講師(宗夜)ブログ
所作(34)●深すぎるお辞儀、なぜ失礼?
先日、入門してすぐの生徒さまにお辞儀の作法をお教えしておりました。
『ではお客様にお辞儀をしましょう』
そう申し上げると、生徒さまは手の平をぺったりと畳につけて深々とお辞儀をされました。
『お辞儀が少し深すぎるようです。もう少し浅くしましょう。』
その言葉に少し意外そうなお顔をされました。
丁寧にしているのにどうしていけないの?
と思われているようです。
そうなんですよね、私もそうでした。
茶道にはお辞儀が3種類あるのです。
その時々で意味合いが変わります。
服装と同じく、作法にもTPOがあり、その場に適した所作ができるかどうかが知性と判断されます。深ければ良いだろうという考えは、浅はかだと取られてしまうのです。
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茶道ではお辞儀は3種類あります。
・草(そう)のお辞儀
・行(ぎょう)のお辞儀
・真(しん)のお辞儀
・草(そう)のお辞儀
お道具に対するお辞儀や、動作の最中のお辞儀などがこちらに当たります。
・行(ぎょう)のお辞儀
人に対するお辞儀になります。
茶道口でのお客様に対するお辞儀や、茶事における亭主とのご挨拶の時など、言葉を発する時には行のお辞儀となります。
・真(しん)のお辞儀
神様に対するお辞儀になります。
真の行、大円之真では真のお辞儀をいたします。
お点前そのものを神様に捧げるという意があります。また、お稽古の初めにお茶室に対するお辞儀は真のお辞儀となり、その後に行の角度に浅く戻して室内のお客様にお声を掛けます。
茶室に居られる神様に真のお辞儀を捧げ、その後に人間のお客様にお声を掛けるために行に戻す、と理解しております。
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また、別のお稽古では中級の生徒さまが貴人点で真のお辞儀をなさっていました。
貴人さんだから真のお辞儀を、とのご理解だったのでしょう。しかし貴人さんにも行のお辞儀なのです。人対人のお辞儀になります。
ちょうど良い時に、ちょうど良い物を提供できる能力が知性の表れなのです。
日常でも、ちょうど良い時にちょうど良い物を貰ったり、用意してくれたりすると、
『分かってる〜!』
と喜びますよね。全く同じなのです。
心理学の先生も同じようなことをおっしゃっていました。
例えば、何か贈り物をプレゼントしたい時。
実際の関係性よりも高価なものをプレゼントするのは逆効果とのこと。
仲良くなりたい、と思えばこそ、今現在の距離感を慎重に見極めるのが大切とのこと。
ここに一組の男女がいたとします。
お互いに『いいな』と思っていたとします。
まだ知り合ったばかり。
それなのに、男の子が焦って高価な指輪などをプレゼントしたら…。女の子は警戒します。
好意もいっぺんで冷めてしまいます。
高価な物を貰ったのに、なぜ?
それは男の子に能力を感じないからです。
もし二人が野生動物だったとして。
この男の子とカップルになったら自分は生き残れないかもしれないと本能で感じるからです。
捕食動物から身を守るためには、互いの位置関係を正確に把握しなければなりません。
捕食動物との距離、地形、風向き、他の群れの進行方向などを瞬時に判断するのです。
また、群れを率いていくためにはじっと待つ力と、タイミングを逃さない決断力も必要です。
群れは動き出すと簡単には止まれません。
散り散りになってしまうと却って危険です。
たった一つの行動にこれだけの情報が込められています。
分かりやすく男女の話をしましたが、同性でも同じことです。異性であれ、同性であれ、ひとは自分よりも能力の高い存在に憧れます。
そういう人と一緒に居たいと思います。
豊かな人生を送るために、周りの人からそう思われる存在になっていただきたいと、生徒さまお一人お一人に対して心から思います。
美しいお辞儀ができるようになると、体の細胞の一つひとつが目覚めるような気がします。
とても清々しい気持ちになります。
お辞儀にはそういう力があります。
茶室で何度もする、お辞儀。
背筋を伸ばして、きちんとお辞儀をするその姿はとても美しい。いつもお稽古でそう思います。
何度もするからこそ、丁寧に。
一緒に行いましょう。
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所作ブログ(33)●適当に好きなことだけしていなさい②
楽しいか、楽しくないか。
好きか、好きじゃないか。
このような、好き嫌いの感情が人生においてこれほどに大事だったとは、目の症状が出るまで全く気が付きませんでした。
寿命まで変えてしまうとは思いませんんでした。
好きなことをゆったりと楽しむ。
本当にそれで良いんだなぁ…と思いました。
目の症状から数年経って、兼好法師の徒然草に似たような文章を見つけてドキッとしました。
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《徒然草 第百五十一段》
ある人のいはく、年五十になるまで上手にいたざらん芸をば捨つべきなり。
(中略)
ゆかしく覚えんことは、学び訊くとも、その趣を知りなばおぼつかなからずしてやむべし。
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五十になっても上手にならなかったらやめなさい。(中略)
知りたいことがあったら人に聞いても良いけど、大体のことが分かったところでやめておいた方がいい。
兼好法師さん、
ちょっとそれは言い過ぎのような…
両手を上げて賛同はできませんが…
一理あるかなぁと思います。
きっとガツガツした人間が兼好法師の近くにいたのでしょう。これでもか、これでもかと食い下がって質問していたのかもしれません。
それでは周りの人たちも迷惑です。
せっかくみんなで楽しもうと思っていたのに…
何事においても楽しいと思える範囲に留めておいて、周りの人とも仲良く良い雰囲気を作りなさい、それが、大人の知恵ですよ。
ということかも知れません。
他の段でも
物事は完璧でない方がいいよねー
と言っています。
完璧でない美を愉しめてこそ大人である、と。
哲学的な問いを残して、わざと完璧にしない場合もあるし、経済的な理由でやむなく完璧に出来なかった場合もあるし、色々あるけど、まぁ良いじゃない。
案外、高名な専門家ほど分からないことには正直に『分からない』と歯切れ良く答えています。
潔く応えるその姿は素敵です。
ああそうか、それで良いんだ。
追い求めすぎないところに心の満足があるのかもしれません。
月が欠けていても
花が盛りでなくても
美しいのさ。
ああ、やっぱり茶道につながっちゃうな…(笑)
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所作(32)●適当に好きなことだけしていなさい①
これは5年前くらいに、私の身体から受け取ったメッセージです。
強烈なメッセージでした。自分の身体にこのようなことが起こるのかと大変驚きました。
5年前は、茶道と着付けの講師をしながら通訳ガイドの仕事もしていました。
通訳ガイドの仕事も諦めきれなかったのです。
自分はその仕事に向いていると思っていました。
当時、通訳ガイドになるには国家資格が必要でした。私はよし庵の講師になる直前に国家資格を取得していました。
数年間、死に物狂いで勉強し、途中で何度も泣きながら、ようやく手にした資格でした。
このチャンスを決して無駄にしたくないと思っていました。
だけれども現場ではうまくいかない…。
あんなに勉強したのに、私の英語は現場では役に立たない…。どうして?
ああ、そうだ。きっとまだ努力が足りないんだ。
もっと勉強しなくては。もっと、もっと。
当時は本当に忙しい日々を過ごしていました。
火水木土は、よし庵で講師の仕事。
金曜日は、都内の歴史博物館で通訳ガイド。
日曜日は、医療通訳の勉強で都内の専門学校に通っていました。
少なくとも毎日2時間は勉強しようと心に決めて、講師の仕事を終えて帰宅してから寝るまで毎日々々勉強していました。
やるべきことは山ほどありました。
やってもやっても終わらない。
都内の歴史博物館に行く電車の中でも、専門学校に行く電車の中でも、相変わらず勉強です。
当時はまだ息子が高校生だったので、毎朝のお弁当作りもありました。
毎日寝るのは深夜1時過ぎ。
朝6時に起きて、お弁当作って、洗濯などの家事をざっと終えたら、着物着て仕事して…。
仕事に行く電車の中でも勉強、勉強。
そんなある日。
専門学校での授業中。
突然、目が見えなくなりました。
正確には見えています。
明るさも感じます。
ところが、テキストが読めない。
視線を落としたところに、銀色の雷のようなゲジゲジした物体が現れて、それが邪魔して文字が読めない。さらには音読ができない。
『あ』とか『う』とかの一文字の発音はできる。
しかし単語や文体としての、幾つかのまとまりで発音することができない。
どうしよう。
何かとんでもないことが身体に起こっている。
呼吸が乱れて気が遠くなりました。
専門学校の授業は、完全参加型でテーブルがコの字上に配置されており、毎回先生から音読の指名を受けます。この日も一人一段落ずつ読み上げていました。
(ああ、どうしよう。順番が迫ってくる。全然読めない。分からない。しかしこの状況をどう説明したら良いんだろう。)
『はい、ここまで。10分の休憩を挟んで次のところから再開しましょう。次、工藤さんから。』
(ああ、助かった…)
そして体調不良を訴えて、すぐに帰宅しました。
血の気が引いて今にも倒れそうでしたが、何とか電車に乗り込み、ぐったりした身体を引きずってようやく家に帰りました。
『もうこの仕事はやめなさい』
強烈なメッセージでした。
あの銀色の雷のような光。
マグネシウムが燃えている時のような強烈な閃光でした。
あの光が現れたのは一回だけでしたが、私の右目はそれ以来、視野の一部が欠損しました。
閃光で細胞が焼けてしまった感じです。
今でも長時間の読書や勉強が出来ません。
その時にようやく分かりました。
私は通訳ガイドの仕事が、本当のところは好きではなかったんだ…。ショックでした。
そこに向かって人生を進めていたから。
でも同時に、自分を止めてくれた身体からのメッセージにとても感謝しました。
ああ、人生とは…
自分の予想を遥かに超えて、豊かなんだなぁ。
人生の大きな選択肢の一つを失ったのですが、
なんだか私の心は豊かでした。
ホッとしていました。
そして通訳ガイドの仕事から完全に身を引いてから、私の脳は茶道のお点前を急速に覚えました。
自分は茶道がこんなにも好きだったんだなぁ。
立ったり座ったり、忙しいけど。
あれもこれも、ややこしいけど。
でも、茶道にしても、根を詰めるのではなくて、ある程度は適当にしていなさい。
と身体から言われている気がします。
『そうだよ。適当で良いんだ。それが長生きのコツだよ。せっかく生まれたんだから長生きしなくちゃ損だよ。』
よし庵の長、宗嘉ものんびりこう言います。
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所作(31)●人前でうまく話せるようになりたい
『人前でうまく話せるようになりたいんです。どうしたらいいですか?』
以前このようなご質問を受けました。
どうしても緊張してしまって上手く話せないそうです。
雑談している時はいいのだけれど、発表の場などで、自分が注目を浴びる時になると急に怖くなるのだと仰います。
その気持ちよく分かります。
ひとの視線は、怖いですよね。
ひとの視線には、たくさん情報が含まれています。それが恐怖を引き起こすのだと思います。
ひとの視線に慣れないうちはすべての情報に敏感になってしまいます。
目の前の人がなんとなく機嫌が悪かったりするだけで、落ち込んでしまうのです。
手が震えたり、足が震えたり、同時に心も震えてしまって止まらなくなってしまいます。
私の場合ですが、
『もっと自分は出来るはずなのに』
と思っている時に緊張が強かったと思います。
自分の力がどれくらいなのか、自分で分かっていない時期にはとても緊張しました。
いま自信満々なのかと言うと、別にそう言うわけではないのです。
ただ、出来ないことがあっても、
『自分はこれでいい』
と思えるようになったのです。
等身大の自分が分かってきたのだと思います。
そうすると出来ないことがあってもそんなに落ち込まなくなります。
『まぁ仕方ないか…』
と何となく受け流せるようになります。
それには好きなことに夢中になる時間をぜひ作っていただきたいです。
関係ないようでいて、とても関係があります。
好きなことをしていると、自分のことがもっと好きになります。
自分が好きな人は精神的にとても強いのです。
好きなことを探していて…
和への興味がおありでしたら、ぜひよし庵にお越しくださいませ。
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所作(30)●ご挨拶は手をついてから
よし庵ではお辞儀やご挨拶の際、必ず先に手を畳についていただいています。
・手をついてからお辞儀をする
・手をついてから言葉を聞く
・手をついてから言葉を発する
まれに、言葉が先に出て、あるいは先に頭が下がって、後から手がついてくる方がおられます。
よし庵では先に手をつきます、と説明し必ずそのように行っていただいています。
後から手が伸びますと、取って付けたような、いかにも作法が身についていないように見られてしまうのです。
手をついて相手を見て、それから次の動作に移ることで『できる女性』と周囲から見られます。
頭と体を低くしているのになぜできる女性に見えるのでしょうか?
低姿勢ではありますが、へり下っているわけではありません。ビシッと背筋を伸ばして
堂々と体を傾けているその姿勢には威厳すら漂います。
自分の立ち位置をしっかり理解して、その場に適した行動が取れるという知性を感じます。
こういった行動はパフォーマンス心理学という分野から見ても、理に適っているそうです。
視線によって相手の心を掴む天才と言われたのが、第44代大統領バラク・オバマ氏です。
まずスピーチの天才として名高い元大統領でしたが、専門家からは視線の天才とも評価されていました。
頻繁に場内に視線を移し、相手に視線を送って約1秒経ってから話し始めるという手法を取っていました。これにより、観客の持つ親しくなりたいという親和欲求を満たし、億単位の支持につなげたという解釈があります。
歌舞伎俳優も同じように観客に視線を送ります。
見得を切る、という歌舞伎独特の演出があります。ピタリと動きをとめて、一点を見つめる。
全身に力が漲る緊張感のある演技です。
歌舞伎初心者もその格好良さに、思わず大きな拍手を送ってしまいます。
元々は、舞台そっちのけで騒ぐお客さんを睨みつける行動だったようですが、これが大衆に大ウケ。見事な舞台演出として昇華しました。
もしこれが、ガードマンなどに相手をさせて自分はお客さんを無視していたらどうでしょう?
たとえ俳優に理があったとしても人気は下がってしまいます。
人間というものはどのような形にしろ、注意を自分に向けてもらいたい動物なのかもしれません。
人間以外の動物はどうでしょうか?
霊長類で言いますと、チンパンジーも視線によって群れを統率すると言われています。
白目の大きいオスが高い確率でボスに選ばれるそうです。白目が大きければ大きいほど視線がハッキリするからです。
視線による統率を専門家は『ゲイズグルーミング』と呼んでいます。ゲイズ(gaze)は注視するという意の英単語で、グルーミング(grooming)は毛繕いです。
視線による毛繕いで群れをまとめているのです。
チンパンジーがゲイズグルーミングでまとめられる個体数は約47.6体だそうです。
ヒヒは、約64体。
人間は、約147.8体。
霊長類は白目の大きさに比例して群れの個体数が大きくなっているとのことでした。
私たちの体内では、視線を合わせるだけで幸せな気持ちにさせるホルモン(オキシトシン)が分泌されているそうです。
群れが大きく強くなることが、自分の身の安全に繋がったのでしょう。
種が生き残る策だったのです。
話をもっと文化的なものに戻しましょう。
私が好きな本に『きもの』という一冊があります。幸田露伴の娘、幸田文が執筆したものです。
主人公はるつ子。舞台は大正時代の日本。
多感な少女の姿が生き生きとした筆致で描かれています。
10代前半頃のある時、友人の家で、魅力的な女性と偶然に居合わせます。
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すらっとしたひとが入ってきて、坐るとそのまま手をついた形で、夫人が紹介をしゃべる間じっとしていて、それからお辞儀をしてにこやかな顔をむけた。ひどくきちんとしてもいたし、やさしくもあった。
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この一文に、私は心を動かされました。
そして自分が指導する立場になったらこの作法を継いでいこうと決めました。
坐って手をついてそのままじっとしている。
たったこれだけの動き。いえ、動いていない。
この一連の所作がどれほど鮮やかに少女の目に焼き付いたことか。
読者である私はすでに成人していましたが、私にも鮮烈な印象を与えたのでした。
この女性は父の愛したひとでした。
それではあまりに母が可哀想ではないかとるつ子は思います。しかし同時に自分自身もどうしようもなく惹かれてしまうのでした。
この第一印象にその人の生き方が現れています。その女性は外見通りに気持ちもスッキリとしたひとで、ベタベタせず自立しています。
るつ子はそのひとの内面を知り、ますます好きになってしまうのでした。
年下の女性が憧れるような女性。
そんな女性に自分もなりたいし、生徒さまにもなってもらいたいと切に願います。
時代の先が見通せず、生き甲斐を見つけづらい世です。
私が若い頃も、いろいろな社会問題はありましたが、それでも今よりは希望がありました。
今は、なんというか八方塞がりの感があります。
ミドル世代の私たちが、きちんとした作法を身につけ、見せて、生き生きと毎日を送る。
その姿が時代を照らす一つの光となるのではないかと思っています。
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