講師(宗夜)ブログ
●『教える』仕事
昔から『教えること』に興味を持っていました。
中学生時代、国語の授業などで作文を書いた折に先生から言われた言葉が心に残っていました。
『女性も仕事をする方がいいわよ。教える仕事には男女間の差がないからお勧めなんだけどね。』
作文のお題は、将来の夢、だったように思います。
将来の夢と言われても…。
家に帰って両親にその話をすると、女性がガツガツ仕事をしなくても良い、と言う。
うーん、よく分からない。全く分からない。
『教える』仕事かぁ。
子どもの頃ピアノを習っていました。
こわ〜い先生でした。
4〜5歳は優しい先生でしたが、6歳の時に引っ越しをして、怖い先生に習いました。
母がご教授をお願いに上がると
『うちは紹介制だから他所に行ってください』
と断られたそうです。
後日にやっぱり来てもいいと言われて習いに行くことになりました。
怖くて怖くて。
幼い頃はその先生が好きになれませんでした。
私は頑固で反抗的なので、全く練習しませんでした。
すると後から習いに来た人にどんどん抜かれていきました。年下にもどんどん抜かれる。
『あー、また抜かれちゃったなぁ…。』
でもやる気が出ない。
ブルグミュラーという練習曲集があるのですが、みんなすぐに卒業して次の曲集に行くのに、私は全然上がりません。
たった25曲しかない、この薄い曲集を卒業するのに私はたっぷり6年間掛かりました。
小学校生活の全部がこのたった25曲でした。
『こんなに時間が掛かったのはアンタだけだよ』
先生から嫌味を言われても(まぁ、そうだろうなぁ)と認めてしまう。
それが…
中学2年の時に突然ピアノが面白くなりました。
キッカケは何か思い出せない。思い出せないけれど、何か突然自分の殻が弾けました。
思い通りの指の速度、思い通りの強弱、自分でコントロール出来る技術が身についたようです。
その後、高校2年でもまた殻が弾けました。
長くても難しくても自分の中に曲が入ってくる。
『やっと音を楽しめるようになったわね。基礎力を付けるのにどうしても10年掛かるのよね。』
見越していたのか…。
10年という長い年月を。
人間に関わる『教える』という仕事に興味を持ち始めたキッカケになる出来事でした。
突然弾けるように能力を開花させる人間。
その人間を見守るのもまた人間。
人間って面白い。
『教える』仕事もまた面白い。
所作(64)●逆に私は全部言う
前述のブログでは、言葉を超えた力の話をしました。
一つ補足をするならば、宗嘉には美しさの基準がキッチリと見えています。言葉は柔らかいのですが、動きや速さなどに向ける目線は鋭いのです。
宗嘉は美のクリエイターだと私は思っています。
伝統をしっかりと守りながらも、より美しく見える細やかな動きの研究に余念がありません。
私は宗嘉の美意識に全幅の信頼を置いています。
その美意識をいかに分かりやすく伝えるかが私に課せられた仕事です。
つまり私はコーディネーター。
宗嘉のお稽古とは対照的に、私は全てを説明します。細部まで全て言葉にして説明しています。
私が担当しているのは、初級者と中級者です。
上級のお稽古に向けての引き出しを作る段階です。引き出しにはたくさんの部品が入っています。
『あの時のアレ』というように、部品がすぐに取り出せなければ上級者のお稽古は難しいのです。
部品のひとつひとつを丁寧に説明して一緒に磨き、そして引き出しにしまう。
引き出しには名札を貼り付けて、
『いま、この引き出しにこの部品をしまいましたよ』とお稽古するのが私の役目です。
全てを説明するお稽古を一年ほど続けると、突然急成長する生徒さまが続出します。
『Bomb‼️(ボンッ‼️)』
知らず知らずのうちに力がついて、大きなバネの力が働いて、ある時生徒さまを思わぬ高みに押し上げます。
『こんな高いところに自分はいたんだ』
そうです。ご自身の本来の御姿です。
言葉を駆使したお稽古と言葉を超えたお稽古。
毎回丁寧にお稽古しています。
所作(63)●言葉を超えた力
ネットワークが普及した現代では、言葉で表現する力は欠かせません。
たくさんの人に一度で情報を伝えられる言葉は便利で魅力的です。
しかし私たちは人間です。
感情で動く人間です。
よし庵茶道教室では、言葉を超えた力も大切にしています。
言葉を超えた力を持っている人物。
私には宗嘉しか思い浮かびません。
宗嘉のお稽古は魂の力で進みます。
言葉を超えています。
『はい、持って』
持つ?何を?
『はい、置く』
え?どこに?
ちょっと…
戸惑う。
文法が好きな私はちょっと戸惑う。
他動詞なのに目的語が抜けている。
主語がないから分かりにくい。
宗嘉の方を向くと、慈悲に満ちた穏やかな光をたたえた宗嘉の目と合う。
菩薩…。
戸惑いを帯びた自分の目線が空中で溶ける。
自分で考えよう。
戸惑う➡️溶ける➡️自分で考える
この繰り返し。
お稽古が終了して『出来ましたね』と声をかけられてもあまり実感がなく…。
『出来ているんでしょうか…』
ところが、二度目に同じお稽古すると自然に手が動く。そのことに自分が驚く。
宗嘉マジック。
主語がなかったり、目的語がなかったり、文法的には穴が沢山あるのだけど…。
その穴を自分の頭で考えて埋めていくから、驚くほど脳を使っていたということが分かる。
宗嘉が言葉について語ったことがあります。
……………………………………
僕には言葉が窮屈で仕方ない。
言いたいことが山ほどあるのに、言葉というルールに縛られて。
僕が本当に伝えたいことは言葉に乗らない。
……………………………………
そうでしょう。そうだと思います。
その気持ち理解できます。
言葉での表現は情報を限定してしまいます。
しかし人間社会はとても複雑怪奇。
限定した情報の周りには、その時採用されなかった準候補になる情報もたくさん存在しています。
人間は生き物です。
理屈に合わないことはたくさん存在します。
言葉の社会で生きる人間は、そういうジレンマを誰しも抱えています。
言葉を自由に操れない幼い子供がよく泣くのはそのせいかも知れません。
泣きたいのは子どもだけではありません。
大人だって泣きたい時があるでしょう。
言葉には限界がある。
それを知っていて言葉を使うことが大切なのかなと思います。
言葉に疲れたら…
美味しいものを食べたり、
綺麗なものを見たり、
良い香りを聞いたり、
感性の力に寄り添ってみましょう。
所作(62)●いいんです。私はこれで。
子どもの頃から『真面目すぎて面白くない』と言われてきたのですが、大人になってもそれはちっとも変わりません。
私が面白いと感じるものは、大抵の人には面白くないようです。
通訳ガイドでの勉強会でも散々注意されました。
勉強会ではお題が出されて、それぞれ2分の英語プレゼンをします。
どんな切り口でも自由でした。
前述のブログの寺子屋は、『日本の教育』というお題が出された勉強会で発表したプレゼンを元にして書きました。
プレゼンではもっと詳しく具体的に数値を入れて発表しました。
プレゼン後に先輩ガイドからケチョンケチョンに注意されました。
『もっと楽しい話をしてよ。外国人旅行客を相手にしてるんだから。学者を相手にしてるんじゃないんだから。』
はい。そうですね。
はい。わかりました。
アドバイスありがとうございます。
うな垂れて見せながら、心の中では
(いいんです。私はこれで。)
と思っていました。
というのは、なぜか私のお客様は学者さんが多かったからなのです。
私は歴史博物館での展示ガイドだったこともありますが、それにしても高確率で学者さんに出会いました。
経済学者、地質学者、文化人類学者、脳科学者、心理学者、建築学者の卵たち…
学者さん達には、私の説明は本当に喜んでいただけました。
私は日常英会話は自信がないのですが、ガイディングでは滔々と語ることが出来ました。
練りに練ったプレゼン資料を暗記していたからです。
寺子屋の説明でも、学者さん達は具体的な数値を欲しがります。
『当時寺子屋はどれくらいあったの?』
(おっ!キタキタ…)
『明治政府が調べたところ15,000校だと言われています。ただ、実際のところはその2倍の約30,000校だったようです。人口との割合を見ると、これは現代の小中学校の普及率と殆ど変わりません。』
ほら、役に立った。勉強しておいて良かった。
私は自分が面白いと思うことしか伝えられません。どうしても自分を偽ることは出来ません。
若い頃は周りに合わせないといけないと思っていました。
ところがどうしても分からない。
疲れてしまう。
ダメだこりゃ。もういいや。素で生きよう。
そう思って『自分はこれで良い』という姿勢を貫くようになると気が楽になりました。
自分から無理に動かなくても、環境の方が生きやすいものに少しずつ変わってきたようです。
イソギンチャクみたい。
力を抜いてゆらゆらしていたら、とても気持ちがよかった。気持ちが良くなると、向こうから色々と流れてくるようになった。
そんな感じです。
これが『自信』なのかな…と思います。
他人より優れていることが自信なのではなくて。
何かが出来ることが自信なのではなくて。
自然体でいられることが自信なのかな。
だから、いいんです。私はこれで。
所作(61)●寺子屋っていいな
寺子屋について、以前に少し調べたことがあります。
通訳ガイドの仕事をしているときに、日本の教育システムをお客様に説明する必要があったためです。
当時私の調べたところによると、戦国時代あたりに寺子屋なるものが世に出たとのこと。
寺子屋の名の通り、当時はお寺が教育機関を担っていました。
教育していたのは、領主の子どもやその部下の子ども達。優れた領主に育てるべく帝王学が施されていました。当時、戦国武将たちは貴族よりもずっと低い地位に見られていたので地位向上に必死だったのだろうと思います。
武力だけでは地域を治めることは出来ません。
戦にはお金がかかります。経済発展を遂げなければ武力を維持できません。
また、武力で得た土地も朝廷から官位を授かって初めて認知されましたので、朝廷との手紙のやり取りも武人には必須の能力でした。
優れた文官としての素養も磨き続けなければなりませんでした。
そのせいか、テキストは手紙のやり取りを題材にしたものが多かったようです。
その他にも、漢文、算術、哲学など科目は多岐に渡りました。
時代は下って、江戸時代。
貨幣の統一がなされ、政情が安定してくると庶民も教育を必要としました。庶民の身分であっても教育の有無によって経済格差が生じ始めたのです。
そこで寺子屋が作られました。
でも寺ではなくて、師匠の家だったそうです。
面白いのはこの寺子屋、庶民たちが自発的に作り始めたという点です。
地域の学のある有力者などに師匠役を頼み、子ども達の教育をお願いしたそうです。
この話をすると大抵の外国のお客様が驚きました。庶民の必死さが伝わってきます。
それだけ世の中の流れが早かったのでしょう。
寺子屋に通う子どもの年齢は6歳くらいから12歳くらいまでだったそうです。
内容は、読み書きそろばんとよく言われますが、教育者に任されていました。
優秀な人材を育てることが、地域経済の発展につながることを昔の人もよく心得ていたので、その地域ごとに教育内容は大きく異なっていたと思われます。
江戸時代の中後期における日本人の識字率は7〜8割だったそうです。江戸内においては9割とも言われています。
江戸時代の庶民は、読書好きでした。
たくさんの物語が出版されていました。
また旅行も大好きだったので、たくさんのガイドブックが売られていました。楽しみながら学んでいた姿が目に浮かびます。
人々にとって寺子屋はとても大切な場所でした。
明治時代に学生制度が整い、寺子屋が廃止されると知ると、寺子屋一揆というものが各地で頻発したそうです。
教育に熱心だった江戸時代の人々。
もしもタイムスリップが出来るなら…、通ってみたいと思いました。