講師(宗夜)ブログ
●『チャオ!』byブギウギの松永さん
『チャオ!』と挨拶する朝ドラの松永さん。
ダメよ、ダメよ、スズ子ちゃん。
こんな男性に引っ掛かっては。
あー、引っ掛かっちゃったー💦
でも分かるわ。
落ち込んでる時に優しくされるとホロリと来てしまうものねぇ。
しかしその時の恋のパワーで舞台を成功させたわけだから、それはそれで良かったのかも。
恋というものはエネルギーを生み出す、不思議な化学反応だと思います。
芸術と恋とは切っても切れない関係のようです。
音楽家も画家も
『あの子が可愛かった。この子が美しかった。』
と作品を仕上げている。
鑑賞しているこちらの方も
『いい恋してたんだねぇ』
とその気持ちを共に味わう。
そう言えば私が中学生の時にクラッシック音楽に興味を持ったのも恋がキッカケでした。
気になる男の子がクラシック好きでした。
ピアノを習っていたから、小学生の頃から多少は曲を知ってはいたけれど、交響曲などは未知の分野でした。
とにかく長くて当時は辟易しました。
えー、こんなに長いのー😓
でも、ガマンガマン。
いつか楽しくお喋りするために。
恋の道は険しいのだ!
最初に好きになった交響曲が、チャイコフスキーの悲愴でした。
N響の演奏をテレビで見たのでした。
カッコイイ!
第3楽章のカッコ良さが私のハートに刺さりました💘
スターウォーズやインディ・ジョーンズなどの映画音楽と勇ましいところが似ていたのでした。
クラッシック面白いなぁ!
そのうちに、この上なく暗く始まる第1楽章も好きになり、第2も第4も好きになりました。
一つの曲が大好きになると、チャイコフスキーの他の曲も気になるようになり、同時代の他の作曲家も気になるようになりました。
恋の方はさっぱりでしたが、それはそれで良い思い出で、心の柔らかい思春期に芸術に出会えたことは幸運でした。
女優の壇ふみさんが、以前エッセイに寄せていた文章にこのようなものがありました。
『一時期オペラに熱をあげてしまって。好きで好きでたまらなくて仕事が手につかなくなるほどになりました。あれは恋だったと思います。』
オペラに恋?
人ではなくて?
その文章を目にしたのは、20代だったか30代だったか…。
さっぱり意味が分からず。
だけれども、それを語る壇ふみさんのお顔の美しいこと。特にお肌が美しくて驚きました。
今、自分がそのころの壇さんの年齢に差し掛かり、意味が分かるようになりました。
芸術そのものに恋ができることはとても幸せだと思います。
料理研究家は味を追求し
音楽家は音を追求し
画家は色や構図を追求し…
時間を忘れるほど夢中になれることは素敵です。
もしかしたら、恋の相手は他者ではなくて自分なのかもしれません。
自分の魅力を引き出せるのは自分だけだから。
そんな風に自己に向き合える教室にしたいなぁと思います。
●懐紙は多めに持っておきましょう。
懐紙は多めにお持ちになることをお勧めします。
お茶事の時には、必ず皆さまにお伝えしています。お茶事では懐紙をいつも以上に使うのです。
普段のお稽古でも、お稽古以外のお出かけでも懐紙を一冊持っていると何かと便利です。
小皿の代わりにしたり、
お口を拭いたり、
ランチなどの割り勘を包んで幹事に渡したり、
ちょっとした時に実にスマート。
そしてゴミを捨てる時にも…
茶室にゴミ。
嫌ですよね。不快です。
皆さまに不快な思いをさせないように、工藤も宗嘉先生も毎日掃除を念入りにしています。
毎日必ず掃除をし終えてから、皆さまをお迎えしています。
それでも、思わぬところにゴミは落ちています。
皆さまが目にする前に見つけているつもりですけれども、それでも間に合わないこともあり、申し訳ないと思っています。
ですが、もしもゴミを見つけたら…
懐紙に畳んで袂に入れておき、休憩時間に捨てることをお願いしたいと思います。
そのような仕草に皆さまの心の美しさが表れるからなのです。
成熟した大人の女性にしか出来ない仕草です。
そして案外とこのような仕草が人から見られているのです。
こういうことが自然に出来る女性は、ご自身のお家もきっと清潔で美しいだろうと想像されます。
よそのお茶会にお邪魔する際なども、そのような行動ができると素敵です。
ですので、懐紙はいつも少し多めにお持ちになることをおすすめいたします😊🤲
●太陽は地球のお母さん(なのか⁈)
宗嘉先生から茶道を教わるようになってから、自分やお客様やお道具の位置関係に、なにか大きな意味があると思うようになりました。
まるで星の軌道のようだと思いました。
茶道と宇宙の関係性。
奥伝の行之行台子に進んだ時に、その関係性をさらに強く感じました。
火屋香炉を開けたり閉めたり…
風炉の柄杓を置き柄杓にしたり、切り柄杓にしたり…
それまで整然と並んでいたお道具が、意思を持って動き出したような息吹きを感じました。
そしてショックだったのは、それまでの四か伝で学んできたことが全て一旦リセットされてしまったように感じだこと。
『いったい今までのは何だったのー!』
初級科目だって四か伝だって覚えるのは大変だったのに…。
宗嘉先生に訊ねると
『行之行台子は乱れ荘りだからねぇ』
と意味深長なご返答。
よく分からない。
。。。。。。。。
分からないものは分からないまま置いておけ。
そのうちに朧げながら分かる日が来る。
人に訊ねて騒いで分かるものではない。
静かに待つことも精進である。
美徳のひとつである。
。。。。。。。。
そうかもしれない。
自分は幼かったのかもしれない。
そのうちに疑問に思ったことすらも忘れてしまい、日々が過ぎていきました。
私は休日に自然科学系の番組を視聴するのが好きで、先日も視聴していました。
先日は宇宙の回でした。
番組によると、天の川銀河の星々は中心を周回するばかりでなく、かなり自由な動き方をしていることがわかってきたそうです。
10年前に欧州宇宙機関(esa)によって打ち上げられたガイア衛星からの画像を分析した結果、銀河の全貌が明らかになりつつあるというのです。
星のそれぞれが、波打つように銀河を廻っていて、そこには星々による濃淡がありました。
濃いところは星の密集地。
薄いところは過疎地。
星々は上下運動もしているので、まるで海の沖合から岸に向けて波が打つような感じだそうです。
Microsoft edgeのロゴのような感じでした。
そして私たちの住む地球🌏も、太陽☀️と共に太陽系ごと、波に乗って銀河の中央から外側に向けて旅をしているとのことでした。
『太陽移動説』
40年以上前に論文に発表されたそうですが、ガイア衛星と、世界中の長年の研究により、いよいよ現実味を帯びてきたと言っていました。
銀河の直径は5万光年
太陽の位置は中心から約2.6万光年。
太陽が移動⁈
それも太陽系の星々と共に⁈
不思議…。
太陽などの恒星は、銀河の中心部で生まれるそうです。今居る太陽の位置からすると、星としての年齢が若すぎるということで
『どうやら中央から移動してきたようだ…』
という仮説が立てられました。
でもどうやって?
それが長年の疑問でした。
天の川銀河の周りには、幾つかの別の銀河が存在しています。
一番近いのが『いて座矮小銀河』だそうで、その銀河が数億年前に天の川銀河に接触することで、星の上下運動が始まり、波打つような現象が見られるようになったと説明していました。
ドラマ仕立てにするとこんな感じ?
。。。。。。。
いて座矮小銀河🟠
『どけどけどけーい❗️』
天の川銀河💫
『キャーー‼️』
天の川銀河💫
『もー!なんてことするのよ!綺麗にヘアセットしたのに。ここまでくるのに何十億年かかったと思ってるのよ!』
。。。。。。。。
可哀想なことに天の川銀河のヘアセットはもう二度と元に戻らず、乱れっぱなし。
そして、いて座矮小銀河のガスが天の川銀河のガスと混じり合ったことで新しい星々が大量に生まれ、星の濃淡が鮮明になったそう。
その頃には太陽は生まれていたので、太陽も当然影響を受けていると研究者が語っていました。
太陽系もドラマ仕立てにするとこんな感じ?
。。。。。。。。
太陽系の惑星の騒がしい声
太陽☀️『なんや、どないしたん?』
木星🟤『天王星が縦に回ってますねん』
天王星🔵『え?ちゃいます?』
木星🟤『みーんな、ちゃんと横にクルクル回ってんのや。なんでおまはんだけ縦なんよ。』
太陽☀️『ええやんか。縦でも横でも好きなように回ったらよろし。そんなことよりも、みんな!』
太陽☀️手をたたく👋
『これから私ら旅に出るで』
太陽系一同
『ええ〜っ!』
太陽☀️『三男坊(地球🌏)を見てみい。ごっつ生命に溢れとるやん。あれ、守らんと。ココは危のうてしゃーない。さ、行くでー‼️』
。。。。。。。。
みたいな?
その後、星々の波打つ動きに沿うような形で、中央から外側に向けて少しずつ移動したようです。
私にはサーフィンなどで波に乗っているように見えました。
この移動がなければ地球には生命が誕生しなかっただろうという説明がありました。
銀河の中央は質量が高く、超新星爆発が絶えず起こっているそうです。巻き込まれれば星の命がおわってしまうのです。
太陽系の星々は、超新星爆発を間一髪ですり抜けながら現在のところ(比較的安全な過疎地)に居ると言います。
ただ、すり抜けているとは言え、影響は受けており、その度に地球もダメージを被っているそうです。強力な宇宙線のダメージです。
ダメージから自分を守るかのごとく、地球は全球凍結を🥶します。その都度、生命のヒエラルキーが書き換えられました。今は人間がその頂点。
そして面白いのは、この宇宙線から惑星を守るかのように太陽から発せられているのが『太陽風』だそうです。
それまで太陽風は私には悪者のイメージでした。
電子機器の通信を妨げたり、飛行機の航路を変える必要があったり、何だか厄介なものと思っていました。地球は自転しながら磁場を張って太陽風を跳ね除けているとのこと。 でも太陽風は、もっともっと強力な宇宙線から地球を守ってくれているのでした。
この話を聞いて本当にびっくりしました。
まるで太陽に意思があるかのようです。
どうして太陽は一人で旅をせずに惑星を連れていったのでしょう?
太陽風を発して、途中途中で惑星を助けながら。
この世は不思議だらけだなぁ…
と思って行之行台子をすると…
火屋香炉の開けたり閉めたりの動きが、次々に起こる超新星爆発に見えてきました。
スパーク💥
風炉での柄杓の置き&切りの動きからは波を感じます。
結んで✊開いて🖐️の連続の動き
空気はかすかに波打っているはずです。
いま、私が感じ取れるのはここまで。
もう少し人間としての学びが深まったら、また別の理解ができるかもしれません。
私の旅もまだまだ続きそうです。
●火箸の動きに見る文様
火箸の扱い。
美しく流れるような線を描きたいといつも思います。
火箸を尺立てから抜き取り、地板スレスレで尺立てと健水を避けるようにし、胸に寄せて鏡柄杓。
最初は箸先がお道具に当たり、
『チーン🛎️』
といちいち鳴っていました。
厳粛な奥伝のお稽古にて申し訳ないと思いました。
これ…。
この形…。
書道の連綿にも似ていると思いましたが、着物の文様にも似てはいないだろうか?
観世水(かんぜみず)
ではないだろうか?
と思うようになりました。
観世水とは能の流派である観世流の観世太夫が定式文様として使用したことに由来しているとのこと。
渦を巻いた流水文様です。
観世家の人々が水を汲んだ井戸は、常に渦が巻いていて新鮮だったそうです。
湧水だったのでしょうか。
その後、観世水は格調ある古典文様として広く用いられるようになりました。
同朋衆が活躍した時代の文様であるので、影響し合っているように思います。
能、茶道、香道、水墨画、建物、装飾品…。
観阿弥、世阿弥、芸阿弥、相阿弥…。
『阿弥』とは一向宗の門徒に許された称号で、室町時代の将軍に仕えて武士の文化の礎を築いた人々。
観世水のような動きを紙に描けるくらいにきちんと綺麗な形として捉えられていれば、いつかは火箸でも綺麗に描けるようになるのではないかと思いました。
気付きがあれば、美は際限なく繋がって広がっていくのだなぁと思います。
観世水
ポチョンと一雫、水が滴り落ちて、鏡のように平らだった湖が円を描いて波打つ文様。
この文様に私は宇宙を感じます。
宇宙も波で出来ているんじゃないかと最近思っています。
宗嘉先生がしきりに口にする『波動:はどう』。
天文に興味を持って調べると、宇宙は波動だらけです。
観世水は、宇宙をも表しているような気がしています。
流るる水は腐らず
宇宙の星々も常に動いていて留まっていません。
きれいな渦うず、観世水。
このような文様を描いてくれた先人に感謝です。
その文様を火箸を使って空間に描く。
火🔥と水💦
そうか、ここにも風水が…。
深い…
●茶道と書道(仮名小筆)
工藤のもう一つの趣味は書道です。
私の専門は『仮名小筆』
仮名文化に興味を持ったのは通訳ガイドの勉強をしている時でした。
今現在私たちが使っている平仮名は、明治時代に法令によって定められたもので、それまでは沢山の仮名を併用していたとのことでした。
明治33年に『小学校令施行規則』という法の中で、漢字が制限されると共に、仮名も一字一音に定められたのでした。
富国強兵という概念に突き動かされていた当時。
国民の学力の平均値を押し上げていくことが喫緊の課題でした。国が守られてこそ文化が成り立つのですから仕方のないことですが、捨て去られた数々の仮名の気持ちを考えるとなんとも切ないです。
表舞台から降ろされた仮名は『変体仮名:へんたいがな』と呼ばれています。
しかも、ヘンタイって…。
これを言うと大体の人が『プッ💨』っと笑うのでまた切なくなります。
kinky(変態)じゃないです。
transformed(変形した)です。
日本文化を1000年も支えた大事な屋台骨なのに、あんまりじゃないの。かわいそうに。
私の名前は和歌から付けられたのでどうしても気持ちが入ります。
。。。。。。。。。
秋風のたなびく雲の絶え間より
もれいづる月の影のさやけさ
左京大夫顕輔
。。。。。。。。
末尾の『さやけさ』より名付けられました。
和歌や書道には、ずっとどこかで気持ちが引っかかっていました。
でも20代も30代も、何だか気持ちがガツガツしていて、ゆったりと文化の薫りに身を浸すことができないでいました。
40代前半もまだガツガツしていたのですが、
40代後半に差し掛かったところから、
どうしてもどうしても和歌や書に触れたいという気持ちが芽生えてきました。
万葉集や古今和歌集の本を買ってみました。
でも、開いても…。
味気ない…。寂しい…。トキメキがない…。
なんで?
活字印刷だからだ。
若い頃は『覚えてなんぼ』と思っていたので、何とも思わなかったのに。
40代後半の自分は『これじゃあ嫌だ❗️』
と強烈に思うのでした。
仮名で和歌に触れたいと思って『源氏物語絵巻』を購入してみました。
『うわー、ニョロニョロして。これ、どこからどこまでが1字なのよ??』
もう全然分からないので『仮名字典』も買って照らし合わせてみるのだけれど、やっぱりよく分からない。
『これはアレだね。書けるようにならないことには、読めないんだね。』
と思い至り、プロの先生に教えていただくことにしました。
やはり書道も深かった。
深いだろうとは思っていたけれども、本当に深かった。
驚いたのが『1mmという単位の大きさ』でした。
通常の生活で、私たちが一番小さい長さの単位として使うのが1mmです。
書道を始めるまでは1mmはとてつもなく小さいと思っていたのです。
始めてからはその逆。
とてつもなく大きいのでした。
先生からよく言われるのが
『惜しいですね。細い髪の毛1本分左ですね。』
その通りに直すのがまた大変。
吸って吐いての呼吸でも筆先が左右に振られるので、言われていることは分かっていてもなかなか直らない。
しかしよくこれを見極めるなぁ。
先生の目、どうなっているのかなぁ。
そして仮名小筆の場合には、一度動き出したら筆を止めてはいけないという決まりがあります。
連綿(れんめん)という技法で、字と字が繋がっているからです。
これがあのニョロニョロの正体。
あー!これやりたかったのよー!
繋げりゃいいんでしょ?
『あー、適当に繋げないで。よく見てください。こちらは連綿が前の字に寄っていて、逆にこちらは次の字に寄っているでしょう?』
(あ…、ほんとだ💦)
『そして余白がこちらは狭くて、こちらは広いでしょ?』
(あ…、ほんとだ💦)
『ここで筆が止まったみたいですね。ちょっと墨が滲んでるので止まらずに動かしましょうね。』
(あ…、はい💦💦💦)
そうかぁ、こういうのが仮名小筆かぁ。
昔の人ってすごかったんだなぁ。
あれ?でもこの筆を止めてはいけない決まり。
茶道と似てる!
すごく似てる。
これは私には大発見でした。
だから、細川幽斎は茶道も書道も武道も和歌も達人だったんだと思いました。
呼吸を整えて、空間と時間を味方につけて、物と自分との間合いを、身を以て測る。
茶道は科目を自分の体に覚え込ませないと身体が動かない。
書道も和歌を覚えた上で味わう余裕がないと筆が動かない。
そして動き出したら止まってはいけないのは武道とも同じ。
よし庵の生徒さまに元女流剣士の方がいらして、『剣道と似てますか?』とお聞きしたところ
『後に下がってはいけないところが似てます』
と答えてくださいました。
竹刀は長さがあるので、対戦相手とくっついてしまうと戦えない。
だけれども自分から身を引いてはいけない。
気持ちを強く持って相手に身を引かせる。
そのためには『前へ、前へ』という強い気持ちが大事。
そして相手との距離感を正確に見極める感覚が大事。
書道もやっぱり距離感。
筆先と和紙の距離感。
指先に伝わるほんの微かな感触を頼りに線を引く。
そして…
『工藤さん、止まりすぎ』
宗嘉先生からもご指導の声が飛ぶ。
柄杓を釜から上げた時。
滞空時間が長すぎるとのこと。
『確かに合1個分上げるようには言ったけど、そんなに長く留まらないで。茶道は流れが大事なんだから。』
(筆を留め過ぎて和紙に墨が滲むのと似ている)
『あー、あー、広がり過ぎ』
火箸を尺立てから引き抜いて健水を避けて身に寄せる時の軌跡。
『遠心力に負けないで。身体で制御しなきゃ』
(連綿に似ている。和歌集によって傾向が異なるからどんな連綿も引けるようになってこそ制御が可能となる。)
『ところどころで火箸が上下して無駄な動きが多い。すべて一定の高さで。水面を滑るように。』
(これも筆の動きに似ている。和紙に押す力が強ければ太い線となり墨も濃くなる。逆に離せば薄くなり掠れていく。調節できてこそ一定が保てる)
発見は尽きず…
愉しいです。
茶道も、書道も😊