講師(宗夜)ブログ
●木花咲耶姫(コノハナサクヤヒメ)と基礎建築
先日のお稽古終了後に、生徒さまと古事記の話になりました。
木花咲耶姫(コノハナサクヤヒメ)と
石長姫(イワナガヒメ)のくだりです。
『どうしてニニギノミコトは石長姫を返しちゃったんでようねぇ?せっかく永遠の命をくれたのに…』
木と石…
ん?これはもしかして基礎建築の話なのかな?
以前、建築家の方から建物の基礎の話を聞いたことを思い出しました。
『神社仏閣と一括りで考える人も多いけれど、建築様式が全く異なります。何もかも違うのですが、一番の違いは基礎作りです。
神社は堀立式(ほったてしき)
仏閣は礎石式(そせきしき)』
・堀立式(ほったてしき)とは、地面に穴を空けて柱を立て、その柱を支えにして建物を築く方法。
・礎石式(そせきしき)とは、地盤を固めた後に大きな石を据え、その上に柱を立てて建物を築く方法。
日本は古くは堀立式を採用していて、仏教の伝来と共に礎石式の技術がもたらされました。
しかし今でも伊勢神宮は堀立式で社殿が作られています。
出雲大社も17世紀以前は堀立式だったそうで、それ以降は礎石式による建築です。
巨大建築には樹齢2000年級の巨木が使われるのですが、相次ぐ戦や人口の増加により、江戸時代には日本から巨木が姿を消していきました。
もしかしたらそのような理由によって基礎建築の方法を変えざるを得なかったのかもしれません。
この話を建築家の知り合いから聞いたのちに、ちょうどテレビ番組で神社の宮大工と仏閣の宮大工の対談を目にしました。
(神社の宮大工)
堀立式(ほったてしき)は地面に木を直接触れさせるため、湿気を吸い、どうしても朽ちる。
朽ちるのを覚悟で建て、定期的に遷宮を行うことで技術を次世代に継承していくのです。
『死と再生』という、誰も逃れることのできない運命が語られていると思います。
(仏閣の宮大工)
はぁー。面白いですななぁ。
仏閣は礎石式ですから基礎から腐ることはないんですな。その代わり所々朽ちたものを修理して次世代に繋いでいくんですわ。
しかしどちらにせよ、次世代に続いていく
『永遠』をテーマにしているんですなぁ…。
木と石。
木は、神宮の社殿へと形を変えて心を潤す。
石は、苔むす巌として歌われて心に宿る。
どちらも近しい存在として私たちと生きてきた。
ほら、手のひらの中にも…。
翠緑の美しい喫みものを、土の碗が守っている。
永遠を味わった一服でした。
●増える着物仲間
また一人、また一人とよし庵の着物仲間が増え続けています。
入門されて一年未満の生徒さまがそれぞれお着物をお召しになってご参加くださいました。
『わー!〇〇さん綺麗✨』
『□□さん、可愛いっ❣️』
着物には力があるといつも思います。
外側からその方の精神をも変えてしまいます。
真っ直ぐに矯正するのでしょうか。
背も伸びるし、血流も良くなるように思います。
そのせいか、お着物をお召しになると皆さまお顔が色白になるように感じられるのです。
半衿が白いから、その白さがお顔に反射しているのかも知れません。
色々な要素が複合的に働いて…
つまりは美しくなられます✨
オーラも上がり、お点前も格段に上達されます。
忙しい中、着付けと茶道にお時間を割いてくださる。工藤は感謝の気持ちでいっぱいです。
それぞれ茶事やお稽古を事前から楽しみにして、お着物を選んでくださったり、身に纏っておられたのでしょう。
ウキウキする気持ちがこちらにも伝わってきて、嬉しく嬉しく拝見しました。
先日、年下の後輩生徒さまに、先輩生徒さまがピッタリと寄り添って
『可愛いわ。可愛いわ💕』
としきりに褒めていらっしゃいました。
本当に可愛かったです😊
そして宗嘉先生が言うには、このように褒めているご本人もまた、より美しくなられるとのこと。
ひとを褒めることは自分を褒めることに繋がると言うのです。
心から誉めている時の表情や言葉は本当に温かいもので、先輩生徒様のオーラの高まりを私も直に感じたのでした。
年齢が近かったり、年長者だったりする場合には、褒め言葉は却って失礼になることもあるので控えております。
その代わりアイコンタクトでお伝えします。
先日のお茶事でも、列席者の皆さまはそれぞれお気に入りのお着物をお召しになられて、お茶室に春を運んでくださいました💐
そして皆さま同士で
『うん、うん』
と美しさを認め合っておられたのでした。
敢えて言葉を控えたその姿もまた、大人女性に相応しく美しいものでした。
憧れの着物をご自身で好きな時に着る。
その技術を身につけましょう。
よし庵には茶道のための着付け教室もございます。
帯結びでお教えしているのは、一重太鼓(名古屋帯)と二重太鼓(袋帯)のみ。
単発ですのでご自身のペースでお好きな回数にお稽古をお申込みいただけます。
・リモートは日曜日の14:00開催。
・対面は火曜日と土曜日の16:00開催。
詳しくはお申込みフォームまたは、公式ラインにてお問い合わせくださいませ😊
2023年の4月。
いよいよ新年度が始まりました。
新しい扉を一緒に開きませんか?
よし庵には、様々な和の講座がございます。
リラックスして心から楽しんでいる時にこそ、個々の能力が花開きます🌸
確かな技術と温かい雰囲気を以って皆さまのお越しを心よりお待ち申し上げております。
《よし庵の講座》
茶道教室
和菓子教室
懐石料理教室
お稽古茶事
着付け教室
●やっぱり練習あるのみですか?
先日、初炭のお稽古をしていた時に、生徒さまから掛けれれた言葉です。
管炭と割管炭を背中合わせにして火箸で持つところ。ここは本当に難しいです。
はっきりと明言できるほどのコツはありません。
それを確認するように生徒さまが仰ったのでした。
『やっぱり練習あるのみですか?』
私は嬉しく受け止めました。
『練習あるのみ』という言葉は、いま現在練習を重ねている人の口からしか出ません。
練習を重ね、ある程度の効果をすでに実感している人から出る、大人の言葉だと思います。
習うより慣れろ
という諺があります。
その通りかもしれないなと思います。
私たちは教室を運営していますから、『習いながら慣れろ』と上書きしたいところですけれども…
この諺は、日本各地に残る伝承文化とも大きく関係しているように思います。
何かを伝承して時間を過ごすことに、心の平和を得る気質が日本人にあるように思います。
土から離れて暮らしても、この精神性はそう簡単には変わらないのかもしれません。
なぜ日本各地には独自の伝承文化が生まれたのでしょうか。
土地々々には、それぞれの地を守る神様がいらして、私たちはその神様のもとで暮らしを営んでいるという考え方があります。
農に根差した考え方です。
江戸時代は260の藩があり、それぞれが独立国家でした。
農の力は、藩の力に直結します。
収穫量が国家歳入です。
その時代には、トラクターなどありません。
田植えも収穫もすべて人力が頼りです。
田植えは、村人総出の大事な作業。
一直線に、リズミカルに手早く作業を行う必要があります。植え付けが曲がると日当たりにムラができたり茎が倒れやすくなったりと収穫にも影響するからです。
リズムを取るため、気持ちを盛り上げるため、『田楽』が生まれました。
都市部に暮らす私たちには及びもつかないほど、田楽に懸ける気持ちは真剣なものであったろうと思います。
収穫した作物は、幕府に上納する分、地元民の食べる分、他の藩に売って外貨を稼ぐ分、災害時に向けて備蓄する分へと振り分けられます。
昔はダムなどなかったので、災害時への備蓄はとても大事な役割を持っていたことでしょう。
万が一、備蓄が間に合わない場合には、他の藩から輸入しなければなりません。
弱みにつけ込んで米価を釣り上げる輩も多かったそうです。
幕府から『釣り上げぬように』とお触れも出ますが、現場ではどれだけ守られたでしょうか。
甚大な被害時には、中央幕府から『お救い米』が出されます。しかし動きは遅いでしょうし、後々の政治にも影響が出るからなるべく借りは作りたくありません。
天候に左右されやすく、虫害も受けやすい、農。
何とか今年も無事に収穫を…と神へと祈りを捧げる形が神楽となりました。
季節ごとに祭りが催され、村人は互いの絆を確かめ合います。
そのような時に芸能が大きな役割を果たします。
各地の伝承文化はこのような背景で生まれました。
次世代に大切に伝えられる芸能。
そのような背景で『習うより慣れろ』という諺は生まれたのではないかと、私は想像しています。
教える世代は、次の世代に手取り足取り根気よく教えたと思います。
それなのに『習うより』という言葉から始まるのはどうしてなのだろう?
私は疑問に思いました。
『とにかく言われた通りにやってみなさい』
ということかなと思いました。
やっているうちに分かってくるから。
分かるまで続けてみなさい。
そういうことなのかな、と思いました。
教える立場になってみると、この諺に実感が伴います。
生徒さまから様々な質問が飛び出す気持ちもよく分かります。自分もそうだったから。
だけれども、物事はあまりに深すぎて、説明し切れないことも多いのです。
例えば着物では、素材によってコツが変わります。技術ひとつでは太刀打ちできません。
袷や単衣や薄物など、季節ごとにコツが変わります。
染め方、織り方によっても変わります。
紐ひとつ変えただけでも変わります。
年齢を重ねると体型が変わるので、そこで新たなコツが必要になります。
人によって骨格も筋肉の動き方も可動域も異なるので、当然コツも変わってきます。
『分からないことは聞きなさい』
私たちは学校教育でこのように教え込まれます。
子ども時代はそれでもいいかもしれない。
子どもだから仕方ない。
何もかもが初めてだから。
しかし大人になったなら、子どもの頃ままの性質を通すことには無理があると言えるでしょう。
失敗を挫折を経験し、世の中のことをようやく肌で感じられるようになった大人世代。
自分の力ではどうにもならないことがあることも事実。
一方で、努力を続ければ少しずつ良くなることがあることも現実です。
『練習あるのみ』
生徒さまの口から出たこの言葉。
生徒さまはご自身の幸せを見つけて、育てていらっしゃるのだなと思いました。
その気持ちを共有できる仲間を見つけらたこともまた幸せです。
よし庵はいつも幸せで満たされています。
●お稽古前の静かな時間
よし庵ではお稽古前の時間も大切にしています。
各々がご自身の準備に集中している時間で、不必要なお喋りをしている生徒さまは一人としておりません。
私、工藤も火起こし器を扱っているため、とても集中しています。
静かにそれぞれが確実に準備を進めています。
最近は主たる生徒さまがほぼ上級者となられたので、新しくご入会された生徒さまの準備など、お手伝いもお願いしております。
慌ただしい準備を終えて、ひとしきり静かな時間を味わってからご挨拶をし、お稽古を始めます。
静と動の気持ちの切り替えを上手に行えるような教室にしたい。ずっと思っていました。
そう考えるきっかけとなったのが、10数年前に見た映画『鬼に訊け』です。
『鬼に訊け』は、鬼と呼ばれた伝説の宮大工、西岡常一氏のドキュメンタリー映画。
西岡常一氏は、昭和55年に薬師寺の西塔を再建されました。
木の声を聞き、山を知り、土を知り、研究に研究を重ね、人心を束ね、困難を超えて再建に辿り着きました。
自然や先人を敬う謙虚な姿勢にとても大きな感動を得たのを覚えています。
中でも特に心に残ったシーンが、数名の宮大工が一言も発せずに大きな木材を抱え、黙々と作業をしているところでした。
そこに西岡氏のアフレコが重なります。
『誰も何も話しまへんやろ。次に何をやるのか、みんなちゃんと分かってますから声を掛け合う必要がないんですわ。』
このような言葉だったと思います。
人間は本当に集中した時には声が出ないものなのだ、と西岡氏は続けました。
みんな心が繋がっている様子で、神々しさを感じました。
誰の心にも雑念がなく、光に向かって一つの塊となって進んでいるように感じられました。
自分もそうなりたいと強く思いました。
そのような心持ちで仕事に向き合いたいと思いました。また、同じ気持ちを共有できる仲間を作りたいとも思いました。
ふと気付くと、その夢が叶っていました。
映画を見てから10数年。あまりにも時間が経っていたため、夢を思ったことすら忘れていました。
『夢とはそういうものだ』
宗嘉先生から言われました。
本当に叶えたい夢は、一旦忘れるのもだ。
いつまでも考えているのは夢ではない、執着だ。
夢から離れて、忘れて、自分を立て直して、
その夢に相応しい自分になった時に、気がついたら叶えられているんだ。
自分が夢を選ぶのではなくて、夢が自分を選ぶようです。選ばれる人間にならないと夢は叶わないというのです。
よし庵での静かな時間。
皆さまそれぞれの光に進める時間となりましたらとても嬉しいです。
●永遠のおねえさん
ある時、宗嘉先生が少し悲しそうな顔でこう言いました。
『工藤さん、気をつけてね。時どき言動がおばちゃんになってるから😔』
『おばちゃん…、ですけど既に』
『ダメー‼️』
『え…?』
『認めちゃダメ!ダメダメダメダメ!絶対にダメー‼️自分のことは永遠にお姉さんだと思いなさい。』
『いやいやいやいや、そんな厚かましい👋😅』
『ほら、そういうところ。おばちゃん通り越してもうオッサンだから!』
(あ、ほんとだ。これはオッサンだ…)
『気を付けて。ホントに‼️』
また別の日にも、
『あぁ、眼が霞む…』
『ほら、そこ!』
『これもダメですか?』
『言われた方の気持ちになってごらん』
(うーん🤔)
体のちょっとした不調。
老化を認めるのは悲しいから笑い話にして、同世代でつい話してしまうのはよくある日常。
同年代だとこれが盛り上がるワケで…。
『そうそうそうそう!それ、私も!もーやんなっちゃうよねー!』
こんな風に笑いながら
(ああ、良かった。これ私だけじゃなかった…)
とそれぞれ胸を撫で下ろしているのです。
しかし確かに、若い世代の人が一緒にいらしたら、嫌な気持ちにしてしまうかも知れない。
そうかもしれない。
そうだった。
自分より上の世代の方々が、よく集まって健康談義をされていらっしゃる。
それが長い。声も大きい。
そばに居て確かに自分も嫌な気持ちになったのを思い出しました。
社交辞令で、『大変でしたねぇ』と相槌を打つと、毎回私のところに来て不調を訴えるようになりました。
それがエスカレートし、個人的に連絡をしてくるようになってしまいました。
自分の対応が良くなかったのだなと反省して、それ以来は相槌も打たないようにしています。
その時の方々と同じことを自分もしていたのだなと省みました。
それなのに、またやってしまった。
化粧品売り場で。
以前から気になっていた新しい化粧品売り場を訪ねた時のこと。
可愛らしい店員さんが愛想よく声をかけてくれました。
『お肌のお悩みがございましたらサンプルをお出ししますので😊』
『うーん、お悩みだらけなのよね』
『・・・』
3秒間の気まずい沈黙。
あ、しまった。これだ。
どうして出会ったばかりの若い店員さんにこんなことを言ってしまったのだろう。
自分なりに思いを巡らせました。
店員さんが若くて可愛らしかったからでした。
そして優しかったから。
この人なら聞いてくれそう、許してくれそう、と一瞬で判断したのでした。
若くて綺麗でも冷たい感じだったなら自分は言わなかっただろうと思うのです。
私は見ず知らずの若い人に甘えてしまったのでした。
『お悩みだらけなのよね』
の自分の一言。
嫌だなぁ。変なトゲがある。
(若いあなたにはまだ分からないでしょうけど)
という前置きがつく。
もっと詳しく言うと、
(だけどいずれ私みたいになるのよ)
という後書きもつく。
良くない。これは良くない。
悪気があろうが、なかろうが
嫌なものは嫌である。
相手が嫌がることはしてはいけないのである。
『女性はね、一生女性を捨ててはいけないんだ』
宗嘉先生は事あるごとにそう言います。
女性を捨ててはいけない。
年齢を重ねても女性として輝き続ける夢を持つ。
ガツガツしてもいけない。
男性化してしまうから。
では一体どんな女性が素敵でいられるの?
アンチエイジング、美魔女、キャリア組…。
雑誌をパラパラとめくっても自分にはどれもしっくり来ない。
現代のメディアでは、目標となる女性像がなかなか描けない…。
では、1000年前のメディアで理想の女性像を探してみてはどうかしら?
1000年前のメディア、巻物。
源氏物語。
光源氏を取り巻くあまたの美しき女性たち。
様々な性格を持ち、それゆえ様々な人生を送る。
物語を紐解きながら、人生を追体験すれば、今まで気付かなかった女性像が浮かび上がるのではないか…?
そのような想いから、よし庵の源氏物語茶事と源氏物語教室が開催されることになりました。
皆さまより大きなご注目とご好評をいただき開催中でございます。
誰かが広告のために作った女性像ではなくて。
自分らしく輝き続けるイメージは、時間を掛けて自分の内側から築き上げるしかなさそうです。
一緒に育んでまいりましょう。
永遠に美しい理想の女性像を。