講師(宗夜)ブログ
●畳の縁内16目にピタッと座る方法
畳の縁内16目に、一度でピタッと座る方法があります。
茶道口から左足で退出する時の足の進みをご覧ください。写真は左側を建付としています。
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一足幅(ひとあしはば)で進みます。
❶左足
❷右足
❸左足のかかとを右足の親指に直角に交わらせる
❹右足の親指を軸にしてかかとを反転させる
❺左足のかかとを右足のかかとにスライドするように合わせる
。。。。。。。。。。。
一足幅(ひとあしはば)の何が良いかというと…
・歩数をピタリと揃えることが出来る
・摺り足のリズムも揃う
・歩く速度が一定となる
この3つの長所を得られることです。
これらが整うと全ての所作が美しく見えます。
茶道のお稽古はあまりにも難しすぎて、いったい何から身につけて良いのか分からない時には、このターンだけを毎日繰り返してみてください。
一足幅(ひとあしはば)で進むことにより、自分の体のサイズを把握することが出来ます。
ひとつの方法がしっかりと身につけば、お部屋が変わっても、逆勝手などで右足から出る方法に変わっても、それほど混乱せずに調整できるようになります。
着付けでも一手幅(ひとてはば)という表現があります。
通じにくいので私は約15cmと言い換えていますが、自分の体のサイズを表現に生かす文化は素晴らしいと思います。
他にも《身の丈を知る》などがあります。
実践を重んじる武士らしい文化。
自分の体を知り、自分の体から安定感を生み出すことは、オトナ世代の美と健康を保つ秘訣となりましょう。
もう一つ、
一足幅(ひとあしはば)に私がこだわる理由があります。
●着物の裾から足をぬぅっと出したくない
白足袋とは言え下着のイメージがあります。
平安期の女性が足を見せないのはそういった理由からではないでしょうか?
武士の時代でも位が高くなるにつれ、足を隠していきます。
私は着物の裾から見える白足袋の面積を、常に5cm四方にとどめたいと勝手に思っています。
一足幅(ひとあしはば)で動くと、足の面積を5cm四方を保つことが出来るのです。
また、着物の裾が大きく翻ることもありません。
着物にシワがつきにくくなり、歩いている姿も、立ち姿も美しくなります。
是非ぜひ試してみてくださいませ😊🤲
●決め手は『きちんと感』
人の輪の中に入る時に、すぐに溶け込める方と
そうではない方とに分かれます。
この差はどうやら『きちんと感』に依るもののようです。
すぐに溶け込める方は全てにおいてきちんとされておられます。
・身なり
・言葉遣い
・所作
・タイムスケジュール
・金銭管理
・文章作成
きちんと感が周りのひとを安心させるのです。
『この方に任せれば大丈夫』
そして実際のところ印象の通りなので、ますます信頼を得ていかれます。
そして感心するもう一つの長所がこちら
・自然体である
無理に溶け込もうとせず、人の輪に割って入ることはありません。
わざわざ割って行かなくとも周りから寄ってくる魅力をお持ちです。
だからと言って…
溶け込むのに時間が掛かる人が悪いわけではありません。
誠実な人格は徐々に相手に伝わります。
ゆっくりでも確実に周りの理解を得ていき、大事な仲間となります。
ですが魅力の原石は光ることを望んでいます。
今すぐにでも。
お稽古では『きちんと感』を身につけていただきたく、言動に注意を申し上げることがあります。
お稽古の場で『うん』とお返事されていた生徒さまがいらっしゃいました。
『うん、じゃない。お返事は《はい》です』
完全に直るまで何回でも言いました。
『え゛⁉️』
間違っているところを指摘するたびにこのように反応する生徒さまにも注意します。
『え゛って言わない。私たちは大人なんです』
まだ時々におっしゃいますが、以前に比べれば大分減りました。
『すいませーん。教えてくださーい。』
水屋から大きな声で手助けを求める声を出す生徒さまには
『ご自身からお相手に静かに近づいて、《お願いします》と頭を下げましょう』
と言葉を掛けました。
どの生徒さまも注意を申し上げれば素直に頷いて行動を改めてくださいます。
そして、きちんと感が身につくのと比例するように、輪の中に溶け込んでいかれます。
多様性が叫ばれて久しい昨今。
しかし、なんでもアリとは違います。
特に大人の文化である茶道は、お互いの礼節の上に成り立つことを理解しましょう。
●ご家庭の中心に茶道がある喜び
対面のお稽古では、よし庵という茶道教室にお越しいただき、日常を忘れる異空間をお愉しみいただけるように心がけております。
zoomでは逆に、工藤が皆さまのご家庭に画面にてお邪魔させていただく感覚でおります。
それぞれのご家庭にて、茶道に対するご理解やご協力をいただき、本当にありがたいです。
ご家庭の中心に茶道があり、茶の湯がご家庭の話題になることも多くあるようで、茶道講師としてこれほどの喜びはございません。
盆略点前から始められて、先生(準講師)の資格まで取得された生徒さまたち。
ある生徒さまは、茶道を始められた時に、お子様が2歳でいらっしゃいました。
盆略点前を修められ、風炉に進みました。
『はい、ではここで柄杓を構えて…』
とアナウンスしたところ…
あら不思議!柄杓が、ない❗️
『え?え?』
と見渡すと、お子がブンブン振り回しておられる。
そうだよねぇ、この形は魅力的だよねぇ。
『返して』とママ。
『嫌だ、嫌だ』とお子。
背中に柄杓を回して必死の抵抗。
『じゃあさ、これと交換しよう』
ママはお玉を差し出す。
(えー、それ、いつものじゃん)
お子は不満。だけど、ママが困ってる。
大好きなママが困ってる。
(ま、良かろう)
交渉成立!お稽古続行!
ああ、そんなこともあったねぇ…。
お子はきっと忘れてしまうんだろうなぁ。
でも、ママは忘れない。
忘れられない。
大事な大事な思い出になるの。
そのお子が段々と大きくなって、画面の前でクルクル回って『大きくなったでしょ』と成長ぶりを私にも見せてくれたりします。
次々に洋服を変えてファッションショーをしてくれたりして、本当に楽しいひと時です。
パパさんも温かく見守ってくださっているご様子。
もうお一方の生徒さまも、生活の中心に茶道が置かれているのを感じます。
先日の台子のお稽古で。
ご主人と共に台子を手作りしてくださったとのこと。
『それが、先生。高さを間違えて低く作ってしまったんですよ。そしたら…』
尺立てが入らない❗️
尺立てだけが、ぴょこんと台子の外に置かれていました。
『はははー🤣。なんか可愛い尺立て!』
二人で大笑いしました。
笑っていながら、
工藤、図らずも涙がひと筋流れました。
涙がこぼれて初めて自分が泣いていることに気付きました。
(あ、私泣いてる)
感動したのでした。
そこまでご主人が協力してくださり、茶道のお稽古を続けてくださっていることに。
尺立ての中の2本の火箸が、愛情深く寄り添うご夫婦に見えました。
誠に、まことに失礼ながら…
工藤はそれまで茶道は日本人にしか分からないと思っていました。
お二方とも外国にお住まいの生徒さまなのです。
外国の地にて、このようにして茶道に対する深いご理解とご協力を賜り、自分の思い込みは誤りであったと気付かされたのでした。
お点前が出来るか出来ないか、ではなくて。
ご家族のご協力くださる優しさそのものに茶の湯の精神を感じます。
奥さまが真剣に茶道に向き合っておられるその御姿を見て、そこに神秘の力を感じてくださったのだろうと思います。
茶の湯そのものの力と共に、奥さまの神秘に満ちた力が、説得力を持つ形としてご家庭の中心に据えられたのでした。
遠く海外の地にて、日本人女性としてのアイデンティティを確立しつつある生徒さまたち。
工藤も講師として、精一杯エールを送り続けたいと思っています。
●主婦のちから
仕事をしていて、一番役に立っているちからが『主婦のちから』です。
・整理整頓と掃除する能力
・限られた時間内に複数の仕事を行う能力
・これらの細々とした仕事に当事者意識を持つ能力
講師として色々な情報や技術をお教えしてはおりますが、時間的に見ると圧倒的に整理整頓と掃除が大きな割合を占めています。
ほとんどの時間が主婦業そのものです。
実はどの仕事の現場でも『主婦のちから』に支えられて成り立っていることが多いのではないかと思います。
そう考えると
『もっと主婦が認められても良いのに…』
と少し悔しい気持ちになるのです。
整理整頓や掃除は、誰にでも出来そうでいて、本当のところは能力によって差が出ると思います。
時間内に素早く丁寧に。
可能な限り次の準備も同時に行う。
お料理と似ています。
掃除も隅々まで丁寧に。
一見汚れていないようでも主婦は手を抜きません。掃除をすれば、毎回しっかりと汚れがとれるのを知っているからです。
誰のため?
愛する家族のため。
そしてもちろん自分のため。
快適に生活するため。
これが、『私の仕事なの』
これらの細かい用事が自分の仕事だとすっかり自覚し切っているところ。
ここが主婦のすごさだと思っています。
この自覚は早々には身につかない。
自分の家庭を持ち、支え続けてきたことで徐々に身につく自覚でしょう。
これは一つの大きな能力だと思っています。
私はその能力を持つ生徒さまに度々にわたり助けられております。
『先生、お茶の準備をしておきますね』
何かの用事で手が取られて、お茶の準備がまだだった私を助けてくださいました。
仔細をお伝えしなくても、綺麗に薄茶器になだらかな小山を作ってくださいました。
宗嘉先生が喜んでおられました。
もちろん、お稽古をされた生徒さまも。
『食器は洗っておきますよ。先生は茶道のご準備をどうぞ』
午前中の懐石料理教室の後に、茶道教室が控えていた日のこと。
たくさんの洗い物を一手に引き受けてくださり、それは綺麗に片付けてくださいました。
また、お茶事の時にも準備を手伝ってくださる生徒さまがいてくださり、本当に助かりました。
『濃茶の準備を手伝ってあげてもらえますか?』
私の手が塞がっていた時に、上級者の生徒さまに初級者の生徒さまのお手伝いをお願いしました。
『はい、承知しました。』
威張ることもなく、きちんとした準備を時間内に丁寧に優しく教えてくださいました。
このような生徒さまたち。
どなたも控えめで、用事が終われば皆さまの中に静かに混じって、ご自身の働きを主張しません。
ですけれども、私にはその方たちが輝いて見えます。
優しい光が全身から放たれていて、その方や周りの方々を包んでいるように見えます。
茶道では、そのような細々とした仕事がたくさんあります。
それらが茶人を輝かせているように思います。
輝くのは稽古場だけではありません。
水屋でのちょっとした会話で近くなる心と心。
よし庵では、水を大切に使うように生徒さまにお伝えしています。
お水指の水を洗い物に使うようにとお願いしています。
『お水指のお水をたらいに入れますね』
『ありがとう。ちょうど欲しかったの』
ほんのちょっとの会話なのに、私は心がとても温かくなりました。
皆さんが、よし庵を自分の家のように思ってくださる。
自分の居場所だと思っていて大切にしてくださる。
細々とした仕事を、頼まれたからやるのではなく、自分の仕事だと思って進んでやってくださる。
とてもとてもありがたい。
ありがたいのもそうだけど…
居場所を見つけた生徒さまからは自信を感じます。
〇〇が出来るからとか、そういう風に具体的な形のある自信ではありません。
そんなちっぽけな自信ではありません。
もっと大きくて確固たる自信です。
《自分の存在そのものに対する自信》です。
その自信の源となっているのが、主婦のちから。
世間では大きな評価は得られないかも知れない。
でも確実に自分を支える力となっています。
そのちからに気付いて認め合える仲間がいて…。
だからよし庵のお稽古は楽しいんだなぁと思いました。
●ウルトラの母
『形がウルトラの母に似てますよね?』
貴人清次のお点前のときの千鳥茶巾の話です。
私は生徒さまに畳み方をお教えするときに、いつもこのように言います。
『そ……うですね。何…となく…』
にわかに同意しかねるが、ここは講師の顔を立てておこうという大人のご配慮。
皆さま非常にお優しい。
それが!ついに!
平成女子来たる。
『ウルトラの母って何ですか?』
『え⁉️』たじろぐ私。
『ウルトラの母をご存じない?』
『分かりません』
(しょうがないなぁ…)
『ウルトラの母は、ウルトラマンファミリーのお母さんです。地球の平和を守っていた偉大なるファミリーのお母さんなんですよ。』
『はぁ…』
『では畳みましょう』
畳み方は宗嘉先生の動画をご覧ください↓
https://www.youtube.com/watch?v=eIAMadKsK28
『ほらね、ウルトラの母。って知らないのか💧』
『ワンコ🐶みたいですね』
『あー、確かに』
『私にはクレヨンしんちゃんの犬のシロに見えます』
それを言うなら…
〈うちのタマ知りませんか?〉の隣の家のポチでしょう、とツッコミを入れたいところでしたが、これはもっと分かってもらえないと思って断念。
お稽古前の水屋での会話です。
茶道とは何の関係もないように思われますが、このような会話をしていると生徒さまの覚えがとても良くなるのです。
ウルトラの母でも、ワンコ🐶のシロでも、どちらでも良いけれど、楽しく会話をしてお稽古をすると記憶の結びつきが強くなるように思います。
無機質な情報に、楽しいという色が入ることで、記憶を引き出すキーワードがひとつ増えるからだと思われます。
一見どうでも良い、関係のない話だからこそ、意外性が発揮され、更に笑い合うことでキーワードの効果が強くなるのかも知れません。
子どもに勉強を教えていた時、人間の脳や、身体の能力は本当に興味深いなぁと思いました。
当時は悩んで悩んで…。
鬼ババみたいに怒って怒鳴って…。
でも一緒に勉強して結構楽しい時もあって。
ん?青春?
あ、これ青春かも。
『いやー、あれは役に立った。今でも役に立ってる。』
大学生になった時にポロリと子どもから出た言葉でした。
あの時は訳が分からなかったけど、じわじわ後から効いてきたと言っていました。
詰め込み教育はダメだとか、色々な情報が飛び交うけれど、楽しいという気持ちが所々にあれば、それも立派な教育法ではないかと思います。
『なかなか覚えられない』
という生徒さまもいらっしゃるのですが、
まぁまぁそう言わず。
どんなことでも良いので、何か楽しいキーワードを見つけていただければグッと面白くなると思います😊

