講師(宗夜)ブログ

2022-10-16 13:36:00

所作(49)●忘れる技術

忘れる技術を身につけなさい。

宗嘉先生から度々にわたり掛けられる言葉。

 

嫌なことを頭の中で繰り返す癖があるね。

どうやらそれは親御さんから遺伝させられたようだ。それ早く治さないと、病気を引き起こすよ。

 

本当だ。まったくその通りだ。

改善しないと。

だけどこの癖、自分の子どもには遺伝しなかったみたいだ。

 

子どもは小学生時代にからかわれました。

陰湿ではなかったけれど辛そうな時期もあり、見守る私もいい気持ちにはなりませんでした。

親として出来ることを常に探っていました。

 

本当はもっと大きな気持ちで

『まぁ、そんなこともあるさ』

と自分の子も相手の子も受け止められれば良かったのですが、そこまでの心の余裕がありませんでした。いつもイライラしていました。

『まったくどういうことなんだろうね!』

自分の子どもに言っても仕方ないのにぶちぶちと愚痴を言っていました。

うん、うん、としばらく子どもは私の愚痴を聞いてくれていましたが、堪りかねて強い口調でこう言いました。

 

『もういいじゃないか!人間なんだから、たまには誰かをいじめたい気持ちにくらいなるんだよ。その時たまたま僕が目の前にいたんだろ。』

驚きました。

まだ10歳にもなっていない子どもでした。

しかも嫌な思いをしている最中でした。

自分よりもよほど子どもの方が大人でした。

返す言葉は何もなく、その通りだと口をつぐみました。

 

それから数年経って、さらに驚く出来事が起こりました。

中学1年生の冬休み。

お正月明けに、突然かつてのいじめっ子が家を訪ねてきました。

しかも、いじめられっ子を伴って。

『よう!ゲームしようぜ。あ、こんちは!』

『おう!』

3人とも晴れやかな表情で、懐かしさと共に相手に対する愛情で満ちていました。

3人とも別々の中学に進んでいたので1年近く会っていませんでした。

 

私はそばにいない方がいいだろうと思い、飲み物とお菓子を出して、そそくさと自分の部屋に籠りました。

リビングから、わいのわいのと盛り上がる声が上がってきます。

そう言えばよくこうやって友達が来てたな。

私も懐かしく思います。

小学生時代は小猿のようにキャッキャ、キャッキャと騒いでいました。

中学生になって声変わりを経た息子たちの笑い声はドスが効いていて『ドドドドド…』と地響きのように笑っています。

(こ、こわ…。まるでおっさんやん。)

おっさん達はマリオカートとスーパーマリオを心ゆくまで愉しみ、お菓子を食べ散らかし、日が暮れた頃に解散しました。

『じゃな。ども、あざーす。』

『おう』

嬉しそうでした。

 

男の子というものは実にあっさりしたもので、

『またな』でもなく

『元気でな』でもなく

『おう』と『よう』だけで関係が成り立つようです。

相手を見届けることもせず、ドアを閉めたら静かにニコニコしているだけでした。

後にも先にもその子が突然訪ねて来たのは、その日だけでした。

何かの儀式のようでした。

 

それにしても、よくこの私からこのような性格の子どもが出来たなぁと思い、先生に伝えると…。

『学んだんだね。親を反面教師にして。』

そ、そうですね…。

何にしろ役に立てて良かったです。

 

人も状況も常に変化する。

水に流すとはこのことか。

嫌な思いは留めず水に流して。

すると次々に水が流れて気がつくと清流になっている。

清流には様々な生き物が集まってくる。

それが豊かな人生を作る。

 

2022-10-15 10:41:00

所作(48)●何度も同じ話を聞きたいの

絵本読みボランティアの時代。

子どもは何度も同じ絵本を読んでもらいたがるものだなぁ…とよく思いました。

『その要求にできる限り応えてあげてほしい』

と先輩方から言われました。

繰り返し繰り返し同じ本を読んであげて。

ほんの一時期だけだから、と。

 

同じ話を繰り返し聞きたがる子どもの心とは一体どのようなものでしょう?

子どもは毎日新しいドアを開けながら生きているような状態だそうです。

毎日と言わず、毎瞬間に新しいドアを開けている状態。ものすごいスピードで体と脳が成長しているのだけれど、心が追いつかない状態。

成長ホルモンがじゃんじゃんと出て、まるでジェットコースターに乗っているような感じ。

とても不安定。

不安でいっぱいです。

そのため心の拠り所として同じ話を聞きたがるそうです。安心したいのです。

 

しかしこの状態、大人である私たちも変わらないのではないでしょうか?

私たちだって不安です。

子どもに偉そうに物を言えるのは、昔に一度子ども時代を経験したからです。

二度目の経験だから偉そうに言えるのです。

だけど親として経験するのは初めてだから、やはり親の方も不安でいっぱい。

 

あるいは職場での後輩指導や部下の指導なども同じことが言えると思います。

人間のミスは大体同じようなところで起きるから、過去の自分と同じミスであれば落ち着いてその後の対処を教えることができます。

が、時には思いもよらないところでミスが起きることもあります。

『どうしてこんなことを…』

そう言いたくなる時もあるでしょう。

同じ仕事をするにしても、人の上に立つと、見えているものがまるで違うものになります。

また、責任ある立場になると愚痴は言えなくなります。これもつらいところ。

 

大人にも心の拠り所が必要です。

同じ話を聞いて安心できる拠り所が。

 

そんな時に和の文化に頼ってほしいと思います。

和の文化は同じことを繰り返し繰り返し行います。

茶道では帛紗捌き。

六方捌きや、真之真の捌きでは、昔ばなしを語るような気持ちでアナウンスをしています。

対面のお稽古でもアナウンスを必要とする生徒さまには隣に座ってお稽古の間じゅうアナウンスをしています。

 

すると心が落ち着くようで、お稽古が終わるとスッキリとしたお顔になられています。

独楽(コマ)が本来の回転を取り戻し、軸が安定するような様子と似ています。

また、まっすぐに立ったり、膝を折って正座したりという運動を繰り返すことにより体幹が整うようで呼吸も深くなられるようです。

 

最初は正座はつらいかもしれません。

皆さん、最初は足の痺れを訴えます。

これは私の勝手なイメージですが…

日常の何気ない動きの癖によって、足の血管がところどころ捻れているのかも知れない、と思うのです。

ですので、慣れないうちは正座がつらい。

ところが茶道のお稽古を重ねると、皆さんの正座できる時間が徐々に長くなります。

もしかしたら…

正座の後に立ち上がるという運動を繰り返すと、ぺったんこになった血管に勢いよく血液が流れ込み、その血流により少しずつ内側から捻れが改善されていくのではないか…などと想像しています。

 

茶道のお稽古では同じことを繰り返してはいますが、それでいてちゃんと前に進めています。

そこに新たな安心感があると思います。

大丈夫、私は成長できている。

その心をひとは希望と呼びます。

 

2022-10-14 15:21:00

所作(47)●茶室で感じる森林浴効果

最近、茶室でのお稽古において森林浴をしたようなスッキリとした気分になることが多くなりました。

これは一体なんだろうと考えています。

 

森林浴で思いつくのが森の香り。

土からの匂い。シダ類の少し湿ったような匂い。

風に湿り気が帯び出したと思ったら急に霧が湧いて、雲の中に入ったんだと気が付くと、また急に晴れて気温が上がった時の匂い。

ああ、気持ちいい。

自分は自然の一部なんだと感じる時。

炭が焚かれると、そのような森の中の諸々の匂いを微かに感じます。

 

そしてもう一つは、音。

時々、茶室にいるのに森の音を感じます。

森の中も、茶室の中も静かです。

静かなのですが、静けさの中に厚みを感じます。

静かだけれども無ではない。

虚無の静けさではない。

 

ふと、どこかで聞いた『ハイパーソニック』という言葉を思い出しました。

人間が耳で捉えられない高周波の音のことで、植物から出る音だそうです。

実は、森はとてもおしゃべりなのだとか。

特殊な機械で録音すると、トラックの轟音と同じくらいの数値だそうです。

人間は耳では森のおしゃべりは捉えられませんが、肌で感じているそうです。

音は空気の振動で伝わります。

そのわずかな震えを肌が感知しているそうです。

生命の息吹を感じることで私たちはリフレッシュできるのですね。

 

そのハイパーソニックらしいものを私は茶室にいる時に感じるのです。

茶室には木々はありません。

その代わり生徒さまがおられます。

生徒さまや自分が発する足捌きや衣擦れの音などから同じような効果を感じるものと思われます。

 

音を受け取る時の心情も大切で、茶室に居る時には完全に心を開いています。講師側も開いていますし、生徒さま達も開いています。

心を開いていながら礼儀を失わない雰囲気。

ここにハイパーソニックを感じ取れる余裕があるのだろうと予測しています。

 

生徒さまの中には、感受性の鋭い方々も多数おられ、入室した際にハッとした顔をなさる時があります。耳よりも目よりも肌で何かを感じているようです。そういう時には瞳孔が開いています。

瞳孔は安心して好意を持っている時に開きます。

心地よく過ごしていただけている。

そう思えて誇らしい瞬間です。

 

2022-10-10 15:30:00

所作(46)●人間は過ぎたる動物

あー、しまった…。

まーたやっちゃった…。

なんであの時、やめとかなかったかなぁ…。

 

ついつい、やり過ぎる。

人間はそういう動物なのかもしれません。

自分だけでもない、皆さんだけでもない。

昔から人間はそういう生き物なのだと思います。

 

過ぎたるは猶及ばざるがこどし

 

このような諺があるくらいだから、相当な数の『過ぎたる人』が昔からいるのでしょう。

そう言えば、論語にもあります。

 

十五にして学を志す

三十にして立つ

四十にして惑わず

五十にして天命を知る

六十にして耳順ふ

七十にして心の欲するところに従いて矩を踰えず

↑ココ

 

矩(のり):人の道

踰えず(こえず):踏み外さない

 

やっと70歳になって好きなようにやっていても人の道を踏み外さなくなったよ。

 

この意味を知った時には驚きました。

と、言うことは70代まで踏み外していたと…。

また随分と長い間踏み外していたんですねぇ…。

ところが我が身を振り返ると、とても人の批判は出来ない。自分も全く同じだなぁと思います。

 

ついつやり過ぎる。

ああしまったと思った時には大抵遅い。

自分の動きは自分では見えないものだから、相手の反応が判断の頼り。

『行けるかな?行けるかな?』

と相手の言動を見ながら進んだりして。

行ける範囲が時と場合よって異なるから難しい。

そしてもう一つ。

人間は知性が高過ぎる。

過去のことを気にし過ぎる。

 

よく宗嘉先生に言われる言葉↓

🟦もういいじゃん。もういいんだよ。

過去は変えられないんだからさ。

反省し過ぎる人のこと、なんて言うか知ってる?

🔴知らない。

🟦サディスト。

🔴なんでですか?反省してるのに。

🟦もう良いよと言われても引き下がらないで、ごめんごめんと言い続けるところがサディスト。

終わりがないんだ。

で、こちらが『もう良いって言ってるじゃん!』と言ってキレると『分かってくれない』と逆ギレ。

🔴ああ、そうかぁ。で、また『やっちゃった…』と。

 

何度でもやってしまう人間。

でも最近、そういうところがまた良いところだなと思うようになりました。

踏み込んだり、踏み込まれたりして、アウトとセーフを繰り返して。

そういう経験をした人間関係は結構楽しい。

愛着が湧いて楽しい。

 

2022-10-10 13:28:00

所作(45)●着付けは農業に似ている

着付けのお稽古をしていて、ふとこう思いました。着付けは農業に似ている…と。

 

最後まで仕上がってみないと分からない。

野菜が出来て、果実が出来て、あるいは家畜が育って…と出来上がってみないと分からない。

手間と時間をかけたとしても上手く育っているのか途中ではよく分からない。

途中で『失敗したな』と思っても完全なリカバリーは難しい。

着物の場合はほどき直して最初から行う必要がある。農業ではそれも難しい。

着物も、一回ほどくと生地にシワが寄り、きちんと感は失われる。

 

失敗した時の原因も分かりづらい。

天候や土壌のせいなのか、それとも水やり技術のせいか。

着物の場合は、手の位置がほんの数mmズレただけでも着姿が変わる。

いつも人差し指で行うところを、間違って中指に変えただけでも変わる。

あー!もう!

時間がない時に限って失敗する。

イライラすると、呼吸が乱れて余計な動きが出るのでアウト。

だけど最初はどうしてもイライラする。

 

『全部言われた通りにやっているのに出来ない』以前、お稽古でよく生徒様から言われました。

そうなんですよね…。最初は出来ないのです。

その気持ち本当によく分かります。

着付けは肉体労働。

一回着るだけでエネルギーを大量消費します。

こんなに一生懸命やったのに、

こんなに疲れたのに、

綺麗じゃない…。もう、いやだ。

泣きたくなりますよね。

 

お稽古中、私は生徒様と同じように手を動かします。

同じ時間に着付けの仕方をアナウンスしながら、

これはこうで、これはこうで…、

とお稽古を行います。

ふと気付くと、生徒様の衣紋は詰まり、襟元が開いています。

それを見越して深めに衣紋を抜き、襟元を詰めて着付けるのですが、それでも着物が前に進んでしまいます。

私との着崩れの差は重心の差です。

私の重心は常に背骨にあり、前後左右に動きません。生徒様は首や体幹が前後左右に動きがち。

 

『ではここで背中のシワを伸ばしましょう』

とアナウンスすると、体をひねって背中を見てしまいます。

『胸紐の上のたるみを伸ばしましょう』

と言うと、首を下に向けてその箇所を見てしまいます。

『よく出来ましたね』

と言うと、大きく頷いてしまいます。

 

このようなちょっとした日常の仕草が、実は着崩れや新たなシワを起こしてしまいます。

洋装であれば失礼でも何でもない日常の仕草なのですが、和装の世界では許されないようです。

許してくれないのは人間ではなく、和装そのものです。

和装の世界では、人間よりも和服そのものが偉いのです。和服を綺麗に見せることが大事。

着心地は二の次です。

本当に大変。でもやっぱり素敵。

美しい着物を、自分で美しく着付けられるとオーラが育ちます。他人に着付けてもらっているうちはオーラ出ません。

自分で着るからオーラが出るのです。

また、人混みの中で和装はとにかく目立ちます。

そうすると、この装いに相応しい自分でいようという意識が働きます。

 

美しい歩き方、立ち方、手の動き、首の動き、話し方。

大きくて素早い動きは着崩れを起こすから、ゆっくりとたおやかに。

このようなことを一つ一つ気をつけているうちに、着付け中の大きな動きも自然と減っていきます。目視以外の体の感覚が鋭くなるからです。

 

生まれ持った美しさに代わる、大人女性の魅力。

本当の魅力は外見そのものではなく、磨き続けようとする心意気かもしれません。

作物を育てるように時間をかけて少しずつ。