講師(宗夜)ブログ
●東洋的思想と西洋的学問
宗嘉先生との会話で、頻繁に話題に上るのが
『陰陽五行』『風水』『兵法』などの東洋的思想に基づく理論です。
先日の会話もこのような感じでした。
宗嘉🟦『僕たちのような講師業はオーラを高めて水魚(すいぎょ)にならなくてはいけないんだ。』
宗夜🔴『水魚(すいぎょ)…?』
宗嘉🟦『そう、そして』
『木魚(もくぎょ)の生徒を伸ばす』
宗夜🔴『木魚(もくぎょ)の生徒…?』
宗嘉🟦『うん。だって木は水を吸って成長するでしょ?』
宗夜🔴『はぁ…、まぁ。』
水魚(すいぎょ)…
木魚(もくぎょ)…
っていったい何?
宗嘉先生の理論は、いつも唐突に始まって唐突に終わります。
『🟢🟢って🔸🔸でしょ?だから●●なの』
え?え?待って待って。
なんで🟢🟢が🔸🔸って言い切れるわけ?
だけれども先生は待ってくれません。
先生の思考の速度が早過ぎるのです。
『だから、●●なの!』
何ですか、それ⁉️
よくわからないんですけど…
このような会話が、先生と出会ってから今まで、とにかく絶え間なく続いてきました。
疑問は疑問のままです。
先生は言います。
疑問は疑問のまま胸に持ち、見えてくるまで待っていなさい、と。
これが東洋的思想のようです。
東洋的思想は理論ありき。
西洋的学問に慣れている私たちは、『なぜ?』と、つい疑問が湧いてしまう。
西洋的学問は疑問を持つところからスタートします。客観性を重視するからかも知れません。
陸続きの国家間では、紀元前から常に争いが絶え間なく起こってきました。
己の正当性と大義名分を主張するためには、客観性を持つことが重要だったと思われます。
仮説を立て、実験を繰り返し、その平均値などを採用して話を展開し、証明して、理論を打ち立てて結論に至る。
ところが東洋的思想は、もう形が出来上がっていて、即結論。
世界を大きな一つのかたまりと捉えている様子。それを内側へ内側へと学びを進めているみたいです。
西洋的な学問は逆で、外へ外へと拡張していき、自分たちの住む世界がどういったものなのかを外から捉えようとしているみたいです。
常に探索しようとしているみたいに見えます。
中世には大海原に乗り出し大後悔時代を経て制海権を得、20世紀初めには空に飛び出して制空権も得、20世紀中頃には宇宙にも出ました。
そして学問はどんどん細分化していきます。
細分化するから進化のスピードが早い。
そして細分化した先に、『あれ?この学問とこの学問、すごく似てるんじゃない?』ということがままあり、東洋人から見れば『そりゃそうだよ。もとは一つなんだから』という理論で片付くということがありそうだと思いました。
これが東洋と西洋との感覚の大きな違いなのかもしれないな、と思いました。
現代の日本人は、複雑な歴史の関係からか、東洋的思想に触れる機会を失っていました。
明治6年(1873年)にフランスを模範とする学制(学校制度)が定められます。
その後の改正や、太平洋戦争での敗戦を経て、教育システムも教育内容も大きく変化したと思われます。東洋的なもの、日本的な感覚から遠ざかってしまいました。
江戸時代は庶民は寺子屋における、読み書きそろばんで、生活に密着した勉強をしていました。
優秀な人材は、藩校や私塾などで専門的な高等学問を学んでいました。
それらの教育機関の全てで東洋的思想の学びを進めていたとは言えないかも知れませんが、生活に役立つ知恵は詰まっていたのではないかと思います。
その知恵の背後には、実は東洋的な高度な理論があるように思います。
先日、ブラタモリで足利学校のことを放送していました。軍師の多くを輩出していたと言っていました。
足利学校では『易』についての教えを施していたとのことです。
これこそ東洋的理論と言えそうです。
かの武田信玄公も足利学校出身の軍師を欲していたという書状を紹介していました。
ん?じゃあ、あれか…。
三方ヶ原の戦いでの武田軍の陣形も、もしかしたら有名な軍師によるものかも知れないのか。
あの陣形は強そうでした。
『どうする家康』での三方ヶ原の戦い。
家康をおびき寄せて待ち受ける武田軍。
陣形は鱗型の逆三角形をしていました。
逆三角形の鋭い頂点が幾重にもズラリと並び、徳川軍を睨みつけているようでした。
この大河ドラマの時代考証は戦国時代のスペシャリストであられる小和田哲男氏とのこと。
陣形は史実通りだと思います。
東洋的思想のすごいところは、即結果を出すところにあります。
『🟢🟢って🔸🔸でしょ』
と言い切る結論の思想。
迷いが生じる隙がない。
そして戦いの場で、勝敗という形ですぐに結果が出てしまいます。
疑問が湧く余地もないのかも知れません。
疑問が多く湧いたのは、自分が幼いからなんだなと思いました。
世界は及びもつかないほど複雑で難解。
理解できないことの方が多い。
そう思うと理論を素直に受け入れられるようになります。疑問を疑問のまま胸に抱えても嫌ではなくなりました。
不思議なもので人間関係も上手くいくようになり、無理な努力をしなくても、お点前も自然と頭に入るようになりました。
『気の流れが整ったんだね。』
と、宗嘉先生から声をかけられました。
東洋的思想は心の中もお見通し。
『心の中も宇宙だからね。』
若い頃にはうさん臭く思えていた東洋的思想。
西洋的学問を一通り学び終えてみたら、実は非常に優れた最先端科学であることがわかってきました。
地学、気象学、物理学、経済学、天文学、医学、心理学…
あらゆる学問を包括してしまう理論。
面白いかも、東洋的思想。
あまりにもゆっくり進むから、若い時はそのゆっくりさに耐えられなかった。
今はゆっくりな方が心地よい。
ゆっくりと思想を味わう。
茶とともに。