講師(宗夜)ブログ

2024-06-21 21:02:00

●なぜこんなに厳しいんですか?

最近ご入会された生徒さまから、このような問いをいただきました。

以前に茶道の経験をお持ちです。

ブランクを経て、よし庵にて久しぶりに再開されたのでした。

『前のところではこんなに細かく言われませんでした…』

なぜこんなにも注意されなければならないのかとご不満でした。

。。。。。。。。。。。

茶道は600年の歴史を持っています。

安土桃山時代に形成されていますが、文化の根本には縄文時代や古墳時代などの古来の精神があります。

様々な宗教との結びつきもあり、生きる知恵が集約されています。

私たちはその教えをきちんとした形で皆さまにお伝えしたいのです。

。。。。。。。。。。。

そのようなことを畳に手をついて目を見てお話ししました。

いま分からなくても、いずれ分かって貰えればいいと思いました。

 

正直なところ、宗嘉先生も工藤も、この状態がさほど厳しいものとは感じていないのであります。

自身が何かを学ぶ時、厳しいところに身を投じるからかもしれません。

厳しい先生は、まずご自身のあり方に厳しく、その姿に感銘を受けて

『よし、この先生についていこう』

と心が決まります。

厳しいけれども光を持っている。

このような先生たちは、瞳の力が強く、体つきが引き締まっていて、動きに無駄がないことが特徴と言えます。

一方で、甘えたいという欲求が強い方には不向きかもしれないです。

 

そんな工藤ですが…

宗嘉先生にお会いする前には、お菓子のように甘く優しい先生についていました。

『良いのよ、良いのよ…』

と何でも許してくれました。

子育ての都合もあり、度々にお稽古をお休みしました。

『良いのよ、仕方ないものね』

再開すると、とても喜んでくださり、毎回お菓子のお土産を持たせてくれました。

お稽古にてお点前を間違えると、

『あら、ごめんなさい』

と先生の方から謝られて恐縮しました。

上にも置かない扱いで…

お菓子を食べて、お茶を飲んで…

これが『茶道』なのかな…

優しくしてはくださいましたが、いつまで経っても『茶道』というものが見えてきませんでした。

そのうちに通訳ガイドの勉強をして、日本という自国の文化や歴史、気候や産業を包括的に学び直しました。

大人になって初めて、自分を育ててくれた日本に愛情を持つようになりました。

茶道に対しても愛情を持ちたかったのですが、どうにも捉えきれずに苦しく思っていました。

そんなある時、先生に誘われて外部のお茶会に行きました。

先生と先生のお友達数名がご一緒。

新緑の美しい季節で、お気に入りの着物を着て、心が躍りました。

荷物を預け終えて、向こうにいらっしゃる先生に向かって駆け出しました。

『先生』と声を掛けようと思ったところで…

『工藤さんて〇〇なのよね…』

という先生の小さな声が聞こえました。

肝心の〇〇のところが聞こえません。しかしご不満を口にされたことは明らかでした。

『若いからねぇ。仕方ないわよ。』

と慰められていました。

自分は何かいけないことをしたのだと思いました。

でもそれが何なのか自分では全然分かりません。

それまで心がウキウキしていただけに、悲しい気持ちになりました。

別のお茶会などでも、自分の無作法をよその社中の先生から厳しく注意されることがありました。

どうも私は何かが違うらしい。

自分の何が間違っているのだろう。

日を改めて先生にお願いしました。

『先生、私の無作法がありましたら是非ご注意をお願いしたいのです。自分では分からないのでどうぞよろしくお願いいたします。』

先生はいつもと全く変わらない優しい口調で、

『そうね。そうしましょうね。』

とゆったり答えてくださいました。

優しくてニコニコしている。

でも…

でも…

 

そんな時に宗嘉先生に懐石料理教室でお会いしました。

『いつもは茶道教室をしているんです。一度ご参加ください。』

と声を掛けてくださいました。

そしてお稽古にて先生がお茶を点ててくださいました。

宗嘉先生のお茶はそれまで経験していたお茶とは全然違いました。

まず静寂。

呼吸に意識が向きます。

足の運び。

畳の上を滑るように白い足袋が進みます。

足幅はまるで測ったように均等。

空中で一瞬止まる茶筅の位置。

毎回同じ。

お茶碗を持つ親指の位置も毎回同じ。

宗嘉先生のご指導は、口調は優しいけれども揺るぎない茶道への熱意に溢れたものでした。

自分がずっと探していた道がここでなら見つかるかもしれないと思いました。

そして宗嘉先生を師として仰ぐ旨、お許しをいただきました。

 

よし庵が、お点前以外にも細々としたお作法に厳しいのは、工藤が身を以て恥ずかしい思いをしたからなのです。

きちんと先生について社中に在籍しているのにも関わらず、他の社中の先生に注意されることはとても恥ずかしい経験でした。

それでもあの時ハッキリと注意してくださったことには感謝しなくてはなりません。

まだ30代で若かったから注意してくださったのでしょう。

これが今の50代で同じことをしていたら、注意すら受けられず、人が寄り付かずに遠巻きにされて、もっともっと悲しい思いをしていたかもしれません。

知っているか知らないか。

身についているかついていないか。

これが非言語コミュニケーション

Non-verbal communication

言語よりもむしろ雄弁です。

それによって受ける待遇に差が出てきます。

一度身についてしまえば恐るるに及ばず。

正しい作法が身に付けば、服装も姿勢も言葉遣いも何もかもが変わってきます。

自信がつくからオーラも変わってきます。

 

よし庵は厳しいかもしれない。

しかし是非とも信じてついてきていただきたい。

私たちが信じる道。

ひとりでも多く共感していただけたらとても嬉しく存じます。