講師(宗夜)ブログ

2023-10-06 19:34:00

●社交辞令にひと匙の思いやりを

『社交辞令』

その言葉にあまり良いイメージはないかもしれません。しかし大人の社会では大事な潤滑剤です。

人間は感情の生き物なので、予想外に大きな役割を果たしていると思われます。

 

『そういう挨拶みたいなの、苦手なんだよ、俺』

会社員時代に男性社員がポロリとこぼした本音を今でも覚えています。

聞いた瞬間、(この人成功しないな)と思いました。会社勤めでは何やらよくイベントがあり、飲み会などが催されました。

その翌朝、大抵は電話などで要件の前に、

『どうも昨日はお疲れ様でした。楽しかったですね…』

とか何とか少し話をして

『では、本題ですが…』

と本来の要件に入ります。

どこの組織でもそうでしょう。

この導入が上手い人、そして切り上げ方の上手い人は、仕事もよく出来たように思います。

何も無いのもダメ

長すぎるのもダメ

ちょうど良いところで切り上げて、声の調子を変えて緊張感を出して仕事の話に入ると、こちらの仕事のエンジンも掛かりました。

かの男性社員はカミソリのように切れ味鋭く、仕事そのものはよく出来ました。

非効率なものが大嫌い。

社交辞令的な挨拶をすると、

『………。でさ、』

返答もなく要件に入ります。

同じような性格の得意先からはとても評価が高く、信頼されていました。

得意先には社交的に振る舞っていましたし、仕事自体は早くて正確だからです。

途中まで周囲がびっくりするような出世を遂げた後に、ピタリと駒が止まりました。

部下を使いこなせなかったようでした。

社交辞令は大事なんだな、とその時に思いました。

 

部下をうまく動かせる人は、社交辞令の中にも相手に対する思いやりが含まれていました。

この人のために何とか頑張ろうという気持ちを普段から起こさせるのでした。

仕事には状況の変化により、想定外の事例が頻発します。

天候不順による納期の遅れ

国内外のレート変動による欠品

検品ミスによる在庫切れ

そんな時に、現場から逃げずに解決策を探そうと踏みとどまれるかどうか…。

相手を失望させたくない、何とか役に立ちたいという信頼関係。

結局は人間味なんだなぁと思いました。

 

女性同士の関係において、このような緊迫した状況はありませんが、それでもやはり挨拶や社交辞令は大事だなぁと思います。

 

おはようございます。

お世話になります。

先日はありがとうございました。

などなど…

あっても無くても同じじゃないか、と思うのは幼い考えで、大人にはこのちょっとした一言がとても大事です。知性の表れと言えるでしょう。

 

社交辞令の良いところは相手の事情に深入りしないところ。

そう考えると茶道での問答は本当によく出来ています。

おもてなしに対しての感謝はしますが、根掘り葉掘りは聞きません。

末客がお茶を吸い切るまでの短い時間、声の調子も含めて、会話を文化的に愉しめるかどうか…。

お正客のお人柄が表れる場となりましょう。

 

社交辞令をただの定例文にせず、思いやりを込められるよう努めたいものです。

日常のちょっとした挨拶こそ幸せな気持ちに近づける一歩かもしれません。

2023-10-02 06:49:00

●腰紐の位置

着付けにおいて、腰紐の位置はとても重要です。

この位置により、印象がガラリと変わってしまうからです。

腰紐の位置はその方に合わせてアドバイスしていますが、大きく分けて2種類です。

…………………………………

《腰紐の起点》

★30代くらいの生徒さま:寛骨よりも3㎝上

★50代くらいの生徒さま:寛骨の真上

 

《帯の上線》

★30代くらいの生徒さま:みぞおちより2㎝下

★50代くらいの生徒さま:みぞおちより5㎝下

…………………………………

 

年齢によって変えている理由は、お顔の表情も含め全体のバランスを整えるため。

40代が抜けていますけれど、これは近い方の年代に合わせます。

40代前半なら30代寄り、後半なら50代寄りといった具合です。

腰紐の位置が変わるということは、帯の位置も変わるということになります。

たった3㎝の差なのに、印象の違いは明らかです。

 

帯の位置によって醸し出すオーラが変わります。

30代は着物姿にも若さをを出したい年代。

この帯の位置で出るオーラは『生徒オーラ』です。

20代ほどではないにしろまだ弾ける若さを30代は持っています。

弾けていて良いと思うんです。

大人の文化の入り口に立った年代です。

社会的にも、主戦力として認められてくる年代でしょう。

でもちょっと生意気(かもね💦) 生意気でも良い、それが許される年代だから。

様々なことをどんどん吸収して自分の核となるものをしっかりと作っていってほしいです。

 

50代はグッと落ち着きたい年代。 帯は下気味に締めます。

50代で未だ生意気なままでは困ります。

もうそれは40代で10年かけて卒業したい感じ。

ところが生意気を卒業するのは簡単ではありません。

40代が『不惑』なんてウソウソ👋 大いに惑います。

惑って惑った末に何となく気持ちが落ち着いてくるような感じです。

そんな50代の皆さまには『先生オーラ』を醸し出してほしいと私たちは思っています。

たとえ先生でなくとも、まだ惑っている最中だとしても『先生オーラ』を出して欲しいのです。

おへそを覆うようにしっかりと下気味に帯を締めると、気持ちも引き締まり『先生オーラ』が出てきます。帯の下線が丹田というツボの真上に来るからかもしれません。

 

この下気味に締める帯の位置。

実は少し苦しいんです。

だから無理強いはしておりません。

この位置は体の動きがかなり制限されます。

垂直に立って、垂直に座る所作が出来ないと、動くたびに呼吸が苦しくなります。

苦しいのと引き換えにオーラが上がります。

そして歩き方が綺麗になり貫禄が出てきます。

重心が自然と背中心で取れるようになり、同時に下腹も引き締めることが出来るからだと思われます。

 

 

着物って不思議だなぁと思います。

精神とこんなに強く結びついた衣装があるでしょうか?

少々めんどくさい民族衣装だと思います。

ルールがあるようで無いようなところもあるし。

めんどくさいんだけど、面白い。

ついつい考えちゃう。

ん?なにこの感じ…。

恋⁉️

2023-09-30 22:21:00

●月餅🥮

aw98.JPG

月餅って作れるんだ。

これが最初の私の印象でした。

宗嘉先生の月餅はとても上品。

艶やかな表面の下には、木の実がぎっしりと詰まった餡。甘さも油脂も控えめ。さくさくホロリ。

日本人向けのお味です。黒胡麻の風味も強くないのでお抹茶とよく合います。

先生は月餅の焼き型をいくつかお持ちのようで、お稽古日によって模様が異なっていました。

まるで彫刻を施した工芸品のような美しさ。

ぜひ近くでご覧いただき、味わっていただければ、と思います。

2023-09-30 20:12:00

●らんまんの寿恵ちゃん

寿恵ちゃん…

どうして山桃売っちゃったの?

売って欲しくなかったなぁー。

そんな風に老け込んで欲しくなかったなぁー。

これからなのに、寿恵ちゃん!

最終週だったのも分かるけど。

視聴率も分かるけど。

準主役だったのも分かるけど。

 

『ありがとう、寿恵ちゃん…』と万太郎。

そんな簡単に受け取るんじゃないよ!

プレゼントにしては額が大きすぎるだろう。

とツッコミを入れたくなる。

 

夫に尽くす妻。

美談かも知れないけど、その後に元気を無くした姿を見たら本当につらくなってしまいました。

この時の寿恵ちゃんの年齢設定は55才らしいのですが…。55才、実際はもっと若いし!

 

自分で土地の調査をして渋谷という土地を選んだくらいの女性なのだから、『帝都復興計画』も当然耳に入っているはず。

顧客の多くが政財界の人間ならば、

『これから東京市はインフラ整備をしてもっと発展するんだから今お店売っちゃ駄目だよ!』

と進言したはず。

『私、もういっちょ仕事頑張るわ!万ちゃん!』

と輝く笑顔を向けて欲しかった。私としては。

仕方ないですけどね。ドラマですもんね。

 

ところで茶道家の宗嘉先生はスピリチュアルカウンセラーでもあります。

先生に出会って間もなく鑑定をお願いしました。自分の人生に壁を感じていて、ずっとそれを越せないでいました。

壁を一段と高く感じていたのがその頃でした。

鑑定の途中で、

『子どもに幸せになって欲しいから…』

と言うと、先生に即座に叱責されました。

………………………………………

違うんだよ、工藤さん!

自分の幸せが一番大事なんだよ。

自分の幸せだけをまず考えるんだ!

自分も幸せに出来ないような人間が、どうやって他人を幸せにするんだ。

そもそも幸せの形は人によって違う。

人のため、人のため、と行動すると恩着せがましくなる。それでは誰も幸せにならないよ。

………………………………………

 

本当にその通りだと思います。

ところが『自分の幸せ』というものは案外向き合うのが難しいのです。

だからつい、他人の世話を焼くことに逃げてしまいたくなります。

『自分の幸せ』がハッキリ見えている人は強い。

見えているのは、万太郎の方だったんだな…と思います。

 

『ありがとう。ありがとう。』

と言って、万太郎は遠慮しないで全て受け取ります。

自分の幸せの形がハッキリ見えているから、他人から自分がどう見られるかなんて気にしない。

 

男性と女性は違うから、万太郎の逞しさをそのまま女性の生き方に当てはめることは出来ないけれど…。

自分の幸せの形を清らかに追い求め続けることが出来たら、年齢を超えて輝けるんじゃないかと思います。

それが私にとっての人生のテーマです。

2023-09-25 20:26:00

●長月 正午の茶事

2023-09-24正午の茶事.jpg

9月24日のお昼より

よし庵にて正午の茶事が催されました。

コロナの収束に伴い、お茶事の作法が法定通りに戻りました。

生徒さま達には袖落としをご用意いただき、左の振りに入れ、右の振りにはポケットティッシュをご持参いただきました。

 

『皆さま本日はどうぞよろしくお願いいたします』

『お…お願いいたします…』

だいぶ緊張のご様子。

大丈夫です!私も宗嘉先生も常にどちらかが側におりますから!

ですがその緊張も、お料理が進むと自然にほどけてきました。宗嘉先生のお料理の優しいお味が、皆さまの心に届いたのかも知れません。茶懐石料理では確かに作法は少し複雑なのだけれど、これも『慣れ』が大事なようです。

茶道のお稽古と同じなのですね。

 

茶懐石料理では、ご飯から頂きます。

料亭などの懐石料理ではお汁から頂き、箸先を汁で湿らせてからご飯を頂くのに、何故なのだろうといつも思っていました。

茶懐石料理の席では、ご飯の炊き方に工夫があり、飯器の持ち出し毎にご飯の炊き具合が異なるので、その時間の経過を敏感に味わうためだと聞いたことがあります。

 

ご飯はほのかな甘味を持っています。

最初のご飯は水分が多め。

ややべちゃっとした感触。

でもその柔らかいお米の粒々が、私たちの身体に穏やかに語りかけているのかも知れません。

『さぁ、これからご飯ですよ…』

その声は囁きに似た微かなものなので、もしもお汁から味わってしまうと、出汁の旨味で聞こえなくなってしまうのかもしれません。

美味しいものを食べると、嬉しい。 だけど欲に駆られて食べてしまうと、ある時点から美味しく感じられなくなってしまいます。

それはあまりにも寂しい。

食材にも亭主にも感謝ができなくなってしまう。

だからちょうど良い量を身体が欲しがるように、舌とか食道とか内臓とかに、ちょうど良い強さの刺激を与えて、ちょうど良い量の消化液を分泌できるように計算されているのかも知れない。

そんなことを思いながら、皆さまにお作法をお伝えしておりました。

 

その後、初炭、縁高によるお菓子の持ち出し、腰掛け待合に移動して小休憩、濃茶、後炭、薄茶とお席が進みました。

 

お正客さまは、見事に問答を覚えておられ、つつがなくお茶事が運びました。

お次客さまは、ご入会して半年の生徒さま。

今回が着物デビューの日だそうです!

着付けの腕も、茶道の腕と同じく、確かなものをお持ちで頼もしく感じました。

三客さまは薄茶のご担当をいただきました。

その話は後ほど…。

お詰さまにはベテランの生徒さまにお願いしました。

お皿の拝見や腰掛け待合での作法など、ところどころで助けていただきました。

それからモデル兼カメラマンの太田真弓さま。

陰日向なく活躍していただき本当にありがたかったです。

 

 

さて、薄茶のお席をご担当いただいた生徒さまにつきまして。

皆さまから『完璧でしたね』と称賛のお声が掛かりました。

宗嘉先生も『上手になりましたね』とお声を掛けておられました。

工藤は水屋でのお仕事があり、お茶室に近寄ったり離れたりで、様子を全て伺うことはできなかったのですが、お茶室から流れてくる充実した空気を感じていました。

 

その生徒さまの予行練習を工藤は当月に2度ほど見させていただいておりました。

その時に不思議なことが起きました。

生徒さまに近寄るとオーケストラの音楽が聞こえて来たのです。

明瞭ではなく、ドア一枚隔てたような聞こえ方。

音量が大きいところや音の高いところが、切れ切れに、ややくぐもったような聞こえ方でした。

(チャイコフスキー…?)

チャイコフスキーの交響曲『悲愴』の第2楽章。

生徒さまの気質と同じく、穏やかで滑らかな旋律。私の一番好きな楽章です。

お稽古がひと区切りついたところで、生徒さまにお尋ねしました。

『チャイコフスキーがお好きなんですか?』

『はい、好きです。演奏してました。』

生徒さまは学生時代にオーケストラに所属され、ホルンを演奏されていたのでした。

『悲愴も全部最後まで演奏されていたんですか?』

『ええ、しました。大変でした。』

『うわー、すごい。50分くらいあるのに、あれ全部演奏されていたんですね。でも楽しかったでしょう。』

『楽しかったです!』

そう語る生徒さまの瞳はキラキラと輝かれ、学生時代に戻ったかのようでした。

本当に楽しかったのだろうなぁと思います。

私も一時期オーケストラに憧れました。

クラッシック音楽に詳しいわけではないですが、チャイコフスキーは中学生から大好きでした。

中学生の時にCDが巷に出始めたのです。

レコードは針が曲がると聞こえなくなるから触るな、と両親に言われていたのですがCDでしたら操作は簡単です。

おかげで何度も好きなだけ聴くことができました。

『悲愴』は、ところどころで胸が締め付けられるようなロマンチックな旋律があり、聴くたびに涙が出そうになります。

ホルンは演奏したことは一度もないですが、あれほどの長い管に息を通すのですから、長期間に渡って相当な練習が必要だろうと想像します。

ホルン仕様の身体を作らないといけません。

最初は本体には触らせてもらえず、マウスピースだけでプープーやっていて、そのうちに先輩に横についてもらいながら1曲…1曲…と仕上げていったのではないでしょうか。

最終的にはオーケストラで交響曲まで演奏されて素晴らしいことだと思いました。

演奏中には身が震えるほどの感動を味わったことと存じます。

 

そして先ごろは茶道のお稽古のなかでも、同じような集中力と感動を味わっていただけたのではないかと思いました。

生徒さまは立ち方座り方歩き方から始めました。

お道具を扱う時に指が開く癖がおありでした。

それがどうでしょう。

数年かけて立派なお茶人さまになられました。

ちょっとずつ、ちょっとずつ…。

途中で休んでも良いから、 心に余裕ができたらまたちょっとずつ。

 

田んぼで稲を育てるように。

一年を通じての苦労に感謝して。

ちょっとずつのご飯。

ちょっとずつのお汁。

ちょっとずつ出てくるおかず。

お菓子もちょっと。

抹茶もちょっと。

実はちょっとが一番強い。

そして、ちょっとが美しい。