているんだからって。』
胸のあたりがザワザワしました。
それが約15年前のことです。
そうか、こうやって人の思考は知らず知らずの間に路線矯正されていくのか。
世の中は怖い。
鬼はそこここにたくさん居る。
だけどちゃんと良いこともたくさんある。
悪いことや悪い人を見極めるのは、良いことを引き寄せるため。
諸々に気付いた上で、昔話や絵本や古典を知れば、もっと深く文化を好きになれるのでした。
知れば賢くなる。
賢くなれば幸せも見つけられる。
今の時代だけではなくても、過去の時代でも、同じ思いを持つ人と繋がれると幸せは広がります。
●女性のための護身術
武道家の顔も併せ持つ、宗嘉先生が女性のための護身術教室を立ち上げました。
目下、工藤も特訓中です。
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(1)強く手首を掴まれた時の逃げ方
https://www.instagram.com/reel/DPDRs4zAe6K/?igsh=MTR3Z3pucXg1d3Ji
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手首を掴まれてどこかに連れて行かれそうになる状況を想定しました。
片手の場合、両手の場合のどちらも実践しています。
宗嘉先生はいとも簡単に手を解くのですが、これが自分でとなると大変難しいです。
そもそも、男性から思い切り手首を掴まれる状況に遭ったことがなく、工藤の手首は一日で真っ赤に腫れあがりました。
宗嘉先生はすごく手加減しているとのことですので、万が一暴漢に出くわした時には、場合によっては骨まで痛めてしまうかもしれません。
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・体を曲げるな。体幹はまっすぐを保て。
・無理やり外そうとするな。力では負ける。相手の虚をつけ。
・逃げる時に背中を見せるな。応戦の気合いを見せつつ素早く後ろに下がれ。
。。。。。。。。。。。
体が動かない。
体の動きが遅い。
しかし今はこれで精一杯。
ところで、
『どうしてよし庵で護身術?』
というご質問をいただきました。
『時代のニーズに合わせてよし庵も変貌していきます』
とお答えしました。
いま、急激に日本の治安は悪化しています。
犯罪者は増えるのに予算はつかず警察官の数も足りないとのこと。
となると、これからは自分で自分を守り抜く覚悟が必要です。
茶道は武士を中心に興った文化ですので、護身術を取り入れることは私どもには不自然ではありません。
室町時代後期から安土桃山時代にかけて治安が悪く、明日をも知れぬ身を誰もが抱えていたと思えばむしろ自然なことに思われます。
歴史を見ると、日本は数百年ごとに軍縮と軍拡を繰り返していたようです。
軍拡の契機は、いつも海の向こうから来る外敵でした。
『異民族が攻めてくるぞー!』
となると号令が掛かったように一斉に軍拡へと動きます。
古墳時代や奈良時代は外敵に備えて要塞・石垣・山城などを造っていたそうです。
大きな古墳群は瀬戸内海からわざわざ見える位置に造られていたそうで経済力と軍事力の誇示が外交上の目的でした。
奈良時代の白村江(663)の戦いの頃には近畿地方にも九州地方にも石垣や山城などが造られたそうです。
しかし軍備はお金が掛かります。
労力も要ります。
数十年〜数百年も攻めて来る様子がなく、経済活動が活発になれば暮らしの方が大事になり、
『もう来ないでしょう』
と気が緩むのも無理はないかも知れません。
しかしちょうどその合間を縫うように外敵が侵攻してきます。
。。。。。。。。。
●刀伊の入寇
(といのにゅうこう)
・1019年
・大陸から渡ってきた女真族の一派による大規模な海賊行為
。。。。。。。。。
藤原道長が活躍していた時代に起きた侵略行為でした。
日本は894年に遣唐使を廃止。
大陸からの直接の影響は少なくなり、1000年代は仮名などの国風文化が花開いていた時代、
平和な日々が続いていたので徴兵制度も無くなり、大規模な軍事編成や軍事演習がなくなっていた時代だそうです。
そこに突然50艘の賊船が押し寄せ、北九州などで海賊行為を繰り返したとのことでした。
日本を守ったのは道長の甥の藤原隆家。
地元の武士団を率いて見事撃退したと紹介されていました。
現場は放火・誘拐・殺人などの残虐行為で大変な状況だったそうですが、京の朝廷には緊張感が伝わらず武士団にも隆家にも恩賞は十分ではなかったとのこと。
その頃辺りから海を渡ってくる移民が流入し始め、その後のモンゴル帝国の台頭によって更に大規模に大陸から押し出されるようにして日本に流入したと聞きます。
特にモンゴル建国後の移民は凄まじい数だったようで、仮名文化が廃れて日本語の文法も語句もその時期に大きく変化したと言われています。
このような歴史背景を持つ日本。
混迷極める昨今の状況も、過去を知れば連続した流れのひとつに見えてきます。
嫌なものは嫌だと言い
ダメなものはダメだと言う
その気概を持つために、いざという時に自分を守る力を持つことが大切です。
過去の日本人は強かった。
百姓も商人も強かった。
その強さに美しさを感じます。
私たちが追い求めるものがそこにあるように感じるのです。
●プレイバック『竹取物語』
ふらりと入った本屋さんで
『ビギナーズ・クラシックス日本の古典』
というシリーズを見つけました。
今回私が購入したのは竹取物語。
やったなぁ、中学校で。
。。。。。。。。。。
今は昔、竹取の翁といふ者有りけり。
野山にまじりて竹を取りつつ、よろづのことにつかひけり。
名をば讃岐造(さぬきのみやつこ)となむいひける。
。。。。。。。。。。
この序文を暗誦する宿題が出て、私は言えなくて立たされたっけ。
改めて読むと、音が素敵。
学校の先生が暗誦させる気持ちが今ではよく分かります。
。。。。。。。。。。。
名をば讃岐造(さぬきのみやつこ)となむいひける。
。。。。。。。。。。。
この一文の『ば』と『なむ』がたまらない。
どちらも強調の助詞だそうで、無くても意味は通じます。
名を讃岐造といひける。
でもつまらない。
ちっとも面白くない。
名をば讃岐造となむいひける。
やっぱりこうでなくっちゃ。
竹取物語は人が人に話して聞かせるために作られた物語で、音になって初めて輝きを増すのだなぁと思いました。
この本は原文と現代語訳が並んで書かれていて、すぐに理解できるところ、時代背景を詳しく説明してくれているところなどに優れています。
例えば、竹取という職業について。
稲作中心の社会の中では身分の低い職業であるけれども、竹の神秘性は地域の信仰と結びついていることが多く、竹製の祭具作成は誰でもに許された職業ではない。
竹取のお爺さんは神事に係わる仕事をしていたことになる。
暮らしがつましいのに讃岐という姓を持っていること、
名の造(みやつこ)は『宮つ子』の意味があることから、
お爺さんは寺社経営の竹園を管理する最下層の公務員だったと考えられる。
へぇぇー、そうだったんだ。
すごく身近に感じます。
お爺さんの暮らしぶりや風貌まで目に浮かぶようです。
読み進めると、お爺さんがかぐや姫に結婚を促す場面がありました。
お爺さんは、
『自分は老い先短く、いつまでも養い続けるわけにもいかない。いつかは姫に誰かと結婚して欲しいと思っている。』
とかぐや姫に伝えます。
するとかぐや姫は
『どうして結婚せねばならないのですか?』
とストレートに問うてきました。
『姫は地上の人ではないから分からないかもしれないが、そういうものなのだ。』
と解きます。
『お互いによく知りもしないのに安易に結婚したら浮気されるかもしれないし。結婚後に後悔するのは嫌なのです。』
とまたもやハッキリと意思表示をします。
これが当時の時代背景を考えると、超絶ビックリな内容だと説明されていました。
女は男に養われるもの。
飽きられたら浮気をされるもの。
それをじっと耐えるもの。
そういうものでしょ?
という男尊女卑の時代において、真っ向から『私は嫌です』と意思表示できる存在の鮮やかさ。
かぐや姫が人間ではない異界の人だから許される発言で、竹取物語の作者はかぐや姫の口を借りて痛烈なアンチテーゼを提唱していたのかもしれない、と著者は綴っていました。
また、五人の求婚者の身分設定が凄まじく合理的だそうです。
・石作の皇子(いしづくりのみこ)
・庫持の皇子(くらもちのみこ)
・右大臣阿部御主人(うだいじんあべのみうし)
・大納言大伴御行(だいなごんおおとものみゆき)
・中納言石上麻呂足(ちゅうなごんいしのかみのまろたり)
皇子、右大臣、大納言、中納言と階級別に現れるところ
天竺、蓬莱、唐土、日本、宮中と活躍の舞台も遠近の順に設定されているところ
これらの構成が整然としていて、単なる思いつきや気まぐれで発想できるものではないそうです。
な・の・に
竹取物語はいつ・だれが書いたのか分からない。
おそらく平安時代初期であろうとされています。
原本はなく、書き写されて約1200年の時を経て現代に至るといいます。
最古の書写は、安土桃山時代の里村紹巴(さとむらじょうは:連歌師・茶人で千利休の弟子)の筆によるもので1570年ごろものだそうです。
驚きです。
古帛紗で有名な紹巴織の里村紹巴がここに登場しました。
調べると紹巴は国文学の研究に熱心な臨済宗の僧だったそうです。
ただ、紹巴が書き写した時点でも竹取物語が作られてから700年も経っていました。
不思議です。
ロマンです。
こうやって21世紀の自分が昔の物語を読んで心から楽しめていること。
詳細な説明のおかげで1200年も前の人物の気持ちがちゃんと理解できること。
時代ゞゞで物語を繋いでくれた名もなき多くの人の存在があること。
そこに愛を感じます。
2025年
数年ぶりに日本に清々しい秋の季節がやってきました。
秋を味わって
古典で心を豊かに…
日本独自の愛を次世代に繋いでいきたいものです。
●右脳のちから
昨晩はストロベリームーン(皆既月食)でした。
その少し前の夕方に綺麗な月を見に行きました。
日没前に海でジョギング。
何となく海に呼ばれたような気がして出掛けたのでした。
自然に体ごと包まれたくなりました。
その途中で見た富士山の美しいこと。
ちょうど富士山の頂上に朱色の夕陽が被り、火口がキラキラと輝いていました。
少しずつ少しずつ富士山の後ろに沈む夕陽。
富士山は藍鼠色(あいねずいろ:藍色がかった鼠色)に裾野まで浮かび上がります。
優美な曲線に目が奪われました。
譲り合いながら写真に収める人たち。
誰もがとても静かでした。
砂浜に着くと驚くほど沢山の人が涼みに来ていました。
なぜ驚いたかと言うと、すごく静かだったからです。
まさかこれほど多くの人がいるとは思えないほどに静かでした。
多少の話し声とか笑い声とかは聞こえますが誰も騒がない。
この平和な時間を心から味わっているようでした。
私には祈っているように見えました。
富士山を眺め、
海を眺め、
ふと江ノ島を見ると、
まん丸のお月さまが今まさに昇ろうとしていました。
お月さまは夕陽を受けて、うっすらと桜色
西の空には、お日さまと富士山
東の空には、お月さまと江ノ島
砂浜で寛いでいた多くの人も
この奇跡的な共演に気付き
静かにその神秘を見守っていたのでした。
きっと何千年も前の日本人もこの光景に心を奪われたことでしょう。
漁港に向かって走れば、草むらから鈴虫の声
それに合わせて赤とんぼがツツツ…と泳ぐ
小さな子らがキャッキャッと遊び、誰もがその姿を優しく見守っていました。
そうか…
自分の暮らすこの街は、こんなにも美しかったのか…
同じ風景を見ながら、その場に居合わせる誰もが同じ心を共に持っているような気がしました。
見ず知らずの人たちと、言葉も交わさずにこんなに気持ちが繋がるのは初めての経験でした。
温かい気持ちが初秋の海辺に満ちていました。
誓いのような
儀式のような
不思議な体験
これが右脳のちから。

