講師(宗夜)ブログ
●秘すれば花なり
秘すれば花なり。
室町時代の能楽師、世阿弥の伝書『風姿花伝』より。
世阿弥は父の観阿弥と共に能楽の基礎を築いた人物です。
この方々の名前を覚えたのは中学の歴史の授業。
能と言えば観阿弥・世阿弥、と続き言葉のように覚えました。
この二人の名前しか知らないので、当時から有名であったのだろうと思っていました。
しかし実はそうではなく、手強いライバルとの大変な競争を経て今日に続く文化へと成長させたそうです。
猿楽と呼ばれる物まね中心の庶民的な芸から抜け出し、美しい歌と舞を中心とする能へと洗練させたのが世阿弥とされています。
和歌や連歌の技法を踏まえて文学的情緒に溢れた台本を制作する方法を確立しました。
平安貴族の教養も上手に取り入れることで、公家の文化薫り立つ、武家の文化という新しいジャンルを作り出したのです。
室町時代の武士たちは、 文による求心力を欲していました。
国を平に治めるためにも、なるべく早く血の匂いを拭い去りたいところ。
室町幕府を一言で象徴できるようなアイコニックな文化を求めていました。
世阿弥は時代のニーズを上手く掴み、室町幕府三代将軍・足利義満と、四代将軍・義持から評価を得ることに成功します。
そして激しい競争に打ち勝ち続けるため、自分が掴んだノウハウを子孫のために『伝書』として書き残します。
その一つが『風姿花伝』。
人生を照らす道として現代の私たちの心にも響きます。
。。。。。。。。。。
秘する花を知ること。
秘すれば花なり。
秘せずば花べからずとなり。
。。。。。。。。。。
さて、
コンプライアンスの遵守が求められる今日、誰もが言動の見直しを迫られています。
私の子供時代・学生時代は、欲求に正直な時代でした。
『面白ければなんでもあり』の風潮もありました。
時にメディアでの行き過ぎた表現に違和感もありました。
いま色々な声が上がっている様子を見ると、多くの人が自分と同じ気持ちを持っていたことに驚きます。
そしてもう一つ驚くのは、世の価値観の変化の早さ。
約5年前(コロナ禍以前)、ハロウィン時期に私の住む街で非常に大勢の人が仮装をして出歩いていることがありました。
仕事からの帰宅途中で、私はバスに乗っていました。
そんなことは長く住んでいて初めてのことでした。
大都市ではありません。
首都圏近郊の小さな街です。
見たこともないほどの大勢の人が、派手な仮装をして夕方に練り歩いていました。
大通りは混乱状態。
人混みは車線までせり出し、車もバスも走行できません。
小さな子が歩いているのでクラクションを鳴らすことも出来ず、時々ライトの点滅をするのがやっとでした。
幼児が車道をヨチヨチ歩いていましたが、両親がどこにいるのか分かりません。
両親らしい人たちも仮装していて気に留めていませんでした。
注意をしようものなら、こちらが攻撃されてしまう雰囲気でした。
この辺りの時代が、個人の欲求や欲望が露わになっていたピークのように感じます。
モラルが崩壊してしまった…
注意もできない。
是正もできない。
これから世の中はどうなってしまうのだろう。
そんな暗い気持ちを抱いたのを覚えています。
その翌年
コロナによるパンデミック。
公共の場に集まることも、話すことも、笑うことも許されない行為となりました。
帰宅時の手洗いうがいも必須。
きちんときれいに清潔に。
また日本がITにおいて、いかに世界から遅れを取っていたかを思い知らされたのもこの頃でした。
しまった!
このままではいけない。
コンプライアンスという言葉を頻繁に耳にするようになったのもこの時期からのように思います。
出生率の更なる低下。
2023年 1.20
今年はもっと低い数値が予想されています。
少子超高齢化社会。
人口が少なくなった分、多くの人が働かないと社会が維持できません。
国内で誰かを批判する余裕がなくなりました。
喧嘩をする余裕もなくなりました。
みんな仲良く。
仲良くするだけでは不十分。
大人だから利益を生み出さないといけません。
無駄な衝突を生まないためにも、それぞれがきちんと行動する必要があります。
そういった社会の必要に迫られた変化が、コンプライアンス遵守の背景にあるように思います。
今まで何となく許されていたことが許されなくなりました。
突然の変化に戸惑うこともあるかと思います。
判断に迷う時に世阿弥の言葉が一助となりそうです。
。。。。。。。。。。
秘する花を知ること。
秘すれば花なり。
秘せずば花べからずとなり。
。。。。。。。。。。
和歌文化に裏打ちされた美しい言葉。
唱えるだけでも心が落ち着きます。
●後醍醐天皇の気持ち
歴史の見方には様々な切り口があります。
茶道にスポットを当てれば茶道史、書道にスポットを当てれば書道史と呼ばれます。
勉強をしていると、歴史上の人物の気持ちを近くに感じることがあります。
最近、後醍醐天皇の気持ちをふと感じました。
後醍醐天皇は1333年の建武の新政で有名です。
教科書には
『天皇や貴族を中心とした政治に戻すために力を尽くした人物で、その後足利尊氏ら武士との戦いに敗れて吉野に逃れて南朝を築きました。』
と紹介されています。
数行で済まされていますが、自分で和歌などの肉筆の書を勉強するようになると、活字には上らない先人の呼吸感のようなものを体で感じることがあります。
最初に後醍醐天皇の名前を知ったのは中学時代。
その時には『ゴダイゴ天皇』とひと続きで人名として捉えていました。
だいぶ大人になってから『後・醍醐天皇』という意味であったことを知りました。
後〇〇天皇と名乗る主な理由は、御所の所在地が同一のときに個人を特定するためだったり、先人の功績をリスペクトする復古主義だったり、とされています。
後醍醐天皇の場合には、後者の『醍醐天皇をリスペクト』と見られています。
ではまず醍醐天皇とは…
平安時代の中ごろに天皇中心の政治(天皇親政)を行った人物。
古今和歌集(全20巻)編纂や、延喜式(律令の細則をまとめた古代法典)編纂の勅命を出しました。
ともに延喜5年(905年)。
文化も政治も経済も、天皇が全てを掌握しているのだと知らしめています。
歴史上のイベントとして字面だけを追っている時には遠い出来事に感じていました。
でも高野切・関戸本・元永本といった古典の臨書をすると醍醐天皇に感謝したい気持ちになります。
『素晴らしい文化を形にしてくださった』
薫り高い貴族文化にうっとり魅せられます。
しかし古典は難しい…
上手に書けない時に、書の先生が目の前でお手本を書いてくださいました。
コロコロチリリン…
流れる筆から鈴音が聞こえました。
達人は筆で音楽を奏でるのかと目が丸くなりました。
平安時代〜鎌倉時代〜室町時代の人々は、現代の私達よりもはるかに官能の感覚が鋭いでしょうから、和歌の音楽性を書で味わうことは日常であったと思われます。
その雅な平安の文化と政治を取り戻したいと動いたのが後醍醐天皇でした。
建武の新政は1333年。
延喜式の勅命(905年)から400年以上が経過しています。
鎌倉幕府も最初のうちは西に勢力を伸ばせなかったようですが、じき力を誇示するように六波羅探題を置きました。
経済面においても印象付けるが如く仏教建築物の多くを各地に残しています。
文化面でも、後鳥羽上皇の命による新古今和歌集には源頼朝の和歌が2首採用されるなど武士の教養の高さも示しています。
しかし当時の朝廷側からすると、武士は乱暴で教養のない人々と見られていたようです。
『字は書けるのか?』
くらいに低く見られていたと聞きます。
その様子を2年前の大河ドラマで三谷幸喜さんが表現されていました。
戦況を書で御家人たちに報告させる様子。
『うわ、汚い字。まったく読めんな。』
『おっ。小四郎(義時)は綺麗な字を書くじゃないか。』
『しかし何が言いたいのか分からんな。』
文治に弱いところが強調されていました。
あながち演出ではなく、朝廷や京都の文人からは本当にそのように見られていたようです。
だからこそ建築や仏像の作成など、人目につくように建造物に力を入れていたのかも知れません。
それでも武士(もののふ)の野蛮なイメージは拭えず、後醍醐天皇はもう一度朝廷が文化・経済・政治の中心となるべく命を出しました。
『後』は単なる『あと』ではなく『neo』『new』などが相応しい意味に思われます。
当時の武士は本当に暴力的だったようです。
後醍醐天皇は京都が血で穢されるようで許せなかったのかもしれません。
その京都を室町幕府は本拠地としました。
仏教勢力や朝廷文化が根付いた地に、後から入り込むことは容易ではありません。
武士独自の文化を作り上げて求心力を高める必要があります。
そこで生まれたのが『茶道』
同朋衆と呼ばれる教育係も付けて万全の体制。
庭に、建築に、衣類に、食に、美術品に、書に、香に…
全てを包括した総合芸術。
後醍醐天皇も御宸翰(ごしんかん:天皇直筆の書)と呼ばれる消息をこの時代に遺しています。
朝廷文化が貴族のみの限定的だったものに対して、茶道は門戸を庶民にまで解放し長く広く愛される文化に成長しました。
地の底から湧き上がるような力強さと、己を律する志。
稽古を積むたびに奥深さに気付かされます。
お稽古で体得することも大切ですが、伝統文化であるため座学も大切です。
どちらが抜けても学びとして結実しません。
今後よし庵では座学にも力を入れていくつもりです。
テキストも作成し、ちょっとしたテストも行う予定。
どうぞお楽しみに😊📝
●こころは誰のもの?
AIの時代。
本格的にAIが活躍する、この先何年かで私たちの生活も大きく変化しそうです。
単純なことはもちろん複雑なこともAI任せ。
人間のこころの問題もからだの問題も、AIがどんどん踏み込んできそうです。
複雑な人間関係をAIが解決出来るのかは未知数です。
解決出来るのかも知れません。進化が著しいですから。
でも自分の人生は自分のもの。AIが普及すればするほど、却って各々の人生の捉え方が大切になるだろうと思われます。
人生はよく川の流れに例えられます。
何となく教室運営も川の流れのようだと感じています。
。。。。。。。。。
ゆく河の流れは絶えずして、
しかも、もとの水にあらず。
よどみに浮かぶうたかたは、かつ消え、かつ結びて、久しくとどまりたる例なし。
世の中にある、人と栖と、またかくのごとし。
鴨長明『方上記』より
。。。。。。。。。
なんと力強い冒頭文。
リズミカルで耳に心地よく、目に清流が浮かびます。
やや慌ただしくて、人と栖がこの通りだとは私には同意しかねますけれども。
教室運営で、似てると思ったのは『よどみに浮かぶうたかたは…』の一文です。
うたかたとは泡沫のこと。
泡のように、来たと思ったらあっという間に流れて消え去ってしまう生徒さまもおられます。
その一方で、上流からコロンコロンと流れて着く小石のように、川の流れに彩りをもたらし、より一層清流を美しくする生徒さまもおられます。
小石は角が削られて時が経るごとに表面が滑らかになっていきます。
よし庵は人生に寄り添う茶道教室でありたいと思っています。
家庭の要である女性は、所々で家族の門出に力を尽くさねばならないことがあります。
自分の人生を後回しにしてでも、多少犠牲にしてでも、優先せねばならない時があります。
ひとは誰もが自分の舟と川を持っているようなものと思います。
時には自分の本流から外れて家族の支流に入り、家族の舟を助けて流れに乗せ、『そろそろ大丈夫そうね』と無事を見届けたら、その後ろ姿に幸運を祈って別れを告げ、また本流に戻って自分の舟を漕ぐ。
私は人生をそう捉えています。
戻っていらした時に
『おかえりなさい』
と迎えられる教室でありたいと思います。
ただ、これは茶道に真剣に向き合ってくださる方に限ります。
真剣な方は、お休みになられる時に、その理由と休む期間を明言されます。
そしてその言葉通りに帰って来てくださいます。
大人と大人の約束です。
帰って来てくださった折には本当に嬉しそうに
『ようやく自分の時間を取り戻しました』
と笑顔を見せてくださいます。
一つ大きな山を越えた満足感と自信が見て取れ、むしろ人間的に大きくなられたような感もあります。
反対にお休み期間がはっきりせず、再開時期が不明な方もおられます。
飽きてしまったのだろうと推測します。
いつ帰って来るか分からない方を、いつまでもお待ちすることは出来ませんので、タイミングを見てその旨申し伝えています。
茶道そのものや、教室の雰囲気が合わなければ、続けられないのは仕方ないでしょう。
代わりに自分に合うものを見つけていただければ良いと思います。
しかし不思議なのは、去られる方々の共通点。
去られる方は、よく笑うのです。
笑うことがいけないわけではありません。
嫌だとも思わなかったので、私も最近までこの共通点に気が付きませんでした。
長くおられる生徒さまも、もちろん時折笑います。
けれども笑いの質が異なります。
去られる生徒さまの特徴は、注意の直後に笑い声を立てるのでした。
『やだもぉー、キャハハ』
最初は楽しんでいるのかと思っていました。
私もつられて笑ってしまうこともありましたし、連客の生徒さまも一緒に笑うこともありました。
ただあまりにも頻回に笑うので、(そんなにおかしい?)と不審に思うようになりました。
改めて思い出すと、どうやら反抗心の表れのようでした。
笑っているだけですので、それに対しての注意まではしません。
しかし人間関係はこのような些細なきっかけで乱れてしまうこともあります。
果たしてAIはここまで気付けるのだろうかと思いました。
私どもはお代をいただいて技術をお教えしております。
茶道において技術とはお点前だけでなく、作法と心の持ちようも含みますため、理念も大切にしております。
昨今は理念の意識が乏しく、何でもお金で買えると思う傾向があり悲しい気持ちになることもあります。
お代を渋りつつ権利を主張する方もおられれば
『いくらでもお金を出すから高度な技術を教えて欲しい』と仰る方もおられました。
あまりにも礼を欠く発言。
ここまで技術に拘るのは教室を持ちたいからでしょう。
でも師匠を師匠とも思わず敬う心が抜け落ちた状態で、いったい将来弟子に何を伝えるのでしょうか?
宗嘉先生も工藤もお点前をする時に
『すごいものを見せてやる』
などと思ってはいません。
あるのは自分の究極に辿り着きたい、という一念のみ。
近づけることもあれば、つまらないミスに足を取られることもあります。
『ああ、カッコ悪いところ見せちゃったな』と思う時もあります。それも鍛錬のうち。
茶道を始め『道』がつくお稽古の根本は愛情だと思っています。気持ちの上で、愛し愛される関係です。
師匠と弟子の愛だったり
茶道に対する愛だったり
連客に対する愛だったり
今ここに存在する生命そのものへの愛だったりします。
お点前中の姿には自分の素が滲み出ますので、愛は大切です。
逆に愛が無いと、顔や言葉は笑いに満ちていても違和感が漂うものとなります。
大人になればなるほど、
心・技・体の一致が試されるように思います。
そしてこれらは失敗して失敗して、失敗の理由に気付かずにまた失敗して、朧げながら少しずつ向こうの方から透けて見えてくる答えです。
答えを得るには信頼できる師匠との出会いが必要です。
皆さまそれぞれが信頼できる師匠と出会えますように。
。。。。。。。。
その道に入らんと思ふ心こそ
我が身ながらの師匠なりけれ
。。。。。。。。
まずは心の中の師匠に出会っていただき、初心を全うされますように。
自分のこころは自分のもの。
時間と愛情をかけて、こころを育てていきましょう。
●夏が来た!☀️🍉
夏だ!夏が来た!
朝から太陽ギラギラ☀️
でもウキウキする!
暑いのは苦手ですが、夏が来るとウキウキが止まりません。
朝から蝉のミンミン声を聞くと
『元気だねー』と思います。
夏は休日も早起き。
顔を洗ったら朝一番で2階のベランダから日除けのタープを掛けて1階の庭まで覆います。
日が差す前に覆うのがポイント。
2階の窓にも日除けのタープを掛けて準備OK!
クーラーは除湿27℃
たまに26℃
気温が上がる前にここまで終えることが快適に過ごすためのポイントです。
日が差して気温が上がってからこれらをしても家が熱を蓄えて全然冷えないのです。
夏が好きな理由は、成長を感じる季節だから。
気分は小学生🧒🎒
7月の半ばくらいに夏の宿題を自分で決めます。
行ってみよー!今年の宿題🤙
《逆勝手と炭手前》。。。。
逆勝手:薄茶、濃茶、初炭、後炭、棚薄茶、棚濃茶
本勝手初炭、本勝手後炭
。。。。。。。。。。。。。
今よりももっと綺麗なお点前になりますように✨
ところで皆さまはカレンダーをどのように使われておられますか?
私は3種類のカレンダーを常に眺めております。
・5年カレンダー
・1年カレンダー
・1ヶ月カレンダー
5年カレンダーを眺めては、
1年後には大体こんな風になってるな、2年後はこうだな、とか想像しています。
3年後となるとちょっと読めないけれども、今の1年間の過ごし方が良ければ、あんな感じかな…とか。
1年カレンダーには、現時点で分かっている数ヶ月後の予定などを書き込んでいます。
着物や帯のクリーニングには数ヶ月を要するため、1年カレンダーで管理しておかないと仕事に支障をきたしてしまうのです。
1ヶ月カレンダーには、要注意のお稽古日(zoom花月)などを記載して前勉強の予定を組みます。
5年、1年、1ヶ月の単位で『いま』を捉えるようになると無駄とか焦りとかネガティブな感情を減らせます。
そしてその年の濃い薄いを決めるのが、『夏の過ごし方』なのです。
除夜の鐘がゴーンと響く時に
(今年もよく頑張ったなぁ)
と思える年は、夏の過ごし方が充実した年です。
ああ、大人は良い(^-^)
自分の人生をデザイン出来る幸せ。
お陽さまのちからを分けてもらって
大人こそ夏を楽しみましょう🏝️
●悩みのタネはまさかの地球
宗嘉先生との会話『重力波』の続き。
先生の言う『波動』
物理学者の言う『重力波』
この2つの共通点は分かりません。
宗嘉先生が『波動と重力波が同一のものか断言ができない』と仰るのは、証明のしようがないからです。
宗嘉先生は感覚で波動を捉えていて、学者たちは実験の計測結果で重力波を捉えています。
捉える方法が異なるので確認ができません。
でも同一なのではないかと工藤は思っています。
というのは、天体学者や物理学者や数学者が話している内容と、宗嘉先生の話している内容がところどころでピタリと一致しているからなのです。
表現の仕方までそっくりで、話をするたびに驚きます。
『天体同士は何らかの力関係に基づいて均衡を保っている。そこに重力波が関係している。そして重力波は宇宙空間を漂っている。』
と天体学者が語っていました。
宗嘉先生からも同じ内容を何度も聞きました。
先生は『波動』という単語を用います。違いはそこだけです。
『みんな独自の波動を持っている。生き物だけでなく、モノも持っている。』
波動、か。
私には捉えられないので何なのか語れないのだけれども。
ただ先日、先生と話していて
『波動が上がったね』
と言われたことがありました。
『ここ最近、様々な欲が遠のいて気が楽になったんですよ』
と話した後でした。
『波動が上がるとラクになるんだ』
と続いて言われました。
悩みが多い時、
または落ち込んでいる時、
何となく世を恨み、ますます気持ちが落ち込むことがありました。
そうなると欲が強くなりました。
自分以外の人が幸せそうに見えて、
『良いわね、あなたは』
なんて思うこともありました。
ふと我に返って自分の醜さを知り、自己嫌悪になったりして。
そんな時
『この肉体があるから私はこんなに苦しいのよ』
と思った時もありました。
ああ、肉体を離れて自由になりたい。宇宙をゆらゆらと舞えたら良いのに、なんて思ったこともありました。
そんな昔の話を宗嘉先生にすると…
・・・・・・・・・
🟦みんなそうなんだよね。
🟥みんなそうですか?この肉体があるから苦しいんだと、みんなも思ったりしますか?
🟦苦しいときはみんな思うよ。だから宗教が必要なの。自分の醜さを克服するために。
🟥精神って、本当は自由なんじゃないですか?
🟦そうだよ。でも肉体を持つと、地球に暮らすと、ひとは醜くなるんだよね。
🟥地球に暮らすと醜くなる⁈
🟦地球が重いんだろうね。
🟥地球が重い?
🟦人間は重力で地球に引っ張られてるから。
🟥本当は自由に生きたいのに?
🟦そうだろうね。だのになぜ生まれたのかはよくわからないけど。
地球の生き物は別の生き物を犠牲にしないと生きられない。
人間は知性が高いから、時々その現実に耐えられなくなる。
自分の醜さに耐えられなくなる。
地球に生まれたものの運命だろうね。
・・・・・・・・
運命かぁ。
酷な運命だなぁ。
ところで、出会った頃に宗嘉先生に言われた言葉をこの時ふと思い出しました。
『生まれたからには長生きしなきゃ損だよ』
・・・・・・・・
🟥以前に『長生きしなきゃ損だ』と仰いましたが、あれはどういう意味ですか?
そもそも地球に生まれたこと自体に悲劇性があるようですけど…
🟦長生きすると夢が叶うの。
🟥長生きすると夢が叶う?
🟦人に依るけど。計画的に真面目に努力する人の夢は叶う。
ただ、大半の人は夢を持つこと自体を諦めてるから幸せを感じられない。
または行動が遅い。
または進む方向が間違っている。
でも不安要素を一つひとつ克服していけば、長生きするほど夢が叶う。
その確率が高い。
逆に若いうちに夢が叶ってしまうと、却って不幸せになってしまう。
だから若いうちは苦労する方がいいの。
・・・・・・・・
深い。
地球に生まれた運命も何もかも。
生まれてしまったからには仕方ない。
せっかくだから感謝して、出来る限り自分の幸せを見つけて、楽しく生きる。
🟦その時に、陰陽五行の波動が大事なの。
うーん、ちょっとそこには…
工藤はなかなかな辿り着けないのですけれども…。
いつか陰陽五行の波動が感じられるようになりたいと思います。
長生きして。