講師(宗夜)ブログ
●量が質を作る
書道の先生から
『本気で書道に向き合いたいなら、今の練習量では全然足りません。
数倍に増やしましょう。』
とアドバイスを受けました。
『同じお手本を数時間掛けて書いても効果は上がりません。
色んな書体に挑戦して初めて目の前の1字が上手くなるのです。
古典の本を数冊購入し全臨しましょう。
キッカリ1時間計って、見たら書く、見たら書くを繰り返してください。
数ヶ月その練習を重ねれば、徐々に効果が感じられるはずです。』
全臨とは、本1冊まるまるを臨書する(書き写す)ことです。
『了解です🫡』
と思って本を買ってアドバイス通りにお稽古をして報告しました。
『ペースが遅い。もっと早く!』
『は、はい!コーチ!』
気分はすっかりスポーツ少女です。
・エースを狙えの岡ひろみ
・アタックナンバーワンの鮎原こずえ
どちらも1970年代の漫画とアニメ。
少年ものでは、巨人の星もありました。
こちらも1960年代後半から70年代にかけての大ブームを作りました。
日本が必死にもがいていた時代です。
好き嫌いが分かれると思いますが、私は結構好きな方の人間です。
でもスポーツは苦手なので、文芸方面で頑張ります🙋♀️
『とにかくまずは量が大事』
書道の先生は仰います。
同じことを宗嘉先生もおっしゃいます。
そう言えば、子ども時代にピアノの先生も仰っていました。
『まず最初に指練習のハノンをしなさい』
『はい、わかりました』←ウソ
(面倒くさいんだよねー)
いや、本当に面倒くさいんですよね、子どもからすると。
つまらなくて眠くなるんですよね。
(やってもやらんでも変わらんやろ)
と思ってレッスンに行くと
『あんた、コレ本当にやってんの⁈』と雷が落ち⚡️
『はい、やってます』←大ウソ
『1週間にどのくらいやった?』
『…3回か4回、あれ?2回だったかな⁇』
『次はちゃんとやってくんのよ!』
『はい、分かりました』←またウソ
でも発表会に出ると、真面目な子と不真面目な自分との差は歴然。
日々の過ごし方の違いはこうも表れるのかと思いました。
彼女たちと自分との違いは、基本練習に掛ける量の違いだと先生から諭されました。
『練習量が大事』
茶道においても同じです。
私にとっては花月のお稽古に当てはまる格言です。
私どもが数年前から力を入れているのが花月のお稽古となります。
花月は日々のお稽古の集大成とも言える科目で、複数の技術が同時進行します。
よし庵ではzoomにて月に2回放送しています。
宗嘉先生から『zoomで花月を放送したい』と言われた時には、本当に面食らいました。
何て無謀な!と思いました。
やってみるとやはり大変でした。
使うお道具もたくさんあるし、
立ったり座ったり、
カメラの場所を次々に変えたり、
『も〜、やめましょうよ💦』
と泣き事を言っても宗嘉先生は涼しい顔で
『前よりは上手くなってる』
と受け流します。
『数年続ければ僕たちの技術は本物になる』
と言い切っていました。
果たして、その通りとなりました。
お稽古の精度は目に見えて上がっていきました。
そしてもう一つ大切なこと。
『楽しんでやる』
自分が本当に楽しいと思えることには練習量を増やしても苦になりません。
私たちが花月をするのは、一重に楽しいから😊
楽しいと思えることに出会えたなら、それだけでとても幸せです。
皆さまがよし庵での茶道で楽しみを見つけていただけたら、とてもありがたいです🌸
そんな風に思いながら、日々お稽古をしています。
●門出
現在、4月の半ば。
門出の季節🌸
よし庵の生徒さまたちにも様々な変化が訪れます。
『転職したので慣れるまでお稽古回数を控えます』
『仕事を再開しましたので今月だけおやすみします』
『娘が結婚します。準備に忙しくなるため、数ヶ月お休みさせてくだあさい』
女性の人生は何かと変化が大きく、自分の用事は後回しにしてしまうこともありますが、それは一時期のこと。
落ち着いた頃にまた茶道を…と思っていただけることがいつも嬉しく存じます。
皆さまの人生に寄り添えるお教室であることが私どもの喜びであります。
ところで、この門出の季節になると思い出す高校時代のエピソードがあります。
高校3年生の卒業間近のこと。
選択科目の小論文の授業にて。
最後の授業で、
『私の3年間とこれから』
という題で小論文を書くように宿題が出ました。
そして皆の前で読んで発表する、というものでした。
私は動物写真家の岩合光昭さんを取り上げ、
『私も岩合さんみたいに何か好きなものを見つけて、とことん追いかけてみたい』
と文章を綴りました。
最後の方に教卓に進んだのが、大人しいS子ちゃんでした。
S子ちゃんは勉強好きな、大人しい女の子でした。
やや大人しすぎるほどに大人しく、挨拶が返ってこない子でした。
ほんの数回だけ喋ることがあり、珍しかった為にものすごく驚いた記憶があります。
いつもいつも勉強していたのが印象的で、推薦枠を狙っているように見えました。
S子ちゃんが話し始めました。
。。。。。。。。。。。。
私の3年間。
この小論文を書こうと思って、机に向かったのですが、何も思いつきません。
いつも勉強ばかりしてきました。
『私の3年間は、一体何だったのかなぁ』と思ってボーッとしていたら、お母さんがやって来て
『何してるの、勉強しなさい』って……
。。。。。。。。。。。。
『ぅわぁ…』
S子ちゃんは突然顔を覆って泣き出しました。
『うぅ…』
押し殺していた感情が爆発して抑えきれず、後から後から涙が溢れてくるようでした。
見ている私たちも呆気にとられて、どうしたら良いのか分からず、先生もどうしたら良いのか分からず、でもやっぱり最後は先生が肩を支えて席に着いたのだろうと思います。
可哀想なのは、誰も友達がいなかったために、一人の同級生も近寄らなかったことでした。
別にいじめられてもいなかったし、嫌われてもいませんでした。
高校生くらいになると半分は大人だから『こういう子も居るよね』という対応でした。
S子ちゃんは席に着いてもしばらく涙が止まらずにいました。
可哀想という言葉だけでは収まらない、生の人間の姿を見て、高校生それぞれがすごくショックを受けました。
言葉以上に雄弁で、人生というものを考えさせられた一つのエピソードになりました。
この経験が、自分の子育てにも、今の講師の仕事にも大きな影響を与えているように思います。
本人が望まないことを押し付けても上手く行かないということ。
目の前の人に愛情を持つなら、伸びたいと思う時期まで静かに待つこと。
人と人には適度な距離が必要であること。
このエピソードが思い出されるたびに、記憶が自分に何を伝えようとしているのか、想いを巡らせています。
みんなの前で泣いてしまったことは可哀想だったけれども、感情を出して少しはスッキリしただろうと思います。
今になって分かるのは、S子ちゃんは本当はみんなの事が好きだった、ということ。
嫌いな人の前で、人は泣けません。
本当は自分は友達が欲しかったのだ、という自分の気持ちに気付けたことが、彼女の門出だったように思います。
そして見ていた私たちにも、大事な門出となりました。
●でんじろう先生
うちは家族は揃ってサイエンス好きで、子どもが幼稚園児から小学生にかけて科学館や博物館に行きまくりました。
中でも北の丸公園にある科学技術館は大のお気に入り。
閉館ギリギリまで粘り最後はショップで科学おもちゃを買って帰るのがいつものコースでした。
私は文系ですが理系の科目に強い憧れがあります。
もしも中学時代か高校時代にタイムスリップ出来たら、ひとつの科目も怠らずに勉強するのになぁ、なんて思ったりします。
あの頃は勉強が嫌いでした。
実に勿体無いことをしたという思いで今はいっぱいです。
本当はあの勉強は面白かったんじゃないかと思うのです。
かなり面白かったんじゃないか、と。
そんな風に思うきっかけが『でんじろう先生』でした。
有名な空気砲はダンボールで何度も作りました。
子どもはサイエンスに見事にハマってピタゴラ装置を作ったり、基盤を買ってロボットを作ったりしました。
一緒に楽しみ始めたはずが、あっという間に子どもに抜かされて、何を言っているのか分からない会話をしています。
小学校の高学年になるとサイエンスの実験をさせてくれる教室に通い、高度な専科コースにも参加しました。
専科コースではお弁当と水筒を持ち、小さな白衣を着て、朝から夕方まで一日中研究室で実験とデータの収集をします。
小学生ながら顔はいっぱしの研究者で、先生の質問を真剣に聞き、実験を行い、データ収集の結果をみんなで共有して理論と実践のズレを実感。
最後はきちんとレポートにまとめて先生に提出します。
迎えに行くと
『今日の実験はああで、こうで…』
と一日の説明をしてくれましたが、私にはさっぱり理解できません。
えー、何それ。
そんなに楽しいの?
いいなぁ、そんなに楽しいのかぁ。
私も子ども時代にでんじろう先生に出会っていたらなぁーと羨ましい気持ちになりました。
ん?ところで、でんじろう先生ってどんな人?
気になっていた時にNHKの番組で、でんじろう先生のことが取り上げられていました。
元は高校で物理を教えていたそうです。
でも効率を重視する高校教師の仕事には向いておらず、周囲の方もご本人も苦労したようでした。
マネジメントが苦手で、スケジュールに沿って結果を上げるということが性に合わず、ご自身の大学受験に3浪されたとのこと。
高校教師になっても苦手意識は消えず、『誰も授業を聞いてくれなくてつらかった』と話されていました。
つらい日々を慰めてくれたのが、夜に楽しむ実験でした。
『自分がこんなに楽しいと思えるなら、他の人のことも楽しませることが出来るんじゃないか』
と、思い切って高校教師の職を辞したと語っておられました。
『好きなことを軸にすると、人間関係が苦手でもコミュニケーションが取れるんですよね。あ、自分はこんなに話せるんだ。人を笑わせられるんだって自信がつきました。』
悩んで、悩んで、ようやく自分の道を見つけたからでしょうか。
でんじろう先生の実験は、あったかい。優しくてほっとする。
たくさんの弟子を抱えているようで、科学技術館でのサイエンスショーでは
『僕はでんじろう先生の18代目の弟子です』
と講師の若者が誇らしそうに胸を張っておられました。
本当に頭の良い人って、でんじろう先生みたいな人のことを言うのだろうなぁ、と思いました。
●忘れる快
よし庵の生徒さまは皆さまとても優秀でいらっしゃいます。
学びに余念がなく、きちんとされておられるのでビジター会員さまからお褒め言葉を頂戴することもしばしばです。
素晴らしい生徒さまのうちのお一方が、先日ポロリと仰いました。
『ああ。私、次回のお稽古までに今日のご指導を覚えていられるかしら?忘れたくないわ。』
そのお気持ちよく分かります。
覚えるまでは本当に苦しいものです。
(おかしいなぁ、あんなに練習したのにな…。どうしてかなぁ。)
それでは覚えれば楽かというと…
今度は別の苦しみが生まれてきました。
飽きる
生意気な表現であります。
でも毎日同じことに向き合っていると、新鮮な気持ちが徐々に失われてしまうのが正直なところです。
飽きはプロにとっては深刻な悩み。
自分の仕事に情熱が薄れれば先が見えています。
手の動き、足の動き、全部覚えた。
アナウンスも滞りなくスラスラと出てくる。
でもなんだろう、この虚しさは。
600年も続いた茶道の文化。
覚えて終わりなんてことはないはず。
もっと重みがあるはず。
自分にはその重みや深みがどうしても感じ取れない。
芸術の域に近づくことができない。
そんな折に宗嘉先生が始めたお稽古が『奥秘伝』でした。
こちらは裏千家茶道のお稽古科目には含まれていません。
その為どなたにも指導は行っておりませんが、茶道の深い世界を味わっていただきたく、よし庵にてzoomでご視聴可能な科目となります。
奥秘伝のお稽古を始めてから、新たな意欲が芽生えてきました。
そのきっかけが『忘れる』でした。
奥秘伝には、奥伝と同じお道具を用いる科目が複数あります。
ついつい奥伝と同じ動きに手が流れますと、宗嘉先生から『そこ違う』と注意されます。
そしてその次、今度は奥秘伝を覚えてから奥伝に戻ろうとすると『それは奥秘伝』と注意されます。
(あれ?あれ?)
と頭が混乱しました。
この一見無駄な時間が却って良かったのでした。
翻って、初級・中級などのいつものお稽古や奥伝の味わい方をより深く知ったのでした。
また、宗嘉先生ご自身も奥秘伝の研究で茶道の新たな側面を発見したそうです。
動きもご指導も、以前よりシャープになられました。
混乱を経て審美眼の精度が増したと言えるのかも知れません。
『忘れる』という現象は、脳の機能の一つだそうです。
進化の過程でむしろ積極的に行われてきたと聞きました。
刻々と変わる状況で即座に判断を下すには、既存の記憶が弊害となることもあるからだそうです。
『なぁんだ、じゃあ忘れて良いんだ!』
と思えたら気持ちが軽くなりました。
一旦忘れて組み直す
それをみんなで楽しく行うことが、一つのことを長く続ける秘訣かも知れません。
●諺(ことわざ)からの教訓
諺に『若いうちの苦労は買ってでもしなさい』というものがあります。
確かにその通りだなぁと思うようになりました。
しかし若い時分にはその意味は分かりません。
分からないどころか相手が悪いのだろうと思ったりもします。
それなのに上手く行かなかったことは、喉につかえた魚の骨のように時々チクチク痛み、忘れたくても忘れられません。
もしかしたら何かを自分に教えてくれているのかな、と思って自身を省みて行動を一つひとつ改めていくと、骨は自然に抜け、いつの間にか痛みも感じなくなるようです。
そうなるまでに数十年を要し、今ではすっかり良い大人。
そんな昨今、複数の新人生徒さまより、こんな風に声を掛けられました。
『悪いところがあったら、遠慮せずにビシビシ指摘してください。』
きちんとした作法を身につけたいのだ、という切実な思いがその言葉に込められていました。
お一方ではなく、複数の生徒さまより同様のメッセージを同時期にいただいたのでした。
人と人が向かい合うにはエネルギーが要ります。
そしてリスクも伴います。
ハラスメント意識の高い今日では尚更で、心の触れ合いを避ける傾向があるように見受けられます。
何となく平和に続く日々ではありますが、
『自分はこのままで本当に大丈夫なのだろうか?』
という漠然とした多少の不安を誰しも抱えているようです。
お稽古での注意。
茶室という擬似空間で、月に数回というお稽古回数だからこそ、気持ちが落ち着いて素直に聞けるという性質があると思います。
そしてもうひとつは適齢期。
若すぎると反発して身体に入りません。
年齢を重ねすぎると今度は諦めが入ってしまいます。
『実るほどに頭を垂れる稲穂かな🌾』
教えてくださいと頭を下げる姿から、実りの時期を迎えつつある青みの残る稲穂を連想しました。
お互いに精神を成長させるにちょうど良い年齢なのかもしれません。
いつか黄金色の実をたわわにつけ、気持ち良く風になびきたい。
みんなでそうなれたら素敵だと思います。
私どもがお稽古で一番大事にしていることが『集中力』です。
間違えても良い、スラスラと進まなくても良いから、ただひとつ集中してほしいと願っています。
集中力の低い方には『無駄口が多い』という共通点があります。
まずはこれを嗜めます。
また、他の生徒さまの間違いを講師に先駆けて指摘することも、控えていただいております。
お稽古をつけるのは簡単ではありません。
目の前に座る生徒さまの性格や、只今の精神状態なども加味してお稽古をしています。
敢えて間違いを見逃すことも多いのは、数年先の成長を見込んでのことです。
ご自身のお稽古に集中している方は、他の方に優しくて寛大でいらっしゃいます。
これこそが私たちが目指す集中力の極みであります。
過去に、講師のお稽古に度々に反発される生徒さまがおられました。
十分に人生の経験を積み、お許状も高いものを持っておられました。
宗嘉先生のご指導にも、他の教室との比較を交えて批判を繰り返されました。
足が痛いと怒ったり、お稽古代が遅れたり、お釣りを要求したりするので、注意すると『おお怖い』とおどけていました。
しかしある日
『どうして自分はこんなに孤独なのか。一体何をどうすれば良いのか?』
というメッセージが送られてきました。
『ふざけているように見えるかも知れませんが、私は真面目に努力しています。』
とメッセージが続いていました。
ご本人が仰るのだから間違いはなく、きっとその通りだと思います。
その方は性格が意地悪なわけではありません。親切で優しいところもたくさんおありでした。
お稽古代も支払わないわけではなく、問題にはなりません。
ご本人としては毎回一生懸命にお稽古をしているつもりでした。
でもこの文面の『ふざけているように見えるかも知れませんが…』というところに、全ての答えが表れていました。
ふざけているように見えてはいけないのです。
わざとじゃないから許してよ、というのは通用しないのです。
もう子供ではないから。
私たちも他の生徒さまたちも拒否はしませんでしたが、どうしても馴染むことが出来ませんでした。
学びには時期がある。
もう少し前に、ご自身の内面に目を向けて修正を加えていたなら、今とは違った生活を送られていたかも知れません。
諺(ことわざ)からの教訓が身に染みた出来事でした。