講師(宗夜)ブログ
●プチ善人
4月の半ばより、プチ善人になりました。
プチ善人=プチ善いことをする人。
プチ善いこと『海のゴミ拾い』
かねてより体力維持のため、休日の朝に30分ほど海を走っています。
その際にゴミ拾いをすることにしたのです。
きっかけは外国人YouTuber
日本語ペラペラの外国人が久しぶりの帰国にあたり、生鮮市場を訪れていました。
『うわっ、クサッ‼️』
食品を扱う市場なのに、ものすごい悪臭が漂うのだと紹介していました。
『うわー、無理!ものすごい臭い!』
同行した日本人スタッフが悲鳴を上げていました。
市場では生きた動物などをお客の目の前で解体して切り分けをしているそうです。
新鮮さが売りだけれども、誰もゴミを片付けないから臭くて仕方ないのだ、と話を続けていました。
『誰か片付けないの?』
という問いに対し
『片付けてもすぐに汚れるから馬鹿らしくて誰もやらない。』
それは…嫌だなぁ。
誰も問題意識を持たないというあたりが衝撃でした。
日本では『穢れは悪である』という認識がある。
解決されるべき問題として必ず扱われるだろう。
なんて思いながら、いつも通り海に出掛けると…
海が汚い。
ちょっと待って、いつから?
こんなに汚かったっけ?
サイクリングロードの脇にビニール袋の小さな切れ端が散乱。
うわ…、これはひどいな…
自分の街は綺麗であって欲しい。
そう思ってジョギングの終わりにゴミ拾いをすることにしました。
『すぐ汚れるから馬鹿らしくて誰もやらない』
確かにそう考える人は多いかもしれない。
分からなくもない。
だから小さな一区画だけ重点的にやってみよう。
効果が実感できればヤル気も続く。
一番汚いと思われる20mくらいの区画を1年くらいかけて掃除すると心に決めました。
ところが一旦始めると夢中になってしまい、そのあと億劫になってしまいました。
これでは却って良くないと思って、ゴミの数を決めることに。
72個 拾ったら帰る。
●72個
(内訳)
・52個 自分の年齢(通行料)
・10個 今までやらなかったお詫び
・10個 海の神様へのご奉仕
これなら10分くらいで出来るから負担にならない。
まさにプチ善いこと。
効果はいかに?
これが驚くほど効果あり。
自分にしか分からないのですが、毎回やるほど綺麗になっていきました。
一回あたりは50cm四方。
最も汚いところをやっているのでとても分かりやすいのでした。
そしてゴミの切れ端を見て気付いたことがありました。
袋菓子を開ける時の、三角の切れ端が多いのです。
きっと開封時に風に飛ばされたんだな、と思いました。
袋の本体が落ちていたことはほぼありません。
大きなゴミは見当たらず、小さなビニールの切れ端ばかり。
だから数が多くて掃除は大変ではあるけれど…
故意に汚そうとか、
面倒だから置いておこうとか、
そういう気持ちはゴミには表れていないのでした。
小さなゴミの切れ端にさえ、滲み出る日本人らしさ。
日本の良いところは色々あるけれど、このような日本人の気質がまさに宝だなぁ…としみじみ思うのでした。
●問答は大和言葉がよろし
よし庵では問答に大和言葉をお勧めしております。
。。。。。。。。
お美しいお道具の拝見を誠にありがとうございました。
。。。。。。。。
『お美しい』のところを別の大和言葉に変えるならば下記の単語が挙げられそうです。
・麗しい
・艶やかな
・趣のある
・お色味豊かな
その他に何となく浮かぶのは、
『雅やかな・華やかな・鮮やかな・あでやかな』
などですが、侘び茶のお道具には合いそうもないためここには載せませんでした。
・お美しい
・麗しい
・艶やかな
・趣のある
・お色味豊かな
改めて声にしてみると、大和言葉の優しい響きに心が癒されます。
茶室での問答に用いれば、その効果はとても高く、ご亭主のお顔がいつもここでほぐれるのです。
優しい言葉は口周りの筋肉に無理をさせません。
柔らかく動くから、出てくる音も柔らかい。
日本人は大きな声で話さない民族と言われます。
大和言葉と無関係ではないでしょう。
言葉少なで、静か。
それが私たちにとっては自然体。
無理をしないから、いざという時にむしろ力を発揮できる。
逆に、よし庵では避けている形容詞が『熟語』であります。
・結構な
・ご立派な
・貴重な
別に悪いわけではないのだけれど…
禁止するほどではないのだけれど…
大和言葉と比べると耳馴染みがないのは外来語由来だからかな、と思うのでした。
・促音の『っ』
・破裂音の『ぱ』
・拗音の『ょ』
音が硬くて、やや攻撃的な印象。
熟語が取り入れられた時期は、日本文化の転換点と重なります。
日本の鎌倉時代〜室町時代〜安土桃山時代にかけて、大陸や半島からの移住者が非常に多かったとのこと。
大陸での王朝の入れ替わりは、民族の入れ替わりを意味。
日本に逃れた多くの人によって熟語が取り入れられたと言われています。
熟語にはピタッと焦点を合わせる力があります。
大和言葉みたいにぼんやりしていない。
言いたいことを短く言い当てるその力は、政治・経済・法律の部門、国の根幹で大きく活かされていきました。
日本も公家の世から武士の世への遷り変わりの時期。
ルーツが不確かな人が重用されやすい背景がありました。
文化が貴族階級から下の階級に降りて行き裾野が広がったとも言われ、様々な分野で日本が発展した大事な時期でもあります。
古典を読んでみると、平安時代中期(905年)の古今和歌集には熟語は殆ど出てきません。
同時期に作られたといわれる竹取物語にも出てきませんでした。
ですが平家物語(鎌倉時代初期1240年ごろ)には、冒頭から
『祇園精舎・諸行無常・沙羅双樹・盛者必衰』
と熟語がたくさん並んでいます。
徒然草(鎌倉時代後期1330年ごろ)でも熟語を多く目にしました。
現代人の感覚に近いから、読みやすいのも確か。
茶道は武家の文化なので、むしろ熟語の時期に興ったのであります。
けれども…
よし庵としては問答に
まろやかな優しさが欲しい。
まろやか(円やか)は、よし庵が理想とする女性像に近いのであります。
二字熟語、四字熟語、IT用語、AI用語…
外来語は明瞭で正確。
ビジネスシーンに欠かせません。
でも疲れてしまう。
あまりに左脳を刺激し過ぎる。
だからよし庵のお茶室では、
仄かな安らぎを求めて
大和言葉がよろし。
●先生を『先生』と呼べる人、呼べない人
お稽古に入る前のご挨拶
よし庵では必ず『先生』と呼びかけていただいております。
『先生、〇〇点前のお稽古よろしくお願いいたします。』
といった具合です。
膝前正面に扇子を置き、畳に両手をついた状態でのお声掛け。
頭を低くし『先生』を省略せず、必ず『先生』と呼び掛けてからお稽古を行う作法は、現代では珍しいかもしれません。
それには、よし庵なりの理由がございます。
。。。。。。。。
●挨拶をする姿がとても美しく見える
●上下関係がはっきりし、茶室の空気が整う
●先生を『先生』としっかり呼べる人は茶道の上達が早くなる
。。。。。。。。
●挨拶をする姿がとても美しく見える
お辞儀の姿勢と言葉遣いのバランスが取れていて、お相手にはとても美しく映ります。
『礼節をわきまえる』練習を毎度のお稽古で行うことで、年齢相応の落ち着きも培われます。
この作法は、『きもの』幸田文/著の文中より着想を得たもの。
礼儀に厳しい明治生まれの女性。幸田露伴の娘・幸田文さんが仰るなら間違いないだろうと思ったことがきっかけでした。
どうやら歌舞伎役者さんや狂言の役者さんも師匠にご挨拶する際に同じ作法をなさっておられる様子。
ドキュメンタリー番組などで同じ作法を拝見し、伝統を重んじる世界では共通の概念なのだと感じました。
●上下関係がはっきりし、茶室の空気が整う
疎んじられる傾向にある上下関係。
しかしそろそろ我を張る幼さに気付きたい。
場の空気に自分を合わせる大人の余裕を身につけたいところ。
そうでないと、茶道のお稽古は流れていかないからなのです。
茶道のお稽古は非常に複雑です。
亭主の作法だけではなく、お客様の作法も入り組んでおります。
『良いお席』とは亭主の力量だけでなく、お客様の力量も相まって形成されるもの。
一座建立(いちざこんりゅう)
の清々しい空気は上下左右が認識されてこそ作られていきます。
●先生を『先生』としっかり呼べる人は茶道の上達が早くなる
茶道の技量は人格と強く結びついています。
知識も技術も、
上(師匠側)から下(生徒側)に
流れてきます。
よし庵の生徒さん達が非常に優秀でいらっしゃるのは、勤勉であることと同時に心根が優しく素直であられる証。
師を師と認められる素直さがあるからこそ、流れてきたものを受け止められます。
宗嘉教授が御家元からの功労賞を賜る前のこと…
外部からのご参加者の中には
『道場破り』の精神を持った方々も多くいらっしゃいました。
その方々に共通する行動が
・タメ口
・先生を『先生』と呼ばない
・ひとの失敗に笑い声を立てる
などでした。
自分は数十年勉強してきた。
行躰先生に習ってきた。
茶名を持っている。
准教授である。
自分の教室も持って教えている。
などなど…
プライドの高さが邪魔をして、宗嘉先生を『先生』と呼ぶことが出来ず、お稽古中も度々反抗。
何かの拍子に褒めると調子に乗ってしまい、他の生徒さんに偉そうに指図をし始めました。
しかもそれが間違っていたので困ってしまいます。
ご注意申し上げても行動が改まることはありませんでした。
素直にアドバイスも聞けないから、所作も技術も何も身につかないまま去られていきました。
茶道が好きで長年習ってきたはずなのに…もったいない。
プライドを捨てることは、それほどまでに難しいことなのかも知れません。
しかし最初から『こういうもの』と正しい作法を教えてもらっていれば何の苦労もなく平和な空気を身につけることが出来ます。
そう考えると教室選びによっては、人生の何十年かを不本意に過ごしてしまいかねません。
ご在籍のお教室の先生は、正面から生徒さんに向き合うことを面倒に思っておられたのかも知れません。
『お上手、お上手』
と資格だけを前に前にと進ませてしまったのかも知れません。
あるいはその先生方ご自身も、茶道に入る前の根っこの部分『先生を敬う心』を身に付けずに先生になってしまったのかもしれません。
師弟関係の喪失
現代社会において個人の権利と引き換えに、私たちが失ったものの一つかも知れません。
先生を『先生』と呼んできちんとご挨拶をすること。
大人になってから取り戻しても決して遅くはないと思います。
価値を知った今なら、時間を大切にできるから。
●『ああ嫌だ!もう嫌だ!』 愚痴さえも包む古今和歌集
高野切第三種の終盤
(ん?)と目を皿にして何度も見返した和歌がありました。
。。。。。。。。
そゑにとて
とすればかかり
かくすれば
あないひ知らず
あふさきるさに
そうだからと言って
ああすればこうなるし
こうすればああなるし
ああどう言っていいか分からない
食い違いばかりで
(第1160首 よみ人知らず)
。。。。。。。。
そゑにとて(そうだからと言って)と、突然に始まる和歌。
直前の和歌への返歌か?と思ったけれど、直前の和歌は三日月🌙を詠んだもので意味がつながらず…
唐突に始まることで、何かにすごくイライラしている様子が伝わってきます。
あふさきるさ は
漢字を当てると『合ふさ切るさ』
長さが規格に合わないのでしょうか?
も〜!ピタッとハマらないのよ。
だからと言って切るわけにもいかないじゃない?
こんな声が聞こえてきそう。
面白い和歌を込めたものです。
撰者は紀貫之。
編纂を命じた醍醐天皇も当然知ってのこと。
その次の和歌も強烈で…
。。。。。。。。。
世の中の
うきたびごとに
身を投げば
深き谷こそ
浅くなりなめ
(第1161首 よみ人知らず)
。。。。。。。。
これは現代語訳も必要ない、そのまんまの意味です。
すごいなぁ日本人。
表現の幅が広いなぁ。
これらの和歌は古今和歌集の第十九巻目の中の俳諧歌の段に収められています。
俳諧歌は、おもに滑稽な歌のこと。奇抜な着想によって正調から外れた歌とのこと。
もしかしてこのまま1100首まで続いてゴールか?
と心配になって先を読むと、
『大歌所御歌』とあり、日本各地の当時の主要都市を愛でる歌が風土記のように並び、雅びに幕が閉じられていました。
大歌とは、当時の祭事で、楽器の演奏に合わせて歌う歌のこと。
主要都市の景勝地を讃える歌が順番にならんでいます。
この祭事はもしかしたら…
古今和歌集の完成時に各都市の要人が招待されて催されたのではないかと想像したくなるのでした。
和歌集という国宝
ふわりとした真綿のような柔らかさを感じます。
鋭いものを柔らかく包み込んで無力化してしまう強さ。
文化力の誇示というと、大きな建造物がまず最初に浮かびます。
でも、立派であればあるほど維持が大変。
後世の人々への負担となります。
だけど、どうだろう。
紙と墨で出来た和歌集は朽ちにくい。
もしも全て覚えてしまって
口伝で継いでいくなら、朽ちることもない。
臨書をしていると、ところどころで小さなミスがあります。
ミス…と言っていいのか分かりません。
ただ、和歌集によって何ヶ所も相違があるのは事実です。
横に置いて書き写したのなら表れることのない相違でしょう。
これらはもしかして、口伝を書き起こしているのでは?と感じるのでした。
こんなにたくさん覚えられないのではないか。
普通はそう思います。
ところが継ぐことが自分たちのアイデンティティを証明する方法だとすれば…
中には喜んで覚える人間もいるだろうと思うのでした。
なぜ醍醐天皇は和歌集の編纂を命じたのか。
口伝に励もうとする心に望みを賭けたのかも知れない。
日本人のアイデンティティを繋ぐ確かな方法として。
臨書を進めていると、そんな風に思われるのでした。
●茶道のお辞儀 腰は低いがペコペコしない
お辞儀という所作。
ここに武士の魂が込められているように思えてなりません。
相手に礼を尽くす
腰は低い
しかし頭は垂れずペコペコしない
相手を立てる
同時に自分も立てる
だから信頼される。
真のお辞儀
行のお辞儀
草のお辞儀
いずれも腰から折るように心掛けます。
それぞれに相応しい角度や速度などがあります。
どの場面でどのお辞儀をするのか。
また、中級に上がった折の襖の開け閉めの手をつく所作と、何がどう違うのか。
よし庵では説明をしながら細かく指導しております。
腰を折り、ピタッと一瞬止まるこの所作。
身体の小さい日本人が、西洋諸国の人々と渡り合えたのは、この所作のおかげではないかと、最近思うようになりました。
所作の背後に見え隠れする武士道精神のおかげではないかと。
歴史の研究がどんどん進み、幕末の西洋諸国との交渉も『あの時点でよくまとめた』と、再評価される動きがあります。
1853年 黒船来航
小・中学校の歴史の授業では
『江戸幕府は慌てふためいた』
と習いましたが、実はそうとも言えないとのこと。
日本側は事前に情報を掴み、前もってかなりの用意をしていたことが明らかになりました。
。。。。。。。。
・アメリカから4艘の軍艦が江戸湾に訪れることと、その時期
・2艘目にペリー総督が乗船していること
・乗組員の大体の人数
。。。。。。。。
軍艦が現れるやパッと数百隻の小舟で囲み、2艘目に通詞と役人が近づいて総督に今回訪問の目的を尋ねたそうです。
しかし事前に情報を掴んでいたとはいえ、大砲を持つ巨大な黒船を目の前にして当時の日本人は相当な恐怖心を抱いたことでしょう。
江戸時代は大型船の建造を禁止されていたので国内用の船は商船ばかり。
日本の船は20〜30m
黒船は70〜80m
その大船が、航行の難しい江戸湾に易々と入ってくる。
三浦半島と房総半島に挟まれた
浦賀水道の一番狭いところ
約6.5km。
狭い分、潮の流れが早く、月との遠近や満干によって航行できる日数と時間帯は限られます。
海底は浅めで、陸地に近いところでは水深約20mだとか…。
一歩間違えれば大船も木っ端微塵です。
相手国は、一体どれほどこちらの情報を掴んでいるのか。
お互いの一挙手一投足に集中し、相手の出方を見ながら言葉を選んでいったことでしょう。
所作というのは、このような時に言葉以上に雄弁であるように思います。
無礼であったり不躾であったりすれば、文化力の低さを見せつけることになり、自国が窮地に陥る可能性もあります。
現代の個人であってもそれは同じこと。
所作を整えるということは、誰かと勝負するためでも優位に立つためでもないのですが…
ただお辞儀という所作ひとつにも自分そのものが表に現れます。
日ごろから整えておくことで、ある意味自分を守ることも出来るかもしれません。
茶道はお辞儀を通じてそのような現実を教えてくれるように思います。