講師(宗夜)ブログ
所作(60)●甘いものは心の栄養
心が本当に疲れた時、甘いものはそれらを全部包み込んで忘れさせてくれる気がします。
一口含むと『ふぅ〜』肩の力が抜けます。
女性にはそういう時間とても大切。
『なんか美味しいもの食べに行こうか』 そういう話題をする時、女性の場合大抵はスイーツも含まれています。
本当に心の栄養だなぁと思います。
子どもの頃、夜に寝られないでいた時、母と二人でこっそり食べた甘いもの。
いつもは食べる時間に厳しいのに、たまに許される夜の甘いもの。
時が経つと、記憶そのものが甘くなり懐かしく思われます。
その積み重ねが人間の情動を豊かにするのかもしれません。
宗嘉先生の和菓子は、材料や製法にこだわっていて体にも優しくて安心です。
ゆっくりと味わって豊かなひと時を過ごしていただきたいです。
所作(59)●仮名文化
一年ほど前から、仮名に魅せられています。
興味を持つきっかけは自分の名前からでした。
私の名前はある和歌から付けられました。
…………………………………………..
秋風にたなびく雲の絶え間より
もれいづる月の影のさやけさ
…………………………………………..
最後の『さやけさ』から、さやこと名付けられたのです。この和歌は、百人一首の一つとして数えられています。
だけど…
和歌の響きは好きなのですが、活字はどうも好きになれない。趣がなくて冷たい感じがする。
もしかして和歌を仮名で読めるようになったら面白いんじゃないかな、と思いました。
どうせ読むなら源氏物語にチャレンジしてみてはどうだろう。なんかカッコいい!
そしてすぐに源氏物語絵巻と、仮名辞典を購入しました。一文字、一文字を辞典で拾えば読めるんじゃない?(若者っぽく語尾を上げながら⤴️)
わー、どんなかなぁ?わくわく…
と開いて、すぐにパタンと閉じました。
……。
もう一度気を取り直して開きました。
落ち着け、自分。
……。
うわぁ。ダメだ。
当たり前かもしれないけど、もう全然ダメだ。
予想すらつかない。
ずざざざーーっと後に下がって両手をついて
『申し訳ありませんでした!』
と絵巻に謝りたくなる気持ちでした。
そもそも…
こんなに当て字が多いとは知りませんでした。
仮名辞典を見ると、色々な当て字があって予想もつかない。
現代の私たちの平仮名は50字しかないですが、平安期の仮名は、驚くほどたくさんあります。
しかも形を省略した上で崩しています。
昔の人はなぜこれが読めたのでしょう?
平安期の貴族たちは、和歌を何千首、何万首と暗記していたそうです。
幼少期から、乳母によっていつ何時でも誦じられるように教育されていました。
当て字をしていても、形が崩れていても、その膨大なデータベースを基にしてすぐに予想がついたのです。
すごい文化だと思いました。
これが王宮文化かぁ。
超アナログなようでいて、実は暗唱コードの役割を果たしていました。
公文書では仮名のフォーマットが非常に細かく決められ、容易には改ざん出来ないようになっていたそうです。ほんと、うまいこと作ったなぁ。
なかなか味わうところまで行けないのだけれど、そのうちになんとなく分かっていけたら、面白いだろうなぁー。
と思って、休日は仮名ニョロニョロとの時間を愉しんでいます。
所作(57)●マイブーム
観葉植物を育てるのがマイブーム。
去年の今頃から急に植物が愛おしく感じ始めた。以来、ついつい観葉植物に目がいってしまう。
ガーデニングも楽しくて、休日にお水をあげるのが前日から私の楽しみ。
観葉植物は、休日の晴れた日にはベランダに出して日光を浴びさせたり外の空気に触れさせたり。
葉っぱが風に揺らぐ様子は喜んでいるみたいで『良かったねー』とつい声を掛けたくなる。
観葉植物との出会いは、去年の今頃に購入した大きなフィカスウンペラータ。
大きなハート型の美しい立ち木。
身長175cm。
スレンダーな美女を思わせてつい毎日うっとりと眺めてしまう。
熱帯アフリカ原産だからか、日本の真冬は寒すぎるようで、つらそうでとても心配した。
大きな葉っぱが黄色くなって、たった一枚落ちただけでもとても心配してしまった。
一人じゃ寂しかろうと思って、その2ヶ月後に小さなお友達を買った。
スパティフィラムとザミオウルカス。
これは300円ショップで買ったのだけれども、とても元気で購入時の2倍以上に成長してくれた。
そして半年前には、私の背丈くらいのオリーブの木を購入。オリーブの実も収穫できたら良いなぁと思ってお世話していたのだけれど、どんどん葉っぱが落ちて元気がなくなってしまった。
どうも機嫌が悪い。
あらあらどうしたの?と思って外に出す時間を長くしたら『わたし、お外が良いの』という声が聞こえた。それから地植えにしたところようやく元気を取り戻した。
『こうでなくっちゃ!』
あ、そうなんだ。
オリーブが外に出ていってしまった。
フィカスウンペラータがまた寂しそうな顔をする。
スパティフィラムとザミオウルカスはTVの横で、ちんまりと座っているから話し相手にならないみたい。
そこで以前から気になっていたお花屋さんでフィロデンドロン・セロームを購入。
緑色が濃くてわっさーとしていて元気はつらつ!
『こんちわー』
この子、きっと男の子だ。
フィカスウンペラータの機嫌が治った。
ああ嬉しそう。相性いいみたい。
スレンダー美女と、ずんぐりとした元気そうな男の子の組み合わせ。
ん?どっかで見たぞ…と思ったら
『銀河鉄道999』のメーテルと鉄郎にそっくり。
リビングが賑やかに華やかになった。
植物の話し声は、私には聞こえないのだけれど、何だかとっても楽しそう。良かった。
これからも、よろしくね。
所作(56)●ジェネレーションギャップ(世代格差)
いつの世もジェネレーションギャップ(世代格差)によって人は翻弄されるもの。
今、世界中で起きている格差乖離のスピードもまた凄まじいと感じています。
まだ子どもが高校生で家に居たころ、パスコードについて尋ねました。そのころの私はパソコンの勉強など全然しておらず、iPhoneのアプリも使いこなせず、何が何やら全然分からない状態でした。
パスコードの作り方などを尋ねたように思います。子どもは面倒臭そうに溜息を吐きながら…
『だからさ(はぁ…)、ここでパスコードを入力するんだよ。それじゃあダメだよ。』
『8ケタってあるんだからさ、適当に大文字や小文字や数字混ぜて強力そうなのを作るんだよ。』
ええ〜っと、ええ〜っと、と言いながら何とか入力している私を見て、
『なんか大変だね。コードひとつ入力するのにこんなに時間が掛かっちゃうんだね。それじゃゲームできないね。』
『ゲームってこういう事するの?』
『そうだよ。暗唱コードの連続だよ。適当に打ったのを一瞬で覚えて、さっきの下4ケタ引っ張ってきて、次のと足したり。違ったら2回前の記憶を引っ張ってきて作ったりするんだよ。』
『???』
『あ、ごめん。(クスッ…)分からないよね。』
クスッ…といま、鼻で笑ったけど。
もうそんなこと気にならないほど驚いてしまいました。
(イマ、何ヲオッシャッタノデスカ?)
心の声がすべて機械音になって頭がフリーズしました。
これは大変だ。
大変な世の中になった。
当時息子は17歳。
5年後には22歳で世に出ることになるだろう。
社会の仕組みがこの世代を中心として動き出す。
分からないなどと甘えたことは言っていられない。下手をすると社会保障を受けられない可能性も出てくる。
『パソコンとじっくり向き合ってみよう』
と思い自分専用のパソコンを新たに購入した途端、コロナ禍になりました。
以前もパソコンは持っていましたが、当時はとにかく勉強不足でスペックも何も分からず、夫が買ってくれたものを時々ちょこちょこといじる程度でした。CORE
i3の4GBでした。
これではzoomも動画視聴もままならず、販売店で店員さんに質問しながら、自分の用途に合うパソコンを購入することができました。
今もまだまだ勉強は足りませんが、それでも何となくパソコンのことが分かってきました。
パソコンにはパソコンの理屈が合って、その理屈に自分を合わせて操作するんだなと思いました。
一足跳びには操作できず、丁寧に丁寧に操作する必要があると分かりました。
そしてパソコンにも心があるように感じられてきました。自分がパソコンを好きになると、パソコンも好きになってくれる。
それを宗嘉先生に伝えるとこう言われました。
『そうなんだよね。人工物だから心がないように思う人が多いんだけど、パソコンにも心があるんだ。だから丁寧に扱ってくれる人を機械も好きになるんだよ。好きになられたら得意になってきたでしょ?』
得意とまでは言い切れないけれども、ようやく面白いと思えるようになりました。自分の新しい扉を開けてくれる仲間に思えてきました。
そんな私はいま、WEBカメラを用途別に2台使い、モニターも使って自宅でzoom着付け教室のお稽古を行っています。
昨年末、息子が帰省した折に、それらの機材を見つけて目を丸くしていました。
生涯現役で仕事をするためには、次世代を魅了し続ける必要があります。
世代ごとに意識も異なるから、分かり合えないこともあるかもしれないけれど、理解しようと前向きになることは大切だと思いました。
やってみたら面白かった。
怖くなかった。
ここから団塊ジュニア世代の猛追が始まる。
所作(55)●量子論と般若心経
休日に何となくテレビをつけたところ、量子論についてのドキュメンタリー番組に当たり、つい見入ってしまいました。
ブラックホールに吸い込まれた情報は永遠に失われるとする相対論に対して、『それはあり得ない。受け入れ難い。』とする量子論。
20年という歳月を掛けて『情報は失われるのではなく、別のところに投影されている。』という量子論が数式で証明された、という内容の番組でした。
計算も、数学も、物理も、化学も、大の苦手の私には数式も理論もさっぱり分かりませんが、こういった事象が万人を前にして証明できてしまうというところに非常に驚きました。
この世の中は幻なのかもしれない。
私たちはその幻の中で生きているのかも知れない。
そのような言葉で番組は締め括られました。
あれ?この言葉どこかで聞いたことがある…。
般若心経でした。
この世には、色も音も味も香りも感覚も何もない。何もないから良いも悪いもない。
だって何もないんだから。
何もないから苦しいも辛いもない。
だって何もないんだから。
↑これは私の解釈です。
そしてまた、これはそのままよく宗嘉先生に言われる言葉です。
この世は幻。
良いも悪いもないの。
だから楽しいことを考えて楽しく生きた人の勝ちなの。
この世は幻…。
この言葉を受けて、番組では学生役の女優が大学教授に噛みつきます。
『え?でも今現在、私たち生きてるじゃないですか。幻と言われてもピンと来ないな…。』
ああその気持ち分かる。
私も昔はそうでした。
今は実体験を受けてピンときます。
私の実体験というと、どうしても子どもとの経験になります。
20年前、確かに私は子どもを生みました。
耳に赤ちゃんの頃の子どもの声が残っている。
腕にも抱っこした時の感触が残っている。
ぷくぷくのほっぺ。
かわいい。
小学生まではこの可愛さが続きました。
だけど中学生になり、高校生になり、体も態度も大きくなり、ふと、
『あの…。どなたさんですか?』
と問いたくなるような気持ちになりました。
かわいいというよりも緊張感の方が先走ります。
高校生になると常に張り合ってくる。
隙あらば見下そうとする。
一瞬一瞬が勝負の連続。
一歩も引かない覚悟で息子と向き合う日々。
門限も定め、家のルールに従わせる。
『納得いかないんですけど』
ある時、友達の門限を表にまとめて抗議してきました。
『じゃあ、あなたはその子の家の子どもになるんですか?今現在、あなたは高校生でこの家の保護下にある。家を出たら勝手にしなさい。それまではこの家のルールに従ってもらう。』
こういった対応を間髪入れずにその場で即断するところに親の凄みがあるわけだから、本当に毎日疲れました。
だけど…
そんな思い出も、もう4年も前のこと。
今では息子のものは布団も含めて全て片付けて、私の仕事部屋としてzoomの着付けに使っている。
思い出は徐々に色褪せて、あんなこと本当にあったっけなぁ…と思えてくるのです。
そんな一連の経験を思うと『まぼろし』という言葉がスッと私の心に馴染んできます。
映画でも見ていたような、そんな感じ。
宗嘉先生と一緒に仕事をしている今の生活も、少し前のことを思い出すとやはり映画のような感じ。
映像は脳裏に浮かぶのに温度は感じられない。
もう過去のことなので、その映像に対しては何の感情も湧かない。
これが現実なのだと今は思います。
やっと現実が分かってきました。
地面を踏みしめている実感を得ています。
実感を得ているので虚しくありません。
幻かもしれないけど、虚しくない。
一瞬かもしれないけど、いま私は生きている。
ただただ自分を生きるだけ。