講師(宗夜)ブログ
●夏と秋の過ごし方
2025年も9月になりました。
暑い暑いと言いつつも時が流れて行きます。
皆さま8月はいかが過ごされましたでしょうか。
8月は確かに暑いですが、私が一番気合いを入れて過ごす月なのです。
8月の過ごし方が充実していれば、生活リズムが9月・10月・11月と続き、12月の年末を迎えた時に『ああ今年もよくやったな』と思えます。
すると、私の場合は安心します。
せっかく生きているんだから自分を好きでいたい。
私にとってはそれが生きる意味です。
漫然と時間を過ごしていた頃には自分のことを好きになれませんでした。
どうしたら良いかなぁ…と考えついたのが一年を3分割してエネルギーの流れを作ることでした。
8月がピークなので9月には翌年の準備を始めます。
。。。。。。。。。。
9〜12月 翌年の目標&事前準備
1〜4月 本準備
5〜8月 実践期
。。。。。。。。。。
年間のスケジュールを頭に描いたら、月間スケジュールも立てます。
1ヶ月内のピークを決めて、そこに向けて鍛錬する感じです。
更には1週間のピークも設定し、頑張る日と休んで良い日を何となく想定します。
予定通りに事が運ばないこともあるから、7割達成できれば御の字。まぁまぁ5割でも良いでしょう、と気持ち大らかに構えていると案外8割9割叶ったりするので、自分との心理戦もこれまた面白い。
スケジュールを立てると心がラクになります。
迷いがなくなります。
私はこの方式を10年くらい続けて充実感があるので性格に合っているみたいです。
『ほんっとに左脳人間だね』
と宗嘉先生から呆れられ、
かつてはママ友からも家族からも面倒くさがられ、
その通りだなぁ…
変わってるんだろうなぁ…
と自分でも思いますけれども…
一歩一歩昇っている実感を得られることが何にも代え難い幸福感なのであります。
『誰もが工藤さんみたいじゃない。成長したいと思わない人も多いんだ。』
そうかも知れない。
幸せの尺度はそれぞれ違うから。
だけど…
『精一杯頑張ったけんど、結局何者にもなれんかった。』
“あんぱん” で見た、のぶちゃんの涙。
かわいそうだと思いました。
のぶちゃんみたいな人は多いと思います。
家族から愛されて評価されて、自分は結構行けると思った。
ところが世の中に出てみると、どうも上手く行かない。
自分が見えなくなってしまう。
頑張っているのに。
自分は本当に生きているのだろうか?
その反面、ここドラマ終盤に来て、誰とも違う輝きを放っているのが松嶋菜々子母。
美貌を武器に三人の夫から愛され、悠々自適に暮らしています。
経済的にも精神的にも自立していて立派なもんだと思いました。
『自分』というものがハッキリとあって、のぶちゃんみたいにメソメソしない。
経済発展めざましい昭和の世になっても安易に着物を手放さず、年を重ねたなりの美しさを保っている。
つまり進化・成長している。
常に自分の殻を破っている。
ここに独自の魅力がある。
単なるドラマなんだけど、ドラマの登場人物を真剣に分析するのはおかしいかもしれないけれど、時代の切り口の一つであることは確か。
脚本家の人間観察眼は鋭いから。
では具体的に何を鍛錬すれば良いのか。
そこに習い事の意義があるように思います。
習い事には勤続期限などなく、自分の意思で生涯続けられます。
職場とも、家庭とも、友人関係とも異なる別次元の空間。
茶道であれば
お稽古日を決めて、
お稽古科目を決めて、
その日に向けて少しずつ準備をして…。
時には準備が間に合わないことも、不十分なことも、頑張ったのに上手く行かないこともあるでしょう。
でも数ヶ月単位で自分を見つめれば進化と成長を感じられるはず。
不思議なもので、一つのことが上手く回ると、全体も上手く回り始めます。
最初は歯車が固いかも知れない。
ギギギギー
ガッタン…
と大きな音が立つかも知れない。
思い通りに行かずにイライラするかも知れない。
でも諦めずに続ければ段々と上手くいくようになります。
ここが面白いわけです。
自分は確かに生きていると思える瞬間なのです。
だからやっぱり私は多くのひとに
『成長したい』
と思って欲しい。
さぁ、9月。
来年の夏に向けて気持ちを切り替えて行きましょう!
●戦後のあんぱん
なんか…最近の『あんぱん』
つまらなくなっちゃったなぁ…
つい思ってしまいます。
『虎に翼』も『ブギウギ』も同じでした。
戦後になったところで、私にはあんまり面白く感じなくなってしまいました。
話の筋が悪いわけではありません。
ただ、目に入る映像に魅力を感じないのでした。
登場人物の服装、髪型、建物、食べ物、住まい方…
『そうかぁ。この頃はこんな感じだったんだなぁ…』
生活を立て直そうとする戦後の人々は必死で、昔を振り返ったり懐かしんだりする余裕などなかったろうと思います。
所得倍増計画とかモーレツ社員とか言われていたあたりでしょうか。
多くの人のひたむきな努力のお陰で今日があるのだから、感謝をしなければと思います。
でも
2025年を生きる者からすると、失われた文化の大きさにも溜息が出るのでした。
のぶの子ども時代を彩った、あの大きな家。
スタジオのセットだけれど、板間の大きな家は素敵でした。
三和土(たたき)があって広間に続いて、
広間の高いところには神棚があって、何かというと手をパンパンと叩いて神様にお願いをする。
ご飯は家族みんなで食べる。
ご飯は玄米か分付き米のよう。
あとはお味噌汁に漬物に焼き魚でしょうか。
きちんと正座をして、
一人一人に箱膳があって、
食べ終わったら箱に戻して台所に持っていく。
台所は三和土(たたき)仕上げの土間。
この土間だけでも広い空間。
女性は手拭いでほっかむりをして家事に勤しむ。
ほっかむりをすれば自然と伏目がちになり、鼻と口がちょこんと覗きます。
黙々と目の前の仕事に集中する姿は、何とも言えない大人女性の色っぽさが滲みます。
現代の解放され過ぎた性表現に比べると、実に健康的で新鮮です。
だけどここ最近のあんぱんでは
7:3分けの嵩の髪型。
パーマネントでクルクルした、のぶの髪型。
ぎこちない洋服。
都内の小さな住まいには神棚は見当たらず。
息せき切って毎日を目まぐるしく送る二人の男女からは、互いへの愛情もあまり感じられず…
喫茶店では小さなテーブルを肩を寄せるようにして無理して数人で囲み、サンドウィッチをポイポイつまんで口に運び、コーヒーにカレーにナポリタン。
あれ?お箸どこ行った?
そしていつか高知の母親を東京に呼び寄せるという。
ということは、あの大きな家を手放すのか…
当時は土地や家の相続規制が非常に厳しかったそうだから無理もないか…
手放した後には土地が平たくされて分譲地になるんだろうなぁ…
こうやって私たちは文化を失っていったんだなぁ…
などと、つい考えを巡らせてしまうのでした。
そう言えば
私が10歳まで住んでいた家の前にも大邸宅がありました。
当時のピアノの先生のお宅でした。
本当に立派なお家でした。
家の周りは高価な大谷石がぐるりと囲んでいました。
門柱から玄関までの飛び石も素敵で、長方形の切石が不規則に並んで続いていました。
20mはあったよう思います。
お庭も広くて運動会ができそうでした。
池には鯉が泳いでいて、
桜や桃や楓の木があって、
蔵もあって。
蔵には手作り味噌の樽とか、梅干しの樽とかがあって。
ある時、そのお家の同い年のお坊っちゃんが蔵に連れていってくれて、『今は味噌が舐め時だ』などと言って手作り味噌をこっそり舐めさせてくれたのでした。
あの大きなお家には、確かに文化がありました。
文化を持つ人物はお金を掛ける時と場所を心得ておられて、お庭やお家はいつもいつも綺麗に保たれていました。
ご近所中が認めるお金持ちで、ここまで差があると嫉妬心はなく、成功者として一目置かれる存在なのでした。
しかし、持ち主のお祖父様が亡くなると手放さざるを得ず、ピアノの先生はその後に狭小地とも言えるマンションに引っ越されました。
高校生くらいになって、分譲地となった土地を目にした時、何とも言えない寂しい気持ちを味わいました。
幼いながらも
『文化ってなんだろう』
と思ったのでした。
慌ただしい暮らしをしていると、文化とか美意識とかに目が行かなくなります。
ところが文化や美意識は、幸せに欠かせないものなのでした。
まぁしかし嘆いても仕方ない。
気付いたところからがスタート。
これから自分が幸せになるための文化と美意識を自分なりに創り上げていけばいい。
幸せで満足感を得た人が、一人また一人と増えれば、それも新しい文化の形になるでしょう。
未来志向の文化施設よし庵。
まだまだ引き出しはありますよー!
どうぞお楽しみに❣️
●朧月夜 着物茶会(7/27日)⑥
お茶会で、皆さまに会記をお渡ししました。
今回は扇子仕立てにしました。
表には宗嘉先生の懐石料理ランチのお献立を記しました↓
朧月夜 着物茶会
・鯛のあられ揚げ
・かぼちゃ饅頭のべっこ揚げ
・翡翠なすと蓴菜のすまし汁
・とうもろこし葛豆腐
・ビーツのすり流しもち麦麺
・椎茸の海老詰め
裏には和歌をしたためました↓
右から順に活字化すると下記の通りとなります。
。。。。。。。。。
和可君は(わがきみは)
千とよにまし万せ(ちとよにましませ)
沙ゞ礼以し乃(さざれいしの)
以者奉とな利て(いわおとなりて)
古気能無数左右(こけのむすそう)
。。。。。。。。。。。
この和歌は私の大好きな
『元永本古今集』
の巻末に納められています。
しかし不思議なことに…
現代語訳をインターネットで探しても全くヒットしないのです。
まるでこの和歌が存在しないが如く。
この和歌はどう見ても『君が代』の素と思われますが、なぜだか見つけられません。
そしてもっと不可思議なことは、字体がバラバラであること。
連綿という文字と文字との繋がりが殆どなく不自然なのです。
後世の人が色々な和歌から一字一字を切り抜いて貼り合わせたのではないかと思われるほどです。
何かの意図を持ってコラージュのように和歌が再構成されたのでしょうか。
一体どんな意図があったのだろう…
後の世の人々に見つけてもらうためにこっそり仕込んでいたのでしょうか?
真意のほどは計り知れませんが、
それにしても何と美しい響き。
色々な心配事が渦巻く世において、私を慰めてくれるのは和歌なのであります。
皆さまの心も、この和歌が癒してくれますように…との願いを込めて稚拙ながら書かせていただきました。
●朧月夜 着物茶会(7/27日)⑤
着付けデモンストレーションの後にウォーキング。
『はい、胸張ってー』
『前かがみにならないでー』
『つま先重心、その後かかと重心』
宗嘉先生の声に合わせて皆んなで張り切って前進します。
宗嘉先生もハイヒールに履き替えて見本をご披露。
『きれい…』
くるり➰
くるり➰
と滑らかなターン。
ウォーキング専用のお教室には、前後8枚の鏡を据えております。
鏡に映る自分を見ると、洋装でのウォーキングの大切さに改めて気付くのでありました。








