講師(宗夜)ブログ
●三友之式の会記を書いてみよう
三友之式を終えて会記を書いてみました。
紙はコピー用紙のB4
筆は筆ペン(ペンてるのつみ穂)です。
筆ペンはインクの色が濃く、コピー用紙との相性が良いのが最大のメリットです。
安価でお手入れ不要であることも忙しい現代生活に取り入れやすいポイント。
しかし人工毛であることから、筆ペンならではの難しさもあります。
●天然毛と比べてしなりが強い
●濃淡を出しにくい
●天然毛と比べてしなりが強い
天然毛は断面が不揃いであることで力が分散されますが、人工毛はそうではありません。
しなった後に勢いよく筆が跳ねる傾向がありますので、予め反発を加味して筆を運ぶ必要があります。
●濃淡を出しにくい
これは書き手によって判断の分かれるところです。
言い方を変えれば濃さが一定になりやすいということなので読みやすくなります。
けれども、ひとの手による温かみと筆特有の魅力も薄れます。
筆ペンで濃淡を出すには紙との接地点をわずかに離します。
この微妙な力加減が筆ペンの面白さでもあります。
理屈はともかく書いてみます。
自分の書いたものを他人さまに晒すには、たくさんの下書きが必要です。
ですが一枚ごとに発見がありました。
最初は一字一字の練習。
実際のB4に書いてバランスを見る。
一旦は全て漢字で書いてみる。
それでは印象が固くなりすぎるので平仮名を混じらせる。
書いているうちに字の大きさにばらつきがあることに気付く。
それを修正する。
連綿の具合を整え、隣り合わせた字にバラエティを持たせる。
その上で濃淡をつけて読み手の視線を誘導していく。
これは…
紙面のデザインと言えそうです。
千年前の日本人が、和歌を巻物に書き、写して、文化を繋いでいた頃の美意識と似ています。
当時の日本人が大切にしていたのは巻物全体の調和。
ここまで仕上げるのに工藤は数日を要しました。
七事式を行っていた江戸中期の当時の文化人はその場で仕上げていたのかと思うと身が竦みます。
ですが鍛錬を積み、美意識を磨いていけばその場でどの字を充てれば美しく整うか、紙面全体を見渡せるようになるかもしれません。
これも一期一会。
書道とも違う、茶道独自の書との向き合い方が出来そうです。
何とかしてこれを一つの文化に育ててみたいと思うのでした。
●三友之式
五月の花月会にて三友之式を行いました。
ご参加の皆さまに於かれましては予習に余念なく、流れるような優雅なひと時となりました。
三友之式と言えば、お花。
宗嘉先生もお庭から沢山のお花を抱えてお持ちになり、生徒さんもお花の差し入れをくださり、花台は爽やかな初夏の彩りでいっぱいに。
お先に…
お先に…
次々に華やぐお床。
お着物を纏った女性の後ろ姿。
お花を生けて、ちょっと首を傾げてバランスを見て、立ち去った後にはお花たちが静かにお床に飾られていて。
うっとり…
私たちの乙女心も順々に満たされていくようでした。
茶道に於けるお花の道も、『一期一会』だと感じます。
一人ひとりに与えられた時間は1分程度でしょうか。
花入の形状や窯元を見て、お花の本数・組み合わせ・丈などを瞬時に判断します。
一度入れたものを再び出すことは不躾とされているので、入れてから『ああ…!』と後悔することもしばしば。
しかも皆さまと横一列に並んで、お式が終わるまでずっとお床に飾られているので、上手く生けられなかった日は何となく居心地がよくありません。
(これは次回への課題だわ)
と独りごちるのでした。
お花の後には、炭手前、お香、薄茶三服と続きます。
ビジター会員一名さまと三名の生徒さんはどなたも深く集中されて実り豊かな時間でございました。
●かぐや姫の魅力
先日、竹取物語を読み終えました。
古語と現代語が対に書かれている読みやすい文庫本でした。
前書きに
『全編を読んで初めて竹取物語の良さが発見できます。ぜひ楽しんでほしいです。』
との解説者の願いが収められていました。
本当にその通りでした。
そして私もかぐや姫の不思議な魅了の虜になったのであります。
かぐや姫の不思議な力。
容姿端麗
頭脳明晰
性格キツめ→やや変化か?
正体不明
運を良くする
容姿端麗
匂うような生命力のある美しさではなくて、体温を感じない冷たい感じです。
けれども輝きがあります。
夜でも姫が居れば空間は光で満ちてしまうのだといいます。
本人は自分を美しいとはちっとも思っておらず、自分の容姿に対しても冷たい反応。
『私なんて大して綺麗でもないのに大騒ぎして一体何なのよ』
でもここが魅力であります。
容姿を武器にして人を騙そうとか取りいろうとか、邪な考えがないのです。
冷たいけれども穢れていない。
一切の穢れを許さぬ人間離れした魅力です。
頭脳明晰
かぐや姫は翁に引き取られて3ヶ月で髪上げという成人の儀式をするまでに成長します。
髪上げは初潮の頃(12〜13歳あたり)に行う儀式だそうで、翁は盛大に祝います。
絶世の美女という噂を聞きつけてたくさんの男性が押し寄せますが、最後まで粘ったのが5名の男性でした。
『そのうちの誰かと結婚せよ』
という翁の泣きの願いを上手くかわすために超難題を吹っかけます。
・仏の御石の鉢
・蓬莱の玉の枝
・火鼠の皮衣
・竜の首の玉
・燕の子安貝
それぞれ中国の古い伝説が基になっている空想上の代物。
ご持参くださった方であれば結婚も前向きに考えましょうと言うのでした。
これらの策がパッと頭に浮かぶ切り返しの速さ。
この時代、良家の子女は生まれた時から優秀な乳母に囲まれ、朝な夕な古典・地理・語学・歴史・和歌などの学問を仕込まれたと言います。
それはそれは膨大な量の知識を暗記し、上手く使いこなすところまで学びを積むそうです。
かぐや姫は誰からも教育を受けていないのに、すでに一流の知識を身につけ、和歌を自由に詠む才能にも恵まれていました。
そして大人の男性を手玉に取る駆け引きの巧みさまでも手中に収めていたのです。
人智を遥かに凌ぐ能力を、未だ幼さ残る少女が既に持っている。
ちょっと背筋が寒くなるような…
でも注目せずにいられない不思議な魅力です。
性格キツめ
かぐや姫は常にケンカ腰。
はい、分かりました。と大人しく引き下がる場面は見当たりません。
物語の初めあたり
翁はかぐや姫に『そろそろ結婚を…』と遠慮がちに訴えますが、
『なぜにそんなことをするのですか?』
と食って掛かります。
その後も、求婚者が例の貢ぎ物(全部ニセモノ)を持ってくる度に、
『アレが足りない。コレが足りない』
と難をつけ、嘘を暴き、冷やかに和歌を詠む/あるいは詠まずに無視。
そのかぐや姫が、五人目の求婚者・中納言には少し変化を見せます。
中納言は燕の子安貝を自ら取ろうと落下してしまい、腰を痛めた後に神経衰弱に陥りました。
かぐや姫は珍しく自分からお見舞いの歌を送りました。
中納言はひと時喜びますが、歌を返すと亡くなってしまいます。
。。。。。。。。。
これを聞きてかぐや姫
『少しあはれ』とおぼしけり。
。。。。。。。。。
月のように冷たいかぐや姫に血が通い出した瞬間でした。
自己中の女の子が、人並みの優しさを身に付けつつある。
成長する姿は魅力的です。
正体不明
5名の成人男性を見事に振り、ますます噂が高まって、時の帝までもが興味を持ちました。
女性の使いを遣りますが煙に巻かれ、帝自ら翁邸に赴きます。
翁の全面協力を得て、かぐや姫の姿をしっかり目に焼き付ける帝。
堪え切れずかぐや姫の前に躍り出て、手を掴み、そのまま宮中へ連れ帰ろうとしますと
。。。。。。。。
かぐや姫、きと影になりぬ。
。。。。。。。。
影とは古語では光を指すそうです。
日陰とは日光
月影とは月光。
影の部分を作り出す『光源』を意味するとのことでした。
この場面で、帝も『あっ!』と驚いたし、読者もあっ!と驚きました。
帝が
『頼む。無理強いはしないから、元の姿に戻っておくれ。』
と懇願すると、かぐや姫はもとに戻ったのでした。
読者のドキドキは止まりません。
いったい何者なのか?
運が良くなる
かぐや姫最大の魅力かもしれません。
かぐや姫には運を引き寄せる不思議な力があるのでした。
かぐや姫を引き取ってからというもの、翁は竹取に出掛ける度に、節から黄金が出る不思議な竹を見つけるようになり、瞬く間に大金持ちになりました。
天の使者からかぐや姫を守る際、翁邸を2,000名の武者(土塀に1,000名+屋根に1,000名)で囲んだというのですから一国のお城の並みです。
お金持ちにさせる他にもう一つ。
かぐや姫はひとを若返らせる力を持つようなのです。
物語の初めの方では
『翁年七十に余りぬ』
とありました。
その後二十年くらいをかぐや姫と過ごしたので、最後は90歳頃のはずです。
それが…
『翁、今年は五十ばかりなりけれども…』
と終わりあたりで記されていたのでした。
これを読んで読者はびっくり仰天!
なぜに20歳も若返っているのか?
『月の住人は悩みもなく歳も取らないのだ』
と作中にかぐや姫が述べていました。
かぐや姫の光を毎日のように浴びていた翁もどうやら一年ずつ若返ったらしいのでした。
ですが翁はかぐや姫を失う悲しさに打ちひしがれ、老け込んでしまいました。
結局は実年齢に戻ったようでした。
昇天する直前、最後の最後でかぐや姫は帝に文をしたためます。
。。。。。。。。
いまはとて
天の羽衣
着る折ぞ
君をあはれと
思ひ出でける
天の羽衣(身に纏うと地上の全てを忘れてしまう)を着る今になって初めて、帝をお慕いしている気持ちがしみじみ湧いてきます。
。。。。。。。。
と愛の告白をするのです。
かぐや姫と帝とは、衝撃的な出会いからずっと和歌での文通を続けており、その付き合いは三年に及びました。
成熟した女性の恋心を最後の最後で手に入れたかぐや姫。
しかし書き終わるや否や、御付きの者が羽衣を着せ、かぐや姫は一瞬で月のひとに戻り、振り返りもせずに天に昇るのでした。
残された帝。
文と共に託された不死の薬を、富士山の頂にて文もろとも燃やすよう指示します。
。。。。。。。。
あふことも
涙に浮かぶ
我が身には
死なぬ薬も
何にかはせむ
かぐや姫に二度と会えないのならば、不死の薬も何の役に立とう。
。。。。。。。
素晴らしいエンディング。
叶わぬ恋ではありながら、この清々しさ。
かぐや姫にも帝にも未練がない。
かぐや姫は、翁と媼のためにはオイオイと泣きますが、帝のためには涙を流さないのです。
帝も自分で燃やすのではなく、使者に作法を指示して燃やさせます。
帝自身は政務についているのでしょう。
二人とも子ども染みた行動は取りません。
真の大人です。
本当に心が痛むとき、
または本当に愛しさを覚えるとき、
涙という形を超えた、もっともっと深いところに静かなる感情と感動が湧くように思います。
清らかなる竹取物語。
月の美しさをそのまま映したような。
千年という時を超え、人々が紡いでいった気持ちがとてもよく分かります。
これから先も繋がっていくのだろうなぁと永遠を感じるのでした。
●プチ善人
4月の半ばより、プチ善人になりました。
プチ善人=プチ善いことをする人。
プチ善いこと『海のゴミ拾い』
かねてより体力維持のため、休日の朝に30分ほど海を走っています。
その際にゴミ拾いをすることにしたのです。
きっかけは外国人YouTuber
日本語ペラペラの外国人が久しぶりの帰国にあたり、生鮮市場を訪れていました。
『うわっ、クサッ‼️』
食品を扱う市場なのに、ものすごい悪臭が漂うのだと紹介していました。
『うわー、無理!ものすごい臭い!』
同行した日本人スタッフが悲鳴を上げていました。
市場では生きた動物などをお客の目の前で解体して切り分けをしているそうです。
新鮮さが売りだけれども、誰もゴミを片付けないから臭くて仕方ないのだ、と話を続けていました。
『誰か片付けないの?』
という問いに対し
『片付けてもすぐに汚れるから馬鹿らしくて誰もやらない。』
それは…嫌だなぁ。
誰も問題意識を持たないというあたりが衝撃でした。
日本では『穢れは悪である』という認識がある。
解決されるべき問題として必ず扱われるだろう。
なんて思いながら、いつも通り海に出掛けると…
海が汚い。
ちょっと待って、いつから?
こんなに汚かったっけ?
サイクリングロードの脇にビニール袋の小さな切れ端が散乱。
うわ…、これはひどいな…
自分の街は綺麗であって欲しい。
そう思ってジョギングの終わりにゴミ拾いをすることにしました。
『すぐ汚れるから馬鹿らしくて誰もやらない』
確かにそう考える人は多いかもしれない。
分からなくもない。
だから小さな一区画だけ重点的にやってみよう。
効果が実感できればヤル気も続く。
一番汚いと思われる20mくらいの区画を1年くらいかけて掃除すると心に決めました。
ところが一旦始めると夢中になってしまい、そのあと億劫になってしまいました。
これでは却って良くないと思って、ゴミの数を決めることに。
72個 拾ったら帰る。
●72個
(内訳)
・52個 自分の年齢(通行料)
・10個 今までやらなかったお詫び
・10個 海の神様へのご奉仕
これなら10分くらいで出来るから負担にならない。
まさにプチ善いこと。
効果はいかに?
これが驚くほど効果あり。
自分にしか分からないのですが、毎回やるほど綺麗になっていきました。
一回あたりは50cm四方。
最も汚いところをやっているのでとても分かりやすいのでした。
そしてゴミの切れ端を見て気付いたことがありました。
袋菓子を開ける時の、三角の切れ端が多いのです。
きっと開封時に風に飛ばされたんだな、と思いました。
袋の本体が落ちていたことはほぼありません。
大きなゴミは見当たらず、小さなビニールの切れ端ばかり。
だから数が多くて掃除は大変ではあるけれど…
故意に汚そうとか、
面倒だから置いておこうとか、
そういう気持ちはゴミには表れていないのでした。
小さなゴミの切れ端にさえ、滲み出る日本人らしさ。
日本の良いところは色々あるけれど、このような日本人の気質がまさに宝だなぁ…としみじみ思うのでした。
●問答は大和言葉がよろし
よし庵では問答に大和言葉をお勧めしております。
。。。。。。。。
お美しいお道具の拝見を誠にありがとうございました。
。。。。。。。。
『お美しい』のところを別の大和言葉に変えるならば下記の単語が挙げられそうです。
・麗しい
・艶やかな
・趣のある
・お色味豊かな
その他に何となく浮かぶのは、
『雅やかな・華やかな・鮮やかな・あでやかな』
などですが、侘び茶のお道具には合いそうもないためここには載せませんでした。
・お美しい
・麗しい
・艶やかな
・趣のある
・お色味豊かな
改めて声にしてみると、大和言葉の優しい響きに心が癒されます。
茶室での問答に用いれば、その効果はとても高く、ご亭主のお顔がいつもここでほぐれるのです。
優しい言葉は口周りの筋肉に無理をさせません。
柔らかく動くから、出てくる音も柔らかい。
日本人は大きな声で話さない民族と言われます。
大和言葉と無関係ではないでしょう。
言葉少なで、静か。
それが私たちにとっては自然体。
無理をしないから、いざという時にむしろ力を発揮できる。
逆に、よし庵では避けている形容詞が『熟語』であります。
・結構な
・ご立派な
・貴重な
別に悪いわけではないのだけれど…
禁止するほどではないのだけれど…
大和言葉と比べると耳馴染みがないのは外来語由来だからかな、と思うのでした。
・促音の『っ』
・破裂音の『ぱ』
・拗音の『ょ』
音が硬くて、やや攻撃的な印象。
熟語が取り入れられた時期は、日本文化の転換点と重なります。
日本の鎌倉時代〜室町時代〜安土桃山時代にかけて、大陸や半島からの移住者が非常に多かったとのこと。
大陸での王朝の入れ替わりは、民族の入れ替わりを意味。
日本に逃れた多くの人によって熟語が取り入れられたと言われています。
熟語にはピタッと焦点を合わせる力があります。
大和言葉みたいにぼんやりしていない。
言いたいことを短く言い当てるその力は、政治・経済・法律の部門、国の根幹で大きく活かされていきました。
日本も公家の世から武士の世への遷り変わりの時期。
ルーツが不確かな人が重用されやすい背景がありました。
文化が貴族階級から下の階級に降りて行き裾野が広がったとも言われ、様々な分野で日本が発展した大事な時期でもあります。
古典を読んでみると、平安時代中期(905年)の古今和歌集には熟語は殆ど出てきません。
同時期に作られたといわれる竹取物語にも出てきませんでした。
ですが平家物語(鎌倉時代初期1240年ごろ)には、冒頭から
『祇園精舎・諸行無常・沙羅双樹・盛者必衰』
と熟語がたくさん並んでいます。
徒然草(鎌倉時代後期1330年ごろ)でも熟語を多く目にしました。
現代人の感覚に近いから、読みやすいのも確か。
茶道は武家の文化なので、むしろ熟語の時期に興ったのであります。
けれども…
よし庵としては問答に
まろやかな優しさが欲しい。
まろやか(円やか)は、よし庵が理想とする女性像に近いのであります。
二字熟語、四字熟語、IT用語、AI用語…
外来語は明瞭で正確。
ビジネスシーンに欠かせません。
でも疲れてしまう。
あまりに左脳を刺激し過ぎる。
だからよし庵のお茶室では、
仄かな安らぎを求めて
大和言葉がよろし。





