講師(宗夜)ブログ

2024-08-05 20:55:00

●こころは誰のもの?

AIの時代。

本格的にAIが活躍する、この先何年かで私たちの生活も大きく変化しそうです。

単純なことはもちろん複雑なこともAI任せ。

人間のこころの問題もからだの問題も、AIがどんどん踏み込んできそうです。

 

複雑な人間関係をAIが解決出来るのかは未知数です。

解決出来るのかも知れません。進化が著しいですから。

でも自分の人生は自分のもの。AIが普及すればするほど、却って各々の人生の捉え方が大切になるだろうと思われます。

 

人生はよく川の流れに例えられます。

何となく教室運営も川の流れのようだと感じています。

。。。。。。。。。

ゆく河の流れは絶えずして、

しかも、もとの水にあらず。

よどみに浮かぶうたかたは、かつ消え、かつ結びて、久しくとどまりたる例なし。

世の中にある、人と栖と、またかくのごとし。

 

鴨長明『方上記』より

。。。。。。。。。

なんと力強い冒頭文。

リズミカルで耳に心地よく、目に清流が浮かびます。

やや慌ただしくて、人と栖がこの通りだとは私には同意しかねますけれども。

 

教室運営で、似てると思ったのは『よどみに浮かぶうたかたは…』の一文です。

 

うたかたとは泡沫のこと。

泡のように、来たと思ったらあっという間に流れて消え去ってしまう生徒さまもおられます。

その一方で、上流からコロンコロンと流れて着く小石のように、川の流れに彩りをもたらし、より一層清流を美しくする生徒さまもおられます。

小石は角が削られて時が経るごとに表面が滑らかになっていきます。

 

よし庵は人生に寄り添う茶道教室でありたいと思っています。

家庭の要である女性は、所々で家族の門出に力を尽くさねばならないことがあります。

自分の人生を後回しにしてでも、多少犠牲にしてでも、優先せねばならない時があります。

 

ひとは誰もが自分の舟と川を持っているようなものと思います。

時には自分の本流から外れて家族の支流に入り、家族の舟を助けて流れに乗せ、『そろそろ大丈夫そうね』と無事を見届けたら、その後ろ姿に幸運を祈って別れを告げ、また本流に戻って自分の舟を漕ぐ。

私は人生をそう捉えています。

 

戻っていらした時に

『おかえりなさい』

と迎えられる教室でありたいと思います。

 

ただ、これは茶道に真剣に向き合ってくださる方に限ります。

真剣な方は、お休みになられる時に、その理由と休む期間を明言されます。

そしてその言葉通りに帰って来てくださいます。

大人と大人の約束です。

帰って来てくださった折には本当に嬉しそうに

『ようやく自分の時間を取り戻しました』

と笑顔を見せてくださいます。

一つ大きな山を越えた満足感と自信が見て取れ、むしろ人間的に大きくなられたような感もあります。

 

反対にお休み期間がはっきりせず、再開時期が不明な方もおられます。

飽きてしまったのだろうと推測します。

いつ帰って来るか分からない方を、いつまでもお待ちすることは出来ませんので、タイミングを見てその旨申し伝えています。

茶道そのものや、教室の雰囲気が合わなければ、続けられないのは仕方ないでしょう。

代わりに自分に合うものを見つけていただければ良いと思います。

 

しかし不思議なのは、去られる方々の共通点。

去られる方は、よく笑うのです。

笑うことがいけないわけではありません。

嫌だとも思わなかったので、私も最近までこの共通点に気が付きませんでした。

 

長くおられる生徒さまも、もちろん時折笑います。

けれども笑いの質が異なります。

去られる生徒さまの特徴は、注意の直後に笑い声を立てるのでした。

『やだもぉー、キャハハ』

最初は楽しんでいるのかと思っていました。

私もつられて笑ってしまうこともありましたし、連客の生徒さまも一緒に笑うこともありました。

ただあまりにも頻回に笑うので、(そんなにおかしい?)と不審に思うようになりました。

改めて思い出すと、どうやら反抗心の表れのようでした。

笑っているだけですので、それに対しての注意まではしません。

しかし人間関係はこのような些細なきっかけで乱れてしまうこともあります。

果たしてAIはここまで気付けるのだろうかと思いました。

 

私どもはお代をいただいて技術をお教えしております。

茶道において技術とはお点前だけでなく、作法と心の持ちようも含みますため、理念も大切にしております。

 

昨今は理念の意識が乏しく、何でもお金で買えると思う傾向があり悲しい気持ちになることもあります。

お代を渋りつつ権利を主張する方もおられれば

『いくらでもお金を出すから高度な技術を教えて欲しい』と仰る方もおられました。

あまりにも礼を欠く発言。

ここまで技術に拘るのは教室を持ちたいからでしょう。

でも師匠を師匠とも思わず敬う心が抜け落ちた状態で、いったい将来弟子に何を伝えるのでしょうか?

 

宗嘉先生も工藤もお点前をする時に

『すごいものを見せてやる』

などと思ってはいません。

あるのは自分の究極に辿り着きたい、という一念のみ。

 

近づけることもあれば、つまらないミスに足を取られることもあります。

『ああ、カッコ悪いところ見せちゃったな』と思う時もあります。それも鍛錬のうち。

 

茶道を始め『道』がつくお稽古の根本は愛情だと思っています。気持ちの上で、愛し愛される関係です。

師匠と弟子の愛だったり

茶道に対する愛だったり

連客に対する愛だったり

今ここに存在する生命そのものへの愛だったりします。

 

お点前中の姿には自分の素が滲み出ますので、愛は大切です。

逆に愛が無いと、顔や言葉は笑いに満ちていても違和感が漂うものとなります。

大人になればなるほど、

心・技・体の一致が試されるように思います。

 

そしてこれらは失敗して失敗して、失敗の理由に気付かずにまた失敗して、朧げながら少しずつ向こうの方から透けて見えてくる答えです。

答えを得るには信頼できる師匠との出会いが必要です。

皆さまそれぞれが信頼できる師匠と出会えますように。

。。。。。。。。

その道に入らんと思ふ心こそ

我が身ながらの師匠なりけれ

。。。。。。。。

まずは心の中の師匠に出会っていただき、初心を全うされますように。

自分のこころは自分のもの。

時間と愛情をかけて、こころを育てていきましょう。