講師(宗夜)ブログ
●茶事で喜ばれる会話
茶事での愉しみは、お料理、お菓子、お茶、お道具の鑑賞、そして会話。
普段のお稽古では集中することを旨としているため、会話の時間は限られております。
ですがお茶事では、会話の時間がたっぷりとあります。
その時々に興味を持たれていることなど、語らいを通じての心の触れ合いをよし庵は大切にしております。
皆さま本当に魅力的でいらして、多才ぶりに驚かされます。
話題は多岐に富み、樹形のように広がっていきます。
しかし人によっては話題作りに苦心されることもあるそう。
『時々しんと静まって、気まずくなるのです。どうしたら良いでしょう?』
話題作りの基本は
・いま
・ここ
です。
茶道の作法に
『まず亭主のおもてなしの心意気に感謝せよ』
というものがあります。
お軸、お花、お花入れ、汲み出し、これらを準備して整えてくれたことに感謝します。
『今この瞬間に感謝せよ』とも取れます。
これは単なる作法ではなく、円滑な人間関係を作るためのエッセンスです。
あらゆる談話の場で活かせる手法と言えます。
会話の糸口として、『いま・ここ』を取り上げて、その共通点または相違点を挙げながら、自分の得意分野に話を持っていくとスムーズです。
突然どこか遠くのことを取り出してしまうと、皆さんを置いてけぼりにしてしまいますので。
例えば西洋美術に長けた方がおられるとします。
皆さんと美術の話をしてみたいけれども、茶室で突然に西洋美術の話をするのも憚られる。
そんな時は亭主の掛けてくれたお軸の力を借ります。
『素敵なお軸ですね。書かれているのは文字ですのに絵画的ですね。こんな風に暗示的に風景を描く手法もあるのですね。』
などと、前置きした上で
『私の趣味は西洋美術の鑑賞なんですけれども、西洋美術の構図にも暗示的な要素がふんだんに織り込まれているんです。』
と話を広げることが出来ます。
話題の操縦が上手になられたら、
『いま・ここ』から始まって
『いま・ここ』に着地すると
ご参加者の心が安定してきます。
『絵の具の色も好きなのですが、墨の色も素敵ですね。よく見れば黒一色ではなく、筆捌きで様々な色味を表現されているのですね』
などと、もう一度お軸に戻ると、話の巧みさと大人の余裕を感じます。
みんなで空想の旅に出て、またこの瞬間に戻って、心穏やかに亭主の心尽くしのお料理に向き合うことが出来ます。
『ああ、ところで美味しいわ』
『蓋を開ければここにも絵画があったわね』
『季節の食材の絵画ね』
お話の仕方が一方通行ではなくて、温かい会話のキャッチボールが出来ています。
逆に…
『いま・ここ』から離れ過ぎて、どこか別のところに話が飛んでしまうと参加者の心が不安定になります。
『わたくし先週、〇〇先生の主催する茶事に参加してきたんですよ。庭園が見事でね。全てが素晴らしかったわ。』
あらあら…
この一言で全てが壊れてしまいます。
いま、この瞬間を楽しむためせっかく集まったのに、その意味すら失われてしまいます。
自分に自信のない方が、このような突飛な話題を提供するようです。
有名な先生の名前を披露して、人脈の広さ厚さをアピールするのもこのような方。
私はこのような方に出会ってしまった場合、笑顔を浮かべながらも相槌は打たないようにしています。
茶事は何のために催されるのか。
各々の答えが話題に表れます。
『茶道の基本は仲良くすること』
宗嘉先生が師匠から受け継いだ言葉です。
よし庵の茶事はこれを旨としています。
話題作りを主題にしましたが、話をするのが苦手でいらしたら無理することはありません。
静かにニコニコと話を聞いて、人との触れ合いを愉しむことも素敵です。
温かい優しい語らいの場を以て食せば、消化もよく気分も晴れやか。
そしてその後のお点前を集中して参加することが出来ましょう。
動のあとの、静
語らいの場が祈りの場となります。
底に流れるのは、どちらもひとを想う心。
●弘法も筆の誤り
『弘法も筆の誤り』という諺があります。平安の三筆に挙げられる弘法太師であっても間違いは有り得るという諺。
道を究めることの難しさを表しています。
芸事は難しい。
本当にその通りだと思います。
宗嘉先生と工藤は、毎日のように茶道に向き合っています。
茶室の室礼(しつらい)や、棚の種類、花月をも含めると数百種に昇るかと思われるお点前を、珍しいものも含めて毎日のようにリモートにて配信しております。
本番一発で録画を決め、すぐに片付けて午後の対面お稽古に移ります。
毎回ほぼ一発で録画は完了しますが、まれに『あっ』と小さな間違いもあります。
100%を確実に打ち出すことの難しさを感じています。
書道の先生もごく稀に
『あ、この線ちょっと膨らみ過ぎましたね』
と仰ることもあります。
指導中会話をしながら線を引いているので呼吸などの振動に依って多少誤差が出るのだと思います。
先生の間違いを目にした時、生徒さんには2通りの感じ方があるようです。
。。。。。。。。。。
●道の険しさを感じる生徒さん
●先生の腕を疑う生徒さん
。。。。。。。。。。
自分の歩んでいる道はそれほどまでに険しいのだな。
誰にだって間違いはある。
自分も謙虚に学びを積まなくては…
と思う生徒さんは、先生との信頼関係が築けていらっしゃいます。
それに対して
せっかく習いに来ているのに残念だわ。この先生大丈夫かしら…
と先生の腕を疑われる生徒さんは、先生との信頼関係が築けていらっしゃらない。
どちらが悪いという判断は出来ません。相性の問題です。
色々なケースがあるでしょう。
『先生の間違いを指摘しても良いでしょうか?』
という質問を受けました。
在籍している社中の先生のご指導に誤りがあったとのことでした。
自分のお点前に間違いは無いのに、先生から間違いだと断言されたそうです。
間違っているのは私ではないのに。
悔しい。
その気持ちとても理解できます。
真面目であれば尚のこと。
もしかしたら先生の口調も鋭いのかも知れません。
学ぶ意欲が削がれ悲しい気持ちになってしまうことでしょう。
でも…
『目の前の先生のお言葉に従ってください』
と工藤は回答しました。
『目の前の先生がルールブックです』と続けました。
どうしても我慢が出来なければ先生を変えるしかありません。
お金を払ってお稽古を受けているのです。常識的に考えれば消費者に理があると言えます。
その際は、黙って去ることをお勧めします。
理由を述べたり、今までの感謝を伝えたりする必要はありません。
相性が悪かった、それ以外に原因は無いのですから。
そして先生を見る目を養って、次こそ本物の先生を探しあてましょう。
しかし環境により、もし社中を変えることが叶わないのであったら、気持ちの持ち方と行動を変えるしかないでしょう。
前述のように、宗嘉先生と工藤も、稀では有りますが間違いがゼロではありません。
お互いに側で見ていて『あっ』と思うこともあります。
タイミングを見計って口添えすることもあれば、全体の流れを優先して黙っていることもあります。
間違いを許せない生徒さんは去られます。
逆に…、成長を長い目で捉えて楽しさを感じてくれる生徒さんはずっと居てくださいます。
共に成長する喜びを感じています。
『それが理想だけど、なかなかそんな教室近くにないのよ』
と思われることもあるかも知れません。
では、ここでもう一つの選択。
自分で教室を立ち上げることに目を移してみましょう。
お教室を立ち上げるのに必要な要素は主に五つ。
・技術
・時間
・空間
・資金
・生徒の育成期間
【技術】
言わずもがな、であります。
まず技術がなければ話になりません。
茶道以外に着付け、華道、書道、香道などの心得も含まれます。
その道のプロとまでは行かなくとも、まぁまぁの腕前は必要です。
因みに宗嘉先生は、懐石料理と和菓子の師範でもあります。
宗嘉先生の場合はプロです。
【時間】
生徒さんをお迎えしたなら、簡単に休むことは出来ません。
学びの場を安定的に供給することが、教室運営の第一の責務です。
工藤の最初の師匠も、お休みは盆暮だけでした。
よし庵では暮れのみです。
講師の学びはスキマ時間に行い、お稽古には響かせないことが理想です。
【空間】
住居空間とは別の、茶道のみの空間を茶室とすることが望まれます。
寝起きをする場所には、生活感が溢れてしまいます。
女性は匂いに敏感です。
どんなに懸命に掃除をしても生活感は拭えないでしょう。
日常から切り離された異空間を演出するためには、茶室専用の空間が必要と言えます。
【資金】
茶道はとにかくお金が掛かります。
たくさんのお道具、お炭、お茶、お菓子、光熱費などなど…。
女性の先生であれば、着物。
着物は高価なのに消耗品です。
講師にとって着物は自分を飾るものではありません。
日本文化の象徴として着物は外せないアイテムです。
また、茶道道具の材料費の価格変動に教室運営も左右されます。
昔から炭の値段は上がる一方でしたが、それだけでなく手に入れることも難しくなってきています。
【生徒の育成期間】
初心者が盆略点前や和室での立ち居振る舞いから始めて、何となく形になるのに約3年。
茶道のお点前を人前で出来るようになるのに約5年。
茶道は、講師一人、生徒一人では成り立ちません。
複数の生徒さんがいらっしゃらなければ出来ないお点前もたくさんあります。
ところが人材の育成にはとてもとても時間が掛かります。
いかがでしょう。
お稽古を成立させる裏には、運営側にもたくさんの努力が必要であることがお分かりいただけましたでしょうか?
前述のように、どうしても我慢できなければ先生を変えるしかないのですが…
先生の立場になると、生徒の立場からは見えなかったものが見えてくるかと思います。
舞台裏に気付くことが出来ると、人生の捉え方が多角的になります。
そうなると短慮による損失が減ってくると思われます。
結局のところ、損か得かであります。
ちょっと嫌だな、と思うことがあっても
『でもその前は楽しかったし』
『お菓子も美味しかったし』
と思えたならお稽古への気持ちも変わってきて、表情も明るくなってくるでしょう。
そうすると先生も影響を受けて
『私が言い過ぎたわ』
と思われるかも知れません。
教室の運営上、立場に上下関係はあります。が、人間の力としては上も下も存在しないと本当に思っています。
お稽古の場を創ってくださる先生に感謝をしつつ、生徒さんの側からお教室の成長に働きかけることも可能なように思います。
先生も生徒も教室も、みんなで成長できたら、とても素敵な時間になることでしょう。
●成功のヒントは裏方にあり
よし庵には成功へのヒントを求めて国内外から会員さまが訪れます。
能力をお持ちで努力もしている。
しかし、ヒントを求めにやって来るということは、今のところご自身の理想には届いていらっしゃらない。
自分に何が足りないのか。
何が何でもそれを知りたい。
それを得るために来たのだから。
目には野心の光が宿ります。
このような方々はどなたも共通してある行動をなさいます。
お稽古が終わった直後から宗嘉先生に質問を繰り出されます。
あれは?これは?
宗嘉先生は時間を掛けて丁寧にお答えになられます。
他の方々は静かに後片付けや次のお点前の準備をなさっています。
当たり前のように、粛々と。
先生のお話の邪魔をしないよう、他の生徒さまのお点前の邪魔をしないよう、言葉を交わさずに目の動きで互いの意思を通わせています。
よし庵の生徒さま同士は、目の動き一つで相手の気持ちを正確に読み解くことができるのです。
成功…
成功とは何なのでしょう。
並み居る同僚から頭をひとつふたつ抜き出し、いち早くゴールを決めることでしょうか?
果たしてそれは可能でしょうか?
懸命に半世紀ほどを生きてきた。
相手も同じです。
相手の専門分野に入ったなら歯が立たないでしょう。
茶道を趣味に持とうと考える生徒さまは、元々のポテンシャルが高いのが特徴です。
ではそんな中でどうしたら指導力を発揮できるのでしょうか?
秘訣は裏方の仕事にあります。
人間の目、特に主婦の目はとても敏感で、埃ひとつを見逃しません。
主婦だから。
家族の健やかな生活を預かっている身だから、責任感の強さから自然とそうなります。
まずは自分が裏方の仕事を丁寧にします。
そうすることで周りからの共感を少しずつ得ることが出来ます。
無理して頭を出そうとせず、相手に寄り添い共感を得て、そっと背中を押してもらいましょう。
そう考えると…
どうでしょう?
忙しく立ち働く他の生徒さまに、そのまま水屋仕事をさせていて良いのでしょうか?
よし庵には表舞台で主役を張れる生徒さまがたくさんおられます。
しかしそのどなたもが、水屋仕事も同じように丁寧にしてくださいます。
水屋では一人に仕事が集中しないように、仲良く代わりばんこ。
紐の掛け方が違っていたら
『それ違うわよ』
と優しく声を掛けてフォローしています。
先日の真之茶事でも嬉しい出来事がありました。
宗嘉先生による締めのお点前
『台子薄茶』のお席でのことでした。
工藤は数茶碗をお出しするため、隣の茶室にて控えておりました。
襖の隙間から状況を伺っていました。
干菓子器がお客様に回されていきます。
ふと見ると、末席のお客様が干菓子を取る時に動きを止められました。
どこか一点を見つめておられるようですが、工藤の場所からは視線の先が見えません。
この時にフォトグラファーの太田さんが即座に動いてくれました。
ティッシュを持って、視線の先にあるものをサッと取り除いてくれたのです。
小さな虫がいたようでした。
ここで合点が行き、工藤もすぐに動いて太田さんからティッシュを受け取りました。
無言の連携プレー
チームよし庵を感じた瞬間でした。
虫がいても声を立てずにじっとしていてくれた末客は、社中の生徒さまでした。
お席の雰囲気を損なってはいけないと判断してくださったのでした。
その変化にいち早く気付き、何の躊躇いもなく対処してくれたのは、やはり社中の生徒さまの太田さんでした。
お二人の心の優しさ。
そして全体を見渡す視界の広さ。
成功が何なのか、私にもよくわかりません。
ただ、このように心の通う瞬間がとても嬉しくて幸せです。
これが、ずっと私が求めていた幸せなのでした。
●書道も武道である
先日、書道展に向けた特別稽古に参加してきました。
在籍している書道教室にて、仮名小筆の作品を出させていただくことになり、ご指導を賜りました。
いつもお教室に伺うときには、身が引き締まります。
ご参加の皆さまも同じ思いのようで、静かにお教室が開くのを待っていました。
ドアが開かれ、ドッと中に入り、それぞれがご自身のスペースにて早速に準備に入ります。
20名ほどの大人が一つの広間に集まっているのですが、まるで誰もいないかのような静けさ。
目の前の仕事に集中して、無駄口を叩く人は一人もいません。
30分ほど集中したあとで、ふっと空気が和んできて、静かなのに言葉を交わさないのに不思議な一体感が芽生えました。
工藤は小筆なので半紙に向かっていますが、皆さまのほとんどが大きな作品を仕上げていました。
全紙や、条幅と呼ばれる大きな紙に四つん這いになって向き合っておられました。
『じゃあ僕書きますんで、筆の運びを見たい方どうぞ』
先生からお声が掛かり、工藤も近くまで寄らせていただきました。
『ドン、と突いてここで筆を持ち上げて筆先を捻じる。次の足の着地点はここ。で、こうやって身体をひねって身体ごと書く』
(これが、書道か…)
驚きの連続でした。
武道ではないかと思いました。
またマネージメント能力も必要です。
『筆に含まれる墨汁の量を計算して、一字に掛ける時間を割り出します。紙に筆を下ろすギリギリまで、筆は床と並行を保ってください。
垂直にすると墨がどんどん下に降りてきますからね。』
(そこまで気を使うのか…)
すごい世界だと思いました。
工藤は小筆のお稽古をしています。
一時期に太筆にも挑戦したのですが、どうにも難しく。
太筆は座学のみとし、実践は断念しました。
太筆での技術が小筆でも使われるので、どちらも出来れば本当は良いのですが、時間と労力の兼ね合いもあります。
大人としての現実的な判断で、改めて小筆に集中することにしました。
私は手の平に収まる小さき世界を大切にしていこう。
気を取り直して自分の世界に入り直し、先生にアドバイスを仰ぐと
『この部分とこの部分の墨色の違いに気づきましたか?』
とのこと。
(んんんんん…?)
『こちらの方が少しだけ濃いでしょ?こういうところに気付いて』
(深い…。書道の海も深かった)
そして見渡せば、上級者のオーラの高さよ。
おそらくご参加者のほとんどが既に先生として地元でお教室を開いておいででしょう。
どなたもプロの風格をお持ちでした。
お使いのお道具も高価なものです。
まず第一に紙が高い。
安い紙は墨汁を弾きますので、本物の紙で練習しないと意味がありません。
高い技術で作られた大きな大きな和紙。
失敗したくないのが人情ですが、失敗を重ねないと上手くならない。
そのせめぎ合い。
墨汁も高い。
安い墨汁とは紙への浸透率が異なりますので、こちらも本物の墨汁で練習する必要があります。
高いけれども価値がある。
良いものを使うことで集中力が鍛えられる。
書道も、茶道も、着物も、みんなおんなじだなぁ、と思いました。
簡単に良いとこ取りは出来ない。
ここにも禅の精神が存在しました。
さぁ気持ちを込めて。
真之茶事の茶会記と、お献立の筆に向き合いますか。
茶人には茶人の書がありましょう。
●なぜこんなに厳しいんですか?
最近ご入会された生徒さまから、このような問いをいただきました。
以前に茶道の経験をお持ちです。
ブランクを経て、よし庵にて久しぶりに再開されたのでした。
『前のところではこんなに細かく言われませんでした…』
なぜこんなにも注意されなければならないのかとご不満でした。
。。。。。。。。。。。
茶道は600年の歴史を持っています。
安土桃山時代に形成されていますが、文化の根本には縄文時代や古墳時代などの古来の精神があります。
様々な宗教との結びつきもあり、生きる知恵が集約されています。
私たちはその教えをきちんとした形で皆さまにお伝えしたいのです。
。。。。。。。。。。。
そのようなことを畳に手をついて目を見てお話ししました。
いま分からなくても、いずれ分かって貰えればいいと思いました。
正直なところ、宗嘉先生も工藤も、この状態がさほど厳しいものとは感じていないのであります。
自身が何かを学ぶ時、厳しいところに身を投じるからかもしれません。
厳しい先生は、まずご自身のあり方に厳しく、その姿に感銘を受けて
『よし、この先生についていこう』
と心が決まります。
厳しいけれども光を持っている。
このような先生たちは、瞳の力が強く、体つきが引き締まっていて、動きに無駄がないことが特徴と言えます。
一方で、甘えたいという欲求が強い方には不向きかもしれないです。
そんな工藤ですが…
宗嘉先生にお会いする前には、お菓子のように甘く優しい先生についていました。
『良いのよ、良いのよ…』
と何でも許してくれました。
子育ての都合もあり、度々にお稽古をお休みしました。
『良いのよ、仕方ないものね』
再開すると、とても喜んでくださり、毎回お菓子のお土産を持たせてくれました。
お稽古にてお点前を間違えると、
『あら、ごめんなさい』
と先生の方から謝られて恐縮しました。
上にも置かない扱いで…
お菓子を食べて、お茶を飲んで…
これが『茶道』なのかな…
優しくしてはくださいましたが、いつまで経っても『茶道』というものが見えてきませんでした。
そのうちに通訳ガイドの勉強をして、日本という自国の文化や歴史、気候や産業を包括的に学び直しました。
大人になって初めて、自分を育ててくれた日本に愛情を持つようになりました。
茶道に対しても愛情を持ちたかったのですが、どうにも捉えきれずに苦しく思っていました。
そんなある時、先生に誘われて外部のお茶会に行きました。
先生と先生のお友達数名がご一緒。
新緑の美しい季節で、お気に入りの着物を着て、心が躍りました。
荷物を預け終えて、向こうにいらっしゃる先生に向かって駆け出しました。
『先生』と声を掛けようと思ったところで…
『工藤さんて〇〇なのよね…』
という先生の小さな声が聞こえました。
肝心の〇〇のところが聞こえません。しかしご不満を口にされたことは明らかでした。
『若いからねぇ。仕方ないわよ。』
と慰められていました。
自分は何かいけないことをしたのだと思いました。
でもそれが何なのか自分では全然分かりません。
それまで心がウキウキしていただけに、悲しい気持ちになりました。
別のお茶会などでも、自分の無作法をよその社中の先生から厳しく注意されることがありました。
どうも私は何かが違うらしい。
自分の何が間違っているのだろう。
日を改めて先生にお願いしました。
『先生、私の無作法がありましたら是非ご注意をお願いしたいのです。自分では分からないのでどうぞよろしくお願いいたします。』
先生はいつもと全く変わらない優しい口調で、
『そうね。そうしましょうね。』
とゆったり答えてくださいました。
優しくてニコニコしている。
でも…
でも…
そんな時に宗嘉先生に懐石料理教室でお会いしました。
『いつもは茶道教室をしているんです。一度ご参加ください。』
と声を掛けてくださいました。
そしてお稽古にて先生がお茶を点ててくださいました。
宗嘉先生のお茶はそれまで経験していたお茶とは全然違いました。
まず静寂。
呼吸に意識が向きます。
足の運び。
畳の上を滑るように白い足袋が進みます。
足幅はまるで測ったように均等。
空中で一瞬止まる茶筅の位置。
毎回同じ。
お茶碗を持つ親指の位置も毎回同じ。
宗嘉先生のご指導は、口調は優しいけれども揺るぎない茶道への熱意に溢れたものでした。
自分がずっと探していた道がここでなら見つかるかもしれないと思いました。
そして宗嘉先生を師として仰ぐ旨、お許しをいただきました。
よし庵が、お点前以外にも細々としたお作法に厳しいのは、工藤が身を以て恥ずかしい思いをしたからなのです。
きちんと先生について社中に在籍しているのにも関わらず、他の社中の先生に注意されることはとても恥ずかしい経験でした。
それでもあの時ハッキリと注意してくださったことには感謝しなくてはなりません。
まだ30代で若かったから注意してくださったのでしょう。
これが今の50代で同じことをしていたら、注意すら受けられず、人が寄り付かずに遠巻きにされて、もっともっと悲しい思いをしていたかもしれません。
知っているか知らないか。
身についているかついていないか。
これが非言語コミュニケーション
Non-verbal communication
言語よりもむしろ雄弁です。
それによって受ける待遇に差が出てきます。
一度身についてしまえば恐るるに及ばず。
正しい作法が身に付けば、服装も姿勢も言葉遣いも何もかもが変わってきます。
自信がつくからオーラも変わってきます。
よし庵は厳しいかもしれない。
しかし是非とも信じてついてきていただきたい。
私たちが信じる道。
ひとりでも多く共感していただけたらとても嬉しく存じます。