講師(宗夜)ブログ
●茶道と書道(仮名小筆)
工藤のもう一つの趣味は書道です。
私の専門は『仮名小筆』
仮名文化に興味を持ったのは通訳ガイドの勉強をしている時でした。
今現在私たちが使っている平仮名は、明治時代に法令によって定められたもので、それまでは沢山の仮名を併用していたとのことでした。
明治33年に『小学校令施行規則』という法の中で、漢字が制限されると共に、仮名も一字一音に定められたのでした。
富国強兵という概念に突き動かされていた当時。
国民の学力の平均値を押し上げていくことが喫緊の課題でした。国が守られてこそ文化が成り立つのですから仕方のないことですが、捨て去られた数々の仮名の気持ちを考えるとなんとも切ないです。
表舞台から降ろされた仮名は『変体仮名:へんたいがな』と呼ばれています。
しかも、ヘンタイって…。
これを言うと大体の人が『プッ💨』っと笑うのでまた切なくなります。
kinky(変態)じゃないです。
transformed(変形した)です。
日本文化を1000年も支えた大事な屋台骨なのに、あんまりじゃないの。かわいそうに。
私の名前は和歌から付けられたのでどうしても気持ちが入ります。
。。。。。。。。。
秋風のたなびく雲の絶え間より
もれいづる月の影のさやけさ
左京大夫顕輔
。。。。。。。。
末尾の『さやけさ』より名付けられました。
和歌や書道には、ずっとどこかで気持ちが引っかかっていました。
でも20代も30代も、何だか気持ちがガツガツしていて、ゆったりと文化の薫りに身を浸すことができないでいました。
40代前半もまだガツガツしていたのですが、
40代後半に差し掛かったところから、
どうしてもどうしても和歌や書に触れたいという気持ちが芽生えてきました。
万葉集や古今和歌集の本を買ってみました。
でも、開いても…。
味気ない…。寂しい…。トキメキがない…。
なんで?
活字印刷だからだ。
若い頃は『覚えてなんぼ』と思っていたので、何とも思わなかったのに。
40代後半の自分は『これじゃあ嫌だ❗️』
と強烈に思うのでした。
仮名で和歌に触れたいと思って『源氏物語絵巻』を購入してみました。
『うわー、ニョロニョロして。これ、どこからどこまでが1字なのよ??』
もう全然分からないので『仮名字典』も買って照らし合わせてみるのだけれど、やっぱりよく分からない。
『これはアレだね。書けるようにならないことには、読めないんだね。』
と思い至り、プロの先生に教えていただくことにしました。
やはり書道も深かった。
深いだろうとは思っていたけれども、本当に深かった。
驚いたのが『1mmという単位の大きさ』でした。
通常の生活で、私たちが一番小さい長さの単位として使うのが1mmです。
書道を始めるまでは1mmはとてつもなく小さいと思っていたのです。
始めてからはその逆。
とてつもなく大きいのでした。
先生からよく言われるのが
『惜しいですね。細い髪の毛1本分左ですね。』
その通りに直すのがまた大変。
吸って吐いての呼吸でも筆先が左右に振られるので、言われていることは分かっていてもなかなか直らない。
しかしよくこれを見極めるなぁ。
先生の目、どうなっているのかなぁ。
そして仮名小筆の場合には、一度動き出したら筆を止めてはいけないという決まりがあります。
連綿(れんめん)という技法で、字と字が繋がっているからです。
これがあのニョロニョロの正体。
あー!これやりたかったのよー!
繋げりゃいいんでしょ?
『あー、適当に繋げないで。よく見てください。こちらは連綿が前の字に寄っていて、逆にこちらは次の字に寄っているでしょう?』
(あ…、ほんとだ💦)
『そして余白がこちらは狭くて、こちらは広いでしょ?』
(あ…、ほんとだ💦)
『ここで筆が止まったみたいですね。ちょっと墨が滲んでるので止まらずに動かしましょうね。』
(あ…、はい💦💦💦)
そうかぁ、こういうのが仮名小筆かぁ。
昔の人ってすごかったんだなぁ。
あれ?でもこの筆を止めてはいけない決まり。
茶道と似てる!
すごく似てる。
これは私には大発見でした。
だから、細川幽斎は茶道も書道も武道も和歌も達人だったんだと思いました。
呼吸を整えて、空間と時間を味方につけて、物と自分との間合いを、身を以て測る。
茶道は科目を自分の体に覚え込ませないと身体が動かない。
書道も和歌を覚えた上で味わう余裕がないと筆が動かない。
そして動き出したら止まってはいけないのは武道とも同じ。
よし庵の生徒さまに元女流剣士の方がいらして、『剣道と似てますか?』とお聞きしたところ
『後に下がってはいけないところが似てます』
と答えてくださいました。
竹刀は長さがあるので、対戦相手とくっついてしまうと戦えない。
だけれども自分から身を引いてはいけない。
気持ちを強く持って相手に身を引かせる。
そのためには『前へ、前へ』という強い気持ちが大事。
そして相手との距離感を正確に見極める感覚が大事。
書道もやっぱり距離感。
筆先と和紙の距離感。
指先に伝わるほんの微かな感触を頼りに線を引く。
そして…
『工藤さん、止まりすぎ』
宗嘉先生からもご指導の声が飛ぶ。
柄杓を釜から上げた時。
滞空時間が長すぎるとのこと。
『確かに合1個分上げるようには言ったけど、そんなに長く留まらないで。茶道は流れが大事なんだから。』
(筆を留め過ぎて和紙に墨が滲むのと似ている)
『あー、あー、広がり過ぎ』
火箸を尺立てから引き抜いて健水を避けて身に寄せる時の軌跡。
『遠心力に負けないで。身体で制御しなきゃ』
(連綿に似ている。和歌集によって傾向が異なるからどんな連綿も引けるようになってこそ制御が可能となる。)
『ところどころで火箸が上下して無駄な動きが多い。すべて一定の高さで。水面を滑るように。』
(これも筆の動きに似ている。和紙に押す力が強ければ太い線となり墨も濃くなる。逆に離せば薄くなり掠れていく。調節できてこそ一定が保てる)
発見は尽きず…
愉しいです。
茶道も、書道も😊