講師(宗夜)ブログ

2025-03-14 20:57:00

●抽象世界の心地よさ

先日NHKの日曜美術館で坂本龍一さんの特集が組まれていました。

 

『世界の坂本』と呼ばれた御仁。

忙しく飛び回っていらして、自分のやりたいことはどんどん実現されているイメージでした。

 

けれども近しい人からの言葉では

『評価されすぎて窮屈そうだった』

とのこと。

『本当にやりたいことは音楽だけでなくて、空間や時間にも波及する芸術の創造だったはず』

そんな言葉が飛び出しました。

 

坂本氏には間違いなく才能があって、世の中から十分に認められていたけれど、本当にやりたいことと評価との間に少しずつズレが生じていったようです。

 

晩年の坂本氏は、自然の音に敏感になられて、調整された人工的な音には距離を置くようになられたそう。

 

そう言えば10年前くらいに買ったCDの曲はとても抽象的で掴みどころがなかったのを覚えています。

 

。。。。。。。。。。

年齢を重ねれば重ねるほど、抽象的で無秩序のものに惹かれていくんだ。

だけど世間からは

『戦メリ』とか

『energy flow』とかを

求められちゃうんだよね。

まぁ、ありがたいんだけどね…

。。。。。。。。。。

 

大半の人はどうしても分かりやすいものを好みます。

分かりやすいから一般ウケする訳で、本物の芸術家はこういうところのズレで悩むのだろうなぁと想像しました。

 

抽象的と言えば、有名な作曲家の武満徹さんが浮かびます。

欧米の芸術家たちから高く評価されたそうですが、私には難解で何度聴いても味わうところまで行きません。

 

ただ、最近になって

『抽象的である』

というところに自分も強く惹かれるようになりました。

 

年齢を重ねると若い頃のままの感覚では生きづらくなります。

まず第一に自分の体が変わってきます。

体の声を聞きつつ柔軟に生活や考え方を変えていかないと生きていけなくなります。

『体の声を聞く』というところに、それまで得ていた感覚とは違う次元に足を踏み入れたような気がしました。

 

それまで外に向いていた眼が自分の内側に向いてきました。

だけれども掴みどころがない。

無秩序で判然としない自分という存在が抽象そのものなのかもしれません。

 

この抽象的な感じは、書道の『和様仮名』に似ている気がします。

右に左にふらふらと揺れる和様仮名。

書は大陸から伝わってきたから技術も最初は大陸風です。

楷書も行書も草書も中国書法から来ている。

だのに途中から独自の文化が色濃くなり、実際に書いてみると明らかに技法が違う。

『和様仮名』はものすごく抽象的な感じがする。

これはもしかしたら霊感が基盤にあるのではないか…

そんな印象を受けました。

 

ふと…

古今和歌集を始めとする勅撰和歌集には、何か隠された意味があるのではないか?

と思うようになりました。

 

恋や愛のうたが多く収められていますが、あれは本当に色恋を詠んでいるのだろうか?

 

普通に考えてみて、色恋の歌を集めるために何度も国家予算を投入するだろうか?

これほどの多くの人員と時間を充てるだろうか?

 

本当はは色恋の歌ではないのではないか?

ただの文化保護事業ではないのではないか?

もしかしたら日本独自の感覚に基づいた、国を守る策なのかもしれない。

そんな風に思いました。

眼に見えている世界とは別の、裏側の世界から国家安寧を祈るような壮大な構想を何となく感じるのでした。

 

色んなものが混じった抽象世界にはたくさんの可能性があります。

そのような文化を持つ地に生まれて、皆さんと共に味わえるひと時に幸せと永遠を感じるのでした。

2025-03-14 20:43:00

●茶会記の書き方例(三月)

文字のシルエットを整える方法を茶会記にて説明いたします。

下記は茶会記の抜粋例です。

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指の爪ほどの小さな字ですが、それぞれの文字の形や大きさに変化を持たせています。

 

①一列目はこのような感じ

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茶:大きめの菱形

会:小さめの菱形

記:大きめの横なが長方形

 

②列目はこのような感じ

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三:小さめ正三角形

月:細め小さめ縦なが長方形

弥:中くらい正方形

生:やや縦なが・やや小さめ逆三角形

 

③3列目はこのような感じ

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釣:やや大きめフラッグ形

り:小さめ縦なが楕円形

釜:大きめ正方形

 

最初の『茶』と

最後の『釜』を

大体同じ大きさにしています。

バラエティに富みながらも統一感を演出できるように工夫しました。

 

この中で強調したいのが

『釣り釜』

 

そうかぁ、もう釣り釜の季節かぁ

3月だもんね…

春一番がそろそろね🌸🌀

という歓談が聞こえてきそう。

皆さんのお話が弾むような茶会記にしたいと思って、一字一字をデザインしています。

 

字を綺麗に書くにはイメージを持つことが大切です。

具象化できて初めて上手になります。

お相手に文をしたたためるときには、一度書き出して隣り合う字と形が重ならないようにデザインするとよろしいでしょう。

 

そして

『良いお茶事になりますように』

 

という願いを込めることもどうぞ忘れずに😊

何度も何度も練習するうちに字は上手になるし、実際に良いお席になるような気がしています。

2025-03-02 16:01:00

●第一印象が大切なのは字も同じ

パッと見て『ああ綺麗な人❣️』と思われる女性は素敵です。

同性でも惹かれてしまいます。

 

綺麗の基には日ごろの行いの裏付けがあるからです。

美しくあろうとする気持ちには自己と他者に対する優しさが込められています。

 

字も同じ

 

『ああ綺麗な字❣️』と思われる字には日ごろの練習の裏付けと優しさが込められています。

 

字を見てくださる目に対する優しさだったり、

字そのものへの愛情だったり、

筆や紙に対する思いやりだったりします。

 

簡易な筆ペンでも訓練次第ではかなりの技が使えます。

早く書いて掠れさせたり、

軽く持ち上げて接触面を少なくして墨色を薄く見せたり、

少し押し付けて濃く見せたりと、

できることは色々あります。

 

そしてそれらを統括して美しく見せるためのテクニックが

『文字のバランス』

です。

 

お月謝袋への宗嘉先生の記名で例を挙げてみます。

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上記の立川宗嘉という文字は、いま読んでいただいているこのブログの文字とは違い、一字一字のシルエットを変えています。

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立:やや大きめの長方形

川:小さめの丸形

宗:やや小さめの逆三角形

嘉:やや大きめの三角形

 

私はシルエットをこんな風にデザインして字のバランスを取っています。

 

シルエットを多彩にすることで印象が良くなり音読しやすくなります。

 

パッと見て『綺麗❣️』の裏にはこのようなテクニックが潜んでいるのです。

 

ここまで気を配ることができるのは、人生の経験を積んだ大人だから。

 

『書道なんて子ども時代から習ってないと絶対無理』

果たして本当にそうでしょうか?

 

子どもの頃に綺麗だと思っていた字と、大人になってから美しいと思う字は根本的に違います。

年齢によって人格が別人級に異なるからです。

 

そして大人になると無駄なことはしなくなります。

効率よく動くから最短距離で行きたいところに行けるようになります。

 

恥を忍んで告白します。

 

私の3年前の文字がこちら

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今の文字がこちら

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3年前は生徒さんのご記名など、とても引き受けられず、生徒さんご自身でお月謝袋にお書きいただいていました。

その情けないことと言ったら…

 

訓練して、訓練して、ようやくここまで来ました。

 

最初は筆ペンを持つ手が硬くて力を抜くことが出来ませんでした。

今は力を抜いてゆるゆるで持つことが出来ます。

 

この力の抜き方は茶道にも直接に影響します。

茶道の柄杓を持つ手の動きと、

筆ペンでの筆を持つ手の動きは、

とても似ているのです。

 

おそらく私は書道の腕が上がるのと同時に、茶道の腕も上がっていったはずです。

 

『一芸は多芸に通ず』

身を以て知った諺の真意

 

これかぁ!

と膝を打ちたくなるような心地。

ああ、いよいよ面白くなってきた私の人生。

ぜひに皆さまも😊🤲

2025-03-02 13:11:00

●茶と書 『美しい字を書くレッスン』

茶と書とは、切っても切れない深いつながりがあります。

 

モバイルツールが発達した現代でも、

いえだからこそ、

文化・教養として書は存在感を増していくでしょう。

 

茶の湯においての『書』とは

まず第一にお軸の鑑賞です。

書きぶりを目で追っていくと、過去のものであるのに今目の前で書かれているような臨場感を放つのだから不思議です。

 

どんな姿勢で、

どこで力を入れて・抜いて、

どこで墨つぎして、

どのくらいのスピードで

どんな気持ちで

などなど情報は満載。

マニアは歴史上のどの人物から影響を受けたかまで分かります。

 

茶の湯では鑑賞だけでなくご自身で『書く』場もあります。

 

許状申請の折には熨斗袋(のしぶくろ)に表書きや記名をしなければなりません。

七事式の『香付き花月』や『唱和之式』では人前で和歌をしたため、詠み上げたりもします。

教室を開けば生徒さんの御名をお月謝袋に書かないといけませんし、茶事を催せば巻紙の招待状、茶会記、献立表を用意しないといけないかもしれません。

 

『書は心画(しんが)なり』

という諺が充分すぎるほど通用するのは、特定の方にお送りするから。

 

特定の方に対する『書』

〇〇さん、□□さん、△△さん…

ここに茶の湯における『書』と

『書道』との違いがあります。

 

この違いがまた面白い。

 

茶の湯での『書』は黒子の扱いです。

あくまでも主役は茶の湯であります。

『書』だけが突出して前に出てはいけないのです。

 

例えば招待状の巻紙では、

『是非ともあなた様にお越しいただきたいのです』

という歓迎の気持ちが主役です。

茶会記ではお道具の揃え方とテーマが主役。

献立表ではお料理が主役。

書はお料理を思い出していただくための脇役です。

茶の湯あっての『書』

皆さまあっての『己』

ゆえに競い合いからは最も遠いところにあります。

 

対して『書道』で大切なのは『自我』

書家の方々は自分という軸を中心に据えておられます。

過去の偉人の書から多くを学んで研究し、

目を閉じても自然と筆で人物ごとに書き分けられるまでに訓練されています。

その上での自分らしさの表現。

いま現在の自分と、過去世の人々との対話という哲学が芸術性の中央にあるようです。

 

平安の三筆の『空海』

真言宗の開祖で、高野山を開いた人物です。

同年代に『最澄』がいます。

天台宗の開祖で、比叡山を開きました。

両者ともに遣唐使として大陸から多くを学び、両者ともに中国の書聖『王羲之』に影響を受けた筆の達人です。

ではなぜ空海だけが平安の三筆に選ばれたのか?

研究者の方によると、

『空運の方が独創性を強く開示していたことが評価に繋がったようだ』

とのこと。

『どちらが上とか下とかではない』

と言われてはいますが、三筆に選ばれるか否かで後世への余波は計り知れません。

このエピソードからも書道では『己』が大事なのだなぁと思うのでした。

 

私にとって『書』はこれからの人生を共に歩む大切な友人です。

自己表現したいというよりは、野に咲く花のような字を書きたいと思っています。

 

私が主に学んでいるのが『筆ペン』です。

着物は汚れないし、墨を擦ったり筆を洗ったりするも必要なし。

茶道講師はお道具の準備や後片付けなどの雑事に追われがちなので、筆ペンでササっと書ける技を身につけておくと本当に役に立ちます。

 

ところが、小さな字を筆ペンで美しく書くのは見た目以上に難しいのであります。

筆ペンは安価で簡易ながらも一筋縄ではいかないジャジャ馬なので驚きました。

ナイロン毛のため、紙への反発が大きいのです。

リカちゃん人形の髪の毛を想像していただけると近いと思います。

曲がりたいところで曲がれない。

かと思えば突然にピンと跳ね上がる。

『ああ、もう!』

と冷や冷やするけれども慣れてくればやっぱり便利。

 

よし庵では

『美しい字を書くレッスン(筆ペン)』

を行っています。

やみくもに練習しても字は綺麗にはなりません。

小さな空間ながら美しく見せるためのテクニックが多数存在しています。

 

ポイントを押さえて一歩一歩少しずつ綺麗な字を書けるようになりましょう。

 

テキストは

・お名前と住所

・許状の表書き

・茶会記

・献立表

・巻紙の招待状

など茶の湯に関するものになります。

 

詳しくはホームページをご覧くださいませ。

2025-01-31 10:53:00

●日本人らしさ、とは

日本人のマナー意識は素晴らしい。

メディアを通じて海外から頻繁に高く評価される日本人の気質。

 

礼儀正しく、丁寧で、勤勉

 

褒められれば嬉しい気持ちにもなるけれど、しかし時代によって評価とは変わるもの。

あまり調子に乗らない方が良いだろうと冷めた目で見る自分もいます。

 

私の学生時代、約30年前は日本人の気質は褒められることよりも貶されることの方が多かったのです。

その頃はすごい円高で日本企業の海外進出が激しく空洞化が起きていました。

その頃はこんな風に評されていました。

 

無表情

本音と建前の乖離が大き過ぎる

すぐに黙って何を考えているかわからない。

 

ではこの30年で日本人の気質自体が変わったのでしょうか?

そんなことはないでしょう。

 

いくつかの歴史的な文化の分断を経ても、日本人は日本人らしさを失うまいとその都度努力してきたように思います。

 

災害の時、日本では混乱に乗じた暴動は起きません。

騒ぐ人が皆無ということはないでしょうけれども、悪目立ちするのでやがて鎮まるようです。

 

先日、出勤のために最寄駅に行くと、長蛇の列が階段から伸びていました。

『ああ、事故か』

一瞬で誰もが悟り、静かに末尾に並びます。

階段で押し合うと大惨事になるので前が空いたら一歩ずつ控えめに進みます。

 

駅員に事情を訊ねる人もいましたがそれも数人で、しかも冷静に話していました。

赤の他人がこんなにも大勢に一箇所に集まっているのに、多人数を感じさせない静けさでした。

 

別日に、帰り道でも同じような事故が起こり、駅で足止めを喰いましたが、事態は全く同じでした。

誰もが静かに自分の順番を皆待っていました。

 

なぜ静かに順番を待てるのか?

子ども時代に言われた言葉が浮かびました。

『お天道様が見ているよ☀️』

 

おてんとさま。

なんと優しい響き。

これは言い換えれば『共感力』のように思います。

逆に、どうして関係のない人に八つ当たりするのかと疑問を持つくらいです。

 

駅員は悪くない

街に並ぶ店も悪くない

むしろ災害時には誰もが被害者。そのような中で駅員が一生懸命働いてくれる。感謝しかない。

その姿に愛する家族を重ねる。

『大変だよね、会社員は』

と思う。

もしかしたら…

これが自分の夫の別の姿かもしれない。

成長した子の姿かもしれない。

親のかつての姿かもしれない。

そんな風に思うと理不尽な怒りは湧いてこない。

それは私だけではないようです。

 

この気質はいつ培われたのだろうと、同時に思います。

世代の淘汰を経て、怒りを持ちにくい遺伝子が残ったのでしょうか?

 

近年、日本人の遺伝子の解析が飛躍的に進んでいるそうです。

実に多様な因子が大陸から、数度に渡り大規模にもたらされたことが解明されてきました。

 

数万人、数十万人という規模での人口流入があったその時代には言語も統一されておらず、かなり混沌とした世情だっただろうと専門家が語っていました。

それでもこの気質が形成された。

 

もしかしたら私たちは

『意識的に日本人になった』

のかもしれないと思いました。

 

山がちで平地が少なく、川の流れは急峻で大雨の度に氾濫や地滑りが起き、干ばつや虫害や地震も多い。

テリトリーの境目は大抵において川の流路で決められていたから、水を巡っての攻防戦は常に苛烈だったそうです。

一時的に利益を得ても、自然が相手となると、次には土地も財産も丸々失う恐れもあったろうし、災害時には好き嫌いを超えて協力しないといけません。

自分の代で利益を独占して恨みを買ってしまうと子や孫の代での営みが続かないとか、空気を読んで自身を律していかなければ生きていけない現実に常に直面していたのではと想像します。

 

長い時間と労力をかけて作られたこの気質は、ある意味私たちの財産と言えるでしょう。

ただ、最近はここに別の気質も身につけなければならないように思えてきました。

 

自分を守り抜く逞しさ

誠意を見抜く賢さ

 

もしかしたらこれらを身につけるには『お人好し気質』と引き換えになるかもしれません。

それも仕方ないでしょう。

歴史を学ぶと、所々で意識の転換期があることを知ります。

そしてまさに今がその時のように思います。

 

。。。。。。。。。。。。

自分を守り抜く逞しさと賢さを持て。

覚悟を持つと内側から力が湧いてくるはずだ。

神さまが守るのは、自助努力を継続する人だけなんだ。

。。。。。。。。。。。。

 

宗嘉先生からいただいた言葉です。

しかし覚悟は揺らぎやすく…

情報過多の昨今には焦りや恐れに苛まれることもあります。

だからこそ茶道。

茶道の精神がこれからの私たちの支柱となってくれるでしょう。

 

英傑は平和な時代には生まれません。

英傑は有名人とは限りません。

私たち一人一人が英傑。

その気概を持って生きていきたいと思います。