講師(宗夜)ブログ

2026-03-02 20:57:00

●好きな先生を見つけること

何かを始めるとき、

長く楽しく続ける秘訣は、

好きな先生を見つけること。

ここに尽きると言えそうです。

 

『道』がつくお稽古では生き方が現れますので、好きではない人からの指導は身体が拒否反応を示します。

 

中でも、特に茶道はそう言えるかも知れません。

茶道の指導には大きく三つの段階があります。

①所作

②お点前

③こころ

 

①所作

生きる上でのところどころの作法が所作です。

立つ・座る・歩く

これらの作法を直すとは、

『赤ん坊からもう一度やり直す』

に等しく、未経験者・経験者問わずほとんど全ての人がムカッ💢とした顔をされます。

(私は大人です。子どもではありません。)

それを承知で講師も指導しています。

お茶碗はこう持ちます。(ムカッ💢)

襖はこう開けます。(ムカッ💢)

お菓子はこう食べます。(ムカッ💢)

 

だけど…

周りを見渡せば、ズラリと並んだ見目麗しい先輩方。

(本当だ。先輩たちもご指導通りに行っている。)

 

着物をセンス良く着こなして、

美しいけれども仰々しくなく、

静かで、いかにも賢そう。

 

これが大人の文化力。

認識が改まれば行動も改まるもの。

少しずつ所作が整います。

最初は反発していても、一年ごとに別人のように美しくなられます。

 

②お点前

『覚えた先の自分』を見せてくれる教室かどうか。

覚えることは何にせよ簡単ではなく、時間も労力も掛かります。

それでも『覚えたい』という意欲を教室が持たせてくれるかどうかが大切。

 

覚えたらどんな良いことがあるのか。

自分はどう変わるのか。

それはつまり、先輩方みたいになりたいかどうか。

最終的には先生みたいな人間になりたいかどうか。

 

なりたいと思えたら覚える時間も労力も全て楽しみに変わります。

見るもの触れるものへの愛着も増し、日々が色鮮やかなものに変わってきます。

 

③こころ

お点前を覚えて終わりではないのが茶道のすごいところ。

実は覚えたところからが

『始まり』なのであります。

 

覚えている最中は実に楽しくて、夢中になるときがあります。

『ゾーンに入る』状態が茶道にもあり、スルスルと頭にも身体にも染み込みます。

 

ところが…

人間は忘れる動物でもあります。

何もしなければ苦労して得た技術も廃れます。

(あれ?おかしいな…)

 

忘れたのか、わたしは。

ここに虚しさを覚えます。

絶対なんてものはこの世にはないんだ。

運動によって形状が維持されているだけの話で、運動をやめれば糸が解けるみたいにバラバラになってしまうんだ。

 

では結局

茶道って何だろうか?

 

ここで『こころを整えるお稽古』の登場です。

虚しさ・怒り・悲しみなど、ネガティブな感情にアクセスしないお稽古です。

 

赤ん坊の時

幼児の時

思春期の時

 

全ての感情にフルアクセスの状態でした。

楽しいことも容量いっぱい

悲しいことも容量いっぱい

経験を積むことが大切でした。

人生の前半で人間としての幅が出来ました。

 

でも大人になったら

フルアクセスはおしまい。

人間のストレージには限度があるのです。

 

これからは自分に相応しい感情だけにアクセスするお稽古です。

虚しいことは、あることはあるんだけど、

『私はそこにアクセスしないの』

と心に決めて、設定をOFFにします。

 

OFFにする設定に必要なのが前述の

①所作

②お点前

です。

 

美しい所作と、数々のお点前を覚えているうちに、虚しさが心の中で少しずつ小さくなってきます。

 

無くならなくても良いのです。

アクセスしなければ良いのです。

小さくなってカラカラに乾いた虚しさを見つめて『うん』と思う。

 

否定も肯定もしない。

自分がここにいる実感を楽しむ。

これが『こころのお稽古』

 

 

令和8年も春を迎えました🌸

皆さまがそれぞれに好きな先生を見つけられますように…

2026-02-22 15:59:00

●雅な語り口 ②

問答において、もう一つ大切なのが『柔らかい言葉遣い』です。

 

ここにこそ知性が現れるとよし庵では考えています。

 

茶室での問答は、決まり事だから行っているのではありません。

。。。。。。。。

美味しかったわ。

ありがとう。

。。。。。。。。

言の葉を

玉手箱にそうっと入れて

風呂敷に包んで

お相手に手渡す

 

こころを込めるとはどういう事か

茶道を通じて私たちは日々味わっているのだと思います。

 

作法だからお茶名を聞く、

という気持ちで問答をすると

『お茶名は?』

と、愛想なくそのものズバリを相手に問うてしまいます。

まるでボールを投げつけているような感じで攻撃的に受け取られてしまいます。

これでは輪の中に溶け込めず、仲良く茶の湯を楽しむ雰囲気が作れません。

 

大人になればなるほど、クッションが大切です。

それも、柔らかで品のある美しいクッションが望ましいでしょう。

 

問答の具体例を挙げてみます。

。。。。。。。。。

●香り高く美味しいお茶をありがとうございます。

ただいまのお茶名は?

 

●お湯加減の程よいお茶を美味しく頂戴いたしました。

この度のお茶名は?

 

●お練りのしっかりとした美味しいお茶をありがとうございます。

(間を置いて)お茶名は?

 

●鮮やかな緑色(りょくしょく)のお茶を、目にも美味しくいただきました。

(間を置いて)お茶名は?

 

●つややかなお練りの美味しいお茶をありがとうございました。

(間を置いて)お茶名は?

。。。。。。。。。。

 

お濃茶は上手に練らないと香りも艶も出ませんので、

『ちゃんと受け取りましたよ』

と問答の中で、亭主の誠意に感謝の心を伝えます。

すると点前や作法を超えた温かい空気が茶室全体を満たしてくれるのです。

 

・ただいまのお茶名は?

・この度のお茶名は?

などと、お茶名を聞く前に短い句を入れるのも優雅。

 

または、一呼吸おいてからゆっくりと『お茶名は?』と尋ねます。

 

お道具拝見の所望でもクッションを挟みます。

。。。。。。。。。

●どうぞ、お茶入れ・お茶尺・お仕覆の拝見を。

 

●恐れ入ります。

お茶入れ・お茶尺・お仕覆の拝見を。

。。。。。。。。。

 

どうぞ、とか。

恐れ入ります、とか。

 

このような句を茶室で頻繁に口にするようになると、茶室以外でもするりと口から出るようになり、人間関係が滑らかになります。

 

それまでは咄嗟に出る言葉が

『すいません』一辺倒だったのが、

『恐れ入ります』に変わった時、

相手から自分に向けられる視線が明らかに高くなったことにご自身も気がつくでしょう。

 

年齢を重ねても『オバサン』にならない。

重ねれば重ねるほど魅力の増す

『貴婦人』なのであります。

2026-02-22 15:39:00

●雅な語り口 ①

先日、宗嘉先生が今日庵にて坐忘斎御家元へのお目通りを叶えられました。

 

静かで

ゆったりとした

穏やかな語り口

 

御家元のお声を直接耳にされ、

感銘を受けられたとのことでした。

 

その日以降、宗嘉先生の語り口も佇まいも深みを増されました。

。。。。。。。。。。

その時の出逢いが

人生を根底から

変えることがある

よき出逢いを

(相田みつを)

。。。。。。。。。。

御家を継ぐとはそのような力をも継ぐことなのかも知れません。

 

裏千家門下生の私たちも、師匠の宗嘉先生を通じて御家元の志を知り、自らのなかで深めていくということが人生の目当ての一つになりそうです。

 

静かで

ゆったりとした

穏やかな語り口

 

これを茶道お稽古の問答の中で繰り返し行っていけば、一人一人の佇まいも語り口に引かれるように変わってくるだろう、と宗嘉先生が話されました。

 

しかし、

静かに・ゆったりと・穏やかに…

という抽象的な言葉が並んでも、

イメージがすぐに掴めるものではありません。

ここにお教室ごとの個性が現れ、講師陣の美意識が試されるように感じます。

 

よし庵では、声の出し方のヒントを『仮名の筆遣い』に求めることにしました。

静かに入って

静かに抜ける筆です。

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仮名(和様の書)では

遠くから筆を入れて、遠くに抜けて行くように書きます。

よし庵では声の出し方・話し方もこのように行います。

問答に例えてみます。

。。。。。。。。。。

お練りのほど良い

香り高いお茶を

ありがとうございました。

。。。。。。。。。。

 

●お練りのほど良い

→声を落として・ややゆっくり目

 

●香り高い

→声を少し張って、少しスピードを上げる

 

●お茶を

→上げた分を元に戻す

 

●ありがとう

→また声を少し張って、少しスピードを上げる

 

●ございました

→ 声を落として・ややゆっくり目

最後の『た』でフェイドアウト

茶室の空気に自分の声を馴染ませて溶け込ませるような感じ。

 

 

細かく解説するとこのようになります。

ただ考え過ぎると不自然になりますので…

心を静かにして茶室の空気を感じとり、その空気が清らかに流れるように声を乗せていく

 

そのようなイメージを持っていただければ十分に思います。

 

今週のお稽古で早速実践し、生徒さんの語り口が大きく変わりました。

言葉が変われば細胞も変わる

大人としての目覚めを茶室が教えてくれるように思います。

 

お点前を覚えるだけではない

所作を身につけるだけではない

声と語りの大切さ

茶道の新たな魅力によし庵全体が目覚めたのでした。

2026-02-14 07:18:00

●千年前のラブレター

2026年🐎午年になってから

本腰を入れて和歌と仮名に向き合っています。

きっかけは、本が手に入りにくい現状を知ったことでした。

 

書の勉強には古典のテキストが欠かせません。

数年前から二玄社という書道の出版社の本を集めていました。

最初のうちは気の向いた時に一冊ずつぼちぼちと買っていました。

 

そのうちに仮名の面白さに気付き、数冊まとめて購入するようになりました。

ところが…

たった数年のうちでも、本が減ってきて買いづらくなりました。

新品が出回っていない様子。

もともとの発行部数も少ないようですが、どうやら新規発行が止まったようです。

値段も高くなり中古でさえ貴重な存在になりました。

 

古典文学の本も減ってきました。

 

仮名の勉強を進めるには、古典の学びも必要なため、大学受験用の三省堂の古典参考書も買い進めていたのですが、こちらも手に入れるのに大変苦労しました。

 

昔、中学生のころ…

本屋さんの参考書の棚にズラ〜っと並んでいた三省堂の古典の参考書。

これらを見た時

うわぁ〜。

勉強いやだぁー!

と思ったのですが…

今は同じ棚に漫画がズラ〜っと並んでいます。

漫画が悪いわけではないです。

でも…

何か掛け替えのない、とても大事なものを失ったような、焦りに似た感情が湧いてくるのでした。

 

あの頃は古典が嫌いだったけれど

逃げ回っていたけれど

ずっと同じところに居続けてくれると思っていたのでした。

いつ見てもずっと同じところに居てくれると思って安心していたから嫌がって逃げていたのに…

もう居ないのかぁ…

 

仮名にしろ古典にしろ

かつてはこの国の柱となり光り輝いていた文化が、音も立てずにひっそりと消えようとしている姿に、熟年期を迎えたいまは心が締め付けられる思いです。

 

仮名と古典の素晴らしさ。

ぐるりと一周まわって帰ってきてようやく気付きました。

この出会いを今こそ大切に。

何とか習得していきたい。

そんな気持ちに応えてくれるかのような文言を古今和歌集に見つけました。

 

。。。。。。。。。。

あたらしき

としのはじめに

かくしこそ

ちとせをかねて

たのしきをつめ

 

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(高野切第一種より)

 

新しい年の初めに

このようにして

千年もの未来を先取りして

楽しみを積み重ねるのだ

。。。。。。。。。。

 

ふんわりとした優しい和歌の響き。

 

『たのしきをつめ』

に参ってしまいました💘

 

千年後も、我々の子孫は当然のように楽しんでいるのだ。

私たちはそれを確信していて、先取りして愉しむのだ。

千年後を生きる人々よ。

あなた方も飽かずに愉しみを積むのだよ。

いいね、いいね。

 

まるで千年前からのラブレターのよう。

 

教養とか学びとか価値とか

そういうものとはちょっと違う。

仮名や古典から私が得ているのは

生きる勇気です。

 

見守ってくれているみたい。

肉筆からは確かに過去に存在した、人物の気配が立ち上がります。

宝とは、本当はこういうものかもしれません。

2026-01-19 20:56:00

●視点が近い

先日、宗嘉先生に奥伝のお稽古を見ていただいた時のご指導でいただいたお言葉

。。。。。。。。

視点が近い。

もっと全体をふわぁ〜っと見て。

。。。。。。。。

視点…

その時の自分は、少し考え事をしていました。

集中しようと試みていたものの、何かに気を取られて

(これではいけない)

と自分を律しようとしていたようです。

 

体調が悪いというほど悪くはないけれど、万全というわけでもなく、なんとなく集中できない。

仕方がない。

こういう時もあるからなぁ…

 

茶道のお稽古の良さは、

『いまの自分を知れる』

ところにあるように思います。

 

本当に茶道とは不思議なもので。

覚えているには一応全部覚えているのだけど、

日によってするすると手が動いたり動かなかったり。

 

動いていても速すぎて趣がなかったり。

逆に意識し過ぎて間伸びしたり。

 

何もかも

『いまの自分』

 

そして数名でのお稽古は、他者の中にも『いまの自分』を見つけることができます。

これはとても貴重なひと時かも知れません。

 

AIが何もかも答えてしまう時代。

嘘か本当か知らないけれど、とりあえず答えが出る時代。

 

それでも答えが出せないのが

『いまの自分』

 

安易に知ることはできない。

向き合うしかない。

向き合わせてくれるのが、

『道』がつくお稽古のように思います。

 

ご指導を受けて次の課題があっても何となく心地いいのは、自分に向き合えたからでしょうか。

 

こういう時間が人生のご褒美のように思います。