講師(宗夜)ブログ
●大人の文章
年齢に合った言葉遣いができる女性は素敵です。
それは文章にも表れます。
敬語の正しい使い方はもちろんのこと、パッと見た時の段落の分け方や、状況に適した単語の選定に知性・人格が滲みます。
お教室の生徒さまとは、ビジネス関係とは違い、もっと気持ちの通ったお付き合いとなります。
しかし友達や家族とも異なります。
。。。。。。。。。。。。。
親しいけれども成熟した大人同士の関係
。。。。。。。。。。。。。
このような表現がしっくり来るでしょう。
お教室でお稽古の後などは親しくお喋りもいたしますが、いざ文章でのやり取りとなると、どなたもがきちんと改まった単語を用いて一歩引いた大人の風格を漂わせます。
生徒さまの知性に触れるたびに
(やっぱりよし庵の生徒さまは最高だな✨)
と密かに誇りに思うのです。
では、お教室でのきちんとした文章とはどういったものでしょうか?
下に例を挙げてみます。
・・・・・・・・・・
○○先生
いつもお世話になります。
明後日のお稽古にて〇〇点前をお願いしたく存じます。
また、今後に向けて幾つかお尋ねしたいことがございます。
・炭手前を希望する際の……
・次回の茶事でのお役の……
・zoomアーカイブで拝見した……
お手隙の際にご回答頂けますと助かります。
どうぞよろしくお願いいたします。
○○○○
・・・・・・・・・・
いかがでしょう?
パッと一目で内容が頭に入ります。
・簡潔
・丁寧
この二つが大人の文章に不可欠な要素です。
このような文章が書ける方は、ビジネスの場においても上手なやり取りをなさることと想像します。
私が普段ビジネスとして関係を結ぶのは、着物の業者さんです。
講師にとって着物は服飾の枠を超えて『備品』です。
定期的なメンテナンスも必要ですし、消耗品ですから時期が来たら買い替えもします。
安価ではないため、自分なりに耐用年数を想定し減価償却した上で管理しています。
買い物の一つ一つがビジネス。
相手を選ぶのも真剣です。
私は文章の拙い業者さんとは取引しないようにしています。
きちんとした文章が書ける能力は仕事をする上で必須のもの。
文章が整っている方は下記の能力も備わっています。
・在庫管理
・納期管理
・入金管理
そんなの仕事で当たり前ではないかと思われるかも知れませんが、出来ていない業者さんが結構おられます。
『機屋(はたや)さんは気難しい人が多くて、こっちだって大変なんですよ!』
と逆ギレされたこともありました。
そのような業者さんは、決まって文章が幼稚でした。
しかし同時に、自分も常に相手から査定されていると感じます。
お金を払う側がいつも強い立場とは限りません。
こちらの対応次第では
『お金はお支払い頂かなくて結構です。申し訳ありませんが、今後ご要望にはお応えいたし兼ねます。』
と業者さんから断られることだってあるかも知れません。
昨今、行き過ぎた消費者保護に注目が集まっています。
『カスハラ』という単語を耳にすることも増えてきました。
または、そこまで拒否されることは無いにしても、
(どうも相手の反応が鈍いな)
と感じる場合には自分に対する評価が低い可能性があります。
顧客を多く抱えている場合には、低評価ですと後回しにされます。
それらは文章の拙さが大いに関係していることと思います。
次に、拙い文章を紹介します。
。。。。。。。。。
こんにちは。質問があります。この前の〇〇で△△がありましたが、意味を教えてください。それから今度のリモートの科目は何ですか?この前聞くのを忘れちゃったので教えてください。
。。。。。。。。
いかがでしょうか。
読みづらいとお分かりいただけると思います。
まず宛名がありません。
とても不躾な印象となります。
改行がなく段落を整えていないため見た目も美しくありません。
大人らしい敬語も用いられていません。
『〜しちゃった』
という言い回しはあまりに幼く、年齢を疑われてしまします。
ご記名もないし、最初から最後まで総崩れの感が否めなせん。
こういった文章を書かれる方が、若い方で茶道初心者であるならば、話は分かります。
しかし案外そうではないのです。
お茶名をお持ちであったり、准教授であったり、年齢的にも十分に大人であったりします。
そのような方から
『わたしー、教授になって教室作りたいんですけどぉー、ここでなれますかぁー?』
と実際にお声を掛けられたことがありました。
七十代の准教授の方でした。
残念です。
お稽古を積む過程で先生からのご指導が受けられなかったのでしょうか。
そのままでは生徒さんを持つことは難しいでしょう。
茶道のお稽古をご希望になる女性は非常に有能です。
高い教育を受け、責任感を持って仕事をなさる方がほとんど。
20代でも、茶道のご経験が無くともかなりきちんとした文章を書かれます。
茶道講師に関わらず、大人女性としての資質は、あらゆる面から測られるものと覚悟していただきたいと思いました。
その覚悟をした女性だけが、大人として輝いていけるのです。
輝いていきましょう!
内側も、外側も。
●口切りの茶事 其のニ
初炭手前で座が温まりつつある頃、茶懐石料理となります。
宗嘉先生の心尽くしのお料理が皆さまの元へと運ばれていきます。
。。。。。。。。。。。
《口切りの茶事 献立》
向附・・まぐろのたたきとろろ
御飯・・菊花飯
汁椀・・合わせ味噌 粟麩 銀杏
椀盛・・海老しんじょ蕪のすり流し
焼物・・鶏肉のしぎ焼き
預け鉢・・香味豆腐
小吸物・・むかご
八寸・・かじまぐろの米粉揚げ / あんずの絹衣
香の物・・沢庵 / きゅうり / 赤かぶ
菓子・・抹茶栗蒸し羊かん
干菓子・・りんごの琥珀糖
*濃茶 松雲の昔*
*薄茶 千木の白*
*。。。。。。。。。。。*
*向附のまぐろは、**品良く小粒に賽の目切り。*
*しっかりと味が漬けられてとろろが添えられ、きざみ海苔でお化粧されていました。*
*菊花飯の美しいこと✨*
*短い秋を惜しむような飯椀。*
*黄金色の花弁が吉祥文様のように黒塗りの椀に映えます。*
*香りよく歯触りもシャキシャキと小気味良く。
*汁椀は合わせ味噌*
*例年は寒さに合わせて白味噌仕立なのですが…*
*今年は気温が高めのため、赤味噌の割合も高い様子。*
*粟麩がもっちりと表面に汁の旨みを纏っております。*
*海老しんじょ蕪のすり流し*
*朱色の海老がちらほらと顔を見せる美しいしんじょ。*
*蕪のすり流しが羽衣のように柔らかくしんじょを包んでいます。*
*椀から放たれる香りと**箸に伝わるもっちりとした感覚。*
*芸術品のような一椀は、見た目通りの美味しさです。*
*鶏肉のしぎ焼き*
*上質なお肉をほんの少し。*
*よし庵のこだわりです。*
*甘辛い味付けに胡麻と七味を散らして。*
*脂の加減も程よく大人女性にピッタリな量と質。*
*香味豆腐でちょっとアクセント。*
*よく冷やされたお豆腐を、香味野菜と共にさっぱりと召し上がっていただきました。*
*小吸物はむかごが入った梅風味。*
*こちらもさっぱりと梅風味。*
*むかごも秋の味。*
*コロコロと可愛い見た目。*
*栄養がギュッと詰まっている女性に嬉しい食材です。*
*八寸の二種は、宗嘉先生のこだわりにより、銘々皿にて供しました。美しい盛り付けを愉しんでいただきたいという心配りによるもの。*
*あんずの絹衣は、まるで真珠貝のよう。*
*その後、香の物・湯斗を経て主菓子*
*抹茶栗蒸し羊羹*
*美術品のような主菓子。*
*浮島の薄いスポンジの上に、深緑色の抹茶羊羹。*
*側面は渋皮煮の大粒の栗の断面。*
*深緑緑→紫掛かった茶色→黄金色*
*と、大木の年輪のようなグラデーションを見事に表現。*
*大きな栗はこっくりと豊かな甘味を持ちます。*
*干菓子はりんごの琥珀糖*
*爽やかなりんご風味。*
*賽の目に切ったりんごを琥珀糖に閉じ込めました。*
*海に囲まれ、山険しく、川に恵まれた美し国の味わい。*
*たっぷりと味わって…*
*この後の続き薄茶へと向かいます。*
*生徒さんによる続き薄茶のお点前は誠に見事で、熱心な日頃のお稽古が花を咲かせたようでした。*
*人前でお点前をすることで、技や風格などの全てが磨かれていくようです。*
*人の目に触れるということは、とても大切なのだなと思います。*
*お役目を引き受けてくださってありがたいです。*
一刻一刻を愛でる喜び
友と茶を分かち合える幸せ
季節の移ろいに身を委ねる心地よさ
『和』の道を堪能したお茶事でございました。
●口切りの茶事 其の一
霜月の最終日曜日
よし庵にて令和6年の口切りの茶事が催されました。
茶壺のお茶に、本年の収穫の感謝を表し、来年の豊作への祈りを捧げるお茶事です。
平和であるからこそ持つことのできる特別な時間。
ご参加くださったお客様は、ほぼ社中の生徒さんです。
皆さま一年前からご予約くださり、この日をとても楽しみにお待ちいただいておりました。
お正客から
『どうぞお茶壺の拝見を』
とのご所望を受け、亭主が床に向かいます。
網を外して口緒も取ります。
口緒をぐるりと反時計回りに取るさまは、まるで時を巻き戻しているかのよう。
いにしへの茶事に想いを馳せます。
亭主は一度水屋に戻り、『お茶壺日記』を持ち出します。
お茶壺日記には茶壺に収められたお茶名が記されています。
・濃茶三種
・薄茶一種(詰茶)
日記を貼り付けている板は、茶壺を守っていた木箱の蓋。
この蓋に毎年貼り足して貼り足して重ねていきます。
年々お教室の歴史を刻む大事な板となっていくことでしょう。
その後に亭主は葉茶上戸を持ち出し、封印を確かめてから、小刀で封を切っていきます。
しっかりと封をされているためか、合口は固い様子。
2巡目でようやく口が開きました。
蓋を外すとふぅわりと葉の瑞々しい香りが広がりました。
『いずれの茶を差し上げましょうか?』
との亭主の問いに
『では大宗匠お好みの、松雲の昔を』
とお正客がお答えになりました。
作法に則って濃茶の袋を取り出し、詰茶と共に挽屋に入れて、再び封をして亭主の印を押し、壺を拝見に出します。
宗嘉先生の美しい手捌きと、一年に一度しか目にしない茶道具や作法を、皆さまは真剣にご覧になられていました。
この後に、初炭手前・懐石料理・続き薄茶、となります。
お茶壺の拝見が、心躍るお茶事の幕開けとなりました😊🏺🍃
●富士山🗻雪化粧
今朝も走ってきました。
知らぬ間に富士山が綺麗に雪化粧されていました。
先日の冷え込みですっかり冬の装いに様変わりしていたのでした。
走るようになって1ヶ月。
からだ中の細胞が目覚めてきたようです。
心肺も皮膚も臓器も刺激を受けて少しずつ強くなっている感覚。
『ああ、生きてるなぁ』
とただ単純に嬉しい気持ちがします。
ジョギングの前後にJ-POPを聴くようになりました。
耳を馴染ませて、走っている時に体の中でリズムを感じています。
私のお気に入り↓
宇多田ヒカル
藤井風
お二方の年代は違いますが、サウンドに日本人らしさを感じます。
そう言えば坂本龍一さんも、
『どんなに西洋風に作っても、日本人らしいねと言われる』
とおっしゃっておられました。
富士山を見てJ-POPを体に感じるのも良いもんだなぁ…
と秋晴れを堪能しました。
体の深部の筋肉が付いてきたからか、袷の着物の重さに強くなりました。
いつも冬の衣替えに重く感じて難儀していましたが、今年は感じませんでした。
体が資本とは、よく言ったものです。
運動を始めてから食事の量と質も変わりました。
『動くための体』
に意識もシフトするみたいです。
こんな風に色々と変わると、
『一体自分とは何だろうか?』
と思わずにはいられません。
昔、どこかで読んだ本の一節を思い出しました。
。。。。。。。。。。
子が授かり物だなんて思い上がってはいけない。
授かったのではない。
預かっているのだ。
ほんの一時期だけ。
時期が来たら手放すのだ。
子の人生は、子のものだから。
更に言うなら…
自分の体だって心だって厳密にはあなたの所有物ではない。
神様から借りているだけだ。
最後はお返しするのだ。
借りたものは返す。
できるだけ良い状態で返す。
それが心ある者のすることだ。
そのために自分を清め、愛し、慈しむ。
そして最後は
『ありがとう。楽しかったです』
と感謝するのだ。
。。。。。。。。。。。
どこで得た言葉か忘れてしまいました。
でもこのように運動とか美容とか趣味とかに没頭している時、そして自分が良い方向に少しずつ変わっている時に思い出す言葉です。
神様は、どこか遠くにいるのではなくて、常に自分の体の中にいる感じがします。
体に良いことや心に良いことをすると、ご褒美に良い道を示してくれるようです。
さて、日曜日はよし庵で
『口切りの茶事』
みんなでお茶の神様のお迎えです。
体と心が喜ぶ茶事。
皆さまもとても楽しみにしてくださっているご様子。
私たちも楽しみです😊♪
●反り腰だった!
インスタを開くと、なぜか『反り腰』と『股関節の固さ』の動画がよく流れました。
cookieのせいでしょうか?
『反り腰』という状態がどういうものか知らない私は、他人事で
(へぇ、そうですか)と何となく眺めていました。
『股関節の固さ』の方は自分にも当てはまる気がして、動画を時々真似しています。
ところでちょうどその頃に、着付けの際の帯山の高さに悩みを持っていました。
悩みを解決するために『まどか帯止め』を購入し、前述のブログで紹介したように一応の解決は出来ていたのですが…
帯が下がる、そもそもの原因が知りたくて悩んでいたのでした。
身体を観察すると、腰の窪みが大きくなっているように見えました。えぐれているようです。
最初は背中の皮下脂肪が下がったのかと思って、補正を増やしました。
ほぼ2倍にしました。
すると、確かに帯山は高く保てるようになりました。
ところがある日突然腰痛が起こりました。
『補正が合わないのかもしれない』
補正を外して、しげしげと自分の姿を鏡で眺めました。
腰がえぐれている分…
下腹が出ているような…
(( ←こんな感じに
だったらこの下腹を引っ込めて、腰のえぐれを埋めれば良いんじゃないの?
と思って
『下腹よ、引っ込みなさい』
と唱えながらグググと手で押しつつ、下腹に力を入れてみますと…(( ➡️ I I
こんな風にシュ〜ッッと窪みが埋まりました。
『あ!引っ込んだ!』
『うわ、引っ込んだよ!』
思わず声を上げるほど驚きました。ちょっと感動しました。
何ヶ月も悩んでいたのです。
体重を測っても変化ないし。
食べすぎてもいないのに…
しかし、どうやら私は力の入れ方を間違えていたようでした。
私はいつもお尻ばかりに気を取られていました。
お尻が下がると帯が下がるので、いつもいつもお尻に力を入れていたのでした。
お尻と太ももの境目のところに、ぎゅーっと力を入れていました。
でもお腹には無頓着でした。
『放っておいてごめんね』
それからは下腹にも気を使うようにしました。
それにしても…
和服とはこんなにも自分の情報を伝えてくれるのかと、感じ入りました。
サイズが同じだからこそ、小さな違いに気付かせてくれます。
着物との付き合いは、約20年。
時間も手間も掛かるし
『もういやだ!』
と思って何年も着なかった時期もあります。
でもこうやって長く続けていると人と人との繋がりのように
『めんどくさいな』
と思っていたところが突然良く見えたりするんだなと思いました。
哲学を持つ服、着物
これからの付き合いも楽しみです。