講師(宗夜)ブログ

2023-07-03 16:27:00

●ナルシスト・ネガティブの陽

怪しげな呪文ではありません。

宗嘉先生が分析した私の性格です。

 

え〜、なんか面倒くさそうな性格。

って私か…(;´д`)

そうかぁ、そうだなぁ、確かになぁ。

 

宗夜🔴『良いんですかね。この性格のままで』

宗嘉🟦『良いわけじゃないけど仕方ない』

宗夜🔴『変わらない?』

宗嘉🟦『変わらない。』

 

宗嘉先生によると、人の性格は大きく分けて3つに分かれるとのこと。

・ポジティブ

・ネガティブ

・ナルシスト

 

そしてそれぞれにまた、ポジティブとネガティブがあり、更にまた陰と陽があるとのこと。

 

宗夜🔴『そう言えば性格ってどうやって決まるんですか?』

宗嘉🟦『親!』

宗夜🔴『親…』

宗嘉🟦『と、環境』

宗夜🔴『で、もう変わらない…と』

宗嘉🟦『成人したら変わらない』

宗夜🔴『ナルシストで、ネガティブで、なんて言われると、私このさき大丈夫?と心配になるんですけど…。大丈夫なんですか?』

宗嘉🟦『大丈夫。自分の失敗するクセをよく分析すれば大丈夫。』

宗夜🔴『えぇ〜、ポジティブが良かったー』

宗嘉🟦『ポジティブは…』

 

ポジティブは一見よさそうに思うかもしれない。

前向きだし、優しいし、好かれる。

性格が良いから敵を作らない。

ただ、その代わり大きな成功もしない。

本人が大きな成功を望んでいないから。

優しいから人が寄ってきて、人から頼りにされて、人の世話を焼いているうちに自分の成長のチャンスを逃してしまう。

成長するための時間とエネルギーを知らず知らずのうちに人に奪われてしまう。

でもそれで良いと思っている。

だってポジティブだから。

 

宗夜🔴『ポジティブな人の心の中は平和で幸せそうですね』

宗嘉🟦『幸せだね。ポジティブだから』

宗夜🔴『ネガティブは?』

宗嘉🟦『ネガティブは…』

 

ネガティブは、自分はダメな人間だと思っている。

『そんなことないよ』と言われても、

『いいえ、ダメなの。ダメなのよー』と言い張る。だけれども本当は『そんなことないよ』と言い続けてもらいたい。

 

宗夜🔴『うわ、めんどくさ…』

宗嘉🟦『そう。めんどくさい。だから最終的に人が離れてしまう。』

 

人が離れると『ほらね、私ってやっぱりダメな人間でしょ?』と言ってまた自分の殻に閉じこもる。

こういう人と付き合うには、褒め過ぎないこと。

評価するということは、誰かと比べていることだから過剰に反応する。

親が過干渉だったり、過保護だったり、逆に放任主義だったりするとこうなる。

 

宗夜🔴『過保護と放任は、真逆じゃないですか』

宗嘉🟦『真逆ながら本質は似ている。親は目の前の自分の子どもの将来を本気で考えていない。その時々の感情で可愛がったり、突き放したりしている。一貫性がない。』

宗夜🔴『ネガティブの良いところを挙げるとすると?』

宗嘉🟦『危機管理能力があると言える』

 

粗探しをするのが上手い。

捉え方を変えれば危機管理能力が長けているとなるだろう。

完璧なものはこの世にはない。

完璧はあり得ないと思っている。

人にしろ、仕事にしろ、必ず欠陥を持っている。

業務の遂行を妨げるほど深刻なこともある。

ネガティブな人は、ネガティブなものに反応する。見逃さない。

要注意人物や案件をいち早く見つけ出し、具体的な対策を考えて講じることができる。

 

宗夜🔴『ナルシストは?』

宗嘉🟦『ナルシストは…』

 

ナルシストは、自分第一主義。

関心があるのは自分『だけ!』

 

宗夜🔴『いたたまれない気分なんですけど…』

宗嘉🟦『いや、それも悪くない』

 

自分の成長を自分が一番喜ぶ。

だから人からの評価を当てにしていない。

褒められようが、けなされようが、良いのよ私は、これで。と思っている。

褒められれば『当然でしょ』と思うし、

けなされれば『あら残念。あなたには私の良さが分からないのね。』となる。

自己評価が本来の自分の力と適合していれば、良い結果に繋がる。自分よりも優れた人を正当に評価して、その人の言うことを素直に聞き、更なる成長につながる。

適合していない場合にはアドバイスも褒め言葉も無意味。『私はすごいのよ、黙って私の力を見なさい』となる。

 

宗夜🔴『あらあら、本気で心配になってきましたよ』

宗嘉🟦『大丈夫。心配しているということは自分のことが外側から見えているから』

宗夜🔴『見えていない人は?』

宗嘉🟦『自分をナルシストと認めない。だから成長できない』

宗夜🔴『ところで源氏物語の登場人物に、先生の性格分析を施すとどうなります?』

宗嘉🟦『まず、光源氏はナルシスト。でも良いナルシスト』

 

出た〜ナルシスト❗️

そしてナルシストっぽい〜‼️

源氏物語の登場人物の性格分析は、よし庵の茶事にて宗嘉先生が詳しく詳しくお話しています。

ほんの少し、後ほどのブログで紹介いたしますね。おたのしみに…☺️

2023-06-19 18:37:00

●東洋的思想と西洋的学問

宗嘉先生との会話で、頻繁に話題に上るのが

『陰陽五行』『風水』『兵法』などの東洋的思想に基づく理論です。

 

先日の会話もこのような感じでした。

宗嘉🟦『僕たちのような講師業はオーラを高めて水魚(すいぎょ)にならなくてはいけないんだ。』

宗夜🔴『水魚(すいぎょ)…?』

宗嘉🟦『そう、そして』

              『木魚(もくぎょ)の生徒を伸ばす』

宗夜🔴『木魚(もくぎょ)の生徒…?』

宗嘉🟦『うん。だって木は水を吸って成長するでしょ?』

宗夜🔴『はぁ…、まぁ。』

 

水魚(すいぎょ)…

木魚(もくぎょ)…

っていったい何?

 

宗嘉先生の理論は、いつも唐突に始まって唐突に終わります。

『🟢🟢って🔸🔸でしょ?だから●●なの』

 

え?え?待って待って。

なんで🟢🟢が🔸🔸って言い切れるわけ?

だけれども先生は待ってくれません。

先生の思考の速度が早過ぎるのです。

『だから、●●なの!』

 

何ですか、それ⁉️

よくわからないんですけど…

 

このような会話が、先生と出会ってから今まで、とにかく絶え間なく続いてきました。

疑問は疑問のままです。

先生は言います。

疑問は疑問のまま胸に持ち、見えてくるまで待っていなさい、と。

これが東洋的思想のようです。

 

東洋的思想は理論ありき。

西洋的学問に慣れている私たちは、『なぜ?』と、つい疑問が湧いてしまう。

西洋的学問は疑問を持つところからスタートします。客観性を重視するからかも知れません。

陸続きの国家間では、紀元前から常に争いが絶え間なく起こってきました。

己の正当性と大義名分を主張するためには、客観性を持つことが重要だったと思われます。

仮説を立て、実験を繰り返し、その平均値などを採用して話を展開し、証明して、理論を打ち立てて結論に至る。

 

ところが東洋的思想は、もう形が出来上がっていて、即結論。

世界を大きな一つのかたまりと捉えている様子。それを内側へ内側へと学びを進めているみたいです。

西洋的な学問は逆で、外へ外へと拡張していき、自分たちの住む世界がどういったものなのかを外から捉えようとしているみたいです。

常に探索しようとしているみたいに見えます。

中世には大海原に乗り出し大後悔時代を経て制海権を得、20世紀初めには空に飛び出して制空権も得、20世紀中頃には宇宙にも出ました。

そして学問はどんどん細分化していきます。

細分化するから進化のスピードが早い。

そして細分化した先に、『あれ?この学問とこの学問、すごく似てるんじゃない?』ということがままあり、東洋人から見れば『そりゃそうだよ。もとは一つなんだから』という理論で片付くということがありそうだと思いました。

これが東洋と西洋との感覚の大きな違いなのかもしれないな、と思いました。

 

現代の日本人は、複雑な歴史の関係からか、東洋的思想に触れる機会を失っていました。

明治6年(1873年)にフランスを模範とする学制(学校制度)が定められます。

その後の改正や、太平洋戦争での敗戦を経て、教育システムも教育内容も大きく変化したと思われます。東洋的なもの、日本的な感覚から遠ざかってしまいました。

江戸時代は庶民は寺子屋における、読み書きそろばんで、生活に密着した勉強をしていました。

優秀な人材は、藩校や私塾などで専門的な高等学問を学んでいました。

それらの教育機関の全てで東洋的思想の学びを進めていたとは言えないかも知れませんが、生活に役立つ知恵は詰まっていたのではないかと思います。

その知恵の背後には、実は東洋的な高度な理論があるように思います。

 

先日、ブラタモリで足利学校のことを放送していました。軍師の多くを輩出していたと言っていました。

足利学校では『易』についての教えを施していたとのことです。

これこそ東洋的理論と言えそうです。

かの武田信玄公も足利学校出身の軍師を欲していたという書状を紹介していました。

 

ん?じゃあ、あれか…。

三方ヶ原の戦いでの武田軍の陣形も、もしかしたら有名な軍師によるものかも知れないのか。

あの陣形は強そうでした。

『どうする家康』での三方ヶ原の戦い。

家康をおびき寄せて待ち受ける武田軍。

陣形は鱗型の逆三角形をしていました。

逆三角形の鋭い頂点が幾重にもズラリと並び、徳川軍を睨みつけているようでした。

この大河ドラマの時代考証は戦国時代のスペシャリストであられる小和田哲男氏とのこと。

陣形は史実通りだと思います。

 

東洋的思想のすごいところは、即結果を出すところにあります。

『🟢🟢って🔸🔸でしょ』

と言い切る結論の思想。

迷いが生じる隙がない。

そして戦いの場で、勝敗という形ですぐに結果が出てしまいます。

疑問が湧く余地もないのかも知れません。

 

疑問が多く湧いたのは、自分が幼いからなんだなと思いました。

世界は及びもつかないほど複雑で難解。

理解できないことの方が多い。

そう思うと理論を素直に受け入れられるようになります。疑問を疑問のまま胸に抱えても嫌ではなくなりました。

不思議なもので人間関係も上手くいくようになり、無理な努力をしなくても、お点前も自然と頭に入るようになりました。

 

『気の流れが整ったんだね。』

と、宗嘉先生から声をかけられました。

東洋的思想は心の中もお見通し。

『心の中も宇宙だからね。』

 

若い頃にはうさん臭く思えていた東洋的思想。

西洋的学問を一通り学び終えてみたら、実は非常に優れた最先端科学であることがわかってきました。

地学、気象学、物理学、経済学、天文学、医学、心理学…

あらゆる学問を包括してしまう理論。

面白いかも、東洋的思想。

あまりにもゆっくり進むから、若い時はそのゆっくりさに耐えられなかった。

今はゆっくりな方が心地よい。

ゆっくりと思想を味わう。

茶とともに。

2023-06-12 20:43:00

●和を以て末広がりの人生を

末広がり

良い言葉だと思います。

豊かな人脈を作れたなら日々の生活に張りが出て楽しいでしょう。

ところが大人になってみると友人を作ることはなかなか難しいもの。

大人になればなるほど本音と建前の関係が複雑になるからです。

 

建前だけだと堅苦しくて、いつまでも仲良くなれないし、本音だけだと衝突します。

大人になってから肉親との関係が悪化するのは、状況が変化しているにも関わらず、双方が本音を通そうとするからかも知れません。

素の姿を知っている以上、建前は意味を成さず、その結果、新しい関係を構築しづらいのかもしれません。

 

人は一人では生きられない。

誰かと関わっていたい。

ところが、近すぎるのも面倒だし、疎遠になるのも寂しい。

人と仲良くなるためには、ある程度自分の本音を出して、相手の本音も受け入れて、常識を踏まえつつ、建前も残しておく…

という高等な技が必要なのかもしれません。

文章にすると余計にややこしくなってしまいました💦

 

ところで人間には性別があります。

女性と男性。

異性からとても人気がある女性が一定数いらっしゃいます。

『モテる』女性です。

モテるって何だろう?

今更ながら改めて思う時があります。

 

私の幼なじみにやたらとモテる女性がいました。

小学生の頃からモテました。

いや、幼稚園の頃からモテました。

中学、高校に上がるとモテ度は加速。

美人な上に成績も良く。

彼女と目が合うと、男性はそれだけで恋に落ちるようでした。

同級生、上級生、下級生、学校の先生、塾の先生。

言葉も交わさぬのにコロリ、コロリと落ちる。

大学生の時も、もちろんモテて。

就職してからも、もちろんモテて。

彼氏が途切れることなく次々と現れていました。

今の彼氏と別れるのを待ち、スタンバイしている次の彼氏が常にたくさんいました。

 

はぁー、すごいんだねぇ。

私には摩訶不思議な世界だと感心しました。

当時、母に話すとこう返ってきました。

『いいのよ。人間は中身が大事なのよ。』

 

その会話を宗嘉先生に話したら

『だって励ますしかないじゃん。』

 

なぬ❗️少し口を慎しまれよ。

『どうする家康』見過ぎの結果↑

 

一体この差は何なのだろう。

私はモテない。

モテた試しがありません。

いいんだもーん。興味ないんだもーん。

(うっすらと涙💧)

そうやって触れないようにして生きてきました。

 

しかし、しかしである。

やっぱりモテる方が人生楽しいのではないか!

と思うようになりました。

 

動物の世界に目を移してみましょう。

・孔雀は、なぜあんなに綺麗な羽を持っているのか?

→モテるため

・鶯はなぜあんなに綺麗な声で鳴くのか?

→モテるため

・エリマキトカゲはなんであんなに派手に速く走るのか?

→モテるため

 

みんな、みんな、モテるため。

そうだったのかぁーーッ!

でも私たちは常識を持った大人女性。

ここからは『モテる』という単語を

『人気者になる』という単語に置き換えて話を展開したいと思います。

異性を惹きつける女性は、同性を惹きつける魅力も同時に持っています。

その魅力とはこのような点が挙げられます。

 

・清潔である。

・おしゃれである。

・荷物が少ない。

・時間に正確である。

・ひとの話を静かによく聞く。

・TPOをわきまえている。

・自己アピールしない。

・質問が少ない。

・問い詰めない。

・優しい。

・正直である。

・フォローが上手。

・笑顔がかわいい。

 

こんな感じでしょうか。

いかにも仕事の出来そうな女性像。

そして全体的に『受け身』の印象。

相手の情報や力を引き出すのが上手なのです。

相手の力を引き出して受け止める役割が女性に期待されているからと推察します。

 

前述の、孔雀も鶯もエリマキトカゲも、モテるために努力しているのは全部オスです。

オスたちはものすごい努力をしています。

鶯などの鳥たちは、小鳥の頃から父親にさえずり方を聞かせてもらい、英才教育を施されているのです。そして常に練習を積んでいます。

必死です。

しかし必死に努力しているのはオスであります。

 

『女性は必死になってはいけない』

と生物学を修めた宗嘉先生は言うのです。

『よし、来い!』などと必死に受け身をしようとしても、相手は引いてしまいます。

スルーされてしまいます。

オスはオスに警戒するからです。

そして女性からも警戒されてしまいます。

『仲良くしましょ』と友好的に近付いたのに

『あんたじゃないわよ』と噛み付かれてしまったら…

もう二度と近付けなくなります。

これは寂しい。

 

せっかくの人生です。

末広がりでいきましょう。

出来る限り、全方位に。

人脈の核となるところを『和』としたなら、そのつながりは優しく穏やかなものになるように思います。

茶を喫んだり、

和菓子を作って一緒に楽しんだり、

懐石料理を習って家族を喜ばせたり、

着物を着て姿勢を整えたり。

 

定期的に習い事に通えば、顔を合わせる人と親しくなります。

同じ興味を持った人同士の集まりです。

きっと心が通じることでしょう。

 

静かに永く穏やかに…

和を以て末広がりの人生を送ってもらえたら。

そして私自身もそのように送りたいと思います。

2023-06-12 18:34:00

●ふくだめ潰しちゃダメ

先日、zoom中級の実践お稽古で福溜(ふくだめ)の話をしました。

『福溜(ふくだめ)は潰さないようにしましょうねー☺️』

お茶巾が畳まれる時に作られる、あの福溜です。

 

お茶巾は、お水次(おみずつぎ)を持ち出す際に蓋の上にのせられます。

お水次の注ぎ口を拭うためです。

お茶巾で注ぎ口10cm下を補佐し、注ぎ終わったら下から拭って、もう一度蓋の上にのせます。

日本人らしい、細やかな心遣い。

丁寧にするととても美しい。

でも、ぞんざいにすると…

拭う際に福溜が潰れやすいのです。

潰さぬよう角度や力加減にとても気をつけます。

福溜(ふくだめ)には福が溜まっていると考えられています。このふんわりとした丸みを潰さないように気をつけてお稽古しています。

 

茶道では常に『福が来るような』お点前や所作を心がけます。

 

運が上がる言葉を使い、

運が上がるような話題を選び

運が上がるような雰囲気を作ります。

 

お稽古を始めた頃にはそのような心掛けができていませんでした。

宗嘉先生によくよく注意されました。

『あああっ‼️』

(え?なに?私、何をしたの?)

『福溜が潰れているじゃないですか‼️』

(ああ…、そんなことか…)

 

『あのね…』

膝を改めて宗嘉先生が語りかけました。

『この福溜にね、あなたの全ての幸せが掛かっていると思いなさい。幸せになりたいでしょ?だっったら丁寧に扱わなきゃ。』

 

そのように注意されて、先生の丁寧な扱いを真近で拝見したら、やっぱりそれは丁寧な方が美しく見えていいなと思いました。

でも、

・美しく見えること

・運気を上げること

この二つが一体どんな関係を持っているのだろうか?

 

身近に分からせてくれたのは、大河ドラマでした。

『どうする家康』

松潤の熱演から目が毎週離せません。

戦国時代の真只中。

先週は長篠の戦いでした。

長篠の戦いは1575年。

 

利休居士はこの時53歳。

ちょうどこのあたりの時代に、侘び茶が生まれたということになります。

こんなに殺伐とした時代に。

庶民でも、明日をも知れない命です。

そう考えると『一期一会』の持つ重みが身に沁みます。

 

『どうする家康』の前は

『鎌倉殿の十三人』でした。

脚本家は三谷幸喜かぁ。

あの人ちょっと軽いんだよね…

とか思いながら気が付いたら毎週見てました。

面白いっ!

こんなに面白かったら次の松潤大変だなぁ…

どうしてどうして、松潤のも面白い!

 

面白いのもそうですが…

なんと武士の世は厳しいことか…。

むごい…。

『謀反の疑いあり!』と言われたら

言い訳しても助からない。

再起できないよう家人もろとも消されてしまう。

後の世に禍根を残さぬための常套手段でした。

この厳しい時代が、その後も続きました。

 

江戸時代になって治安も安定したのかと思っていたらそうではなかったそうです。

確かに大きな戦いは無くなりました。

ところが街中では江戸時代中期ころまで『辻斬り:つじぎり』が多かったと言われています。

辻とは、十字路のこと。

辻斬りとは通り魔のような存在でした。

江戸城下を治めるに当たって、街中の治安を何とかせねばと立ち上がったのが5代将軍綱吉。

有名な『生類憐れみの令』の発令には辻斬りに見られるこのような治安背景も鑑みてのことと伝わります。

 

また清い水を手に入れることも大変でした。

湧き水はどこにでもあるわけではありません。

川の水の場合は、一旦煮沸していたと思います。

 

今の日本は平和です。

穏やかな気持ちで安全にお茶を愉しむことができます。

でもここまでに至る道のりは、長く長く険しかった。

その歴史に想いを馳せれば、一服のお茶の重みをもっと知ることが出来るでしょう。

 

お茶巾の小さな福溜。

ほんの少しの力加減で、すぐにぺしゃんこになってしまうから、大事に大事に…。

小さきものへの愛情を忘れずにお茶を点ててくれたなら、とても嬉しい。

細やかな心遣いを感じ取れる自分でいられたなら、もっと愉しい。

だから、ふくだめ潰しちゃダメ。

2023-06-04 19:44:00

●同じお点前でも楽しい

私どものお教室に、ずっと同じお点前を楽しんでくださる生徒さまがいらっしゃいます。

静かに穏やかに愉しんででくださる。

そして優しい雰囲気を纏っていらっしゃる。

 

しかし最初からそうではなかった。

しばらくはツンツンしていました。

私も、生徒さまも。お互いに。

それを、反省しては次に活かし…と時間をかけて、波長の合わせ方を二人して根気よく学んでいった結果です。

 

最初は色々と覚えて欲しいと思っていました。

茶道にはたくさんのお点前があります。

それぞれに美しさがあります。

なるべく沢山のお点前を正確に覚えるのが茶道だと思っていました。

それを教えるのが私の使命だと思っていました。

でもどうやら私は狭量だったようです。

あれも出来る、これも出来る、というのは半ば押し売りであったと今では反省しています。

一つのお点前をじっくり愉しむのも良いものですね。生徒さまから教わりました。

大切なのは波長を合わせること。

 

他人と波長を合わせるのは簡単ではありません。

子どもの頃からの共感体験の積み重ねにより、少しずつ獲得していく能力です。

子育て中にその能力を知りました。

10年くらい前、子どもの小学校で絵本を読むボランティアをしていました。

そこで絵本の種類や読み方、子どもの脳の発達の仕方などを勉強させてもらいました。

ママ友との雑談も勉強になりました。

 

『昨日の夜さぁ、ウチの子が本読んでと言うから絵本読んだんだ、この本。』

『うんうん、これね。これ良いよね。ウチの子も好きだよ。』

『読むのは良いんだけど、11回読んだよ。』

『11回❗️』

『だってこの前、子どもが欲するままに読んであげなさいっていう話あったでしょ。だから読んだの。疲れちゃったけど最後は満足して寝たよ。』

『うわー、お疲れさん。〇〇ちゃん幸せだねぇ』

 

11回も読んだのか。偉いなぁ。

低学年用の子どもの絵本は、飽きないよう5分程度に作られています。

5分×11回=55分

ほぼ1時間もそのママは同じ本を繰り返し読んだことになります。

ママも偉いけど、そのお子さんも偉い。

同じことを繰り返しているようで、実はそうではないように思います。

そのお子さんの脳内では毎回違う感動を得ていたのではないでしょうか?

そしてそれ以上に、母親との交流を心ゆくまで愉しんでいたのではないかと思います。

子どもだって『あ、ママ疲れてきたな…』という変化を感じています。

そして多分本人も疲れてると思います。

でも、でも甘えたい。

母親の胎内にいた、あの一体感を味わいたい。

同じ絵本を読んで、同じところで不思議がって、同じところで笑いたい。

波長を合わせる訓練をしているようです。

 

子どもは笑うことが好きです。

何だか知らないけどやたらと笑いたがる。

もしかしたら笑うことで呼吸器官を鍛えているのかもしれません。

そして走ることも飛ぶことも好きです。

心臓の筋肉の力が弱いから、走り回ることでふくらはぎのポンプの力を使って血液を心臓に戻していると言います。

そして甘いものを好みます。

遊ぶときにはおやつは欠かせません。

みんなで同じ甘いものを食べることで、快楽物質ドーパミンを他者と協調して一斉に出す訓練をしているのかもしれません。

不思議なもので、子どもの頃甘いものを一人で食べてもそんなに美味しくないんですよね。

みんなで同じ甘いものをあーだこーだ言いながら食べるのが良いんですね。

子どもは幼ければ幼いほど、おやつを巡って喧嘩します。甘いものへの執着は凄まじいです。

脳をいち早く発達させることが生きるために不可欠であるから、成長期はブドウ糖への執着が凄まじくなるのかもしれません。

喧嘩も真剣そのものです。

そして…

これらの経験を共有できる相手を常に必要としています。

 

大人になってもやっぱり同じです。

共感したい。

だからどの国でもお笑い番組があるのではないかと思います。

一緒に笑いたい。

 

お笑い番組と言えば…吉本新喜劇。

やっぱり10年くらい前の話なのですが、大きな台風が来て我が家のアンテナを倒しました。

業者に修理を依頼しましたが、予約が立て込んでいて目処が立たないとのこと。

しょうがないねぇ、テレビ見れないよ。

じゃあYouTubeで吉本でも見るか、となりました。

そのころ吉本新喜劇にハマっていました。

とある学校の文化祭に行った時、高校生が吉本新喜劇を演じていたのです。

そのクオリティの高さたるや!

めちゃくちゃ笑いました。

教室は超満員で、見ず知らずの他人でごった返していて身動きが取れません。

うわ、しまった…と後悔していたところで劇が始まりました。

タラララッタラ〜🎵

タラララッタラ〜🎵

あのお馴染みの音楽が鳴り響き、全員の目がステージに注がれます。

劇が始まると先刻の後悔が吹き飛びました。

はちゃめちゃなストーリー展開。

『ハハハ!何それ!ハハハ😂』

笑いっぱなしの90分。

 

それ以来、吉本にハマってしまいました。

ストーリーは大体同じ。

登場人物も大体同じ。

そして人物ごとにミュージックも決まっていて、登場するタイミングも同じ。

キーパーソンが登場すると、『カーッ!』と観客に向かって目をひんむいて笑いを取る。

観客も笑う場所を全部心得ていて、同じ場所で同じように笑う。

あれ、落語も同じだ。

同じ時期に落語にもハマっていて、CDをかけてよく笑っていました。

当時は文珍さんが好きでした。

なんで同じ話を聞いてこんなに笑えるんだろう。

ふと不思議になりました。

 

どちらにしても、観客の笑い声も収録されています。

そう言えばドリフも笑い声を収録しています。

アメリカの『奥さまは魔女』も、『ファミリータイズ』も笑い声を収録しています。

もしかして、こっちが主なのか?と思いました。

他人が笑うから私は笑うのか?

私は共感したいのだ。

自分は一人ではないと笑いを通じて実感したい。

そして同じ話を何度も聞くのは安心したいから。

 

茶道でも脳の欲するところは同じなのかもしれないと思いました。

年齢を重ねるにつれて人前で『ガハハ』とは笑えなくなります。恥ずかしいし美しくないから。

老化のスピードは思いのほか早く、美しくあろうと常に心掛けておかないと、美しさは簡単に減じてしまうのです。

でも人との繋がりを保っていたい。

共感したい。

静かに、美しく、美味しく、愉しく…。

 

一つのお点前を愉しむのも、

色んなお点前を愉しむのも、

全部あり。

その時々で生徒さまの欲するように寄り添うのが私の本当の使命なのだな…と思いました。